| 寄稿 第7回世界社会フォーラムinナイロビ A かけはし2007.2.19号 |
ATTAC国際会議での報告
ドイツからの報告は、六月にハイリゲンダムで開かれるG8に対する対抗フォーラムなどの取り組み、およびEU拡大にともなう東欧・中欧へ活動をどのように展開していくのか、が中心だった。
G8に対しては、キリスト教グループなど幅広い勢力との共同行動を予定しているとのことで、「カトリック、プロテスタントを問わず、キリスト教会の中に反グローバリゼーションの勢力が存在している。ただ、G8の会場が人口密集地から遠く離れたところで、対抗デモをするにはバスで長時間かかるのが問題点である」と話していた。G8については、ATTACドイツをはじめ、多くの団体がいくつかのセミナーを準備していて、参加が呼びかけられていた。
チリの代表は、二〇〇六年に第二回チリ社会フォーラムの開催に成功したこと(第1回は、ポルトアレグレで「成功裏に開催した」と聞いたので、2004年だったと思う)、多国籍鉱山会社が賃金・税金の未払い、公害まき散らしを行っていることへの闘いを報告していた。フランスは、指導部の交代のほかに、移民労働者の闘いを紹介していた。
また、昨年十二月にスペインのカタロニアで、ヨーロッパATTACの会議が開かれ、EU拡大への対応、移民労働者の権利を守る闘い、公共サービスの防衛、ドイツG8、WTOなどの諸問題について討論されたことが報告された。日本からは、トービン税キャンペーン、五月のアジア開発銀行(ADB)京都総会に対する取り組みなどを報告した。
WSFナイロビの会場と舞台
今回のメイン会場は、市内中心部から北東に二十キロほど離れた郊外のカサラニにある「モイ国際スポーツセンター」であった。当初は、ナイロビ市内での開催が検討されていたようだが、「治安の悪さ」などの理由でこの場所に落ち着いたようだ。会場への交通アクセスは、WSF組織委の用意したオフィシャル・トランスポート(乗り合いタクシーを借り上げたもの)を利用するか、タクシーで行くかしかない。市街地を出ると、比較的整備された道路が続き、渋滞に巻き込まれなければ二十分ほどで会場に着く。
スポーツセンターの名前となっている「モイ」は、ケニヤの第二代大統領(1978年から2002年まで在職)であったダニエル・トロイティッチ・アラップ・モイの名を取ったものである。陸上の長距離選手を数多く輩出している国のメイン競技場らしく、広大な敷地の中に陸上競技場、サブグラウンド、体育館、プールなどが点在している。
事前に私が想像していたのは、この広大な会場に大小さまざまなテントが林立している姿だった。実際に行ってみると、確かにテントも立てられてはいるが、それほどの数ではない。一体どこでセミナーやワークショップをするのだろうと思っていると、陸上競技場の観客席がその舞台だった。陸上競技場の観客席を二十四あるゲートごとに仕切り、頭上にテントを張ってセミナーなどの会場にしているのだった。それぞれの観客席を通路の上下でさらに区切っているので、全部で四十八のセミナー会場ができることになる。あらかじめネット上で確認したときに「12―LOWER」とか会場名が書かれていて、これはどういうことだろうと疑問に思っていたのが、実際に競技場内に入って初めて納得できた。これ以外にも、陸上競技場内にある部屋や体育館、屋外のテントなどが使われていた。セミナーやワークショップは、全体ではおそらく一千を超える数が組織されていたと思う。ただ、これもいつものことだが、会場の変更、時間帯の変更、キャンセルなどもかなりあって、その告知が不十分なため、右往左往する参加者もいた。
そして、その陸上競技場を取り囲むようにして、参加各団体のブースが延々と並んでいる。日本からも、ピースボート(と国際法律家協会)、反差別国際運動がブースを出していた。
朝の食事と交通手段
WSF二日目(21日)をむかえて、私たち、オークウッドホテル滞在の参加者は、セミナーの開始時刻が八時半ということもあって、六時半ころから三々五々ホテルのレストランで朝食をとった。朝食は、バイキング形式で、特にケニヤ料理が並ぶというわけではなく、ごく普通のヨーロッパスタイルのものだった。このあたりは、インドやパキスタンとはだいぶ様子が違う。
このホテルに宿泊しているのは、ATTAC(首都圏、関西、京都から参加)をはじめ、AJF、ファンサバ(FAN3)(注)、レイバー・ネット、ジュビリー九州、WSF日本連絡会などのメンバーで、ほかに七月の参院選東京選挙区から立候補予定の川田龍平さんも加わっていた。
ホテルからは、タクシーのほかに、ファンサバのTさんが手配してくれた友人の車に分乗して、会場に向かった。会場に向かう道路は順調に流れていたが、逆方向の市内に向かう車線は延々と渋滞が続き、ほとんど前に進んでいない状態だった。運転しているTさんの友人(ケニヤのミュージシャンで、ホテル近くのライブハウスでも演奏していた)に聞くと、ひどいときは市内まで三時間かかることもあるという。郊外の住宅地からの交通手段は、車を持っていない大多数の労働者にとっては、バスか乗り合いタクシーになる。これでは、よほど早く家を出ないと仕事に間に合わないのではないだろうか。
郊外に出るにしたがって、やや高級そうなアパート群も見かけるようになる。道路のところどころで、仕事に向かう人たちがバスを待つ姿も見える。モイ国際スポーツセンターのゲートまでは約二十分で到着した。タクシーで一〇〇〇シリングが相場である。
(注)西アフリカの音楽や舞踊を中心とした文化交流を中心に活動している団体。HPは、
http://www5d.biglobe.ne.jp/~fan3/
債務取り消しのセミナー
この日も会場に着いた時点では、まだプログラムが入手できていなかった。どうもプールのあるあたりで配布されるらしく、プログラムを求める人が長蛇の列を作っているとのことだった。私はそちらには並ばず、とりあえず事前に確認できていた参加予定のセミナーの会場に向かうことにした。今までの経験から、少し時間をおけば、結構あっさりと入手できるだろうと思っていたからである。事実、午後に入ると本当にあっさりと、全く並ぶことなくプログラムを入手できた。
午前中は、ジュビリーサウス、CADTM、ATTACドイツ、フォーカス・オン・ザ・グローバル・サウスなどが主催する債務帳消し運動のセミナーに出席した。ただ、陸上競技場の観客席を利用しているため、会場が横に長く、しかも音響設備が不十分なため(全くないところも多かった)、スピーカーの声が聞き取りにくいのが難点だった。
午後からは、ワールド・パブリック・ファイナンスのワークショップに参加した。これは、今回のWSF参加の主要な目的の一つでもあったので、かなり気合いを入れて討論に聞き入った。ところが、やはり会場の問題で今一つ、発言が聞き取りにくいのには困った。もちろん私の英語力の問題もあるのだが。参加していたのは、フィンランドのNIGDが中心で(かつて日本で講演したことのあるミカエル・ブックも参加していた)、ポルトアレグレで旧知のATTACブラジルのアントニオがコーディネーターのようだった。このワークショップには、昨年十二月に結成されたばかりのATTACマラウィの代表が参加していた。
日本ではまだあまり知られていないだが、ワールド・パブリック・ファイナンス(WPF)はトービン税などの国際連帯税と債務帳消しなどを統合した概念で、トービン税キャンペーンをさらに発展させていく方向性を示しているものと言える。しかし、概念的にまだ固まっていないことも事実で、二十一日に引き続いて二十四日に行われた討論の中では、六月のG8対抗フォーラムの際に開く予定のセミナーまでに、今なぜWPFの概念が必要とされているのかをより鮮明に打ち出していくことが必要であることが語られた。
「イラク占領と市民社会」
この日参加したセミナーの中で、私がもっとも関心を強く持ったのは、「イラク占領と市民社会」をテーマにしたセミナーだった。正式なセミナー名は直訳すると「イラク市民社会運動をグローバル・ジャスティス運動にいかに統合するのか、グローバル・ジャスティス運動をイラク市民社会にいかに統合するのか」。このセミナーでの各スピーカーの発言を以下に紹介する。
「イラクの問題は政治的問題であり、解決は政治的解決でしかあり得ない。イラク議会のメインパワーは、四、五人に握られている。議員の家族のほとんどは海外に逃げており、ますます議会で何かを決定できるという状況ではなくなってきている」(イタリア・Ponte
Per)。
「ブッシュ政府はかつてなく孤立しているが、その力を過小評価してはならない。ブッシュの戦争エスカレーション、二万人増派に対して『戦争エスカレーション反対!』と叫ぶだけではなく、『戦争反対!米軍の撤退!』を叫ばなければならない。イラクをめぐる闘いの中で、イラク開戦前に作られていた『第二のスーパーパワー』=反戦運動の力を復活させねばならない」(アメリカ・平和と正義連合)。
「アメリカの石油メジャーがイラクの石油を支配しているが、次の契約更新をイラク人民が拒否できるような状況を作り出さなければならない。そのために、占領を終結せよ、イラク人自身が決定できるようにせよ、と要求することが決定的に重要だ。油田のあるバスラを中心とした労働組合への支援が必要である。石油問題は、イラクの独立を維持する上で、決定的な要素である」(イギリス・イラク占領フォーカス)
この日の夕方、会場からホテルへの帰途には、WSF組織委のオフィシャル・トランスポートを利用してみた。これを使うには、あらかじめ十二枚つづりのチケット(42ドル)を事前に購入せねばならず、なかなか使いづらいのだが、たまたま日本からの参加者(といっても、南アフリカに留学中の人だが)がチケットを購入していたのをわけてもらったのだ。乗ってみると、日本ではせいぜい八人乗りのワゴン車(むしろ荷物運搬用のバン)に、運転席以外に一四席も設けているので、非常に狭い。市内へ通じる道路は、帰りの方が道が荒れていて、渋滞にも巻き込まれ、結構大変ではあったが、途中で「絶対入ってはいけない」というダウンタウンを通過したので、その雰囲気だけでも感じ取れたのが唯一よかった点と言えようか。
ナイロビのレストラン事情
この日は夕食をホテル近くのライブ付きの野外レストランでとった。このレストランは、ナイロビの地元の人々で大いににぎわっていたが、WSF参加者の姿も見られた。中では、大音量のライブ音楽が流れていて、ダンスに興じている人がいるかと思うと、もう一方ではテレビのサッカー中継に夢中で、ゴールのたびに大歓声が沸き起こるという雰囲気だった。
ケニヤの人のサッカー好きは大変なものらしく、中でもイギリスのプレミア・リーグ各チームには、熱狂的なファンがついていると聞いた。特にケニア出身の選手がいると言うわけでなくても、アフリカ出身の選手が多く在籍するチームが人気らしい。
実は、このレストランの前にも、到着した日と開会セレモニーがあった日に、それぞれ別のレストランに夕食を食べに行った。到着した日は、日本人演奏家が地元のルオ族の楽器を演奏するというので、治安の悪さを警戒しつつ徒歩でレストランまで向かった。ホテルからかなり離れたケニヤ料理(?)のレストランだったのだが、到着初日ということもあり、「治安の悪さ」に対する警戒心もあって、二十人近くがぞろぞろと隊列(?)を組んで、しかもあちらこちらと探し回ったあげくにたどり着いた。
女性は向山恵理子さん(注)といい、ルオ族の村に半年近く住み込んで、「ニャティティ」という弦楽器を修業したのだという。力強い演奏と歌で、聞いている私たちも元気になれる素晴らしいライブだった。地元の人たちに混じって、日本からの参加者も何人かは音楽に合わせて踊り回っていた。彼女は三月末には日本に帰国して、各地でライブをするとのことだった。ただし、料理自体はどうかというと、私の注文したケニヤの代表的な肉料理(とメニューには書いてあった)は、牛の干し肉にスープをかけたものだったが、肉が固く、あごが疲れてしまった。主食としては、トウモロコシや粟などで作るウガリ(形状としてはナンを丸くしたようなもので、もっと柔らかく、ほとんど無味)が添えられる。
(注)向山さんについては、「アフリカ情報通信」のHPに彼女自身の書いた記事が掲載されている。
http://www.africanewsletter.com/PDF/africanewslettervol03no04.pdf
(つづく)
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