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ノ・ムヒョンが発議する改憲案の本質          かけはし2007.2.12号

新自由主義支配秩序の安定化に奉仕する方向を強める

87年憲法の政治的限界

 ノ・ムヒョン大統領は、大統領の任期を現行の5年(再選禁止)から4年(再選可)へと調整し、これを通じて大統領選挙と総選挙の日程を一致させていく改憲案を発議する、と電撃的に発表した。一部では選挙区の再編や北を未収復地域と規定している領土条項の改憲にまで踏み込むこともありうるとの展望まで出している。ノ大統領は改憲発議について、軍事独裁の時期の連任(再任)を阻む目的で改定された87年憲法の問題を、時代に合うように克服するためだ、と語った。
 大統領の言葉通り87年憲法は87年抗争(民主化大闘争)の成果であり、また軍事独裁政権との妥協の産物でもあるがゆえに、多くの問題点を抱えている。87年憲法は大統領の直選制を骨子として5年単任制とし、非常大権および国会解散権を廃止することによって大統領の権限を一定程度、縮小した。また国政監査を導入し、憲法裁判所を新設するなど、3権分立の形式的バランスを整えさせた。また幾つかの基本権についての規定も強化した。最低賃金制の実施、表現の自由の保障拡大などの措置が強化されたのだ。
 それにもかかわらず87年憲法は軍事政権時代の残りかすが、いっぱい溶け込んでいる。何よりも憲法の改定作業に、当時の6月抗争の主体たちが全く参加しなかったし、憲法改定作業がたけなわだったころ、つまり7、8、9月は労働者の大闘争が進行のまっただ中で、労働者・民衆の組織的要求や抵抗が拡大している状況だった。このために急いで憲法の改定を完成しようとした。
 こうして軍と、それにかかわる特権は維持し、国民が直接選出する機関でもない司法部(法務省)の権限を大幅に強化させておき、司法部の特権も、そのままに維持した。また南北間の軍事的対決は従前通り正当化された。何よりも労働者民衆の抗争によって表出された民衆の権利は、いくばくの施恵的措置に制限され、権力構造の問題としては前進できなかった。
 いずれにせよ不完全な憲法の問題によって、かなり前から大統領の任期、選挙日程の調整、選挙区制の改編、南北間の対峙状況の克服などにおいて、87年憲法問題についての提起があったし、これに対する改憲論議も政治圏内外で進められていた。

単語の挿入と市場権力の強化

 ほとんどすべての政治勢力が見過ごしている問題がある。87年憲法は形式的民主主義の拡張よりも経済的権力関係において、国家権力と市場権力の関係を変えておいた、という点だ。
 経済秩序に対する87年憲法の核心(憲法第9章)は、市場に対する国家の介入を減らし自由市場経済の根幹を一層、拡大することにある。部分的に所得再分配と地域の均衡発展、福利増進の内容を盛り込んでいるもの、核心は自由市場経済体制の拡大にある。
 これは憲法の条文に単語ひとつを追加することで充分だった。「大韓民国の経済秩序は個人の経済上の自由と創意を尊重することを基本とする」となっていた憲法119条1項「大韓民国の経済秩序は個人と『企業』の経済上の自由と創意を尊重することを基本とする」と修正した。つまり、企業という単語ひとつを追加することによって、企業という私的主体を経済秩序を維持する憲法的主体として認定した。
 この背景には幾つかの理由があるが、何よりもまず85年のプラザ合意以後、世界市場が拡張されるに伴い、国家の保護の下にあった財閥体制が逆に手かせ足かせとなり、国家の保護や規制が相対的に弱められた。また韓国資本主義の内的発展によって、もはや国家主義の反共・発展主義の蓄積構造が作動しない状況の中で、資本蓄積構造の必然的転換を要求していた。まさにこの部分の憲法的表現が「企業」なのだ。
 これは銀行を中心とする財閥体制を統制してきた構造を脱皮させ、市場に対する国家の介入を減らし、経済主体としての企業により多くの自由と権限とを与えたのだ、と言うことができよう。特に80年代後半期の低・好況局面に乗るとともに財閥の影響力はさらに高まり、他方では財閥中心の独占的蓄積構造も拡大していった。それに伴って資本主義世界経済体制に一層、深く踏み込んでいき、そうなればなるほど資本間の競争はますます深化するとともに、財閥の垂直的支配力を強化し、労働市場をさらに一層、柔軟化させていった。

新自由主義体制の全面化

 87年体制は形式的民主化の進展にもかかわらず、資本および軍事独裁との妥協的な体制として、社会矛盾の自由主義的解決を要求する限界を持っている。特に経済的な面においては企業を憲法的主体として格上げさせ、自由市場体制を一層、強化した。
 そういった面において87年体制は新自由主義の再編を正当化し、新自由主義改革勢力が登場するための条件を提供している。これによって1996〜97年の労働陣営のゼネストにもかかわらず、資本は97年の通貨危機を中心として韓国社会の新自由主義を本格化する。だが新自由主義の再編は元来、労働破壊的、民衆の権利破壊的属性を帯びていたので、ずっと不安定な状況に置かれていた。そのために新自由主義の再編を安定させる固有の支配体制が要求された。
 第1に、支配勢力として中道自由主義勢力による政治的支配や議会政治の活性化を必要とし、第2に危機管理の主要な形態としての自由主義的市民運動を管理のパートナーとし、第3に労働運動の社会協調的勢力と取り引きをすることによって労働圏に対する大幅な譲歩を実現していった。第4に、最小レベルの社会安定網を形成して抵抗を封鎖させていった。
 このような危機管理の体制が、まさに「新自由主義体制」であり、97年のゼネスト以降、持続された労働陣営の譲歩と敗北とによって、このような「新自由主義体制」は固定化した。結局、87年体制は97年の経済危機を筆頭として「新自由主義体制」として全面化した。
 その結果、経済は超国籍資本に完全開放され、公企業の民営化、医療・教育など公共サービスの私有化、労働の柔軟化、非正規職の大挙導入など、新自由主義政策の実施によって民衆の生存は破綻状態に追いやられるところとなった。このような状況にあって、大統領の任期や大統領選挙と総選挙の日程を調整する問題だけをめぐって改憲問題を論議するのは、不完全な87年(憲法)体制を克服していくものと見ることはできなかったばかりか、87年(憲法)体制に対する意図的歪曲、あるいは真実に目をそむけるものだ。

民主主義後退の危険性

 政治費用の効率化を目標とした選挙日程の調整問題や大統領の任期などの権力構造の再編を核心とする改憲は、現在の新自由主義支配秩序を一層安定化することを目的とする会見なのだ。これは軍事独裁と妥協することによって損なわれた人民主権を拡大する措置でないことはもちろんであり、民衆生存の危機から発生する支配体制の危機を改憲を通して安定化させていこうとする意図にほかならない。
 そのため既成の政治圏は与野を問わず改憲の時期についてのみ反対しているにすぎない。仮にも心から87年(憲法)体制を克服しようとするのであれば、形式的な権力再生産構造の調整問題が核心ではない。人民主権を拡張することと同時に、87年以降の形式的民主化が達成されたにもかかわらず広範囲に広がった社会的貧困の克服と新自由主義を踏み越えた、社会の公共性がより拡張された社会体制を憲法的に作りあげていく問題だと言えるだろう。したがって、ノ・ムヒョン大統領が提起した改憲は単に形式的であるばかりではなく、ギマンに満ちているのだ。
 憲法の改定、または制定は階級の力学関係を正確に反映する。新自由主義の分割攻勢に積極的に対応できない現在の条件の中で進められている改憲の論議は、いかなる形であれ新自由主義支配秩序の安定化に奉仕するほかはないのであり、またそのような方向へと改憲は推進されるだけだ。
 今後も選挙区制度の問題や領土条項の改憲が推進されることはあり得る。だが、これまた支配体制として新自由主義の支配構造を安定化、効率化していくうえで必要な改憲であり、領土条項もまた資本の東北アジアへの進出の要求に沿った資本の要求としてのみ提起されるにすぎないのだ。結局、労働者民衆の急進的要求と結合しない改憲は民主主義の前進ではなく、むしろ後退を経験させることとなるであろうし、したがってこのような改憲論議を中断させなければならない。(「労働者の力」第118号、07年1月19日付、ホン・ソンマン/中央執行委員)



デモや集会でマスク、帽子、マフラーの禁止法案を提出

 集会で覆面やマスクを使えないようにする内容の「集会と示威(デモ)に関する法律(集示法)改正案」の立法が推進されていることが伝えられ、人権団体が強く反発して乗り出した。
 人権運動サランバン、タサン人権センターなど諸人権団体によって構成された「人権団体連帯会議」(以下、連席会議)は最近、声明を発表し、「1987年の民衆抗争20周年となるこの年に、民主主義や人権の時計が逆周りしているのではないとかの疑念を持たざるをえない」とし、国家が先頭に立って個人の服装まで統制し処罰する、ということについて驚きを禁じえない、と指摘した。
 また連席会議は、改正案を発議した警察や国会議員のいずれもが集会やデモを犯罪と認識しているのでなければ、どうしてこのような改悪案を提供できるのだろうか、として改正案を自ら撤回することを求めた。
 この改正案は昨年10月、13人の議員らが、集会およびデモ参加者が顔に覆面またはマスクを着用して身分の確認が困難な場合、過激な暴力行為をした際に検挙や証拠収集が難しく、またこれを悪用してデモが一層過激化する傾向がある、との理由で発議したものであり、現在、国会・行政自治委員会に回されている。
 連席会議は、集示法改悪案では「マスクはもちろん、ハンカチ、帽子、サングラス、マフラー、ピケットなど」など顔をさえぎることのできるものであれば、所持しているだけでも警察は現行犯で逮捕できるようになっている、と説明した。
 また彼らは「警察や国会は、集会やデモの自由が必要悪ではなく、国家が最大限に保障しなければならない義務を持っている不可侵の人権だということを忘れ去っている」として、恣意的でアイマイな規定によって国民らの個人的所持品について介入や統制を行うというのは独裁的発想だ、と批判した。
 連席会議は、すでに現行集示法が憲法に保障された集会やデモの自由を深刻に制限している違憲的法律であり、「反人権的で違憲的な覆面禁止の集示法の改悪案に反対すると同時に、この機会に集会とデモの自由を制限している集示法の全面的な再検討を要求する」と語った。(「労働者の力」第118号、07年1月19日付)



林廣治さんを偲んで
「空の上から世直しのエールを」
「ひろば」の一読者より


 ちば・市民ひろばの林廣治さんが一月二十二日、急逝されました。突然の訃報、あまりにも早い死に大変驚いています。林さんは月刊の「ひろば」を二〇〇七年一月号で、通刊二九六号発行し続け、多様な情報発信をして来られました。ひと口に言って、二十五年近い年月をこつこつと地道に頑張って来られたと思います。
 林さんと初めてお会いしたのは、「ひろば」の発刊当初、かれこれ二十四年ぐらい前だったでしょうか?
 『ルイズ―父の貰いし名は』(松下竜一著)の著者の眼差しとルイさんの生き方にとても感動して、その読書会に参加したのが、きっかけだったと思います。渋い趣の花園公民館での読書会は毎月一冊ずつ、いろんな本をテーマに話を聞けて、私にとってはどのテーマも新鮮で勉強になったものです。
 松下作品の読書会も多数に及び、『砦に拠る』、『風成の女たち』、『狼煙を見よ』……」どれも深い洞察と愛のこもったルポルタージュでした。大柄な林さんの雰囲気とは意外にも? 松下作品の中で林さんは『潮風の町』が好きで、あのひっそりと、ほんわかと温かみのある日々の暮らしが綴られた内容がとてもお気に入りのようでした。「松下さんには中津市船場町あてで手紙を書いたら、届くよ……」と教えてもらい、心をこめて「ルイズ」への深い感銘を記した手紙を出したら、本当にすぐにサイン入りでお願いした著書を送ってくれました。その松下竜一さんもすでに亡き人です。林さんは純愛物語も好きで『伽椰子のために』(李恢成著)のレポートをしていたように思います。  
 多分野で活動する講師を招いての市民講座では多くの市民活動家たちとの交流会および勉強会の場を開催してくれました。私も「ひろば」の編集に参加しました。私の初めての三里塚は林さんたちと共に行った小泉英政さんのお宅への援農です。農業のお手伝いと言うよりも足手まといの上、夕飯とお風呂までごちそうになってしまったと記憶しています。
 林さんは面倒見のいい方でした。私は実は「ひろば」を離れて久しいのです。もちろん、ずっと「ひろば」の一読者ではあります。林さんがいろいろな場に出向き、「ひろば」を配る様子はいつも想像できました。林さんは淡々と飄々と活動を続けて来られたようです。昨年の十一月の憲法集会でお会いした時は「ひろばの購読料を……」としっかり、集金され、十二月の「たすきわたし」の時は「今日は、ぼくちゃんは?(息子のこと)」と訊ねられたのが本当に最後に交わした言葉となりました。
 集会に参加したら、またひょっこりとお会いできそうな気がしています。どうぞ、空の上から世直しのエールを送り続けてください。憲法改悪がされませんように! 心より、ご冥福をお祈りします。合掌

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