| 先住民族アンデス―アマゾン文化の叙事詩的闘争 かけはし2007.10.1号 |
調和のとれた平等と多様性様々な個性と固有性を尊重
ウーゴ・ブランコ |
解説
ペルー農民運動の指導者で著書に「土地か死か」
この文章は、最初に「シン・ペルミソ」〇七年六月号にスペイン語で「新しい文化」という標題で掲載された。「シン・ペルミソ」はスペイン語で発行されている社会主義の季刊雑誌で、筆者自身をふくむ多国籍チームの編集によって月刊の電子マガジンとしても公開されている。またこの文章は、九月三日から八日にかけてカナダのモントリオールで開催されたラテンアメリカ研究協会の会議で行われた講演のもとになったものである。
ウーゴ・ブランコは、一九六〇年代初期にペルーのクスコ地域におけるケチュア人農民反乱の指導者だった。彼は軍部によって捕らえられ、その活動のためにエルフロントン島刑務所で二十五年の刑を宣告された。彼は獄中で『土地か死か――ペルー農民の闘争』を書いた。同書は一九七二年にアメリカのパスファインダー社から英訳出版されており(一九七四年には山崎カヲル氏のスペイン語からの翻訳で柘植書房から『土地か死か――ペルー土地占拠闘争と南米革命』として出版されている)、同書はこの地域における農民と先住民の解放闘争を理解したいと願う人びとすべてにとって必読である。
エルネスト・チェ・ゲバラ、ジャン・ポール・サルトル、シモーヌ・ド・ボーヴォワール、バートランド・ラッセルといった人びとの支持を得た国際的防衛キャンペーンは、彼の釈放に成功した。メキシコ、チリ、スウェーデンなどでの亡命生活の後にペルーに戻った彼は、統一左翼の候補者名簿で国会議員に選出された。彼は、ペルーの先住民・農民運動や環境運動で積極的な役割を果たしつづけており、ペルー、先住民、ラテンアメリカについての著作活動を行っている。
この論文はフィル・クロノエがスペイン語から英語に翻訳したもの。クロノエは一九六〇年代にブランコの釈放を勝ち取るための世界的防衛キャンペーンに参加し、その十年後にはペルーの先住民のリーダーの全カナダ・スピーキングツアーのコーディネーターを務めた。
なおウーゴ・ブランコは、第四インターナショナルの国際的闘士としてシンボル的な役割を果たしてきた。現在は直接の組織的関係を持っていないが、第四インターナショナルと協力して活動を続けている。ウーゴ・ブランコは二〇〇三年二月に開催された第四インターナショナル第十五回世界大会に出席して連帯のあいさつを行い、満場の熱烈な拍手を受けた。
柘植書房から刊行された『土地か死か』以外にも、本紙に訳載したウーゴ・ブランコの幾つかのインタビューや論文があり、さらに邦訳論文としては鹿砦社から一九七〇年代初めに刊行された『マルクス主義軍事論・現代篇』(革命軍事論研究会編)に、彼の「党・二重権力・民兵」が収録されている。(カナダの「ニューソシアリスト」誌編集部による解説に、本紙編集部が補足を加えた)
われわれの地域
一万年以上にわたって、アンデス―アマゾン地域の豊かな生物多様性は、パチャママ(母なる大地)と密接にからみ合った文化を創造してきた。この文化は、自然への深い知識によって特徴づけられ、高度に農業的なものであった。われわれの地域は、農業を起源とする世界の七つの地帯の一つである。それは、風土に合った種の最大級の多様さを産出してきた。それは西側世界の見地とは異なった宇宙のビジョンを生じさせた。西側世界では、至高の非物質的精神である天地の創造者が、自らのイメージと好みによって人間を作り、人間に奉仕するために自然を創造した。先住民の宇宙のビジョンでは、人類は母なる大地の娘であり、その一部である。われわれは母なる大地と調和し、その胸に抱かれて生きなければならない。すべての丘と峰、すべての川、すべての野菜や動物種は、精神を持っている。
土着の集団的メンタリティーは、五百年におよぶ侵略と個人主義の独裁の期間を通じて強固に持ちこたえてきたほど、強力である。
ケチュアとアイマラ(いずれも先住民族の名)による農民共同体の呼び名は、アイユーである。この言葉は、多くは労働〔アイニ、ミンカ、ファエナ〕(1)と生活のすべての側面に表現されている紐帯と結びついている。共同体は人びとに限定されるものではない。それは、耕作されている種、薬用植物、耕作者に季節の変化を教える動物と植物(2)、さらにより広範にはすべての動物や野菜の種、雨、土地との密接な共同体的関係を伴っている。
農業の発展と家畜の番は、緯度の異なる他の地域では奴隷制と封建制をもたらしたが、アブヤ・ヤラ(アメリカ諸国)においては、集団主義の新しい形態をもたらした。アンデス地帯においてそれは、現在の六カ国の領域に広がる国家――「タワンティンスヨ」(侵略者たちはそれを「帝国」と呼んだが、この表現はリャマを「大きな羊」と呼ぶのと同じ無知に発している)――を作りだした。
集団主義の新しい形態が、特権的なカーストと征服戦争を生み出したことは事実である。しかし大陸の中で、奴隷労働と封建制度にもとづく生産が行われた場所はなかった。
b一万年以上に及ぶわれわれの文化は、約三千五百に上るじゃがいもの変種をふくむ百八十二の植物種を風土に適合させた。
b人びとは、四千五百の薬用植物を知っている。
b「タワンティンスヨ」は河川の分水界、小流域、ため池のシステムに基づいた農業を計画した。
b彼らは、土壌浸食の回避に注意を払いながら長い水路を建設した。
bアルティプラノ〔高地〕(3)のスロープや「ワルワル」(4)の段丘化が行われた。
b地域ごとのそれぞれに特殊な技術が使用された。
彼らは「タワンティンスヨ」の全領域に、気候変動によって農業が脅かされる時にはいつでも住民に食料を提供できるように、貯蔵用の倉庫を建設した。
特権的カーストは存在したが、飢餓や窮乏はなかった。孤児、障がいを持った人びと、高齢者は共同体によるケアを受けた。
侵略の歴史
この社会組織、農業インフラ、食料貯蔵の根幹は、侵略によって破壊された。
当時ヨーロッパは、封建制から資本主義に移行しつつあった。この侵略は資本主義的行為だった。彼らはインドに到達したと信じて、香料を捜し求めるためにやって来た。彼らは何の香料も見つけ出せなかったが、金と銀を発見した。
それまで採鉱は周辺的な活動としてなされていたが、今や経済活動の中心となった。鉱産物の採掘のために、彼らは奴隷制よりなお悪いシステムを使用した。奴隷所有者は、彼の持つロバの健康に関心を持つのと同様に、彼の所有する奴隷の健康に留意する。ペルーの鉱山所有者は、毎年一定数の先住民を「教化」のために受け取る。先住民が何人死のうが、翌年、鉱山所有者は同数の先住民を受け取るのだ。したがって若者や大人たちは鉱山に送られると死ぬまでそこから離れることができない。それゆえ、苦痛から逃れるために若い先住民は自殺し、母親は子どもを殺した。この悪習は、ツパク・アマルの反乱後に減少した。
農業労働は封建制度を通じて行われた。ヨーロッパ人は共同体から最良の土地を取り上げ、それはラティフンディオ(大農園、ラティフンディア〔大農園主〕の巨大な財産)に転換した。共同体の住民は、彼ら自身の土地で農奴となった。彼らは自らの必要のために割り当てられた小区画を耕作することを認められる替わりに、封建領主のために無償で働かなければならなかった。
多くの理由から、農業の大規模な衰退が起こった。
b運河、段丘、「ワルワル」は、無視され、手入れをされなかったために破壊された。
b今日に至るまで、分水界、小流域についての計画は遂行されなかった。混乱が起こり、持続した。
bこの地帯に外国産の家畜が輸入され、環境は悪化した。「アウケニド」(5)は牧草を自分の歯でかみ切るが、牛、馬、羊はそれを根こそぎにして食べる。
侵略者たちは、自らの迷信をわれわれの作物に対して表した。われわれの農業的メンタリティーは、彼らの文化的やり方に合わなかった。そこで「偶像崇拝撲滅者」は、サンタ・パードレ(神聖な父)としても知られる「パパ」のような作物を追い求めた。彼らは、それをパタタと改名した。その言葉はスペインで使用された。その言葉は英語や他の言語に移されてポテトとなった。また彼らは、キウィチャあるいはアマラント(アマランス―ヒユ科の観賞用植物)に怒りをぶつけた。著名な医者のイポリト・ウマヌエが「野菜王国の第2音(スーパーソニック)」と呼んだコカは、今日に至るまで、迷信と、「上品な」サークルの中の過剰なまでに有害な偏見のターゲットとなっている。
侵略者たちは、気候異常によってもたらされた飢餓の時に対処するために全地域に置かれた食料備蓄を略奪した。
彼らの行為を全体として捉えれば、ヨーロッパが押しつけた飢餓と困窮――彼らの文化的貢献――が、彼らによる虐殺や彼らがわれわれの間に広げた天然痘よりもいっそうひどいものだったことを、われわれは見いだす。
反乱と共和国
わが民衆たちは、初めから侵略者に反乱した。ツパク・アマル二世の反乱に始まり、数え切れないほどの決起が行われた。ツパク・アマル二世の反乱はボリビア全体に広がり、彼が残忍な拷問を受け、暗殺されて以後も続いた。
後に、いわゆる独立革命が起きた。それは先住民にとって何らかの注目すべき変化を意味するものではなかった。
「独立」をもたらした将軍たちは、「アシエンダ」(封建的農場の新たな名称)、「インディアン」、そしてすべてを与えられた。
アシエンダ制(大土地所有制)は、基本的にコロノ(農奴)のアシエンダへの無償労働で成り立っている。コロノは、天然の牧草を食べる彼の動物たちの一部を主人に引き渡さなければならなかった。彼は、アシエンダの生産物を積んだ荷物運搬用のラバを引いて長い道のりを歩いた。それは何日も続き、彼は野外で寝なければならなかった。所有者は彼を肉体的・道徳的に虐待した。彼は、農奴を牢獄に入れ、女性たちをレイプすることができた。農奴の子どもたちは、働かなければならなかったこと、学校がなかったこと、主人がそれを禁じたこと、などの理由により学校に行かなかった。
アシエンダ封建制度は前世紀の後半まで続いた。農村への資本主義の拡大は、それを多くの方法で弱めることになった。
b新しい大規模鉱山業は、労働力をアシエンダから吸収した。
b新しい機械化されたラティフンディアは農奴を追放し、農業プロレタリアートを雇用した。
b新しい高価な作物は、より多くの労働時間を必要とし、アシエンダ所有者に対して彼らの農奴からいっそう多くの労働を求め、農奴に割り当てられた土地を接収するために彼らを追放する圧力をかけた。他方、農奴たちは彼ら自身の労働のためにいっそう多くの時間を必要とし、彼らの割り当て地の横領に抵抗した。
われわれは、この新たな暴力に対して闘うために自らを組織した。地主の非妥協的態度のために、闘いは土地の所有をめざす戦闘となった。
われわれの防衛的行動は、地主に対するものだけではなく、封建制を防衛する政府に対する闘いとして設定された。
百以上のアシエンダでわれわれは地主のために働くことを拒否した。しかしわれわれは自らの割り当て地で働き続けた。それは実際には農業改革だった。政府は武器をもってわれわれを弾圧し、われわれは武器で自らを防衛した。当時の軍事政権は武装自衛を押しつぶした。しかし彼らは、封建的農奴制を再び持ち込むことは不可能であることに留意していた。政府は農民の土地所有を合法化する――この地域のみで――農業改革法を可決することを選択した。しかしこの国の他の地域における先住民の農民は反乱し、アシエンダを接収した。その反乱は暴力的に弾圧されたが、効果的に封じ込めることはできなかった。したがって、その後に続く改良主義的軍事政権は、全国レベルての農業改革を布告せざるを得ないと感じた。
このようにしてわれわれは、資本主義による封建制度の弱体化によって、土地を引き継ぐという利益を手に入れたのである。同時期、ブラジル農民の運動は破壊された。資本主義は勝利の凱歌を上げた。その犠牲者は今や「土地なき労働者の運動」の中で勇敢に闘っている。こうした理由から、ペルーは、おそらくキューバを例外として、共同体的にも、割り当て地のレベルでもこの大陸の中で土地所有者の比率が最も多い国なのである。
土地をめぐる闘争の時代以来、一部の農民は、質的変化を感じとっている。彼らは「今やわれわれは自由だ」と言っている。彼らは、封建的農奴制の打破は、彼らを縛ってきたくびきからの解放でもあると見なしている。
この過去からの断絶に続いて、彼らは学校を建設し、男女の教員に給与を支払って、教育のために活動してきた。後に彼らは国家がカネを支払うよう求めて闘った。彼らは保健センターを建設し、国家が保健サービスにカネを出すことを求めて闘った。
彼らは投票権を手に入れ、彼ら自身の市長を選出した。彼らは鉱山公害に反対して闘った。彼らは腐敗した警官や裁判官を、集団的なマナーを身につけた警察・司法機能に置き換えるために闘った。彼らはあらゆる種類の当局による腐敗・汚職、そして他の多くのことがらにも反対して闘った。
彼らは、封建的農奴制からの決別は、翼を広げて闘争を前に進めるための解放だと感じている。
現在の闘争
先住民農民の最近の闘争は、パチャママ=「母なる大地」の殺戮に対する闘いである。
すなわち主要に鉱山会社、同時に石油やガス会社といった大企業による破壊と浸食に対する闘争である。以前のペルー政府は封建地主の召使であったが、現在では、大多国籍企業に奉仕している。彼らはペルー民衆と自然に敵対して活動している。
生活諸条件は、闘いのもう一つの原因である。失業がますます拡大し、生活水準は低下している。農村地帯では、そうした現実は農業生産物が余りにも低価格であるためである。それは、大規模な、代替的な帝国的企業の利益のためにわれわれの農業を解体する米国との自由貿易協定に反対する闘いと結びついている。
先住民の運動は、他のペルー民衆とともに腐敗・汚職と闘っており、地方政府に自分たち自身の代表を獲得するために闘っている。信頼すべき民主主義的統制システムがないために、民衆が裏切られることも多い。
われわれの同盟者
先住民運動は孤立していない。その運動は最も強力で根気よく闘われているが、唯一のものではない。他の民衆たちもわれわれと共に闘っている。
「インディゲニスタ」(先住民知識層)と呼ばれるインテリゲンツィアは、先住民であろうとなかろうと、特別の言及に値する。わが大陸の土着の人びとへの抑圧が始まった時から、こうした抑圧に反対し、われわれの文化を守るために闘った個々の人びとがいた。
バルトロメ・デ・ラス=カサス神父の活動はよく知られている。
ペルーでは、ゴンザレス・プラダやマリアテギといった著名な政治的活動家がいた。クロリンダ・マット、シロ・アレグリア、ホセ・マリア・アルケダスといった著作家、ホセ・サボガルのような画家、アロミア・ロブレス、バルタザル・セガラ、ロベルト・オヘダ、レアンドロ・アルビーニャなどの音楽家がいた。
闘いの意味
われわれは、われわれの宇宙的ビジョン、社会諸組織、われわれの儀式や農業的ノウハウ、医薬、音楽、言語、そしてその他もろもろといった多様な側面において、われわれの文化を守っている。
われわれは、われわれの文化が他に対して優れているなどと主張するものではない。われわれはそれが劣っているものだと考えることを止めさせるために闘っているのだ。われわれはそれが平等に扱われることを望んでいる。
われわれは調和のとれた平等と多様性を教えられてきた。ペルーは地理的にも人口構成的にも、いちじるしく多様な国である。ペルーには世界中の百三に上る自然生活地帯のうちの八三%がある。われわれの住民たちは四十五の異なる言語を話している。偉大なインカ太陽神の祝典は、他の人びとを排除するものではなかった。この祝典には、異なった神を信仰する異なった民族の行進が伴っていた。「唯一神」という概念は存在していなかった。われわれは多様なものの平等に賛成であり、均質化(イグアリタリスモ)に反対している。
われわれは一方で多様な個性と固有性を尊重している。われわれは他方では個人主義に反対している。われわれの文化は、連帯の文化である。
われわれは過去への回帰を求めてはいない。われわれは、人類文化の中で、全体的前進のために最善をつくすべきだということを知っている。そのことはわれわれ自身のルーツに戻るという決意と矛盾するものではない。われわれの過去は、われわれの将来において生き生きと現前するだろう。
われわれはパチャママ(母なる大地)を愛し、注意を払う。われわれは、有害ではない現代的な進歩の成果とともに、農業、天然の薬剤を通じて、われわれの豊かな生物多様性に立脚する経済への回帰を熱望している。
われわれは自らの社会システムが、侵略者がこの地にもたらした根強く、反社会的な個人主義に基づくことを望まない。われわれは、有害ではない普遍的な知識をも利用しながら、アイユー(農民共同体)の力強い集団主義的連帯と友愛を、あらゆるレベルで、復活・強化しようとする。
われわれは、一万年に及ぶわれわれの文化の構築の中で、過去五百年の壊滅的打撃がまさに過ぎ行く悪夢でしかなかったと夢想している。
(注1)集団主義的言語に発するこれらの用語は、個人主義的言語には翻訳不能である。「アイユー」は、個々人のために集団的活動として労働を相互に提供しあうことを意味する(日本の農業における協業形態である「結(ゆい)」のようなものか――邦訳者)。「ファエナ」は集団の利益のための集団的作業である。「ミンカ」は、散財と緊急出費を伴う奉仕を求めることである。
(注2)先住民の農民に、気象や天候条件が変化する可能性や、作物に何が起こるかを知らせる「兆候」が存在する。森の植物の開花の過剰や過少、蛇の彩色の変化、鳥の巣の高さ、星座の輝きの変化などである。
(注3)「ワルワル」は、段丘の畑と水路(ないし湿地)を交替して使う習慣である。作物の栽培は、この段丘ベルトで行われる。それは雨の多い年に洪水を避けるための機能である。日照りの年には、水路に溜められた水が灌漑のために使われる。日中に水路の水に吸収された熱は、霜の下りる時期の寒夜の影響を和らげる効果を持つ。
(注4)ここで「南米の環境と自然――中部アンデス」というエッセイからの抜粋を紹介する。農業技術についての適切な記述がここに示されている。
「地域の農業牧畜家は、高地に上る畑地システム=『ワルワル』や、掘り下げた小さな畑地=『コカ』を、こうした諸問題に対処するために建設した。畝に沿った水路を伴う高く隆起していく畑地の建設は、雨季に浸水した地面の上にある畝に植えられた球根の腐敗をなくす効果をもたらした。『コカ』のシステムと、高地に上る畑地の間にある水路は雨水をためこみ、乾期に水を供給し続ける役割を果たした」。
「こうしたシステムは、水を管理することに加えて、異常気温の影響を改善した。こうして段丘の畑と『コカ』の溝地は、太陽が移動する進路に沿って、あるいはそれと垂直に建設された。それは水が太陽エネルギーを最大限に捉えることを可能にする方向であった。この水は、夜間にも畑地を少し暖め、何の措置も施されていない周囲の草地が厳しく凍りつく状況の中で、霜の害を妨げるに十分な熱を放射することがしばしばであった」。
(注5)「アウケニド」は、アンデス山地に見いだされるラクダに近い動物である。それらはスペイン語で「カメリド」とも呼ばれる。ペルーには、リャマ、アルパカ、ヴィクーニャ、グアナコの四種類の「アウケニド」がいる。リャマとグアナコが荷物運搬用動物であるのに対し、アルパカとヴィクーニャは毛を取るために使われる。
(「インターナショナルビューポイント」07年7―8月号)
声 明
私たちはWTOドーハラウンドの復活を拒否する
八月二十四〜二十六日、自由貿易に反対する東&東南アジアの社会運動団体の主催でタイのバンコクにて会議が開かれました。この会議では、〇五年WTO香港閣僚会議後
のWTO/FTAの現状とそれに対する運動の現状を確認しました。特に九月三日から再 開されることになっている、WTOドーハラウンド会合について、以下のような声明を出しました。
私たち、東&東南アジアの農民組織、女性、移民、労働者、都市と農村の貧民、漁民、社会運動、市民社会組織の代表は、ドーハ「開発」ラウンドの復活を拒絶する。
私たちは、さらなる交渉の基礎として不公正、バランスの取れていないテキストをもとにして、貿易大国がドーハ「開発」ラウンドを復活させようとしていることを非難し、皆さんの注意を喚起したい。農業と非農業市場アクセス(NAMA)の
テキストは、明らかに先進国の利害を反映している。さらにそのテキストは、ドーハラウンドが、本質的には市場アクセスを増大させるのであって、開発と同等と見なすべきでないことを示している。
その交渉は、小農、漁民、労働者を保護するために、より大きな柔軟性を求める途上国の要求を無視し、掘り崩し続けている。現在のテキストは、先進国が、何も見返りを出さずに、途上国により多くを要求していることを示している。農業では、合衆国とEUは、自らの補助金を維持する一方で、途上国が輸出の急増と市場の不安定から自国の小農を守るための特別品目(SP)と特別セーフガード措置(SPM)の権利を持たないように要求している。NAMAでは、合衆国とEUは、大規模な失業、産業組織の縮小、小漁民の崩壊を引き起こす、途上国の工業&漁業関税の大幅な削減を要求している。
私たちは、ドーハラウンドを止めるという要求を繰り返し、それを復活させるあらゆる試みを拒絶する。私たちは、農業、NAMA、サービスという三つの交渉領域で議論されている提案の多数が、富裕国と多国籍企業の利害を守り、促進するよう設計されていることも知っている。
世界貿易機関(WTO)の十二年の後、開発の約束が誤っていたものであり、むしろ人びとをさらに困窮させ、土地、漁場その他の天然資源へのアクセスと管理、仕事と生活を失わせたことは、明らかである。WTOは新自由主義的グローバル化の道具であり、本質的に反開発的である。貿易は、食料、農業、漁業、公共サービ
ス、天然資源、生活の権利を犠牲にすべきではない。
東&東南アジアで、私たちは、世界中の他の人びとと同じように、新自由主義経 済政策による負の影響に苦しみを直に経験してきた。もし「ドーハ」開発ラウンドが決着し、この不公正な貿易協定が実行されれば、多くが仕事と生活を失い、
地域の人びとの大多数がさらに困窮するであろう。
オルタナティブな貿易関係についての私たちの構想は、食料主権、不安のない、持続可能な仕事と生活、人権、労働権、移住権、あらゆる人びとのサービスへのアクセス、女性の平等と権利、民主主義と意志決定への参加、持続可能な環境という原則を基礎にする。
私たちは、ドーハ「開発」ラウンド復活の試みを捨てさるよう、自分たちの政府に呼びかける。そのラウンドは、人びとを犠牲にして、救済されるべきではない。
私たちは、自国の人びとの要求を聞き、オルタナティブな貿易関係を私たちと共に築くよう、自国の政府に呼びかける。WTOなき世界は、可能であるばかりでなく、必要なのである。
私たちは、国家、地域、国際的なレベルで、ドーハ「開発」ラウンドの復活を止めるための結集に力を注ぐ。私たちは、他の社会運動、民衆組織、市民社会集団に、私たちのたたかいに加わって、ドーハラウンドを終わらせるよう呼びかける。
希望をグローバル化し、たたかいをグローバル化しよう!
進歩的労働者連盟(APL、フィリピン)、反債務連合(KMU、インドネシア)、アジア移住労働者センター(香港)、ATTACジャパン、ガジャ・マダ大学経済民主主義研究センター(インドネシア・ジョクジャカルタ)、インドネシア農民組合連合(FSPI)、フォーカス・オン・ザ・グローバルサウス、FTAウォッチ(タイ)、グローバリゼーション・モニター(香港)、香港工盟(HKCTU)、グローバル・ジャスティス研究所(インドネシア)、ジュビリー南アフリカ、債務と開発アジア太平洋運動(APMDD)、女性漁民運動(フィリピン)、KALAYAAN(フィリピン)、民族民主主義運動(フィリピン)、漁民運動(フィリピン)、韓国民主労総、アジア移住労働者フォーラム、ストップ・ザ・ニューラウンド連合(フィリピン)、フィリピン女性保健連盟、貧困とグローバリゼーションに反対する女性行進(WELGA)、変革のための女性アジェンダ(カンボジア)
(ATTACジャパンGUTSブログより)
───10.7香港の仲間を迎えて
今日の中国をどうみるか
二〇〇八年オリンピックを控えた中国では著しい経済成長が持続しています。その一方で貧富の格差が拡大し、政治の腐敗が蔓延し、各地で農民や労働者による抵抗が頻発し、その一部が日本でも報道されています。しかし、わたしたちは「不安定な中国情勢」という報道をただ単に消費するだけでよいのでしょうか。
「世界の工場」中国から安価な製品が世界中に輸出され、made in CHINAなくしてはすでに生活が成り立たなくなっています。その一方で、中国からの輸入品に健康被害をもたらすさまざまな危険物質が含まれている、という報道も世界を駆け巡っています。しかし、わたしたちは「アブナイ中国製品」を拒否するだけでいいのでしょうか。
made in CHINAの現場では、出稼ぎ青年たちの新たな雇用と収入を生み出しています。その一方で、それらの生産現場では過酷な労働と人権侵害が蔓延しています。しかし、わたしたちは「悲惨な労働実態」に眉をしかめ、「かわいそうな労働者」に同情するだけでよいのでしょうか。
「世界の工場」と
悲惨な労働実態
今回来日する香港の社会運動団体「グローバリゼーションモニター」(全球化監察)の区龍宇さんには、中国が抱える問題を新自由主義グローバリゼーションという視点から、具体的な事例を含めて話していただきます。
「グローバリゼーションモニター」は、二〇〇四年に中国南部の都市、恵州にある香港資本の電池工場で発生したカドミウム汚染の被害者とともに、会社に対して正当な補償を求める活動を展開してきました。この活動を通じて中国国内の労働者の置かれている状況をより具体的に把握することができました。
日本の社会運動
が問われている
今回の集まりは、WTOの問題に日本の草の根市民・労働者・農民の立場にたって取り組んできた脱WTO/FTA草の根キャンペーン、アジア太平洋十五カ国・地域の草の根労働者の交流経験を培ってきたアジア太平洋労働者連帯会議(APWSL)日本委員会、新自由主義グローバリゼーションの問題に正面から取り組んできたATTAC Japan(首都圏)の共催で行われます。日本の社会運動が、どのように中国の問題に取り組み、そして人々とつながることができるのかを、この機会に話し合いたいと思います。
集会名称
「このままでいいのか│中国とグローバリゼーションと日本に住むわたしたち」
bゲスト 区 龍宇(『グローバリゼーションモニター』編集委員)
b日時 10月7日(日)午後2時〜午後5時
b場所 アカデミー音羽 学習室B 東京都文京区大塚5―40―15 ※30人部屋ですので事前申込みいただけるとありがたいです
交通 地下鉄有楽町線「護国寺駅」徒歩3分
b会費 500円
b共催 脱WTO/FTA草の根キャンペーン/アジア太平洋労働者連帯会議(APWSL)日本委員会/ATTAC Japan(首都圏)
連絡 attac-jp@jca.apc.org
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