| 分裂を策動する「88体育館労組」 かけはし2007.8.13号 |
公務員労組分裂の経過
弾圧の拡大と
分裂派の台頭
04年11月、キム・ヨンギル執行部が公務員労組特別法反対のストを展開した。この闘争過程で455人の組合員が解雇された。だが公務員労組は弾圧に屈することなく05年8月27日、代議員大会で「06年1月に特別法が施行されたとしても特別法拒否の基調を明確にし、設立申告を拒否するとともに労働3権争取闘争を持続的に展開していく」と決定した。
06年の第3期選挙において、すべての候補者たちが特別法反対を公約として掲げた。3月からクォン・スンボク執行部が発足すると、ノ・ムヒョン政権は行政自治部(省)、労働部、法務部の3部長官による談話文発表を皮切りとして弾圧を開始した。すると当時の慶南(慶尚南道)本部長を中心として、弾圧を避け特別法の枠内に入っていくべきだ、との主張が台頭し始めた。
06年8月末ころ、慶南本部の事務室が閉鎖されるという弾圧の渦中で慶南本部長、釜山本部長、ソウル本部長、京畿本部長、光州本部長など8人の本部長が釜山で会合をもち、組織の進路に関する修正案を9月の代議員大会に提出することで合意した。9月2日の代議員大会で組織の進路問題が修正案として提出されたが、11月の代議員大会で論議する、との条件で修正案は撤回された。
弾圧に抗する
方針を再確認
06年9月22日、ノ・ムヒョン政権は全国的に支部事務室を強制閉鎖するなど、弾圧をやりたい放題。06年11月、法内派は「無謀な闘争を中断し、法内に入っていこう」と主張するとともに、「法内なのか法外なのかを問う組合員総投票を12月中に実施しよう」とする案を提出した。だが、代議員大会では特別法に抗して闘いぬこうとの原則が再確認された。
組合員縮小で
危機論流布
しかし法内派は代議員大会の決定にもかかわらず、4人の副委員長と12人の本部長を押し立てて生存権闘争の組織化を放り出し、またもや法内労組を組織的に煽動した。彼らは「07年下半期になれば犠牲者救済基金が底をつき、組合員数は激減して2万人にまで減るだろう」と危機論を言い触らしながら、白旗投降式の法内転換を煽った。
法内派に属する本部や支部は意図的に中央分担金を縮小納付し、組合員数や組合財政が急速に縮小しているかのように偽った。法内派の本部、支部が実施した「組合員総投票」に参加した組合員数は54、485人だった。だがこれらの本部や支部の07年度2月分の中央分担金納付組合員数は、わずか16、926人だった。法内派は実に37、229人も意図的に組合員数を減らしたのだ。
07年2月、代議員大会が開かれると法内派は公務員労組の最優先課題である闘争事業計画を後回しにして、法内に入るための3月組合員総投票の件を第1号案件として取り上げよう、と押しつけた。ノ・ムヒョン政権による支部侵害、公務員年金改悪の企図、退出制などの緊急な闘争の事案を後回しにし、かつ前回の代議員大会からわずか3カ月にして再び同じ案件を、それも1号案件として押しつけたのだ。これに怒った一部の代議員らは壇上を占拠して抗議をしたりもした。
代議員大会を
ボイコット
07年3月23日、クォン・スンボク委員長は労組発足記念のあいさつで事態解決のための方案を提示した。それは「スト権については留保するが、特別法の中の問題ある条項の改善ならびに解雇者問題の解決を前提として、法内へ転換する」というものだ。
だが法内派は、このような収拾案にもかかわらず規約や規定にもない、いわゆる「統推委」なる組織を作り全国公務員労働組合に対する分裂策動を本格的に開始した。
公務員労組執行部は07年3月30日から中央執行委員会を繰り返し開き、組織分裂を阻むために努力した。そして遂に07年4月6日の中央執行委員会で合意を導き出し、4・28代議員大会を開催することを決定した。だが法内派は、中断することにしていた「組合員総投票」を強行するなど、中執の合意を無視し、中執で繰り広げられた本部長間の口論を口実にして集団退場してしまった。4・27中央執行委員会にも法内派の中執らは集団的に欠席した。
07年5月19日に延期された代議員大会について、「統推委」は、5月3日に法内派の支部長会議を開催して5・19大会への集団的不参加を決定した。それ以降、全国の代議員たちに5・19代議員大会への不参加を組織的に煽動した。
07年5月19日、法内派の組織的不参加や煽動にもかかわらず、困難ながらも代議員大会は開催され「6月まで総力闘争を展開し、その結果によって7月の代議員大会で指導部の総辞職や設立申告をするかどうかについて決定する」と決議した。
規約を無視し
分裂組合を結成
07年5月21日、法内派は規約や規定上の根拠もなしに「非対委(非常対策委員会)」を構成し、組合員の直接選挙によって選出された全国公務員労働組合の執行部を否定し、自らを指導部と自称する反組織的行為を行った。公務員労組執行部が4大要求を掲げてハンスト闘争に突入した翌日の5月30日、「非対委」は法内派の支部長会議を招集し、6・23非対委代議員大会の開催を決定した。
07年6月23日、公務員労組の4大要求争取のための総力闘争決起大会が開かれている時刻に、88体育館では法内派である非対委所属の各単位だけで代議員を構成し、委員長弾劾、規約改正、役員選出などを決定した。
この日、彼らは「全国民主公務員労働組合」という法内派労組を結成した。
民主労組運動へも波及
世界各国から
闘うメッセージ
公務員労組のハンスト闘争30日目にあたる6月23日、ソウル駅に2千余人の組合員らが結集し総力闘争決起大会を開催した。この場には民主労総チン・ヨンノク首席副委員長、民主労働党タン・ビョンホ議員、各労働・社会団体の代表らが参加し、全国公務員労働組合の闘争正当性を披れきし、連帯した。そして同じ時刻、88体育館で開かれている非対委の代議員大会を投降と分裂策動として批判した。
チョン・ヨンノク民主労総首席副委員長は「民主労組を死守するために、この場に集まったのは正しいのか」と組合員たちに問い、「政権と資本が公務員労組を分裂させ、離間させているけれども、民主労総はあくまでも公務員労組を支持、擁護して共に進むであろう」と発言した。
タン・ビョンホ議員は「船底に穴が開けば真っ先に逃げ出すのはネズミ」であり「穴をふさいで安全に航海できるようにしなければならないのに、ちょっと穴が開いたからといって船を離れる人間は最も卑劣な輩」だと非対委側を激烈に批判した。インド、日本、オーストラリア、ノルウェー、ニュージーランド、米国、マレーシア、南ア共和国などから公務員労組への連帯メッセージが送られてきた。
民主労総中執の
一部も分裂支持
事態は88体育館で進められた、いわゆる「全国民主公務員労働組合」結成の全貌が伝えられるとともに、その波紋は大きく広がっており、争点は民主労総へと拡大した。
非対委の代議員大会にイ・ヨンヒ民主労総政治委員長、ミン・ジョンギ民主労総統一委員長をはじめキム・ヒョングム・サービス連盟委員長、ナム・グンヒョン建設連盟委員長、イム・ヘソン前民主労総副委員長などが出席し、来ひんとしてあいさつまで行ったことが確認された。キム・ヒョングン・サービス連盟委員長は自らを「革新連帯」の代表として紹介し、「画一化された運動をもってしては21世紀の運動を目指すことはできない」と語りつつ「全国民主公務員労組」への支持を表明した。
闘争を回避し、組織を分裂する行為に対して民主労総執行部の一員や連盟の委員長らが出席して支持を表明するのは、民主労組運動の原則を棄損し、組織を分裂させる深刻な反組織行為だ。
ボタンをかけ
違えた右派連合
この問題は、さかのぼればイ・ソッケン執行部の無原則で政派的な態度と無関係ではない。現クォン・スンボク執行部が発足する前のキム・ヨンギル執行部も公務員労組特別法の受け入れを拒否したし、公務員労組の役員選挙の過程でもすべての候補がこれを公約として提出した経過がある。
だが予想を覆しクォン・スンボク執行部が当選した。選挙後、敗北した陣営から法内路線を歩もうとの主張が提起され始めた。昨年末、ノ・ムヒョン政権によって支部事務室の強制侵奪など大々的な弾圧が行われると、「法内派」として勢力化された。その過程で民主労総の役員選挙が進められた。当時、チョ・ヒズュ選対本ではイ・ソッケン候補陣営に対して、法内―法外の論難についての明確な立場を繰り返し要求したが、イ・ソッケン候補は、あくまで公務員労組の組合員たちの意に従う問題である、として回答を避けた。
公務員労組内で法内に入ろうという主張の先頭に立っていたキム・ヨンギル副委員長候補と連合したイ・ソッケン候補が民主労組運動の原則を明確にしないことによって事実上、法内派の主張に力を与える結果を招いた。
6月7日、公務員労組の断食闘争の現場を訪れたイ・ソッケン委員長は公務員労組の正当性を披れきしたが、そのときは事態はあまりにも悪化していた。イ・ソッケン執行部は民主労働者全国会議と革新連帯の連合で候補を構成した。その革新連帯の代表であるサービス連盟キム・ヒョングン委員長が非対委の代議員大会に出席して民主労働運動の分裂を助長する行動をしたのだ。
6月26日の中執で非対委の代議員大会への参加者たちの問題が提起された。イ・ソッケン委員長は参加した執行部の一員(政治委員長、統一委員長)に注意をすると語ったが、その程度で終わる問題ではなかった。結局、常執で論議後、中執での案件として取り扱うことにした。
この問題は7月21日の民主労総中執で論難となるだろう。民主労総の中央執行委員らが民主労組運動の原則に反し、加盟組織の分裂を助長する行為は懲戒されて当然だ。万一、この問題が原則通りに処理できなければ収拾のつかない分裂状態を迎えかねない。各級組織は、あれこれの理由をあげてこれまでの組織を脱退したり、新たな組織を作ったとしても力比べ以外にはいかなる対策もない状態となるだろう。
民主労総の執行部は自らの言いなりになる勢力、あるいは身内を擁護するために加盟組織の分裂行為を露骨に助長してもよいという先例を作ることになるだろう。資本と政権の攻勢が怖くて労働3権や民主労組運動の原則を弊履のごとく捨てようとも、「多様性」という名の下に免罪符をくれと言っても、何も言えない状況が繰り広げられることになるだろう。(「労働者の力」第129号、07年7年19日付、キム・テヨン/「労働戦線」執行委員長)
ノ・ムヒョンはアフガン・イラク
から韓国軍を即時撤退させろ
7月19日、アフガニスタン現地でタリバンによって韓国の民間人23人が拉致されるとともに、韓国社会は大きな衝撃と悲しみとに包まれることとなった。タリバンは韓国軍の即時撤退と共に人質と捕虜との対等交換を要求し、交渉の過程で要求が受け入れられないとみるや25日夜、23人の一行を引率していたペ・ヒョング牧師を遂に殺害した。
04年のキム・ソニンと今年2月にアフガンでタサン部隊のユン・チャンホ兵長が爆弾テロで死亡したのに続き、再びこのような悲劇的事件が発生したのだ。
今回の事態は「平和」と「再建」を名分として帝国主義侵略戦争に対して同調し派兵を強行し、これを延長し続けているノ・ムヒョン政権に一次的責任がある。政府はこの間、人質として捕らわれた23人が所属している韓民族福祉財団、センムル(泉)教会の側に引き留めや警告を行ったと強弁しているけれども、こう語ることによっていかなる免罪符をも手にすることはできない。
すでに今年2月、ユン・チャンホ兵長が爆弾テロによって死亡したということ自体が、韓国軍の派兵がすでに米国主導の帝国主義侵略戦争に同調した「参戦」行為だったことを確認させるものにすぎない。
どんなにこれまで難民らの救援や医療活動を中心に「奉仕」をしたとしても、正しい名分とはなりえいのだ。特に今回の拉致の初期の過程で23人の韓国人の身元を知りえなかったとしても、結局は彼らが拉致されることを通じて政治的に要求したのは韓国軍の「撤退」であり、タリバンはこれを名分として捕虜の対等交換を要求したのだ。もはや帝国主義による侵略戦争、石油戦争のいやらしい「反テロ戦争」の名分に韓国民衆の良心と生命を売り渡してはならない。
ノ・ムヒョン政府は韓国人の人質が無事に解放されるように、あらゆる平和的手段を強く求めなければならない。このためには何よりも現在、アフガン、イラクなどに派兵した軍隊の即時撤収を宣言(約束)し、アフガンをはじめとするアラブ民衆に心から謝罪する姿勢を示さなければならない。
「軍隊」と救援・再建は決して両立しえないのだ。ノ・ムヒョン政府は直ちにすべての派兵軍に対する撤収を断行せよ!(「労働者の力」第130│131号、07年7月27日付、コラム「ヒム・イヤギ」から)
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