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エコロジーと環境                   かけはし2007.4.23号

急速に進む温暖化と利益追求の資本主義的生産の限界

京都議定書の積極性と弱さ蓄積され続ける温室効果ガス   ダニエル・タヌロ


  「彼らは、パン、空、土、太陽、そして惨めな生活の代金を取り立てる」――ポール・エルアルド
 帝国主義世界の京都議定書の支持者と敵対者の間の和解の要素が、少しずつ表面化し始めている。一方では、欧州連合は、アメリカ政府が最初に提起した新自由主義的傾向の大部分を採用した。他方、大西洋の向こう側の一連の兆候は、米国が削減の数量目標の考え方を、削減カレンダー付きで、最終的には受け入れそうであることが示された。

ハイブリッド議定書

 一九九七年に調印された京都議定書は非常に不十分なもので、いくつかの誤った側面が含まれているが、同時に積極的な側面も存在する。起こっている変化を理解するには、このハイブリッドな現実を把握することが重要である。
 議定書の不十分性は良く知られている。
b 先進国が二〇〇八〜一二年の期間中に実行することを約束した排出量の五・二%の削減は、取るに足らない第一歩に過ぎない。
b 批准したすべての国が議定書を完全に守ったとしても、オーストラリアと米国が批准しなければ、工業国全体の実質削減量はわずか一・七%に過ぎなくなる(原注1)。
b 京都議定書には、必要な努力を薄めるために考え出された抜け道がいっぱいある。すなわち、先進国の大企業や大企業が存在する国が必要な努力の一部を南や東の国への投資に置き換えることを可能にし、あるいは世界市場で排出権を獲得することを可能にする、三つの「柔軟メカニズム」が含まれている(原注2)。これらの排出権の中の、特に、有名な大量の「ロシアのホットエアー」(原注3)に相当する排出権や、「カーボン・シンク」(後述)に相当する排出権は、構造的削減の努力に対応していない。
b 特に、計画削減量に含まれている大企業に排出割当量が無料で割り当てられた場合は、政府および行政と大企業の共謀によって(競争力の名目で)複数の制度への道が開かれる。従うべきモデルとして示されている欧州排出量取引制度は、考えられる詐欺行為の例とその意味を提供している。この制度の最初の一年間に、当局は二酸化炭素換算十八億四千八百六十万トンの排出権を配分したが、関係企業一万千五百社の排出量は十七億八千五百万トンに過ぎなかった。かくして、英国電力部門だけで八億ポンドの利益がもたらされた(原注4)。
 京都議定書の主要な誤った側面は、次のとおりである。
b 京都議定書は、温室効果ガス排出量の削減と二酸化炭素の隔離を等価とみなしている。しかし、排出量の削減のみが、温室効果に対する真の構造的解決策である。ほとんどの隔離の形態、すなわち生態系(「カーボン・シンク」と呼ばれる森林、大地や海洋)による吸収や発電所レベルでの二酸化炭素の捕集(とその後の貯蔵、たとえば特定の地層中への「処分」)は、せいぜい時間稼ぎのための一時的対応にすぎない(原注5)。
b クリーン開発メカニズム(CDM)および共同実施(JI)は、強烈な新植民地主義的臭気を放っている。これらは、排出量を削減するもっとも単純で費用のかからない手段を「北」に与えるからである。
 この処置の結果は、次のようなことになる。
1 炭素の費用を市場で削減することになる。したがって、先進国が排出量を削減するより排出権を買うことを奨励することになる。
2 国際交渉によって開発途上国がこれを余儀なくされることになれば、開発途上国の排出量を削減する将来の能力に不利な条件をつけることになる。
b 排出割当量の諸国間での配分は、一九九〇年に排出された温室効果ガスの量から約束削減量(京都議定書の枠組みで採用された)を差し引いたものであるが、これは事実上、大気の成分に対する半永久的財産権を分配することと同等である。この分配は、北と南の間の開発の不平等を受け入れることであり、これは共同財産としての空気の定義と矛盾する。
b 京都議定書は、先進大国が今後行うことができる努力を考慮することを定めておらず、協定に従う場合の先進大国の将来の責任を想定させるようにはなっていない。議定書のこの欠陥が、これらの大国の支配階級に、可能な限り化石燃料の燃焼を続ける口実を与えている。
b 航空輸送および海上輸送による排出量が考慮されていない。

積極的側面

 しかし、京都議定書のいくつかの積極的側面を無視することはできない。
b 議定書は「共同の、しかし差異のある責任」の概念に基づいている。すなわち、すべての国に関係があり、先進国は問題の七五%に責任があるので、大半の努力を行い、開発途上国に技術を移転しなければならない。
b 排出量の削減が数量化され、特定の期日に結び付けられている。約束期間中に到達しなければならない目標が各国に割り当てられている。
b 柔軟メカニズムは、国内措置の「補完策」としてのみ使用することができる(原注6)。さらに、原子力エネルギーへの投資はCDMの枠組みの中に位置づけられなかった。森林に関するCDMプロジェクトの場合、先進国は限られた範囲でのみこれに頼ることができる。
b 制裁が規定されている。削減目標を守らない国は、その後の期間に三〇%のペナルティを追加して目標を履行しなければならない。さらに、その国はもはや排出量取引制度に頼ることはできない。

より緩やかな合意へ

 議定書の擁護者たちは、この議定書が増幅していく動きの始まりとなることを願った。ものごとが動き始めているというのは本当である。欧州の複数の国が、間に合うように、かなり大きな規模で排出量を削減する意図を表明した。しかし、聴衆の前で演じられる宣言と、実際に実施される政策を、われわれは区別しなければならない。
 たとえば、欧州連合は地球温暖化を二度以下に抑えると公言している。しかし、国や政府の二十五人の首脳は、二〇〇五年三月の理事会で、これに対応する二〇五〇年に六〇〜八〇%という排出量削減目標を(環境閣僚会議は勧告したが)採択しなかった。理事会のコミュニケは、何らかの約束をすることを回避した。すなわち、現在から二〇二〇年の間に一五〜三〇%の削減を「予見することが適切である」とした。この範囲ですら、「費用と利潤の問題を含めて、この目標を達成できる条件を」調査する対象とせざるをえないのである。
 実際には、先進国は京都議定書を守ることに成功していない。カナダは目標排出量を三〇%超過しており、イタリアもあまり変わらない。スペインの排出量は爆発的に増加している(原注7)。英国は上限を下回りそうだが、これは石炭からガスへの転換のおかげである。この転換以降は事態は深刻化するだろう。ドイツについても診断は同じである。すなわち、約束を守る過程にある(東の産業の崩壊のおかげで)という事実は、雇用主の連合であるBDIが排出量の国別割当計画にかんする交渉を退席する妨げとはならなかった。デンマークは、風力発電が盛況であるにもかかわらず、計画では国別割当量に二一%も不足しそうである(原注8)、などなどである。
 したがって、割当量を厳しくした京都議定書の単純な延長は、ありえそうもない。二〇〇五年にEUが「国際交渉の新たな飛躍をもたらす」、および「すべての国の」、特に、「新興国および開発途上国のカテゴリーに属する国々を含む大きなエネルギー消費国の広範な協力を得る固い意思」を表明した理由も、ここにある。京都議定書のある種の「厳格さ」から解放された新たな合意に向かって、確実に動きが始まっている。大きな開発途上国が参加する合意は、理事会の言葉を借りれば、「費用と利潤に関する条件」を変えるであろう。「気候変動、クリーン・エネルギーおよび持続可能な成長に関するグレンイーグルズ対話」は、この枠組みの中で見なければならない。スコットランドのグレンイーグルズで開催されたG8サミット中に始まった最大エネルギー消費国二十カ国が参加するこの「対話」が、国連気候変動枠組条約(UNFCC)の公式の枠組みの外側で「革新的アイデアを非公式に議論する」ものであったことは偶然ではない。

スターン報告:道しるべ

 別稿(IVPウェブ・サイト「悪魔は鍋を作るが、鍋のふたは作らない:気候と反資本主義の擁護」)ですでに説明したように、気候変動の経済学に関するスターン報告は、新しいグローバルな協定への道の重要な道しるべであるように思われる。そこで、この報告書を少し見ておこう。以下の点に留意すべきである。
1 他の経済学者とは反対に、ニコラス・スターン卿は気候学者の分析について言い逃れをしていない。「気候変動は、一連の緊急の問題である。(……)二酸化炭素換算体積濃度五五〇ppmvのレベルには、二〇三五年までに到達する可能性がある。このレベルにおいては、少なくとも七七%の確率で、おそらく最大九九%の確率で、使用する気候モデルによっては、グローバルな平均温度上昇が二度を超える。もし何もしなければ、今世紀末までの温室効果ガスの蓄積により今後数十年間に温度上昇が五度を超えるリスクは、少なくとも五〇%である」、などなど。社会的および生態学的結果が詳細に検討されている。
2 温暖化のコストの評価は、他の刊行物よりはるかに高い。スターンによれば、「通常のビジネス」シナリオでは、二十二世紀末までに平均一人当たり消費を最大二〇%減少させる可能性がある。この驚くべき数字は、以下の要因によって説明される。
―― この報告書には、厳しい経済的犠牲(一人当たりGDPの5%削減)が含まれているだけでなく、健康および環境に対する影響の金銭的評価も含まれている(犠牲者数など)。
―― 地球温暖化が地球温暖化を加速する可能性が考慮されている(たとえば、永久凍土が融けると、強力な温室効果ガスである大量のメタンが放出される)。
―― 損害のコストの評価に使用された割引率は、通常のものより約二倍低い(世代間連帯を具体化するために、この種の他の研究よりも、将来の損害により高いコストを与えている)。
―― 最後に、スターンと彼の協力者は、南の諸国の損害はそれほど大きくないという厳格な会計学の観点からの事実(コストは「犠牲を払うことをいとわない程度」に基づいて評価され、それは明らかに収入によって異なる)を是正するために、救援の倫理に訴えている。
3 スターンは、緩和と適応に関する地球温暖化の費用の請求書を比較している。この費用は、明らかに、温室効果ガス安定化の濃度レベルの選択に依存する。報告書は、四五〇ppmvでの安定化ではなく、五五〇ppmvを選択している。この選択は危険を著しく増大させるが(原注9)、著者はここで突然調子を変える。「ここでの教訓は、多くを望みすぎ、急ぎすぎることを避けることである(……)。たとえば、非常に大幅な削減の費用に関しては、大きな不確実性が残る。排出量削減を基準量の六〇〜八〇%以上にまで掘り下げることは、産業工程、航空や多数の領域における排出量削減の進展を要求することになり、これについては、現在は費用効果的なアプローチを予測することが困難である。」(原注10)
 五五〇ppmvにおける安定化には世界GDPの一%の費用がかかるが、四五〇ppmvにおける安定化はその三倍の費用がかかるだろう。GDPの二〇%と推定される損害に直面すれば、四五〇ppmvにおける安定化は、あらゆることがらにもかかわらず、依然として「利益になる」はずである(報告書の費用対利潤の論理に従えば)。
 それがなぜ排除されるのか。その理由は、追加の費用を担うのは「産業工程、航空や特定の多数の領域」であり、それは特に先進国経済に関わりがあるからである。この選択は最大三度の温度上昇の評価に関連付けられており、地球温暖化の影響はこれらの諸国にとってはむしろプラスである可能性がある。マイナスの影響は、特に熱帯および亜熱帯諸国に集中する。これらの諸国は、報告書によれば、その「地理的条件から」、「すでに暑すぎる」のである(原注11)。ニコラス・スターン卿の「倫理」には、決定的な限界がある。
4 世界GDPの一%は、三千五百〜四千億ドルに相当する。したがって、スターンの推定を受け入れるとすれば、四五〇ppmvにおける安定化には、一年当たり一兆五千億〜一兆二千億ドルの費用がかかることになる。この額は、防衛予算(2004年は1兆370億ドル、その47%は米国)(原注12)と広告費の削減を組み合わせれば容易にカバーできるであろう。石油収入については言うまでもない。
 しかし、これらの手段は、世界銀行前チーフ・エコノミストの壮大な記述には描かれていない。クリーン・エネルギーの地位に昇格している原子力開発は別にして、この壮大な記述を構成しているのは、新自由主義的手段だけである。すなわち、炭素の単一世界価格、炭素税(価格を通じて消費者に転化される、企業にとっては料金の引き下げによって補償される)、世界のどこかで最低費用で排出量を削減できるような場所、時間、手段の選択の総合的柔軟性、排出量取引の深化と拡大、低カーボン製品およびサービスの流通の完全自由化のWTOによる強制、などである。
 このアプローチには三つの意味があり、先進国と多国籍企業には非常に魅力的であるはずだ。
1 二〇五〇年までの北の排出削減量の五〇%以上は、南に移転されるであろう。すなわち、森林減少の停止という形で(これは明らかに望ましいことである)、または年間四百億ドル(現在のCDM市場の40倍)と評価されるクリーン投資という形で(原注13)。
2 この大盤振る舞いを利用して、北では、大量エネルギー消費産業である自動車、石油化学やその他のグループは、二十〜三十年かけて設備を償却し、彼らが引き起こした破局に関して一銭も支払うことなく、新技術に向けて方向転換するだろう(原注14)。
3 請求書は、全世界の労働者、農民および貧しい人々によって、CO2に関する税金、民間企業への公的補助金、消費者向け製品価格への炭素価格の組み込みの形で支払われるであろう。

グローバルなプロジェクト

 経済学的構成を超えて、スターン報告は非常に政治的な文書である。それを読めば、野心的な戦略的プロジェクトであることが分かる。地球温暖化の恐怖を利用して、気候の問題に留まらないはるかに大きなプロジェクトを世論に受け入れさせようとしている。
 「信頼性にとって重要な問題は、政策が広範な利害関係グループの支持を集めるかどうかである。世論は特に重要である。すなわち、気候変動に対する行動を求める公衆からの持続的圧力は、そうでなければあまりにもリスキーまたは不人気に思えるかもしれない措置をとる自信を政治家に与える(原注15)」。たとえば、CO2税は、雇用主にとっては料金引き下げによって補償される。
 さらに、次のような記述もある。
 「公共政策の多くは、実際には態度の変更に関するものである。特に、政策決定者が気候変動の文脈の中で重視する二つの広範な領域が存在する。すなわち、責任ある行動の概念の変更を追求する場合と、協力をいとわないことを奨励する場合である。その他の領域における前者の例には、年金、喫煙およびリサイクルに関する政策が含まれる。後者の例には、犯罪やより一般的にはコミュニティ・サービスに関する近隣監視方法が含まれる(原注16)」。
 年金に関する政策の例(集団ではなく個人が自分の老齢に「責任を持つ」必要があるという名目で国家年金に反対するし退職年金の資本主義化に賛成する攻撃)は、特に重要である。
 この報告書が環境NGO(たとえば、WWFは「炭素市場の強化」を求めている)(原注17)やある種の「左翼」政党(原注18)の中に引き起こした熱烈なコメントに、疑問を呈する必要がある。ここには確かに緊急性が存在する。しかし、スターン自身が次のことを認めている。すなわち、気候変動は「これまでに経験した最大の、最も広範な、市場の障害である。」この障害に対して市場に支払わせるのか、それとも「市場」が世界の搾取され抑圧された人々に支払わせるのか。スターン報告は、驚くことではないが、後者の道を選択しているのである。スターン報告はわれわれに、気候変動に直面した将来の資本主義的政策の前兆を示している。

映画「不都合な真実」

 ローランド・エメリッヒ監督のおどけた「デイ・アフター・トゥモロー」とは反対に、映画「不都合な真実」は気候変動の良いプレゼンテーションである。映像の力は驚くべきものであり、コメントは高度に科学的である。これが米国の前副大統領で(ジョージ・W・ブッシュに対抗した)大統領候補者の作品であるという口実で、あるいはメディアの宣伝はイデオロギー的に疑わしいという理由で、この作品を拒否すべきではない。アル・ゴアが反資本主義的解決策に賛成していないからといって、驚くことがあろうか。その明白な政治的限界を超えて、この映画は地球温暖化の大問題に対する広範な認識を刺激するメリットを持っており、政策決定者に対する圧力を高める効果を持っている。

ブッシュとカリフォルニア

 二〇〇六年八月三十一日に、カリフォルニア州下院は地球温暖化対策法(GWSA)を採択した。ジョージ・W・ブッシュはいかなる義務的排出量削減制度も拒否しており、大きな発展途上国の排出量も規制を受けるのでない限り、事実上努力を行うことを拒否しているが、GWSAは二つの点で異なっている。カリフォルニア州は二〇二〇年までに自分たちの排出量を二五%削減すること、および他の国の決定とは独立してこれを行うことを決定した。
 カリフォルニア州が初めてというわけではない。この前に、米国北東部は、義務的削減目標と欧州で運営されているものと同様の排出権取引制度を採用している。これ以降、気候変動をめぐる論争は、(欧州にとって)大西洋の向こう側でも、特に「カトリーナ」以降、拡大している。
 連邦レベルでは法案は依然として阻止されているが、二百七十九の町や市が、京都議定書の目標を守ることを決定している。ジョージ・W・ブッシュに対して、この件に関してはますます異論が拡大している。二大政党の位階レースの本命であるヒラリー・クリントンとジョン・マッケーンは、二人とも義務的排出量削減の支持者である。
 これは、気候問題が解決途上にあることを意味するのだろうか。否である。実際、カリフォルニアの約束は、極端に臆病なものである。二五%の削減量は、何の措置もとられなかった場合の二〇二〇年のカリフォルニアの温室効果ガス排出量を基にして計算されている。一見ラディカルなこの決定は、排出量を一九九〇年レベルに戻すことを目指すものに過ぎない。京都議定書の最初の約束期間の八年も後にである。ものごとをまともに見れば、議定書は米国に対して、二〇一二年までに七%の削減を指定しているのである。

価値法則の崩壊

 交換価値を持たないもの(人間の生命や自然の生態系)に値段を付け、その値段が「倫理」に適合するとみなすことを試みる経済学者の曲芸は、価値法則が社会的富の指標としてますます不適切になっていることを明らかに示している。
 スターン報告は、「困難な倫理的問題」と称する問題の取り扱い方に関連して、この問題に関する多くの実例を提供している。百五十六ページで、著者は、第三世界における影響をより正しく強調するために、地球温暖化の総コストを三三%増加させる、あるいは倍増させる研究を参照している。これらの補正がなければ、これらの地域における気候の破局は、経済学者の目にはとまらなかったであろう。全期間を通じて、それらはグローバルな成長によって押し流されたであろう。四百十ページには、もう一つの例がある。二億人の人々のコストの移転を可能にするために、スターンはこれらの人々の所得を三倍している。犠牲者の大多数はすべてを失い、多くの人々が死ぬ場合に、なぜ三倍なのか。

おろかさのアンソロジー

 石油およびエネルギー部門の企業、建設産業の大手企業、レモネード製造者、アイスクリーム・メーカー、旅行代理店はすべて、気候急変(暖冬や厳寒、雨の多い夏、酷暑)に対する保険をかけている。
 天候デリバティブは、この保険から派生する金融商品である。証券取引所で投機の対象となる製品は、他の派生製品に比べて、取引額は限られている。しかし、投資家は強力な成長にかける。シカゴ証券取引所は、今後三年間に、これらの市場の発展に百八十万ドルを投資する意図を持っている。相続財産を管理しているコリオリ・キャピタルは、三億五千万ドルの天候デリバティブを購入している。「気候はわれわれの新しいフロンティアである」と、シカゴ商品取引所のテリー・ダフィー所長はコメントしている。
 資本所有者にとって、仕掛けは、種々の大陸の種々の国の気候に結びついた天候デリバティブを所有することにある。実際には、極端な気象は、多くの場合、非常に対照的に分布する。たとえば、二〇〇三年の熱波のときには、米国東部は雨の多い冷たい夏を経験した。多様な天候デリバティブ、お守りや気候学者の助言を使用して、賢い金融業者は大もうけをすることができる。
 地球温暖化は気候の変動を大きくするので、金融業者にとっての展望を一層魅力的なものにする。特に、極端な現象の増加は、企業がそのような現象から自己を守ることを促す。天候保険が盛んになれば、天候デリバティブがますます盛んになり、したがって金融市場の利益が拡大する。
 この情報が由来する記事のタイトルは、市場のおろかさのアンソロジーに含めるべきである。いわく、「自然の進むにまかせ、そこから金をもうけること」。これは、競争が、単純な常識に反し、生存本能にさえ反する判断に至る非常に具体的な例である。あるいは、カール・マルクスから引用すれば、「競争の観点からは、あらゆることがこのようにゆがみ、本末転倒して見える。」(マルクス『資本論』第三巻)。出典:「ニューヨークタイムス」、二〇〇三年八月十五日号。

原注
(1) EEA(欧州環境庁)報告、No・8/二〇〇五、九ページ
(2) これらの三つのメカニズムとは、「クリーン開発メカニズム(CDM)」、「共同実施(JI)」および「排出量取引」である。
(3) 「ロシアのホットエアー」という表現は、京都議定書の規準年である一九九〇年が旧ソ連の経済的崩壊の直前であったという事実のために生じたロシアおよびウクライナに帰属する大量の排出権の余裕を指している。ダニエル・タヌロ「気候ポーカー・ゲームの新局面」http://www.europe-solidaire.org/spip.php?article1323を参照。
(4) 欧州委員会および「エコノミスト」二〇〇六年九月九日号。
(5) 地層隔離の時間的長さの推定値の幅は非常に広い。サイトの密閉が良い場所が選択された場合は、数世紀にわたる隔離も可能であると思われる。大洋への隔離は生態学的理由(酸性化)から排除されなければならない。
(6) 「補完」の概念は種々の解釈をもたらしている。アメリカの交渉担当者は、九〇%は一〇%の補完であると考えている。
(7) マドリードは欧州教室の最も悪い子である。二〇〇八〜一二年のスペインの排出量は一九九〇年レベルより三三・七%高くなる可能性がある。EUが意図していたのは一五%であった。請求額はGDPの五%に達する可能性がある。雇用主の連合であるCEOEは割当量の再交渉を要求している。
(8) http://www.eceee.org
(9) 使用するモデルによって、温度上昇は、四五〇ppmvでは一〜三・八℃、五五〇ppmvでは一・四〜四・六℃の範囲である。
(10) スターン報告、二百四十七ページ
(11) スターン報告、九十四〜九十五ページ
(12) SIPRI(ストックホルム)による数字
(13) 南に「移転」される北の五〇%の削減量は、欧州環境庁の推定に一致している。欧州環境庁によれば、EUは二〇三〇年までに排出量を四〇%削減するが、それはその半分を排出権購入の形で削減することによってのみ可能である(EEA報告、No7、十二ページ)。
(14) エネルギー部門の排出量削減に関する報告書の文言は、元シェル石油チーフ・エコノミストのデニス・アンダーソン教授によって書かれたものである。偶然であるかのように、彼は今後二〇五〇年までにこの部門の排出量を十八〜二十四Gトン削減することを主張している。
(15) スターン報告、三百二十五ページ
(16) スターン報告、三百九十五ページ
(17) WWFコミュニケ、二〇〇六年十一月九日
(18) フランス社会党は、「ニコラス・スターンが提案した経済政策の措置が市場法則に対応する手段だけに限られていないこと、また彼が租税のような制約的規制を明確に想定していることを興味を持って指摘」できると考えた(全国ビューローのコミュニケ、2006年10月31日)。

ダニエル・タヌロは環境保護主義者で、社会主義労働者党(POS/SAP、第四インターナショナル・ベルギー支部)の新聞「ラゴーシュ」のエコロジー通信員である。(「インターナショナル・ビューポイント」電子版07年4月号)



投書
小6教科書「日本の歴史」
なぜ弥生時代からなのか
                   遠山三郎

 先日、朝日新聞を読んでいて驚いたことに、現在、小学校六年生で初めて学ぶ「日本の歴史」は、弥生時代から始まっているそうである。旧文部省の一九九八年の小学校学習指導要領の改訂の結果だそうである。
 これは、日本における旧石器時代や縄文時代を子どもたちに教えないことを意味する。そして弥生時代は通常、稲作文化で日本の国家形成の始まりと言われているのを考えると、明らかに愛国心の強調など国家主義の台頭という最近の傾向が小学生から教育の場で始まっていると考えざるをえない。
 弥生文化は、紀元前三百〜五百年頃、朝鮮半島なり中国大陸から渡来した集団がもたらしたとされる。大陸では春秋・戦国時代の戦乱期の影響が日本列島に及んだものと理解される。しかし、それ以前から列島に定着していた縄文文化について、無視することは、縄文の一万二千年前からの、三内丸山遺跡やストーンサークル、真脇遺跡にみられる弥生文化とは全く異なるエネルギーに満ちた精神的な世界を全面否定することにつながらないか。
 弥生時代は、人間が人間を殺す戦争が初めて登場した時代であり、征服者が被征服者を奴隷にし、階級支配が登場し、それとともに国家が形成された時代である。
 日本人の二重構造と言われるものは、弥生の征服者が西から東に東進し、その周縁の沖縄や北海道、東北などの東日本に先住民族の縄文系の人々が今日にいたるまで、ひきついでいることを指摘したものである。日本の歴史を単に弥生文化に切り縮めるとするなら、それは戦前の高天原や神武東征といった支配者の征服活動、その結果としての大和朝廷の人民支配の正当化しか意味しなくなる。
 日本考古学協会では、文部科学省に対して、小学校六年の歴史学習に旧石器時代、縄文時代を取り扱うよう要望する決議を行ったそうである。弥生の価値観、感受性とは全く違った世界が列島の歴史にもあり、それは今も民俗や生活の中に深く浸透していることを訴えたい(朝日新聞の3月21日付記事、西谷正日本考古学協会会長の「旧石器・縄文なぜ消えた―小学校の社会科教科書、学会として復活要望」を参考にした)。

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