| 「つくる会」の分裂と「教科書改善の会」 かけはし2007.8.6号 |
教育再生会議を基盤にして
「愛国心教育」の強化ねらう |
八木と扶桑社
のタイアップ
七月二十四日、八木秀次(元「新しい歴史教科書をつくる会」、日本教育再生機構)を中心に天皇制・侵略戦争・靖国神社を賛美する日本会議派を多数抱えた「改正教育基本法に基づく教科書改善を進める有識者の会」(「教科書改善の会」)を発足させた。
事務局が八木で、代表世話人には屋山太郎(政治評論)、世話人が 石井公一郎(元東京都教育委員)、小田村四郎(元拓殖大学総長)、中西輝政(京都大学大学院教授) 、三浦朱門(元文化庁長官)、三宅久之(政治評論家)、
村上和雄(筑波大学名誉教授)、渡部昇一(上智大学名誉教授) 、渡辺利夫(拓殖大学学長)。そして歴史教科書担当が伊藤隆(東大名誉教授)、公民教科書担当が川上和久(明治学院大教授)といういずれも天皇主義、右翼反動連中ばかりを配置した人事構成となっている。
また、日本会議の桃島有三事務総長、日本政策研究センターの伊藤哲夫所長、大学教授、ジャーナリスト、森田健作、千葉真一など俳優ら百十四人が賛同している。
さらに「教科書改善の会」が作成する教科書は、扶桑社の全面的なバックアップで子会社(八月に設立 予定)である「育鵬社」を設立して編集・発行する。2011年度の中学歴史・公民教科書を発行し、教育委員会への教科書採択運動も取り組んでいくことを掲げた。
「新しい歴史教科書をつくる会」は、2005年の全国的な「つくる会」の教科書採択反対運動の高揚によって歴史教科書0・39%、公民教科書0・19%という低採択率だったことを契機に、会内の諸派間で敗北責任を押し付けあい、派閥抗争を繰り返してきた。最終的には藤岡信勝(拓殖大教授)が会長に就任することによって、とりあえず決着した。しかし、扶桑社は、自らの経営・財政・運動方針と統制を拒否する藤岡派に見切りをつけ、「つくる会」を脱退していた八木派との意志一致のもとに編集発行から撤退した。
藤岡によれば、「(扶桑社は)現行の『新しい歴史教科書』に対する各地の教育委員会の評価は低く、内容が右寄り過ぎて採択が取れない。社の方針に賛同する人々を執筆者とし、書名も変え、別会社をつくって発行するというものであることが判明しました。ことここに至って、つくる会は、会創立の理念を明示した趣意書の立場を守るため、別の出版社をさがし、現行の『新しい歴史教科書』を発行し続ける道を選択しました」と暴露している。なんと無責任で、いいかげんな連中なのか。「教育」をもてあそび、不真面目な「教科書」をこれ以上作るな!扶桑社は、自らの破産を再確認し、教科書業界から完全撤退せよ。
戦争国家づくり
のバックボーン
このようなドタバタを脇で見ながら八木は、安倍首相のブレーンとして立ち振る舞い、そのメイン舞台として教育再生会議路線を支持した。他方では自ら日本教育再生機構を立ち上げ教育再生民間タウンミーティングキャンペーンを行い、行動隊としての任務を展開していた。日本教育再生機構には、天皇制賛美と「日の丸・君が代」愛国心教育を押し進めてきた全日本教職員連盟なども協賛団体として参加させ、教育現場への浸透も着手しつつあった。
キャンペーンで八木は、「歴史教科書作成など伝統文化の継承、道徳教育の充実、性差否定教育や過激な性教育に反対し、家族を再興する」などとアジテーションを繰り返してきた。この八木の展開と連動していたのが山谷えり子首相補佐官であり、愛国心・道徳教育などを柱とした教育再生会議報告をまとめあげてきた。八木と山谷との連携プレーのもとに蓄積した「成果」を教科書においても実現させていこうというのが当面する獲得目標なのである。
つまり、教基法と教育関連四法の改悪をステップに安倍首相、日本会議、扶桑社、八木派が一体となって「教科書改善の会」を発足させたのである。教育再生会議路線と連動させ愛国心・道徳・規範の比重を強め、歴史を歪曲し、侵略戦争を正当化していく本格的な教科書を作ろうとしているのだ。子どもたちに対しては戦争国家化への戦略的動員のために、そのイデオロギー的注入を促進する教科書の定着と拡大を押し進めていくイニシアチブ装置としてスタートさせたのである。それは憲法改悪を射程にし、グローバル戦争に積極的に参戦していくためのイデオロギー的バックボーンを教科書という媒体物によって下から積み上げていき、支えていく土壌拡大をねらっているのだ。
「つくる」会路線
をあくまでも継承
このことを「教科書改善の会」設立趣意書では、「教育をめぐる『戦後の枠組み』は根本的に改められ」、「教科書においても、近く『学習指導要領』が改訂され、次回の教科書検定より改正された教育基本法、学校教育法、及び学習指導要領の新しい指導理念のもと、従来の教科書は大幅に書き改められることになった」という前提認識のうえで、「『旧教育基本法』は、自国への『愛』や『道徳心』を育み、『公共の精神』を重んじ、先人が培ってきた尊い『伝統』を受け継ぐという、どの時代、どの国であっても、およそ公教育には不可欠な理念が欠落しているものでした。その結果、『旧教育基本法』のもとでの教科書改善は、執筆にせよ、採択にせよ、どうしても限界をともなうものでした。
しかし、今、その壁が取り払われた」と教科書改悪こそが自己の任務であることを強調している。「改正教育基本法の理念に沿った教科書の作成ならびにその普及」を押し進めていくことを確認している。
具体的な教科書の記述内容は、「つくる会」の歴史認識を踏襲し、とりわけ「南京事件は、事件の存否・規模について学説上の対立があり、実態が把握できていないことを明記する」、「従軍慰安婦は中学一、二年生が教科書を手にすることを考慮し、載せない」、「尖閣諸島、竹島などは我が国固有の領土であることを明記する」ことを明記している。
八木は、発足記者会見においても「つくる会の歴史・公民教科書と中身自体は大きな変化はないかもしれない。専門家と現場教員を中心に執筆してもらうことで、広く教育界に受け入れられる教科書にしたい」、「「(つくる会の教科書は)論壇から教育界への殴り込みだったが、今度は広く教育界に受け入れられる教科書にしたい」などと欺瞞的な発言をした。屋山にいたっては、「これまでの(扶桑社)教科書より、わかりやすく、こなれた記述にあらため、教育現場などから幅広い支持がえられる教科書にしたい」などとふざけたことを吹きまくった。このように天皇主義右翼の本当の姿をオブラートで包みながら、教科書作り・採択運動を進めていこうとしている。こんな小細工を厳しく批判し続け、反動教科書作りの踏み出しを許してはならない。
都教委が扶桑
社教科書採択
東京都教育委員会は、七月二十六日、〇八年度に都立中高一貫校五校が新たに使う歴史と公民の教科書について「新しい歴史教科書をつくる会」(つくる会)のメンバーが執筆した扶桑社版の採択を強行した。扶桑社自身が「現行の『新しい歴史教科書』に対する各地の教育委員会の評価は低く、内容が右寄り過ぎて採択が取れない」と自己破産を認めているにもかかわらず、都教委は「つくる会」の扶桑社版を採択したのである。そもそも「つくる会」の歴史教科書は、日本の侵略戦争をアジア解放戦争などと肯定しながら、南京大虐殺や日本軍「慰安婦」を否定し、国家と天皇中心の歴史観に満ちたものだ。公民教科書も、憲法改悪をねらい、基本的人権の制限、権利よりも義務、「国防の義務」、ジェンダーフリーへの敵視など反人権を基調としている。反動的内容に貫かれているがゆえに公開で論議することを避け、密室で採択せざるをえなかったのだ。都教委は、反動教科書採択をただちに撤回せよ!
「教科書改善の会」のねらいを暴き出し、あらゆる策動を許さない監視の強化、「新しい歴史教科書をつくる会」とともに「教科書改善の会」教科書採択阻止キャンペーンをただちに開始していくことを訴える。(遠山裕樹)
三里塚闘争に生涯をかけた上坂君を追悼する
三里塚を闘う人の心に生き続けよ
加瀬 勉(千葉県多古町・農民)
三里塚闘争は四世代にわたる永き闘争である。また一人三里塚闘争に生涯を賭けた人、大阪の上坂喜美同志がこの世を去った。
私は今眼病を患い手術して病院から帰宅したばかりである。両眼は眼帯で覆われている。その闇の世界に上坂君の姿が次から次に切れることなくこみ上げてくる熱い思いのなかに浮かんでくる。文字を書き読書することを禁じられている。眼帯をはずしても視力が定まらない。でも一文字の追悼文を書かねばならぬの衝動感が全身を走る。人は肉体が滅びても普遍の永遠の価値を求めて生きる者。上坂君は三里塚闘争に連帯する会の代表として三里塚闘争の普遍の価値の追求と発展のために生涯を賭けたのでる。
三里塚闘争は、その激しさにおいて、その鋭さにおいて、その規模のおおきさにおいて国家権力を震撼させた。鋭さと激しい闘争は、また広い裾野を持つ大衆性がなければなりたたない。その大衆性を三里塚闘争に連帯する会の代表として幾十万の全国戦線の結集に上坂君は東奔西走したのであった。
「管制塔に赤旗が掲げられた日」全国から結集した連帯する会の大部隊は芝山町菱田小学校グランドに結集した。国家権力は反対闘争の主力部隊がここに結集したと判断したのである。連帯する会の大衆的大部隊は、宿から辺田部落、横堀部落と通って労農合宿所を目指してデモ行進を開始した。いっもなら労農合宿所に結集するのだが、機動隊の包囲網にあうので菱田小グランドに陣形をとったのである。上坂君率いる連帯する会の部隊の動きに機動隊は集中した。この間隙を縫ってマンホールから、第八ゲートから管制塔めがけて突入占拠し赤旗を戦士たちは掲げたのである。このように上坂君中心としての連帯する会は三里塚闘争の大衆性を保障したのであった。
三里塚闘争に連帯する会は、大衆組織であるが新左翼の諸党派中心の組織である。この諸党派のセクト主義は、党派公害と呼ばれるほどひどいものであった。上坂君はその取りまとめに心血を注いで、三里塚全国戦線の形成、統一を、行動を作り上げていったのである。上坂君は物静かだが意思、思想は堅固であった。連帯する会は戸村委員長参議院議員全国区選挙を契機に組織されたものだが、渋谷に仮住まい事務所を持ったときは、上坂君はソファに毛布一枚で寝ている暮らしが続いた。四谷駅前の二十四時間喫茶で腹を水ぶくれにして二人で夜を明かし、泊まる金がないから東京駅構内で夜を明かしたこともあった。上坂君は三里塚での集会参加は勿論、日常的に三里塚を訪れ反対同盟の農民と意見を交換し、現地では上坂くん、上坂さんと現地の農民に親しく呼ばれて信頼も厚かった。また三里塚闘争に私財をなげうっての行動を続けられてこられた。
上坂君、安らかにお眠りください。おせわになりました。ご苦労さまでした。
だが、三里塚に於いては、墓を掘り起こし、死体を暴いて空港建設が進められている。人間が自然に還り安息する場所がない。この国に於いては地上にも地底にも人間が安住する場所がないことは上坂君はよく承知している。
上坂君、阿修羅となって私の、三里塚を戦う人の心のなかで生き続けていって欲しい。人民新聞に「格子なき牢獄」を掲載してそれが小冊子になったとき、「いつの日にかこの国の現実と将来について語り明かそう」との一文をよせて私を激励してくれた。私にとって、生けるもの、死せる者との心の交流と会話はおなじ重さをもって存在する。それは人民の歴史に学ぶとゆう行為であるが三里塚を共に戦った上坂君との会話はこれからも尽きることがない。永遠の命を身をもって教えてくださった上坂同志に心より感謝を申し上げます。青春のかけがえのない尊い命を三里塚闘争に捧げた、三ノ宮君、原君、新山君、東山君、三里塚の農民と全国の同志たちの血と汗と涙の染みとおった「三里塚の黒土」を上坂同志のご霊前に捧げて、残された私どもの戦いの誓いといたします。
2007年7月25日
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