| 井筒和幸監督作品『パッチギ! LOVE&PEACE』 かけはし2007.6.18号 |
前作よりも
「攻撃的」印象
「パッチギ!LOVE&PEACE」は、好評を博した前作「パッチギ!」の続編である。といっても、前作からのストーリーの継続性は希薄で、むしろ新たな物語としてとらえたほうがよい。
前作に比べて今回の作品は「攻撃的」である。「攻撃的」とは、井筒和幸監督の醸し出す「怒り」の感情が作品から漂ってくるという意味であって、肉体的な暴力によるものではない。前作は多くのケンカシーンが登場するが、どこか牧歌的なおももちであるのに比してケンカシーンのほとんどない今回の作品のほうが鋭く「攻撃的」なのである。
1974年は
現代の始まり
前作の舞台が一九六八年の京都。今回は、六年後の一九七四年の東京が舞台だ。井筒監督は、時代設定についてこう語っている。
「一九七四年というのは僕の中では『現代の始まり』なんですよ。前作で描いた一九六八年は、いわば自由な表現の時代だった。社会全体に『何でもやっちまえ!』というラジカルな空気感があったし、矛盾は矛盾としてちゃんと直視しようという風通しのよさがあった気がするんですね。ところが七〇年代に入るとそういう自由な空気は急速にしぼんでしまう。表面的には優しくてフニャフニャした感じになっていくんだけど、実は捉えどころのない、閉塞した消費社会に変わっていくわけです。六八年にあれほど輝いていたラブ&ピースもどんどん見せかけのものに変わっていく。佐藤栄作みたいな政治家がノーベル“平和”賞をもらってしまうのが象徴的ですよね」。
井筒監督から見た七〇年代は、現在に続く「風通しの悪い」時代の始まりであって、その時代を描くにあつては前作のようなある種の「のどかさ」を描けず、まずは「シリアスさ」が先立ってしまったともいえるだろう。
この映画には、二時間七分という上映時間では収まりきれない多くのエピソードがつまっている。前作に見られた情感は少し奥にひっこみ、その代わり目まぐるしくドラマが展開し、はじけるように生きがよく動いていく。そのため映画として見方によっては、まとまりに欠けると思われる向きもあるかもしれない。けれどもそこは、井筒監督の力技でグイグイ観客を映画の世界に引きづり込み、まったくあきさせない。
格好などつけて
はいられない
あらすじについては長文になるのでだいぶ、はしょらせていただく。それよりもなによりも、まず映画館に足を運んで、自分の目で作品を確かめて欲しい。ここではストーリーのさわりだけ触れるにとどめる。
前作の主人公の一人リ・アンソン(井坂俊哉)は、息子のチャンス(今井悠貴)の筋ジストロフィーの治療のため京都から東京江東区枝川のコリアンタウンに、オモニ(母・キムラ緑子)と、妹であるキョンジャ(中村ゆり)とともに引っ越してくる。引越し早々、国土館(士ではない)大学の応援団との乱闘となるアンソンだが、そのさなか岩手県出身の純朴な青年国鉄職員・佐藤(藤井隆)と知り合う。伯父のサンダル工場で働くアンソンと、焼肉店で働くキョンジャのささやかな東京での生活が始まった。
キョンジャは自分の生きている狭い世界から抜け出たいという思いと、チャンスの病気の治療費をかせぐためスカウトされた芸能界へと飛び込んでいく。
アンソンたちの生きる一九七四年と交錯しっつアンソンたちのアボジ(父)、ジンソン(ソン・チヤンウイ)の一九四四年のエピソードが織り込まれていく。
ジンソンは太平洋戦争のさなか、済州島で日本軍に徴兵されるが、脱走し仲間とともにヤップ島まで逃げたのである。
やがてキョンジャは大作戦争映画、特攻隊を「お国のために死んだりっぱな青年たち」として描く「太平洋のサムライ」に出演することになるが……。
アンソンのチャンスの病気を治そうとする必死な行動、キョンジャの芸能界内での在日であることによって起こる軋轢、ジンソンのエピソード、孤児院で育った佐藤の、自分を捨てた母への思いとキョンジャへの片思い。これらが物語の柱となる。すべてに共通するのは彼らの、与えられた現実の中で必死に生きようとする姿である。それこそ、はいつくばってでも、泥水を飲んででも、生き延びるために血へドを吐いてもがく様だ。それはハタから見れば「こっけい」で「無様」で「物悲しい」ものかもしれない。一生懸命になるほど人の行為は、なぜかおかしい。だが人間が生きるということはそういうものではないだろうか。最終的に人間の日々の営みは、おおよそ「生きる」という目的に向かっての行動に尽きる、と私は思っている。「生きる」ためには格好などつけてはいられない。映画の登場人物たちの「生きる」様は、そのまま私たちの日々「生きる」様と同じである。だからこそ映画に共感もわくのだ。
私の日本で最も尊敬する俳優である故松田優作氏(彼も在日)は常に言っていた。
「人間なんてそんなにかっこいいものじゃない」
私もそう思ってる。
ストレートな
「怒り」の発露
映画のクライマックスでキョンジャは、自分が在日であることを公衆の前で告白し、自分の愛する人に対して「お国のために立派に死んできて下さい」などと、映画のセリフのようには言えないと言い放ち、今自分が生きてるのは戦争から「逃げた」父のおかげであり、だから徴兵から逃げた父をひきょうなどとは思わない、と叫ぶ。
日本の芸能界においては、在日であることや部落出身であることは今もってタブーである。しかし芸能界は彼らなしでは語れないのもれっきとした事実である。だがそれは決して言ってはいけないことだ。
矢沢永吉が在籍していたことで有名なロックンロールバンド、キヤロルのメンバーであったジョニー大倉は、キヤロル解散後、本名の朝鮮名で芸能活動をしようとしたところ芸能界からほされてしまった。そこで、また名前を芸名であるジョニー大倉に戻して仕事を始めたと聞く。なぜ芸能界を舞台にしたのかについて井筒監督は言う。
「芸能界のインサイド・ストーリーを描いているのも、別にタブーを暴きたいとか、そういうことでもないんです。要するに芸能界というのは日本の縮図なんですね。実際には在日と日本人が一緒に支えてるのに、マイノリティについては口に出さないという暗黙の『お約束』がある。表面的には個性が尊重されているようで、実は異質なものを受け入れようとしない―これって、特殊な話でもなんでもないでしょ。まさに日本の社会、そのものじゃないですか」。
キョンジャのエピソードは、遠い芸能界の話ではなくわれわれの身近にあるものなのだ。
この映画には前作と比べて「笑い」が少ない。それよりも井筒監督のストレートな「怒り」を感じた。その「怒り」は一九七四年の社会に向けられているのではなく、現在において上映する以上現在の社会に向けられていることは明白だ。この「怒り」が私にはこの作品が「攻撃的」だと感じられた。
もちろん「怒り」だけの作品ではない。じゆうぶんな娯楽性をもったエンターテイメント作品でもある。アンソンのチャンスのために必死になる様、佐藤の友情、キョンジャの悲しみや決意等々、前作同様私はこの映画に涙した。しかしその涙には、前作と異質な成分も含まれていた気がする。
映画のラストでアンソンたちは新聞で「サイゴン陥落」を知る。在日コミュニティの人々は言う。
「ベトナムは統一した。次はわれわれだ」。
アンソンはチャンスに語りかける。
「『故郷』へ帰らないか」
故郷とはもちろん南北が統一した朝鮮半島であろう。
チャンスは笑顔で答える。
「うん!」
このシーンに深い意味はないのかもしれない。ただ私は在日の人々は、いつまでも日本にいては幸せにはなれない、という意味もあるのかな、と感じてしまった。で、あれば在日の人々と日本人は共生できないという悲劇ではないか。私の涙には今回、そんな悲劇の成分も含まれていたのである。
それにしてもいつまでもメソメソしてもいられない。私にしたって誰だってこの時代でもがいているのだ。しぶとく生き抜いてやろうじゃないか!
私は自分で自分をはげました。
悲しみを乗りこえろ!こんな時代にバッチギをぶちかませ! (T・W)
投書
「球を蹴る人―N・Hに―」を読んで
SM
ちくま文庫版の『倚(よ)りかからず』を読んだ。茨木のり子さん(1926―2006)の詩集だ。1999年10月に筑摩書房から刊行された『倚りかからず』には収録されていなかった「球を蹴る人―N・Hに―」という詩が印象に残った。紹介したい。
「二〇〇二年/ワールドカップのあと/二十五歳の青年はインタビューに答えて言った/『この頃のサッカーは商業主義になりすぎてしまった/こどもの頃のように無心にサッカーをしてみたい』/的を射た言葉は/シュートを決められた一瞬のように/こちらのゴールネットを大きく揺らした/こどもの頃のサッカーと言われて/不意に甲斐の国/韮崎(にらさき)高校の校庭が/ふわりと目に浮ぶ/自分の言葉を持っている人はいい/まっすぐに物言う若者が居るのはいい/それはすでに/彼が二十一歳の時にも放たれていた/『君が代はダサいから歌わない/試合の前に歌うと戦意が削(そが)れる』/〈ダサい〉がこれほどきっかりと嵌(はま)った例を他に知らない/やたら国歌の流れるワールドカップで/私もずいぶん耳を澄したけれど/どの国も似たりよったりで/まっことダサかったねえ/日々に強くなりまさる/世界の民族主義の過剰/彼はそれをも衝(つ)いていた/球を蹴る人は/静かに/的確に/言葉を蹴る人でもあった」
ぼくはこの詩に共感を覚える。「この頃のサッカー」だけが問題なのかどうかは良く分からないが、政治とスポーツ(メディア)は、コインの裏表の関係にあるのではないか。あなたもこの詩に共感を覚えるならば、「スポーツ仕掛けのナショナリズム」に反対してほしい。あなたの組織が「スポーツ仕掛けのナショナリズム」に加担しているならば、そのような組織を改革するために闘ってほしい。ぼくは、そう考える。
(2007年4月30日)
コラム
現代版「召集令状」の恐怖
二〇〇八年の暮れから〇九年初頭にかけて、裁判所から突然の出頭命令が届く。「裁判員候補登録済」の通知である。裁判所からの呼び出しなど一生縁がないと思っていた市民には、衝撃の手紙である。「そういえばそんな光景を以前、テレビで見たな」などと初めて思い出す。
同封の冊子を見てさらに不安に駆られる。凶悪な殺人事件の裁判だ。素人にそんなことができるか、と突っぱねてもムダ。これは「国民の義務」であり、出頭を拒否すれば罰せられる。さて仕事はどうする。親の介護はどうする。なぜ自分が選ばれたのかとあわてても、もう遅い。
〇九年春施行予定の「裁判員制度」の模擬裁判が五月末から三日間、東京地裁で行われた。この初リハーサルで、制度の問題点が改めて浮き彫りになった。ひとつは裁判員選任の方法である。第一段階は選挙人名簿から無作為抽選で選ばれるが、絞込みの際には、さまざまな選別が行われる。たとえば裁判長による最終面接。密室で「警察を信用できるか」、「死刑制度に反対していないか」などが質問されるという。これはまさにプライバシーに踏み込む思想調査であり、制度が謳う公平公正に反する。検察と弁護士はそれぞれ四名まで候補者を排除できるが、その理由は非開示だ。無理に仕事を調節して出席したが結局「不適格」と烙印を押されることもある。その心理的打撃は想像に難くない。さらに参加するのは極刑を含む重大な刑事事案の一審のみ。なぜ軽微な民事紛争ではないのか。無意味であり理解できない。
「裁判員法」は〇四年、与野党全会一致の賛成で成立した。日弁連は「司法への市民参加」を積極的に推進、成立は悲願であった。だがこれは欧米の「陪審員」とも「参審制」とも違う。両者の欠点だけを併せたような、日本独自の体系なのである。「裁判の公正」を主張するなら、前述のような思想調査は許されない。そもそもこの制度じたいが、司法の独立・裁判官の職権の独立を定めた憲法に違反する。さらに法廷で知った秘密を他人にうっかり漏らしても罪に問われる。判決への疑惑や後悔を、生涯独りで墓場まで持ち込まなければならない。共謀罪に匹敵する悪法である。
とんでもない実体が知れわたるにつれ、参加を望まない人が増え続けている。それでも制度を強行しようとすれば、資格要件の緩和で裁判員の質を落とすしかない。現に法務省は「死刑反対」による辞退を認める構えだ。人々は被告の生死を決める重責を、国家権力から「義務」として背負わされる。ずさんな審理が横行し、いま以上にえん罪は増え続ける。「裁判員法」は人権と民主主義とは相容れない、現代版「国家総動員法」なのである。 (隆)
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