市民の力で江東区を変えよう
中村まさ子さんと前田かおるさんを区議会へ |
【東京東部】二月十八日、市民の力で政治を変えようと、東京・江東区で「市民の声・江東」が統一地方選スタート集会を行った。三期目の中村まさ子さんと、前回惜敗した前田かおるさんが再び区議会に挑戦する決意を述べ、駆けつけた川田龍平さんや多くの区民が二人を励ました。
政務調査費の
実態解明必要
六価クロムの安全な処理を求める住民運動をしていた中村さんが市民運動の推薦で区議に当選したのが一九九五年。以来、無所属一人会派で活動してきた。その会派名が「市民の声・江東」。中村さんは、人にやさしい政治を掲げ、環境問題や福祉・教育問題に取り組みながら、区議会に対しては開かれた議会を求めてきた。
昨年末、目黒区では政務調査費の使い方が不適切だったとして公明党区議六人全員が辞職し、品川区でも自民党区議が全額を返済した。こうした騒動を受け、東京二十三区でも政務調査費の使途を透明化する動きが加速している。目黒区や品川区で実態が明らかになったのは、政務調査費の報告書に添付された領収書の調査ができたからだ。領収書の添付を義務付けているのは二十三区中七区。大半の区では実態解明の手がかりさえない。
江東区でも議員一人あたり二百四十万円、総額一億円もの公金が支払われている。だが、領収書の添付は不要だ。中村さんは領収書の義務付けを求め、自らの報告書には自主的に添付し使途を明らかにしてきた。前田さんも政務調査費一億円の公開を求める請願を行い議会改革の実現を訴えている。
江東区議会もようやく、領収書義務化の方針を決めたものの、実施は来年度から。中村さんや前田さんは、今年度分からの領収書添付が必要と主張している。
記念講演は前宮城県知事の浅野史郎さん。浅野さんは司会者に紹介されると、壇上に飛び上り、演壇の前に立ち、気楽な雰囲気で話を始めた。
「地方を変えれば日本が変わる」と題する講演で浅野さんは「関心は改革の第一歩」「主権者は住民」「地方自治は民主主義の学校だ、まず入学してください」と語った(別掲)。
川田龍平さん
も二人を激励
前田かおるさんは、地域労組ふれあい江東ユニオンの運営委員長として、労働相談をしており、格差と不平等を拡げる政治を実感してきた。政治をあきらめないで変えるために動いてみようと、もう一度挑戦することを決めたという。「全力でたたかう、必ず勝利します」と力強く決意を述べた。
中村まさ子さんは、環境問題から議員になったが、あらゆる問題に判断を求められ「十二年間はジェットコースターに乗っているようだった」という。年四回の議会報告を欠かさず続け発行枚数は百八十万枚になった。公金に目を光らせてきたが、一人会派では議会運営からも排除されてきた。二人で区政に取り組むのが今年のテーマ。二人になれば、会派の幹事長として議会の運営にも関わることができる。そうした新しい経験も楽しみしていると静かに決意を述べた。
薬害エイズ訴訟元原告で、夏の参院選に立候補を表明している川田龍平さんは、「社会を変えるのは教育だと思い講師をしてきたが、学生たちが勉強できない現実がある」「当たり前に教育、医療、福祉が受けられるために、未来に希望がもてる社会のために、前田さん中村さんと一緒にがんばりたい」と二人を激励した。 (T)
浅野史郎さんの講演から
怒りは関心の始まり関心は改革の第一歩
東国原さんは、私もだめだと思ったが当選した。前任の知事が官製談合で逮捕され、宮崎県民は恥をかき、怒った。ああいう知事を生み出した体制から一番遠い人が輝いて見え、「どげんかせんとあかん」が共感を得た。当選の最大の要因は、「当選するはずがない」という声を乗り越えてやるという決断だ。
私もそうだったが、知事が逮捕され、県民は誇りを取り戻せるなら誰でもよかった。だけどそこに県民の思いが託された。知事になってその思いを裏切れない。そうやって出発したことがよかった。
私が東国原さんに与えた言葉は「センス・オブ・ワンダー」。宮崎県庁に入って驚きだらけだと思う。その驚きが「何とかせなあかん」という出発点になる。
選挙のありようがその知事の性格を決定づける。お金の集め方、団体の推薦など大事なことは候補者が決めることが大事。丸抱えやお任せしてしまうことは問題だ。
地方自治で大切なのは住民が活躍すること。もう一つは地方議会。もっとがんばってほしい。今、議会はチェック機関としての役割すら果たしていない。議会は唯一の立法機関だ。条例の制定権、提案権がある。弱小会派であっても提案してほしい。さらに、担当の課長と組んで予算編成にも関わってほしい。今の議会は与党バネが効き過ぎている。住民の生の声を聞いているのが議員さん、これを政策にしてほしい。
今、地方議会には良い風が吹いている。政務調査費問題など、怒りは関心の始まり、関心は改革の第一歩。怒るためには情報公開が必要だ。
今の地方議会の多くは真っ黒、男性だけ。真っ白な人や真っ赤な人も入って行けば変わる。
障がい者自立支援法は、こころざしや名前はよいが、出来は悪い。千葉県で障がい者差別撤廃条例が成立した。これからの福祉は行政だけでは無理、地域の底力がついていくことで、誰にでも住みやすくなる。
主役は納税者、有権者たる住民。裏金、財政破綻、官製談合など、無関心は付けが回ってくる。これは私達の払っている税金です。マグナカルタ第一条にも「住民の承認を得られない金は一銭たりとも国王は取ることはできない」とある。地方自治は民主主義の学校です。(講演要旨、文責編集部)
三井マリ子さんの雇い止め裁判
「男女共同参画社会」へのバックラッシュ
【大阪】大阪・豊中市の「とよなか男女共同参画推進センター:すてっぷ」の初代館長(非常勤)だった三井マリ子さんは、二〇〇四年三月末日をもって雇い止め解雇され、同年十二月十七日豊中市一色貞輝と財団法人「豊中男女共同参画推進財団」理事長高橋叡子を相手に、千二百万円の損害賠償を請求して大阪地裁に提訴した。二月二十一日、その法廷が開かれ、現館長桂容子さんの証人尋問が行われた。
三つの裁判闘
争に注目を!
一九九九年六月に成立した男女共同参画社会基本法に基づいて全国の各自治体で条例が制定され、男女共同参画を推進する流れがつくられかけるや、この流れを弱め変質させるため、保守政治家や日本会議・「つくる会」など右翼層からバックラッシュ攻撃が強まっていった。
安倍政権はこのような傾向を非常に強く持っている政権で、山谷えり子や高市早苗などはバックラッシュの急先鋒で活動している人物だ。現在、全国でバックラッシュ勢力を相手に闘われている裁判として、広島の河野美代子さん(産婦人科医・『さらば悲しみの性』の著者)がバックラッシュ側を相手に起こした裁判、東京都立七尾養護学級の性教育を理由に処分された教員たちが起こした裁判、そして三井マリ子さんの裁判などが注目される。
「すてっぷ」は二〇〇〇年十一月にオープンし、三井館長の下で男女参画推進のさまざまな活動を進めていった。豊中市の男女共同参画条例は〇三年九月市議会に上程され採択されているが、市議会議員北川(民主党系)をはじめバックラッシュ勢力(といっても市民は非常に少ないと思われる)はこの条例案に反対し、〇二年の中頃からジェンダーフリーに対する攻撃を始め、三井さんを実名で攻撃した。「すてっぷ」は、この攻撃をバックラッシュ攻撃であると正しく理解した。
市民のことなど
考えない市当局
二〇〇三年の中頃から豊中市は、「すてっぷ」は余分なことをやりすぎるという理由で、三井さんの解雇を画策し始めたようである。その手段が〇四年四月からの組織改革である。非常勤の館長職を廃止し、館長を常勤にするというものである。「三井さんは常勤は無理だと言っている」などと言いふらす一方で、当時大阪・寝屋川市に非常勤で勤務していた桂容子さんに新館長(兼事務局長)就任を要請している。
その時、「三井さんも承諾している」と嘘をついている。〇四年二月「すてっぷ」の臨時理事会は、組織改革を正式に決定し、新館長は公募せず採用選考委員会で選考することを決めた。三井さんは採用試験に臨んだが不合格だった。ある職員が市の人権文化部本郷部長に、これでは茶番だといわれても仕方がない、と言ったと伝えられている。
茶番劇を暴露した
桂現館長の証言
二月二十一日の当日は傍聴席を大幅に上回る傍聴人が集まり、裁判終了後、弁護士会館で報告会が開かれた。証人の桂さんに対する尋問は、館長ポストを三井さんから桂さんにすげ替えるために、〇四年二月九日豊中市側本郷部長が桂さんに館長就任を要請した時のいきさつを明らかにするためのものである。桂さんは本郷部長に「あなたしかいない。館長になってください」と頼まれたことをはっきりと証言し、「(選考に)落ちるとは思っていなかった」、「(選考の)手続きは形式的なことだと思った」とも証言した。桂さんは、選考委員会が(自分のことを)まじめに考えてくれたと思っていたようだ。
桂さんの証言に対して、傍聴席の最前列に陣取った選考委員の面々から、形容しがたいため息が発せられたという。桂さんは「頼まれた時期については記憶があいまいだ」と述べた。弁護士や傍聴した人たちの間では、桂さんはよく本当のことを言ってくれたが、一方で市側の選考委員の顔も立てたという評価であった。
縮小されていく
男女共同参画事業
組織強化は男女共同参画事業の強化のために行われたと言われるが、実際にはずいぶん後退しているようだ。弁護士の「男女共同参画の仕事はうまくいっていますか」との尋問に、桂さんは「違います」と答えた。財団の要項では事業の統括者は館長となっているが、実際は市の事業課長(兼事務局長)であって、館長ではないそうだ。
〇六年十二月「すてっぷ」で行われた「第三回女たちの映像祭・大阪」をボランティアとして手伝った広島県職員の人は、「すてっぷ」のミーティングルームが受験生によって占拠され、ライブラリーもあまり有効には利用されていないような感じを受けたと語った。
東京・岩国・徳島など遠方から参加した人もいて、この裁判が全国的に注目されていることが感じられた。全国的に、男女共同参画事業は縮小される傾向にあるとのことだ。イギリスからジェンダー研究のために日本に来ている研究者は、日本では男女共同参画の方向が確定し、その方向にどんどん進んでいくと思っていたが、〇〇年頃から全く反対の状況になっている、と語った。
五月末に最終準備書面が提出され、この裁判は六月十一日結審する。(T・T)
コラム
シャッター通り
「あの肉屋さん、今月いっぱいで閉店だって」。揚げ物を盛りながら連れ合いが言った。コロッケやハムカツを数十円で売り、肉は今どき経木に包んだ。スーパーとは品質が違う。この部屋に引越してから、ようやくなじみになりかけた矢先の報せだった。
路面電車の乗り場にはかつて、古びたレコード屋、定食屋、カメラ屋、不動産屋などが壁一枚を隔てて軒を連ねていた。狭く薄暗いアーケードは私鉄の改札に続き、雨でも傘をささずに乗換えができた。
迷路のように駅を取り囲む住宅密集地が、防災名目の再開発で解体されて久しい。新しい駅ビルの活況が落ちついた頃、その隣に二十八階建てのビルが建った。二階までがテナント、その上はマンションである。完成前から都心アクセスの機能性を派手に宣伝。地下鉄のホームには改札とエレベーターが増設された。「部屋とホームの直結」が売りだった。
高度成長期、隅田川の水運を利用して繁栄した工場が形成した企業城下町。区の中心部から川岸へと、放射状に続く商店街がいくつも栄えた。八百屋、魚屋、豆腐屋、雑貨屋など名字を屋号にした小売店が整然と立ち並び、地域に溶け込んで共存していた。酒屋の店先には木製の台が置かれ、仕事帰りの労働者がコップ酒を立ち飲みした。そのすぐ先、間口三間の小料理屋がいくつものれんを垂らした。それでも双方に経営が成り立つ需給のバランス、経済の循環とダイナミズムが、かつてはあった。
東京の街はいま大きく変貌している。駅前の一等地に林立するショッピングモールは、休日ともなれば若者や家族連れで賑わう。飲食店階にはグルメ番組さながらの行列ができ、フードコートは座席の奪い合いで、まるで気が休まらない。
小泉政権の下、規制緩和・格差拡大はさらに進行した。地方都市は全国展開する大資本の店舗が進出し、どこも似たような風景になった。個性豊かな地元商店街は容赦なく淘汰された。「シャッター通り」が、凋落を象徴する代名詞になった。
老舗豆腐店の母子が一月末、将来を悲観して自殺したと、商業紙が大きく報じた。閉じたシャッターの前に供えられた一輪の花。店は私が子供の頃、亡き父と通った銭湯と並んであった。風呂屋はとっくに消えた。当時どこでも必ず正面に菓子屋があり、湯上がりの子供がアイスをねだった。
今でもこの道を通るたびに、いち早く廃業した玩具屋の、錆びて朽ちかけた看板を眺めてしまう。それは私を遠い少年時代へと誘うように、しっとりと語りかけてくる。
「夫婦どちらかが身体を壊したら終わり。私の代で店をたたむしかないね」――摩天楼を背景に昨年夏、肉屋の店主もまた、寂しげにつぶやいていたという。 (隆)
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