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                            かけはし2007.8.13号

新しい平等論をめざして


日弁連主催でキャサリン・マッキノン講演会
雇用不平等を性差別問題と認めなければ社会は変化しない

 八月一日、日本弁護士連合会(両性の平等に関する委員会)は、男女共同参画の実現の取り組みの一環としてキャサリン・マッキノン教授(ミシガン大学ロースクール)を招き、「新しい平等論をめざして」というテーマで講演会を行った。参加者は、約二百人。 
 キャサリン・マッキノン教授は、国際法及び憲法の下で性の平等論を専門とし、セクシュアルハラスメントに関する法理論を構築、ポルノグラフィを市民的権利の侵害と認める条例制定の取り組みを行った。すでにカナダの最高裁は、マッキノン教授の平等論、ポルノグラフィ批判論を取り入れた判決を出している。
 講演会のコーディネーターである日弁連両性の平等に関する委員会(委員長・淺松千寿、副委員長・角田由紀子)は、非正規雇用労働者を取り巻く問題、「ジェンダー平等と女性のエンパワメントのための資金調達」に関する問題、DV(ドメスティック・バイオレンス)・買売春に関する問題についてなど調査・研究をおこなっている。また、女性差別撤廃条約の選択議定書批准や選択的夫婦別姓制等を実現するための民法改正に向けての活動をしている。
 角田副委員長は、自身の著書である『性差別と暴力 続・性の法律学』(有斐閣選書)で性的マイノリティの権利、結婚制度とドメスティック・バイオレンス、セクシュアル・ハラスメント、買売春問題、ポルノグラフィと女性の人権をテーマに過去に取り組んできた裁判例を引用しながら性暴力の根絶を提起している。
 マッキノン講演(講演要旨別掲)は、米国憲法と法、公民権、国際人権法をとりあげ形式的平等論の歴史と現在を批判。日本の憲法と法への批判として、憲法十四条の「法の下の平等」をとりあげ、「こういった文言にもかかわらず、性差別など不平等が再生産されてきた」ことを批判した。
 さらに、「日本の性的いやがらせ法律に心配しています」と強調し(改正均等法のこと)、「性差別の問題であるにもかかわらず、裁判所はそのように認識していない。雇用契約違反という認識となってしまっている。性差別問題であるという認識がなければ、勝訴であっても、社会的変化を作り出すことはできない」と指摘した。
 今回のマッキノン講演では、男か女かという二分法的発想の領域範疇を突き抜けて提起しなかった。つまり、同性愛者の権利、性同一性障害、性転換と法的権利等の問題については、今後の課題であるとしたのだろう。こういった課題も含めて今後、考察し、掘り下げていきたい。
 なおマッキノン理論を学習するために文献を以下列挙しておく。『フェミニズムと表現の自由』(明石書店)/『ポルノグラフィ:「平等権」と「表現の自由」の間で』(明石書店)/『セクシャル・ハラスメント・オブ・ワーキング・ウイメン』(こうち書房)/『ポルノグラフィと性差別』(青木書店)/『マッキノンとの対話:ポルノグラフィと売買春』(不磨書房)。(Y)

マッキノンさんの講演から
形式的平等を超えた社会的平等のために

アメリカにおける
平等保護論の展開

 アメリカの憲法修正第十四条「法のもとでの平等保護の原則を導入」は、一八六八年に採択された。その中味は、「平等の処遇を受ける場合、適切に比較に値するようなものがあって、同じであるというのが条件だ」ということで初めて平等が検討されるというものだった。つまり、平等を主張する者は、平等に処遇されていない者と同じような状況に置かれているというのが、まず条件だ。同じような条件に置かれて、初めて平等という主張を行うことができる。つまり第十四条は、市民に法の下の平等保護を保障したものだが、意図的に女性を排除したのである。一九七一年になってようやく連邦最高裁は、女性も、修正第十四条の規定する平等保護の権利を有していると判断した。
 そもそものねらいであったアフリカ系アメリカ人の平等は、実現しなかった。その結果、一九六四年に公民権法を採択し、住居および雇用において人種、肌の色、国籍、宗教、性に基づいた差別を禁止するとした。

同一状況同一処遇
論が陥った落とし穴

 ただこの解釈には、同じような状況に置かれ、比較可能な状況にあるということが要件だった。これを形式的平等と呼ぶ。つまり、同じであれば、同じ処遇が必要であり、違いがあるならば違う処遇をするとなってしまうのである。だからアフリカ系アメリカ人と白人とは違うから、市民生活のあらゆる領域において、白人と黒人は分離されても正当であると見なされてしまった。このような平等の論理が、いつも安易に使われることによって、極端な社会的不平等が正当化されてきた。
 実はナチスのジェノサイド、アパルトヘイトを合法化する手段として使われてきた平等論が、アメリカの法律においても基本的な理念として、まだ残っている。もちろんアメリカでは、人種の分離においては断罪しているし、ヨーロッパにおいてもナチスを否定している。しかし、その一方でそれらを合法化してきた理念はまだ残っている。同じに対しては同じ処遇、違いに対しては違う処遇をという原則は、国際人権法の中でも概念として残っている。
 同様に、日本の憲法十四条「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」の考え方にも使われている。
 例えば、刑法上は強かんの被害者は女性のみと規定されている。憲法違反ではないかという問題提起がなされたことがあるが、最高裁は憲法十四条には違反しないという判断をしている(一九五三年)。強かんに関わる法律は、女性だけに適応され、女は、男とは生物学的に違うからであるという理由からだ。それを法律という権威でもって、女性を強かんされる者であると定義してしまった。確かに強かんの被害者は、男性よりも女性のほうが多いが、それは生物学的な違いがあるからではなくて、社会的な不平等があるからだ。

現実の平等のため
法が果すべき役割

 二〇〇〇年の初めに日本の法務省の研究所が研究調査を明らかにしている。強かんの被害者のうち警察に届け出た人が10%に満たない。このような法律的なアプローチでは、強かんの被害者に関わる社会的な文脈というものが、隠されてしまうことになってしまう。
 性暴力に関わる事件においては、圧倒的に男性が加害者、女性が被害者だ。しかしセクシュアリティーの違いがあるのはあたりまえだという認識が根底にあることも確かだ。だから性暴力に関わる問題が、性差別ではなくて性の違いによるものだという考え方が支配的なのである。
 だから、日本の性的いやがらせに関する法律に関して、私は少し心配になる。実際には性差別に関わる問題なのに、性差別の認識が裁判所にないことだ。雇用契約違反という認識のもとに救済措置として位置づけてしまっている。性差別問題としてとらえなければ、いくら勝訴し続けていても社会に変化を生みだすことは期待できない。
 日産自動車の家族手当判決(東京地裁)にしても、そうだ。女性よりも男性のほうが給料が高く、さらに家族手当が払われていたにもかかわらず、男女差別ではないという判断だった。日産の女性社員は、そもそも給与水準が低いにもかかわらず家族手当も貰えないということで所得水準の低下に追い込まれていた。二重の不当な処遇となっていた。
 嫡出問題も同様だ。子どもが嫡出であるかどうか判断するのは、母親ではなくて、父親が誰かによって決まるとされてきた。まさしく性差別そのものだ。法律では女性のみが六カ月の再婚禁止期間とした。一九九五年、日本の最高裁は、このような制約を合理的であるとさえ判断している。 
 このように現実は不平等だが、法が目指す平等な状況を作り出すためには、現実を乗り越えていかなければならない。社会的平等を実際に生み出すように法律を解釈していく努力をしていかなければならない。DV、ポルノ、表現に関わる裁判において私たちは、ほとんど勝訴してきた。しかし、裁判所は性差別と平等にかかる問題だととらえていなかった。裁判所が認めないということは、それだけ社会的変化を生むことが難しいテーマであることをあらためて自覚しなければならない。
 以上のように人間の社会において、差異にもとづいて女性を定義してきた。それを正すにあたっては、法律的なイニシアチブをとり、被害を受けていた人たちに法律的な力を与えていくことによって現実を救済し、正していこうという取り組みが必要だ。このプロセスは、下から社会的序列のあり方を変えていこうとするものとして鼓舞を与える。法律や歴史において、これまでやれてこなかった力学を与えることができるはずだ。(講演要旨:文責編集部)



「米軍再編」がもたらしたもの
「消えた鎮守の森」上映と井原・岩国市長の報告

米軍住宅建設計画
に反対する住民

 八月三日、東京・三鷹市の市民共働センターで「『消えた鎮守の森』上映会と岩国市長井原勝介さんのお話」が開かれた。主催は三鷹のちょうちんデモの会、基地はいらない!女たちの全国ネットワーク、すぺーす・はちのこ。
 会場には地元三鷹を中心に二百三十人の市民が参加し、用意した椅子では足りず、床に直接座り込んで熱心にビデオに見入り、話を聞く人びとも多かった。この日の集会は、西山正啓監督のドキュメンタリー最新作「米軍再編 岩国の選択」シリーズ第2章にあたる「消えた鎮守の森」の上映と、厚木の米空母艦載機部隊と普天間のKC130空中給油機の移駐に反対して自治体ぐるみで闘っている井原勝介・岩国市長の講演を中心に、企画されたもの。
 一九八七年の沖縄国体を前にした読谷高校生徒の「日の丸・君が代」反対の行動を描いた「ゆんたんざ沖縄」や韓国の米軍射爆演習に反対する住民の闘いに密着した「梅香里(メヒャンリ)」などのドキュメンタリーで知られる西山監督のあいさつの後、ただちに「消えた鎮守の森」が上映された。
 岩国市民の憩いの場所だった愛宕山を切り崩して米軍岩国基地滑走路沖合移設のための埋め立て土砂に使用し、そこに「ニュータウン」を建設しようとする計画――地主や住民たちは市民の悲願だった騒音の軽減のために、この計画に協力していた。山が切り崩され、森が破壊され、歴史ある愛宕神社も移転されて、住宅地造成が進む。そこには大規模なニュータウンと学校、病院、公共施設が建設されるはずだった。
 しかし降ってわいたように、「米軍住宅」建設の計画が持ち上がる。再編にともなって急増する米軍人用の施設だ。住民たちは自治会ぐるみで反対に立ち上がった。県や防衛施設局との交渉で厳しく追及する住民たちの姿が描きだされる。「この国の首相は美しい国づくりと言うけれど、有刺鉄線に囲まれた米軍住宅を美しいと思いますか?」と自治会長が詰め寄る。住民たちは次第に、「もともと米軍住宅を作るための筋書きがあって、ニュータウン建設というのは口実に過ぎなかったのではないか」とさえ考えるようになる。安倍首相の地元・山口県で、こうした闘いが生み出されているのだ。

政府からの圧力と
住民の自治意識

 休憩の後、井原勝介・岩国市長の話に移った。この日、米軍再編に反対したために現在建設中の市庁舎建設の補助金三十五億円を見せしめ的にカットした政府に抗議し、庁舎建設の市民募金を訴えている「岩国新庁舎募金の会`風a」の市民たちも、市長とともに参加し、集会前に三鷹駅前で募金キャンペーンを行った。
 井原さんは、厚木と普天間からの米軍機移駐によって米軍岩国基地の航空機数が約百二十機と現在の二倍になり、米軍人員も約一万人と現在より四千人増加する「米軍再編」の岩国における実態を報告し、この計画に反対する民意は昨年三月の住民投票と、四月の市長選挙によって明確に示されていると切り出した。しかし政府はすでに施行されている新市庁舎建設のための補助金三十五億円をカットし、「再編」受け入れのための強力な圧力をかけてきた。この補助金は二年間にわたって払われており、今年が最終年度にあたる。それは明らかな約束違反だった。
 井原さんは、住民投票の成功を「政治不信の裏返しであり、選挙というフィルターを通さない自らの直接の意思表示だった」と評価した。住民投票にあたっては東京に働きに出かけている家族が岩国の自宅に電話をかけ「ぜひ投票に行け」と説得したり、逆に岩国に住民票を置いたまま都会に出ている子どもを呼び寄せて投票に行かせる、などの例も見られたという。そして「住民投票を実施してくれてありがとう」という声が市長に数多くとどけられていることを紹介し「住民投票は市民の政治参加と自治意識を喚起する重要な手段だった」と語った。
 もちろん市の予算案が市議会において二度にわたって否決されるなど、「国に抵抗することはできない」という意識もある。「どうせ来るものは来る」「反対したら夕張のようになってしまう」というあきらめムード、不安感も広がり、「再編を容認すれば数千億円から一兆円貰える」などのデマすらささやかれている、と井原さんは語る。
 そうした不安感をあおり、圧力をかける国の手法を厳しく批判した井原さんは、「民意」とは表面的な形ではなく、何よりも被害を受けている当事者住民の声を中心にして考えなければならない、基地に依存した財政は長続きしない、と強調した。
 井原市長と住民の代表は、翌四日にも有楽町のマリオン前で、岩国の問題を訴え、新市庁舎建設募金を呼びかけるという。沖縄、神奈川、岩国を結び、全国で「米軍再編」に反対する住民たちの闘いを支援しよう。        (K)

 【訂正】本紙前号(8月6日付)2面「架橋」欄最下段3行目「エイズ」を「HIV」に、同「訂正」欄6行目「萩上道子」を「萩上直子」に訂正いたします。


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