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韓国はいま、左派連合の力で大統領選を闘い抜こう     かけはし2007.6.18号

反新自由主義、反帝反戦、反資本主義の旗のもと左翼結集を


はじめに

 大統領選挙に関連した各党および候補者たちの動向が連日、新聞や放送のトップを飾っているほどに、すでにブルジョア政治圏は大選(大統領選)レースに突入してから久しい。
 労働者・民衆運動の陣営もまた最近になって民主労総の執行部が「民衆参与の競選制」を掲げて踏み出すとともに論争が起きており、またいわゆる市民運動陣営の場合は「創造韓国未来構想」と「統合と繁栄のための国民運動」が組織の統合を宣言して新党結成を図っている。
 97年のいわゆる通貨危機以後の10年間、労働者民衆の暮らしは一層疲弊し、それは本質的に新自由主義の攻勢によるものだった。それなのに支配階級は、これでもまだ足らず韓米FTAなどを媒介として(超国籍)独占資本の利益のために韓国社会全体を構造調整して行くと豪語している。そしてその渦中に大統領選挙が置かれているのだ。この点で大選はブルジョア分派間の葛藤は存在するものの、本質的には新自由主義支配体制を強固にするための支配階級の政治スケジュールと言えよう。
 実際のところ資本主義社会において選挙というのは支配階級にとって階級支配の重要な仕組みと言わざるをえない。つまり投票(階級大衆は自らの権利を票として投じる)という制限的政治行為によって階級大衆を政治の主体ではなく受動的な対象へと閉じ込め、同時に選挙の結果が階級大衆自らの選択だという点から階級支配を合理化するという重要な手段だ。
 このような点からして「選挙によって社会の変革は可能だ」だとか、「労働者民衆の代表だという人々が議会で多数となって執権した後、社会変革を完遂できる」式の主張は、歴史への無知によるものか、さもなければ意図的な歪曲だ。これは英国労働党はもちろん、西欧各国の社民党の過去と現在、そして南米チリのアジェンデ政権の失敗、ブラジルPTの限界として、すでに確認されたことだ。
 では労働者民衆運動陣営は何をしなければならないのだろうか。選挙はブルジョアどものお祭りなのだから神経を使わず、それぞれが直面している懸案の闘争に集中すれば良いのか。それとも、それなりに民主労総など階級的大衆組織の一定の支持を得ている民主労働党が、今回の選挙で02年の時よりももっと多く得票できるように、ひと役買わなければならないのか。あるいはまた、ハンナラ党など守旧勢力の執権を阻むために、いわゆる市民運動陣営はもちろん、自由主義的ブルジョア政治家たちとも提携する選挙連合を行わなければならないのだろうか。
 5月12日、労働者の力は第20回総会を開催し、「2007年大選方針」を決定した。以下では07年の情勢の展望を基礎として大選の情勢的意味とは何なのか、そして労働者民衆運動陣営、特に「階級的変革勢力」が07年の大選において何をなさなければならないのかについての提案を読者のみなさんに述べようと思う。

07年大選をめぐる情勢

 07年の大選は階級闘争という観点からして情勢的にいかなる意味を持っているのだろうか。大選を前に繰り広げられている開かれたウリ党、ハンナラ党などのブルジョア諸政党、各政治家が演じている一連の騒ぎは、そもそも今後の韓国社会の展望とどんなかかわりがあるのだろうか。このためには何よりも韓国社会において07年というこの時期が持っている歴史的な意味を点検しなければならない。
 資本主義は、おおむね10年周期(正確に10年ということではないが)で恐慌(支配階級はこれを、いつも不況という単語で表現する)を繰り返してきた。これは必然的に階級闘争の情況に変化をもたらしてきたし、韓国社会もまた例外でない。周知のように、パク・チョンヒ式の開発独裁は70年代後半のオイル・ショック以後、経済危機を迎え、これは政治的に民主化運動の成長とともに80年の光州民衆抗争で頂点に達した。このような社会・経済的、政治的危機に対する支配階級の対応は抑圧的国家機構(軍隊と警察)を動員した血塗られた虐殺と弾圧だった。
 このように労働者民衆の血を浴びたチョン・ドゥファン政権は以後の3低好況などに支えられて一時的に景気回復の恩恵を受けたが長続きはできず、抑圧的な支配の方式は広範な労働者民衆の抵抗にぶちあたった。そしてそれは、いわゆる「87年民主化体制」という新たな階級支配の様式を誕生させた。すなわち韓国の支配階級は、このときになって初めてグラムシの言った「強制と同意(ブルジョア民主主義)」という二重のよろいをまとうことになったのだ。こういったことから07年の大選は、いわゆる「87年民主化体制」以後20周年を迎える年であると同時に、「民主化勢力」すなわちキム・デジュン、ノ・ムヒョンへとつながる自由主義ブルジョア勢力が執権してから10年となる年だ。
 ところで、この10年の歴史は「民主化勢力」が「改革」という美名の下に新自由主義を全面化した時期だ。こういったことから07年の大選は、この10年の歴史に対する評価の場とならざるをえないのであり、それは大統領という権力の頂点をめぐる支配勢力間の政争として表れている。
 具体的には韓国社会発展のパラダイムをめぐる対立、すなわち「産業化勢力」なのか、「民主化勢力」なのかの対立を基本軸として再び「87年民主化体制」についての評価、対北包容政策についての評価、韓米同盟の再編の方向をめぐる相互間の理念論争として激しく展開される予定だ。一方、この10年は新自由主義的攻勢によって民衆の生存権の問題が累積・深化してきた期間でもあったのであり、その中でも2極化、働き口、住宅、教育、税金などの問題はブルジョア政治勢力はもちろん、大選に踏み込む労働者民衆運動陣営にとっても避けることのできない争点となるだろう。
 問題は大選を経過するこの一連の過程を通じて支配階級がねらっているのは何なのか、だ。彼らは大選を通じて韓国社会の政治の形を2つの勢力、すなわち守旧保守陣営と自由主義改革陣営という2大構図へと固定化しようとする。さらに重要なことには、この過程でいわゆる進歩陣営を分割・けん引し続け、特に階級的変革運動勢力を孤立化させる戦略をたくらんでいる。
 こういった意味で、労働者民衆運動陣営の一部で提起されている「改革傾向の政治家まで包括する広範な選挙大連合」を構築しようという主張や、未来構想と国民運動が結合して作った新党と民主労働党の選挙連合を通した連立政府構想というシナリオなどは階級的変革運動陣営はもちろん、労働者民衆運動陣営全体の政治的成長を阻害することになるだろう。
 結局、07年の大選は進歩陣営、特に階級的変革運動勢力にとって試験台とならざるをえない。つまり今回の大選において新自由主義的支配秩序の安定的な再編の構図に風穴を開けつつ、オルタナティブな政治勢力として成長できる契機を能動的に作り出せるのか、それとも批判的支持の亡霊を払いきれないまま、より多くの得票のために労働者民衆運動を体制内化する選挙運動の流れに無気力に吸収されるのかの岐路に立たされているのだ。

民主労働党は対案となり得るか

 労働者民衆運動陣営が今年の大選闘争において新自由主義支配秩序の安定的再編に風穴を開ける方案とは何なのだろうか。おそらく今なお少なからぬ先進的活動家たちは民主労総、全農などの排他的支持を受けている民主労働党がより多く得票できるように大衆を動員することを念頭においてするかも知れない。だがはたしてそれは本当の対案なのか。
 現在、労働者民衆の政治勢力化の経路は極めてひどく歪められている。階級大衆が階級的な投票をしないという現実も問題だけれども、階級的大衆組織に基礎をおいた政党が議会主義の活動によって労働者民衆の政治を縮小する傾向が、はるかに問題なのだ。これは西欧の社民党や共産党の歴史をを通じても確認できる。
 帝国主義戦争や恐慌によって支配体制が危機に陥るたびに数十、数百万の党員を持った社民党や共産党の指導部が行った行為は、階級大衆の自発的闘争を抑えつけるものだった。彼らはブルジョア政党と、ときには連立政府を構成し、ときには独自的に執権を行いもしたが結局、資本主義体制を救出する役割を果たし、その過程において労働者民衆は政治の主体ではなく、票を投じる機械へと転落させられた。
 韓国社会の現実もまた、そう大きく違ってはいないようだ。昨年の非正規悪法・労使関係ロード・マップが通過するとき、民主労総と民主労働党は何をしていたか。そして現在、民主労総は何をしているのか。民主労総の現執行部は「社会的合意主義」という基調を維持している。
 民主労働党も新自由主義の世界化による韓国社会の総体的矛盾を克服するいかなる急進的な展望も提出できずにいる。そうでありながらも大衆組織の排他的支持を背負って、より多くの得票のために選挙連合、社会連帯戦略など没階級的な歩みを、はばかることなく突き進んでいる。この過程で階級大衆は受動的な動員の対象にすぎず、労働者民衆の政治は少数の官僚的活動家たちの上層の活動へと歪曲される危険に直面している。
 執権に向けた熱望は、さらに多くの票を物乞いさせ、これは必然的に中間層の支持を得るための行動として表れる。代表的なのは信用カードの手数料引き下げキャンペーンだ。ところで、もっと本質的な問題が放置されている。それは国家主義的、民族主義的傾向だ。例えば、進歩政党も成長についての対案があって然るべきだとか、韓国経済の発展についてのビジョンを提示すべきだ式の強迫が、それだ。これは体制自体の根本的な変化の展望、労働者民衆のオルタナティブな権力の展望を模索し、実践するというよりは授権政党を目標としている議会主義政治運動の必然的結果だ。もちろん、これは階級の利益よりも民族の利益という没階級的価値を優先視する民族主義の運動陣営が多数派を形成していることも無関係ではないだろう。
 資本主義という先鋭な階級社会において労働者民衆の政治を計りながら社会の構成員全体を満足させることのできる対案は初めから成立し得ない虚像だ。ただ、階級大衆を受動的客体へと仕立てる代理主義、資本家階級との妥協を推進できる改良主義の政治だけが、それを可能にするだけだ。
 西欧の共産党や社民党が経済発展を云々しつつ、民族主義的経済政策を取って、民族国家の利益のために自国の帝国主義戦争への参加に消極的に対応してきていたことや、労働者らの生存権闘争を抑えつけつつ中華民族第一主義を鼓舞している最近の中国共産党の振る舞いを見よ。
 仮にも、民主労働党が自ら明らかにしているように自らの志向を社民主義でもなく、スターリン主義的社会主義でもないと言うのであれば、少なくとも「民族国家の発展」というイデオロギー的足鎖ぐらいは、はずさなければならないのではないのか。だが、現在の民主労働党の理念や構成からすれば、これは根本的に廃止できるものとは思えないし、その意志とは関係なく体制内部運動へと転落する危険性を恒常的に内在することになるだろう。そして、このような問題は韓国進歩連帯(準)の場合にも根本的に変わりはしないだろう。

闘争だけが階級意識を形成

 それならば労働者民衆運動陣営は、なかんずく階級的変革運動陣営は何をすべきなのか。筆者は前節で階級大衆が階級的投票をしていない、と述べた。つまり韓国についてのみ言ったとしても、人口の絶対多数である労働者階級が労働者政党を自認している民主労働党に対する圧倒的な支持を行ってはいない、ということだ。われわれは、この問題から出発しなければならない。
 なぜ、このような現象が発生するだろうか。それは階級と階級意識が一致していないからだ。それは一方ではイデオロギー的国家装置(教会、寺、学校、新聞、放送など)の効果でもあるが、他方では階級意識はただただ階級闘争の経験を通じてのみ、獲得が可能だからだ。結局、労働者民衆の政治を図るすべての運動陣営が主力を注がなければならないのは労働者民衆の闘争を、より活性化し、より急進化させることにあるのだ。だが民主労働党や民主労総は、これに主力を置いてきたとは考えにくいし、まして現在の執行部の構成や傾向を考慮するなら、今後もそうそう簡単なことではないだろう。
 さらに重要なのは、階級大衆は抽象的な思想・理論に導かれるよりは物質的利害関係で動くという事実だ。例えば20代の場合、その半分以上が自らを既成世代よりも進歩的だと判断していながらも、政治的支持においては、どうしようもないことにイ・ミョンパク(前ソウル市長、ハンナラ党の大選候補の1人で、与野を通じても現在、候補第1走者)を挙げること、あるいはハンナラ党に対する労働者農民らの支持行為が、それだ。つまり大多数の階級大衆は彼らが現存している体制下で現在よりも若干の改善がなされると期待する限り、その体制を受動的に受け入れているのだ。
 だが歴史の中で確認されているように、その体制が階級大衆にとってもはや生活の改善を提供できず、生存権を深刻に脅かすとき、階級大衆はその体制に対して挑戦し攻撃し、さらに社会体制自体を階級大衆自ら、彼自身のための新たな社会へと発展させてきたことを想起しなければならない。そしてこのような事例は現在、南米の実験でも見いだされている。
 いまだ相当部分が未完の過程だが、階級大衆が支配階級に挑戦し、全民衆的な抵抗を基盤として新たな社会に向けて進展していることだけは事実だ。それならば、このような実験や挑戦は韓国社会において不可能なことなのか。そうではないだろう。
 もちろん今年の大選や、それ以後の総選など、ブルジョアの政治日程によって、これがすぐさま可能にはならないだろう。それにもかかわらず、少なくとも労働者民衆運動陣営は今回の大選を契機として新自由主義の支配体制全般に対する下からの問題提起と各課題についての急進的な対案を階級大衆の中へと広めていかなければならないだろう。
 何よりも労働者民衆運動陣営は韓国経済の構造的危機の本質を暴露し、これに対する労働者・民衆的対案を宣伝・扇動しなければならない。
 またこれに関連して、いわゆる「民主化勢力」の10年間の執権期間、特にノ・ムヒョン政権の経済政策の失敗に対する守旧勢力の対応を見てみよう。彼らは「最高の改革である政権交替」を通じて「成長を回復」することによって民生の経済を解決できるという「成長および開発」の談論を深く印象づけようとしている。
 例えばイ・ミョンパクの京釜運河やパク・クネ(パク・チョンヒの娘、ハンナラ党大選候補の1人で、イ・ミョンパクに次ぐ第2走者)のフェリー列車構想のいずれもが、このような伝統的な成長の談論、開発の談論を象徴するものだ。ここには、いわゆる庶民の経済危機の本質である新自由主義に対する言及は意図的に削除されている。このような談論は、これまでのところ階級大衆に一定の効果を発揮しているものと判断される。そればかりではなく、守旧勢力とその走狗である保守言論は西欧・ヨーロッパ式の福祉モデルが韓国社会では適用できないことを扇動している。こういったことから民主労働党の富裕税のような生半可な分配の論理は国家主義的成長の談論の前では無気力にならざるをえない。
 現在、階級大衆の暮らしを苦痛たらしめ、また無気力にしていることの中の1つが住宅問題だ。労働者民衆運動陣営は、今回の大選という政治的契機を通じて支配勢力の市場中心的土地および住宅政策のパラダイムを乗り越え、土地および不動産についての新たなパラダイムを提示していかなければならない。
 さらにはこれを媒介として韓国資本主義それ自体の問題、オルタナティブな社会の展望までも具体化して争点化させていくことができるとき、守旧保守陣営や自由主義改革陣営との差別的で独自的な政治が可能となるだろう。
 すなわち、本質的な側面から見れば、韓国社会の階級大衆はもちろん、全世界の労働者民衆を苦しめているのは新自由主義、これによる帝国主義戦争、そして資本主義体制それ自体だということだ。こういうことから労働者民衆運動陣営、とりわけ階級的変革的運動陣営は反新自由主義、反帝反戦、反資本主義という政治的旗じるしの下に結集し、階級大衆に向けた「政治的演壇」を確保していかなければならない。
 これを通じて新自由主義の世界化によって発生する社会問題、地域別、部門別、階級・階層別、課題別の争点、特に韓米FTA、改憲、南北関係および韓(朝鮮)半島の平和問題、非正規問題、教育、医療、貧困などに対する、闘う階級大衆の政治宣言を組織し、これを大選闘争の単位ごとに構築していかなければならない。さらには反新自由主義、反帝反戦、反資本主義の政治活動は選挙(闘争、行動)綱領建設運動を通じて、労働者民衆の対案を階級大衆に提示できるようにしなければならないし、資本主義体制それ自体の矛盾を攻撃していかなければならない。
 同時に、このような政治宣言や選挙綱領建設闘争は階級大衆を受動的大衆に仕立てるブルジョア選挙制度自体に対する問題提起や、階級大衆自らが大選の空間で政治的主体として踏み出す能動的な政治行為へと結びつかなければならない。例えば資本家政党が社会的少数者の問題について温情と施恵の問題としてアプローチするとするならば、われわれは社会的少数者の存立は社会的、国家的抑圧の結果なのだから社会的少数者の権利実現は社会的次元でなされなければならないことを主張するとともに、社会的少数者自らが政治の主体として踏み出すようにしなければならない。

「左の場を開こう!私が候補だ」

 労働者の力が大選方針(「かけはし」4月30日号参照)において政治社会団体、地域、部門、現場と共に「左の場を開こう! 私が候補だ! 運動(仮称)」を推進するのをはじめ、○○○予備候補登録および宣伝・扇動活動、主要課題別○○○○政治宣言、○○○○○大選実践団の構成、5億ウォンの基金作り運動などは、このような脈絡だ。これを通して労働者民衆運動は支配階級の論理、支配階級が流布した常識を拒否し、覆さなければならない。
 土地、住宅、教育、医療、知識、そして公共的資源のすべてを商品と市場の論理によって私有化させる支配階級の論理に真っ向からぶつからなければならない。階級大衆が普遍的に当然にも享受しなければならない権利を主張し、労働者民衆が生産過程は無論のこと、政治、社会、文化などいずれの領域においても社会運営の主体とならなければならないことを公々然と主張しなければならない。
 このような反新自由主義、反帝反戦、反資本主義の政治活動のためには階級的変革的運動陣営、すなわち左派陣営の共同活動か必須だ。労働者の力が大選方針において「左の場」を開こうと提案しているのは現在、孤立・分散化している左派の諸政治勢力を大選の時期に共同の政治活動を中心として結集させ、左派の政治を大衆的に目に見え、活動する場を共に作ろう、というものだ。もちろん、現在の左派陣営の状態を考慮するなら、これは容易なことではない。
 だが大選という政治的契機を中心にして互いに条件を作り出し、この中で運動のエネルギーを形成させることは、今後の左派運動の展望を作っていくうえで肯定的な経験となることは明らかだ。政治組織と地域、現場、部門運動のそれぞれの主体が共に「私が民衆候補だ!」という運動の中で数百の候補団、数千の政治宣言、数万の実践団を構成しよう。そしてこの過程で左派の候補、真に労働者民衆の候補として踏み出すことのできる基盤を準備して行こう!
 労働者の力は反新自由主義、反帝反戦、反資本の政治闘争に同意する諸勢力と共同の政治戦線を形成しようと思う。具体的には労働、貧民、障がい、女性、文化、人権、学術など進歩陣営内の諸勢力と共に大選の共同対応機構である左派連合を構成して大選闘争を展開しようと思う。同志が政治の主体だ! 同志が大選候補だ! われわれすべてが共に左の場を開き、新自由主義の支配連合に風穴を開けよう!
 最近、大選関連の討論会、座談会などが花盛りだ。筆者も何度かそのような場に出向き、そのたびに受ける質問は進歩陣営の選挙連合についての労働者の力の立場はいかなるものか、というものだった。そのたびに簡単に「労働者の力は新自由主義支配連合に風穴を開け、階級的変革的運動陣営、すなわち左派の政治勢力化という目標に符合する限り、選挙連合を排除しはしないだろう」と答えた。つまり、労働者の力の大選方針において「左派連合を中心に左派の大選候補を立てる。ただし、左派候補が民衆競選制の候補なのか、独自出馬候補なのかは追って決定する」としたのは、このような脈絡から提出されているものだ。
 今なお、07年の大選闘争について、ためらっている同志たちがいるかも知れない。例えば、韓国の政治状況において最も少数である左派陣営が何をすることができるか、懐疑をいだいている読者たちがいるかも知れない。だが現実は、その左派よりも明らかに少ない少数の持てる者たちが、この世の中を支配しているのだ。
 現象的には放送、言論などのイデオロギー的国家の装置の効果によって、あたかも左派が少数であるかのように見えるのかも知れない。だが左派が階級大衆の中で階級大衆と共に呼吸し闘争している限り、左派は歴史の多数となることができるし、歴史はそれを証明してきた。
 もちろん、根本的な社会変革という観点からするとき、選挙には限界がある。だが階級的変革的左派は、この限界の中でも階級大衆を政治の主体としてうち立て、階級大衆を搾取の奈落へと追い立てる新自由主義、帝国主義、資本主義と対決して巨大な抵抗の芽を、労働者民衆自らの解放に向けた未来の可能性を作らなければならない。同志たち、その道を共に歩んでみようではないか。

 最後に、カール・マルクスの言葉をもって結論に代えたい。
 「批判の武器は、もちろん武器の批判にとって代わることはできず、物質的な力は物質的な力によって倒さなければならない。しかし理論もまた、それが大衆をつかむやいなや、物質的な力となる。理論は、人間に即して証明されるやいなや、大衆をつかむものとなる」(『ヘーゲル法哲学批判序説』より)。(「労働者の力」第126号、07年5月25日付、キム・テジョン/中央執行委員)


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