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ブラジルについての討論(3)              かけはし2007.7.16号

ルラ政権の社会自由主義政策との決別

第四インターナショナル内での4年間の討論の経過と要約


ルラ政権への入閣

 PT(労働者党)結成の当初から参加し、PT内部の潮流として組織されたブラジルの組織である社会主義的民主主義(DS)は、一九八五年の第十二回世界大会以後、第四インターナショナルの重要な構成要素となった。DSは、われわれの組織の政治的・理論的発展の多くの部分に加わった。しかし二〇〇三年一月のルラ政権の発足以来、第四インターナショナルの圧倒的多数の政治的立場と、DS全国調整委員会(指導部)のそれとは異なったものとなり、その相違はますます広がっている。
 DSの同志たちは当初から、「新政権(ルラ政権)が、民衆の多数の利害に沿って国家を変革するという根本的責任を履行する能力」についての疑義が、少なくとも存在していることについて考慮し、労働者党内に「民主主義的討論プロセスへの脅威」(1)が現れてきたことを強調していた。しかしDSの同志たちは、政権に入ることを拒否できず、ミゲル・ロセット(DSの指導的メンバーの一人で、ポルトアレグレを州都とするリオグランデドスル州の副知事だった)は農業改革相のポストを受け入れるべきだ、と判断した。とりわけ「土地なき人びとの運動」(MST)やCUT(統一労働者センター=ブラジル最大の労組ナショナルセンター)の農業部門が、ミゲル・ロセットの同ポストへの指名を支持している以上、なおさらそうだと判断したのである。
 二〇〇三年二月、この方針が第四インターナショナル第十五回世界大会で論議された。その時多くの発言者たちは、DS自身にとってこうした選択が危険であることを強調した。一方では、ルラ政権が発表した経済的指針では、ブラジル民衆の必要に応じた土地改革を遂行するための経済的手段がほとんど残されておらず、他方では、きわめて多くの同志たちが国家機構内に統合されることで、DSが強力な物質的圧力を受けることにならざるを得ないからであった。しかし大統領選で自らの候補が勝利して新政権が形成され、「政権就任への祝意で明瞭に表現された巨大な希望」(2)の中で、PT左派が政権に入ることを拒否するのは理解されず、周辺化されるという危険を侵すことになるという主張もまた、考慮された。
 世界大会は、こうした問題を口頭での論議にとどめ、ブラジル支部を信頼した。しかしこの討論のしめくくりと、DS指導部も参加したインターナショナル執行部の討論の中では、政府とその政策に反対する大衆との間で最初の衝突が起きた時には、すなわち、たとえ大衆の一セクターによってでもこの亀裂が理解されるようになった場合には、DSの同志たちの政府への参加は疑問に付されることになる、という点での合意ができたように思われた。なぜならPTの真の左派潮流は、大衆の利益に反する政治的措置に対して反対する以外にないからである。

エロイザをPTから除名

 まさに、これこそDSの指導部メンバーであり第四インターナショナル国際委員会のメンバーでもあるエロイザ・エレナが、二〇〇三年一月以後、IMFと国際金融の有力者と見なされていたボストン銀行の国際担当責任者であるエンリケ・ミレイユのブラジル中央銀行総裁への指名に反対することを通じて、実践してきたことだった。エロイザ・エレナが二〇〇三年七月に年金制度改悪のデモに参加し、上院で同法案に反対投票することを通じて再び実践したのは、まさにこのことだった。
 しかし一月にはエロイザ・エレナの態度を支持したDS指導部多数派は、政権発足から六カ月たった七月には同じ立場に立たず、DSの議会メンバーの一部は年金改悪法案を支持するまでに至ったのである。第四インターナショナル・ブラジル支部内で分裂が現れ、それはさらに大きなものになった。DSの同志たちは、労働者の利害とブルジョアジーの利害がルラ政権の中で「対立」していると分析してきたが、六カ月たってこの対立は政府を分裂させるのではなく、ブラジル支部を分裂させはじめることとなったのである。
 二〇〇三年十二月、労働者党(PT)全国指導部は、年金改悪法案に反対投票したエロイザ・エレナと他の国会議員メンバーを除名する決定を行った。社会主義的民主主義(DS)はこの党内裁判に反対した。その立場はインターナショナル全体から支持された。
 しかしエロイザが除名され、彼女が「PTの社会主義的再建」(3)のために労働者を守る新党の必要性を声明した時に、われわれにとってはきわめて驚くべきことに、DS多数派は二〇〇四年一月、彼女に対して「労働者党の内部潮流」に属していると彼女が主張することはもはやできない、と通告したのである。つまり、彼女はもはや社会主義的民主主義のメンバーではない、というのだ! 他方ミゲル・ロセットは、発表された土地改革を実行する手段を採用しなかったにもかかわらず、閣僚にとどまり、DSの指導部メンバーであり続けた。
 こうしたことは、二〇〇三年十一月のDS第七回全国会議で「ルラ政権の最初の八カ月は、広範なブルジョア部門をふくむ一連の連合の構築、徹底的に保守的な経済政策、そしてさらに変革の促進に関する限定的でしかない前進によって特徴づけられる」(4)と明記する決議を採択したにもかかわらず起こったことなのである。

PSOLの結成

 二〇〇四年二月、第四インターナショナル国際委員会は、ルラ政権の一年目の終わりとPT内での異論派への弾圧後のブラジル情勢について討論し、「ブラジル国家のIMFへの忠誠の継続を確認」し、それだけではなくブラジルは「IMFの最良の生徒と見なされている」(5)と国際報告の中で特徴づけた。ジョアキム・ソリアーノ同志(DS方針の多数派を代表して)とエロイザ・エレナ同志がこの会議に参加した。そして会議はきわめて当然にも、官僚的・右派的指導部によってPTから除名された同志と、連帯のために除名された人びとに続いた同志たちの、インターナショナルのメンバーとしての地位を確認した。
 しかし第四インターナショナルの指導機関は、ブラジルについての方針を投票で決めることを差し控えた。それはブラジルの同志たちの課題だと考えたからである。口頭での論議の期間中、数カ月のうちに、ブラジル左翼がルラ政権の政策と距離を取り、したがってもはや政権に参加できないと主張することが不可欠だとなっても、そうした考え方は全体に貫かれていた。ブラジルの政治情勢についての文書による討論がインターナショナルで開始され、翌年を通じて文書の量は数十万字にまて達した。それは他の言語――英語、スペイン語、フランス語、そしてブラジルの同志たちが論争に参加できるように、例外的にポルトガル語にも――に翻訳され、各支部の討論に付された。
 二〇〇五年一月、ポルトアレグレでの社会フォーラム(6)を前にして、社会主義的民主主義(DS)の結成以来、その政策討論に関わってきた第四インターナショナルの指導者の三人――ダニエル・ベンサイド、フランシスコ・ルカ、ミシェル・レヴィ――は、社会主義的民主主義のメンバーに宛てた手紙を出した(7)。この中で彼らは、PTの変化について分析し、採用された官僚的措置は、党が政府の決定を社会に伝達するコンベヤベルト に変質したことを示し、社会主義と自由党(PSOL、エロイザ・エレナらが 左派党員に呼びかけて作った新党)の結成は「自衛行動」と見なされるべきだと述べた。彼らは、PTの左派を明確なオルタナティブ綱領の下に組織すること、希望する者はPSOLの建設に貢献すべきこと、そして何よりもPT内の左派とPSOLのような小さな独立勢力との対話がなされるべきことを提起した。最後に彼らは、「二〇〇六年以後、選挙カレンダーはわれわれにはっきりした選択をすることを義務づけている」と強調した。二〇〇六年は選挙の年である。

われわれの原則との矛盾

 二〇〇五年二月、DS多数派のメンバーは国際委員会の会議に出席しなかった。それはDSが支部として認められて以後、初めてのことだった(他方、DS少数派の同志は会議に出席した)。DS多数派の欠席にもかかわらず、国際委員会はブラジル情勢についての討論を継続し、上記三人によるDSメンバーに宛てた手紙の一般的路線を採択し、以下の決議も採択した。同決議は以下のように述べている。
 「ルラ政権の成立以来、社会主義的民主主義潮流の政権参加とこの参加形式に関して、インターナショナルの中では保留、疑問、不同意が存在してきた。しかしDSが決定を行った以上、プラジルの同志の多数派が提起した主張を考慮して、インターナショナルはこのこのプロセスの開始にあたっていかなる決議も行わず、この経験を共にすることを決定した。……インターナショナルは、ルラ政権への参加問題の提起について、ブラジルの特徴や労働者党の歴史、その社会運動・労働組合運動との連携を考慮しない教条的言辞の使用を避けてきた。この二年間の経験を経て、……閣僚レベルであれ、政治的責任にかかわる他のポストであれ、ルラ政権内に位置を占めることと、われわれの綱領的立場と一致したブラジルにおけるオルタナティブの構築とが矛盾することに、もはやいかなる疑問もありえない」(8)。
 DS内で現れた分岐に関して、国際委員会は「ルラ政権に対する政治的オルタナティブを創出する展望においてすべての諸要素が対話、関係、行動における統一をを促進する目的を持って、ブラジルにおける第四インターナショナルのすべての構成要素との関係を維持する――すべての要素は全権利を持ったインターナショナルのメンバーであり続ける」という立場を取った(9)。沈黙の期間の後にDS多数派は、二〇〇五年十二月に第四インターナショナルの出版物である「インプレコール」ラテンアメリカ・カリブ海地域版(10)のウェブサイト上に、フランソワ・サバド(11)の「ブラジル左翼の変転」に関する論文と並んで、インターナショナル多数派を「二十世紀の害毒に侵された悪しき国際主義」として糾弾するジョアキム・ソリアーノ(12)の論難を掲載して応答した。
 二〇〇六年二月、DS指導部の一員であるメンバーの不在のままに、再び国際委員会の会議が開催された。PSOLの建設に参加している同志たちは会議に参加した。討論で、決議「ブラジルの政治情勢とわが勢力の分岐」(13)が採択された(投票総数25、反対2)。
 この決議はルラ政権が「まさしく社会自由主義政権であり」、「民衆の利益に反する昨年の政府のこうした諸政策は、その腐敗した政治的手段と実践の暴露を伴うものであった。それは伝統的ブルジョア政府となんら変わるものではない」と繰り返し強調した。決議は「DS―PTの同志をふくむPT左派のほとんどは、前回のPT指導部選挙において政府と決裂する政策を擁護しなかった」こと、そしてDSは「政権への参加を確認し、党指導部への統合を強め――DSの指導的メンバーはPT書記長のポストについている――て、この党の内部で活動し続けている」と指摘した。

ルラではなくエロイザ支持

 前年の「二〇〇六年はわれわれに明確な選択を義務づけるだろう」という指摘を受けて、国際委員会は「ルラの大統領選への立候補は、彼の社会自由主義政策を再確認するものとなるだろう」、他方、PSOLが擁立するわが同志エロイザ・エレナの立候補は「新自由主義的資本主義の攻撃に抵抗し、事態を変えようとする願いを表明するチャンスをブラジルの幾百万人もの人びとに与え」、「ルラ指導部が投げ捨ててきたPTの本来の綱領と根本的な本来の価値を取り上げることのできる」「ラディカル左翼、反資本主義左翼の結集」を容易にする、と述べた。インターナショナル指導部は、こうして自らの陣営を選択し、PSOLの側についたのである。
 しかし「討論の継続と、すべての反資本主義的セクターが統一する可能性の追求を促すために」、国際委員会は「ブラジルにおける第四インターナショナルのすべての構成要素との関係を維持し、これらの構成要素のすべてが全権利を持ったインターナショナルのメンバーであり続けること」を再確認した。この枠組みの中で、国際委員会はDSの同志との討論の継続を執行ビューローに委託した。
 二〇〇六年三月の会議で社会主義的民主主義全国調整委員会は、「二十一世紀の国際主義」(本紙6月25日号参照)と題した決議を採択した。それはジョアキム・ソリアーノの論文の趣旨を繰り返すものであり、ブラジルについての深めた討議をさし控えるものだった。この文書は、「第四インタナーショナルの指導機関のイニシアティブは、共同活動と相互尊重の軌道を遮断するもの」と見なした。それは、第四インターナショナルとの決裂として解釈されうるものだった。たとえこの決議が「DSは、すでに相互協力の関係を持っている第四インターナショナルの諸セクターと共に国際主義的活動を継続する」と付加的に述べているにもかかわらずである。すでに二十年以上にわたってDSが第四インターナショナル全体と相互協力の関係を持っている以上、そのすべての「諸セクター」――われわれはそれを「各国支部」と呼ぶのだが――が憂慮を抱くのは当然である。
 インターナショナル執行部は、時の経過に委ねることを決定した。ブラジルの選挙運動の期間は国際主義についての落ちついた討論には不向きだからであり、わが勢力には別のもっと重要な課題があったからである。
 DS全国調整委員会文書への返答は、二〇〇七年二月に開催される国際委員会の会議への準備の中で二〇〇七年初めに送られ、国際委員会の会議で他の問題とともにこの議題も討議されることになった。DS指導部の国際委員会メンバーは、またまたこの討論に参加することが有益であるとは考えなかった。しかしわれわれは、PSOLにまだ参加していない幾百人ものDSの同志たち、そしてPT内部に左派を築き上げたいと望んでいる人びとの中に、インターナショナルとの決裂を望んでいない多くの人びとがいると期待している。こうした討論は、DSの現指導部から知らされていない。ここに掲載する回答は、何よりもそうした人びとに向けられたものである。
(ヤン・マレウスキは仏語版「インプレコール」編集長で、第四インターナショナル執行ビューローメンバー)


(1)ジョアオ・マチャド・ボルゲス・ネトの論文「ルラ政権の二つの魂」。二〇〇三年一月十七日付のこの論文は社会主義的民主主義指導部の集団的見解を代表したもの(「ルラ政権の誕生と革命的左派の課題」として本紙03年4月21日号〜5月19日号掲載)。
(2)同右
(3)二〇〇三年十一月の社会主義的民主主義第七回全国会議決議。
(4)同右
(5)「インターナショナルビューポイント」04年3月号
(6)当初から社会フォーラムの都市であったポルトアレグレは、もはやPTが統治していない。DSとPTの歴史的指導者だったラウル・ポントがブルジョア候補に敗北したことは、ルラ政権の政策に対して左派支持の有権者の一部が失望したことを示している。
(7)第四インターナショナル国際委員会の二〇〇五年二月決議(本紙05年4月25日号)
(8)同右
(9)同右
(10)このウェブサイトは二〇〇三年三月以来、インターナショナルの中での任務分担の枠組みの下にDSの同志が管理していた。DSの同志たちがこの二年間にわたって第四インターナショナルの決議をこのサイトに掲載せず、サイトに掲載されたインターナショナル多数派の立場からの文書は、フランソワ・サバドに対するジョアキム・ソリアーノの論難についての私のコメントを掲載した二〇〇六年三月をもって最後となっていることについて留意すべきである。
(11)フランソワ・サバド「ブラジル:危機と左翼の再生」(「インターナショナルビューポイント」05年10月号)
(12)ジョアキム・ソリアーノ「『悪しき国際主義』とブラジルPTについての愚かな考え方」(「インターナショナルビューポイント」06年1月号)。私のジョアキム・ソリアーノの主張に対するコメントは「インターナショナルビューポイント」06年2月号)。
(13)第四インターナショナル国際委員会の二〇〇六年二月決議(本紙06年5月22日号)

(「インターナショナルビューポイント」07年5月号)


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