侵略戦争被害者への補償を実現し
新たな排外主義を許さない闘いを |
中国全面侵略
と民衆大虐殺
七十年前の一九三七年七月七日、中国・北京郊外の盧溝橋周辺で夜間演習中の日本の「北支派遣軍」に属する中隊と中国の第二十九軍部隊との間で散発的な戦闘が勃発した。いわゆる盧橋橋事件である。当時、北京城内にあって戦闘の指示を出した連隊長は、後に第十五軍司令官として一九四四年のインパール作戦の無謀かつ無責任な戦争指揮で、多数の餓死者を強制したことで知られる牟田口廉也だった。
盧溝橋事件は日中間の全面戦争へと発展した。天皇制日本帝国主義は中国全土への侵略を拡大し、同年十二月には中国国民政府の首都・南京に侵攻して「南京大虐殺」を引き起こした。昭和天皇裕仁は、盧溝橋事件直後の七月十一日にはすでに側近の木戸幸一に対して「支那とは結局闘わなければならないように思われた」と語っており、すでにその以前から短期戦で中国国民政府を屈服させなければならないという展望を抱いていた。近衛文麿を首班とする日本政府も七月十一日、「今次事件は、全く支那側の計画的武力抗日なること、もはや疑いの余地なし」と断じ、関東軍、朝鮮軍に加えて内地師団をも華北に急派することを決定した。
日本政府は、盧溝橋事件を利用して、かいらい「満州国」のでっち上げ、華北分離計画を通じてかねてから構想していた中国全面侵略に本格的に乗り出したのである。それは決して天皇や政府の意に反した軍部や「現地軍」の「暴走」ではなく、天皇制日本帝国主義のアジア侵略・植民地支配の長期にわたる構想の現実化であったと言わなければならない。米英との戦争と天皇制日本帝国主義の敗北へと至る歴史はその結果であった。
この中国侵略戦争の中で、日本帝国主義は南京大虐殺から「三光作戦」、重慶無差別爆撃、毒ガス戦、「731」部隊、「軍隊慰安婦」や労働者の強制連行などの数知れない戦争犯罪を意識的に遂行し、二千万人とも言われる中国民衆を虐殺した。われわれは盧溝橋事件七十年にあたって、あらためて日本帝国主義の侵略戦争・住民虐殺を思い起こし、虐殺事件の遺家族、強制連行被害者、毒ガス兵器被害者、重慶無差別爆撃被害者などの戦後補償、そして帰国中国残留日本人孤児などの補償要求を支援していかなければならない。西松建設最高裁判決に示される「個人賠償義務」否定を、絶対に許してはならない。
「聖戦」史観との
意識的な対決へ
憲法改悪と「戦争国家」化への動きの中で、「戦後レジーム」を否定し、「国家と民族の誇り」を取り戻すという安倍極右政権の登場とともに、天皇制日本帝国主義の中国侵略そのものを肯定する動きが強まっている。「日本会議」に代表される「大東亜戦争聖戦」論者は、今日の安倍政権と自民党の中で主流派を形成している。
彼らは、「侵略された」中国の側に責任があると主張し、日本軍による南京大虐殺や数々の住民虐殺を「デッチ上げ」だと言いくるめている。そして日本帝国主義の戦争責任の主張を「反日」言論だと非難する排外主義を煽り立てている。たとえば靖国神社付属の「遊就館」のパンフレット『遊就館の世界』(産経新聞社刊)では、「昭和10(1935)年、中国共産党の八・一宣言以来テロが続発、翌年12月の西安事件で蒋介石が共産党との提携に踏み切ると反日政策がさらに強まって、一触即発の状態に」なったことが盧溝橋事件を引き起こしたと主張する。責任は中国共産党にあるというわけだ。
今日の問題は、そうした侵略正当化の論調が雑誌をはじめとするメディアを席巻し、貧困と「格差」の拡大の中でフラストレーションを募らせている若者たちの間にも、一定の影響を与えていることである。それは中国の大国としての政治的・経済力の飛躍的拡大、軍事力の増強や、中国人移住労働者の増大を「脅威」と捉えるキャンペーンに支えられている。
安倍首相は、首相就任直後に中国と韓国を訪問し、凍結していた外交関係の修復に乗り出したが、彼のイデオロギーが「靖国・遊就館」思想に染め上げられていることは言うまでもない。麻生外相、中川・自民党政調会長や石原都知事などの一貫した中国敵視発言もそうした反中排外主義の気運を加速している。
われわれは盧溝橋事件七十年にあたって、あらためてこうした差別的排外主義や侵略戦争正当化の風潮と闘い抜くことを確認する。そして今日の日本の改憲・戦争国家化と中国をもその主体とした新自由主義的グローバリゼーションに対する東アジア労働者・市民の共同の闘いの中で、日中労働者民衆の連帯を発展させていこうではないか。
(坂口民雄)
安倍内閣の改憲の企てに反対する院内集会
いよいよ本番の闘いだ!安倍の目論見打ち砕こう
暴風吹き荒れる
終盤国会の現実
六月二十二日、衆議院第二議員会館で「安倍内閣の改憲の企てに反対する院内集会」が5・3憲法実行委員会の主催で開催された。当初の予定なら、この日が国会の終了する日だったが、与党は審議未了の年金特措法や国家公務員法改悪案などをあくまで通すために、会期を十二日間延長した。この結果、参議院選挙の投票日を一週間延ばすことさえ行った。
与党の強行採決につぐ強行採決で民主主義否定の国会報告を辻元清美衆議院議員(社民党)とに仁比聡平参議院議員(共産党)が行った。辻元さんは次のように報告した。
「改憲手続き法、米軍再編特措法など十四本の重要法案を強行採決し成立させた。先日は、教育3法とイラク自衛隊派兵二年延長法を強行採決した。今後、くらしの破壊のための年金法、天下り法を成立させようとしている」
「衆院で年金法の強行採決に体をはって抗議した民主党議員に対して、登院停止三十日の処分を決めた。この決め方がひどい。この委員会の委員長は民主党だったので、その委員長を失職させ、委員長を交替させるのではなく、自民党の筆頭理事が指揮して、懲罰を決めてしまった。抵抗する者をどんどん切っていく。こうしたやり方はファシズムだ。改憲原理主義はファシズムを内包している」
「衆院の安保委員会で、国家安全保障委員会の創設をめぐってもめている。与党は法案成立へ道筋をつけるために、会期がないなかで職権で主旨説明だけをやろうとしている。このように、国会は暴風が吹き荒れている。なんとしても安倍政権の強権的改憲への道を止めよう」。
改憲手続きを
進めさせるな
仁比参議院議員は以下のように訴えた。
「安倍内閣の内閣支持率が三割を切って危険水域に陥っている。問題は年金だけではない。住民税の大幅増税は暮らしを直撃し、痛めつけている。自民党政治そのものが国民の要求と逆さまになっている。美しい国、戦後レジームからの脱却という安倍内閣の正体がはっきり見えてきた」
「イラクへの自衛隊派兵二年延長法を成立させたが、安倍内閣は集団的自衛権の発動に向けて有識者会議を組織し、イラクでどんどん戦争を直接担えるようにしようとしている。航空自衛隊は自衛隊機で米軍を運び、イラク民衆を殺している。自衛隊はイラクから撤退せよ」
「教育3法を強行採決し成立させた。管理職にたてつく教員は排除できるようになった。過労死するほど長時間労働と緊張を強いられている教員に対して、免許制の導入によって、さらに国からの強制を強めようとしている。われわれはがんばっている教員たちを守らなければならない」
「安倍内閣は二〇一〇年に改憲の発議をするとしている。そのために、八月に衆参で憲法審査会を発足させ、そこで改憲案の骨子をつくりあげていく。そのために改憲の具体的項目を詰めていくとしている。参院選でがんばるとともに、改憲手続きを進めさせないように運動をつくっていこう」。
共同署名の本
格的な開始へ
次に5・3実行委員会の構成団体から発言を行われた。憲法改悪に反対する各会連絡会の伊藤さん(民青同盟委員長)は「五月二日の朝日新聞世論調査によると、二十代の八割が一般的な改憲に賛成と答えている。これは改憲のねらいについて若者たちに伝えることができていないことを現している。わたしたちは渋谷駅頭などのシール投票を行い、百人を超す若者たちと対話してきた。九条問題を話すと七割が、九条改憲に反対している。靖国派の新憲法大綱は大日本帝国憲法を手本とするとか、天皇の元首化、戦争のできる国にするとうたっているが、変えようとする憲法の方が古いことがわかった。こうしたことを若者たちに伝えたい」と報告した。
次に、女性の憲法年連絡会の代表は「今国会において、女性差別発言が閣僚から次から次へと行われた。柳沢厚労相の『女性は産む機械』発言、『軍隊慰安婦』における軍の関与はなかったという安倍の発言。離婚後三百日以上経たないと実子と認められない法律問題について、長勢法相は『貞操概念が崩れる』からと通達でお茶を濁した。自民党新憲法案でも男女平等が謳われているとして、『バカな女が国を滅ぼす』と草の根右翼は主張している。こうした勢力が進める改憲を許すな」と発言した。
キリスト者ネットの糸井さんは「五月十四日に改憲手続き法が強行採決された時、高田健さんは『憲法が危険水域に入った』と総括した。手続き法では教育者の憲法論議を規制している。これは教育3法で『国と郷土を愛する態度を養う』教育を強制していくこととついになっている」と指摘した。憲法を愛する女性ネットは「手続き法の中央公聴会の時、六日間しか応募期間がなかったが、百十八人が応募した。自民案に賛成は一人しかいなかった。反対が九二%だった。しかし、調査特別委員会は四十八対二で圧倒的多数が自民案に賛成だった。国民の意見とこんなに違っている。与党の足下を崩さなければならない」と訴えた。
平和憲法21世紀の会、許すな!憲法改悪・市民連絡会、憲法を生かす会などの発言が続いた。最後に高田健さんが「与党の会期延長に対して、扇千景参議院議長が『参院ではろくな審議ができなかった』と会期延長に批判的なコメントをした。今国会を総括的に言ったものだ。わたしたちは違いを尊重しながら、共同行動を進めてきた。国会前行動を十五回、院内集会二回、日比谷野外音楽堂での集会を三回行ってきた。今後、参院選挙後、臨時国会がある。そこで憲法審査会が行われる。これに向けた闘いとして院内集会を行う。さらに、改憲阻止の共同署名を本格的にやっていきたい」と行動提起した。いよいよ、直接的な改憲との闘いに入る。がんばろう。(M)
コラム
「無謀な戦争」
六月の初旬、職場の裏の駐車場で、毒蛾の幼虫が大発生した。二メートルほどに伸びたツバキの葉を食ベつくした幼虫の数や数百匹。さっそく、私を含む二人が殺虫剤を片手に「せん滅戦」に決起することになった。
体長二〜三センチの幼虫は、頭がオレンジ色で黒い体は無数の白い産毛に覆われている。「この産毛の一本々に毒性がある」ことは、よくわかっていた。前年に営業の仲間が、全身に発疹が広がる被害を受けていたからである。当然、殺虫スプレーを噴射させる指にも力が入る。三〜四十分の猛攻撃で二百匹はせん滅しただろうか。隣接するアパートの塀や壁を伝って逃げのびた幼虫もいたが、この日の奇襲的先制猛攻撃は終了となった。
しかし、それから三十分後、私の両腕と首筋に蚊に刺されたような発疹が表れ始めたのだ。まったく気がつかないうちにしっかりと反撃を受けていたのだ。翌日、職場での被害は拡大していた。もうひとりも右腕を発疹させており、駐車場を利用する営業の中にもポツリポツリと発疹の被害が出ていた。
戦意喪失感が漂う中での「追撃戦」は、私の単独決起となった。敵の弱点は、散りぢりに逃げ延びても、またすぐに集団を作ってしまうところにあった。五匹、十匹と集まっている幼虫に情け容赦なく殺虫スプレー攻撃を浴びせる。三十分ほどで七〜八十匹は駆除できたようだ。翌日の昼にも「残存兵」二十匹ほどを撃退し、幼虫はすっかりいなくなってしまった。
三日連続の決起ということもあって、私の被毒は断トツであった。それでも発疹は、両腕と首筋のみで、ステロイド入りの軟膏の効果もあり、症状はすぐに収まり始めていた。
しかし、数日たってから股間に多数の発疹が表れた。ほとんど「インキン」状態なのだ。蛾毒が全身に広がっているのかという不安な気持ちで、入浴後患部に軟膏を塗り、床につこうとしたとき、敷布団の上に黒くて小さい見慣れたものがひとつ。「うそだろ〜」あの毒虫なのだ。しかも生きている。股間の発疹は、敵の「ゲリラ戦」でやられたものだったのだ。この瞬間、私の「戦勝気分」は完全に吹き飛んでしまった。
職場でその話をすると「虫のなかにも、お前みたいなのがいたということか」と、笑い飛ばされてしまった。毒虫について調べてみると、「チャドクガ」の幼虫で、からだ中に五十万本もの微細な毒針毛があるとのこと。正しい駆除方法は、卵塊や小幼虫の集団にビニール袋をかぶせて、葉や枝ごと切りとってしまうということであった。
敵の戦闘能力や、正しい駆除方法も知らないままに始めてしまった今回の終齢幼虫との「戦争」は、無謀なものになってしまった。「戦わずに勝つ」こと、次回はこれでいってみよう。 (星)
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