かけはし重要記事

frame01b.html

もどる

屈服する指導部と大衆的抵抗             かけはし2002.6.10号より

東ティモール独立の日

――新たな抑圧者への抗議の闘い

 【五月二十日、ディリ発】五月十九日は、東ティモールの人々にとって歴史的な移行期の画期となった。この日で国連東ティモール暫定行政機構(UNTAET)はその活動を終え、四百年余にわたる外国人による支配が終わった。

新たな抑圧者への抗議行動

 この日、東ティモールで社会的公正のための運動を続けようとする人々と、「和解」の名の下で東ティモールの新たな抑圧者(インドネシアとオーストラリアの政府)との融和に満足している人々は対照的な行動を取った。
 東ティモールの大衆運動組織とNGOは、五月十九日にオーストラリアのジョン・ハワード首相が到着するのに合わせて、オーストラリアがティモール海溝の天然ガスと石油の東ティモールによる完全な管理を阻止しようとしていることに対する抗議の声を上げた。ディリ空港で行われた記者会見の場で、オーストラリアからの二人の連帯運動活動家が抗議の横断幕を広げ、会場から排除された。
 ディリの中心部で行われた二回目の記者会見で、ハワードは東ティモールの人々五百人と、外国からの連帯運動活動家たちの抗議に迎えられた。さまざまな組織の広範な連合が、東ティモールの経済的主権を守るためのキャンペーンの第一段階として、この行動を計画した。
 この行動の参加者には、東ティモール労働組合、エウセビオ・グテレス(民主党の国会議員、東ティモール労働政策研究所の代表)、ラオ・ハムトゥク(東ティモール再建監視・開発研究所)、サヘ研究所(左派の研究機関)、ティモール社会主義労働者組織などが含まれる。
 この抗議行動は、ティモール社会党の事務所の前に集まった百二十人の人々の市内デモで始まり、多くの通行人が合流して五百人にふくれ上がった。デモで掲げられたプラカードには「ハワードは泥棒だ。ティモール海溝は東ティモールのものだ」、「東ティモールの経済的独立を守れ」などのスローガンが書かれていた。
 集会で多くの発言者はティモール海溝の問題に焦点を当てた。また、デモの主催者はアチェと西パプアの民族自決権を強調した。自由パプア運動のジョン・オンドワメ氏の発言は、参加者からの大きな拍手を受け、アチェと西パプアの「国旗」が打ち振られた。
 公式の独立記念セレモニーは五月十九日夜に、ディリ郊外のタシ・トロで開催された。会場に向かう道路は三キロにわたって国連関係者と来ひんを乗せた車以外は通行禁止となった。数万人の東ティモールの人々は、二時間をかけて会場まで歩いた。

オーストラリアとインドネシアと世銀

 外相に就任するホセ・ラモス・ホルタは、ジェームズ・ウォルフェンソン世界銀行総裁に特別の歓迎を述べ、ジョン・ハワードを「われわれの友人」として歓迎した。シャナナ・グスマオ大統領も演説の中で、ハワードと、クリントン前米大統領の勇気を特に称えた。
 インドネシアのメガワティ大統領は、グスマオとともにインドネシア人墓地(一九九一年十一月十二日にインドネシア軍によって東ティモールの人々が虐殺されたサンタクルス墓地の反対側にある)におもむいた後、遅れて式典会場に到着した。ホルタ外相は、メガワティがたおれた英雄(!)の墓に参拝していたと英語で説明した(東ティモールの一部の人々しか英語を理解できない)。
 メガワティが到着する数日前に、六隻のインドネシアの軍艦が二千人の兵士を載せて、ディリの港に入った。
 東ティモールの新政府は、多くの難問に直面している。成人の約五〇%が読み書きできない。都市の失業率は八〇%である。水道を利用できるのは人口の二〇%だけである。
 ホルタ外相は演説の中で、五月十四〜十五日に行われた東ティモール支援国会議で表明された惜しみない支援について言及した。五月十五日に東ティモール政府、国連東ティモール暫定行政機構(UNTAET)、世界銀行が共同で発表した声明によると、支援国は東ティモールの独立後、同国の開発のために三億六千万米ドルの支援を行うと約束した。しかし、これにはUNTAETの撤収後も同国に残る国連職員の法外な給料も含まれることは触れられていない。
 しかも、支援国は資金を東ティモール政府に直接に渡すことを拒否した。国連は引き続き東ティモール復興基金を管理することを拒否しているため、東ティモール政府にとっての唯一の選択は、世界銀行がこの資金を管理することに同意するということである。世界銀行は二〇〇〇年以来、世界銀行自身の東ティモール・プロジェクトのために東ティモール信託基金を管理してきたが、それと同様の方法が考えられるだろう。

「政府はなぜ憲法を無視するのか」

 「新政府は憲法違反だ」――ティモール社会党のアントニオ・ロペス議長は「グリーン・レフト」紙にこう語った。憲法によると、選挙で選ばれた大統領はすべての政党と協議し、国会の多数を占める政党に首相の任命を要請し、次に大統領と首相が共同で閣僚を指名しなければならない。しかし、政府は前もってすべての手はずを整えていたようだ。フレティリン(国会の多数派である)はすでに閣僚の指名を完了していた。彼らは今日(5月20日)、全政党の協議会を呼びかけたが、これは形式的なものであり、グスマオ大統領は一切抵抗しなかった。
 「政府はなぜ憲法を無視できたのか」という質問に対して、ロペス氏は「首相に就任したマリ・アルカティリをはじめとして、ポルトガルやモザンビークから戻ってきた人たちが、この二十五年間東ティモールで活動してきた他の政党を脇に追いやった。フレティリンの国会議員の四〇%が帰国組だ」と説明した。
 「ティモール社会党は、新政府が東ティモールの独立闘争に反対してきた政府と仲良くしようとしていることをどう考えているか」という質問に対して、彼は次のように答えた。
 「昨日(5月19日)はアルカティリとホルタが、自分たちが右翼の側にいると宣言した日だ。彼らは意図的に、新しい国歌の中の二つの文句を省いた――それは植民地主義と帝国主義に強く反対する文句だった」。(オーストラリア「グリーン・レフト」紙5月29日号より)


東ティモールNGO代表が報告

独立をかちとったいま、現地の運動と国際的支援に何が求められているのか


 五月二十五日、上智大学中央図書館会議室にて、独立したばかりの東ティモールの市民二人を招き、東ティモールの現状を共有化する集いが開かれた。主催は、アジア太平洋資料センター(PARC)、インドネシア民主化支援ネットワーク、カトリック正義と平和協議会、日本インドネシアNGOネットワーク、日本国際ボランティアセンター(JVC)、SHARE国際保健協力市民の会、東京東チモール協会、上智大学アジア文化研究所などの共催で、会場には学生含め百五十人近くがつめかけた。

初来日者がNGO代表なのは歴史的

 最初に、会場を提供した上智大学アジア文化研究所の村井吉敬さんがあいさつした。「東ティモールから市民を招待するに際し、まだパスポート発給もないので、インドネシアの日本領事館でビザ申請したところ、瀋陽事件を思わせる対応でビザ発給まで九時間もかかり、思想チェックまで厳しく行われた。しかし、新生国から初来日した東ティモールの代表が市民であり、NGO代表であることは歴史的である」。
 次に、ビデオ「世界で一番新しい国」が上映された。九九年住民投票で独立を八〇%近くの住民が選択した後、吹き荒れた放火、虐殺の傷跡が生々しく映し出された。ビデオは、インドネシア国軍と一体となった武装グループの犯罪で、東ティモール人は法の裁きを受けても、インドネシア軍隊は処罰されないことも訴えている。
 昨年まで東ティモールで活動していた蜂須賀真由美さん(JVC)が、東ティモールの歴史と問題の背景を簡単に紹介した。新憲法によれば、今年五月二十日は主権の回復の日であり、独立はポルトガル植民が終わった一九七五年十一月二十八日となっている。

2人の現地NGO活動家が報告

 続いて、東ティモールから来日したNGO代表二人が報告した。まず、トメ・シャビエル・ジェロニモさん(PARCディリ事務所マネージャー)が、自らの体験を「ポルトガルからの独立後に、インドネシア国軍の侵略で、私たちは森に逃避し地下活動を続けた。当時は、国際連帯活動も非合法下でなされたが、いまはオープンで行える。独立はゼロからのスタートにすぎないが、スーパーなどはオーストラリア企業が進出しているし、国家経済も世界銀行の支配に入った。民衆レベルの交流の必要性を考えたい」と語った。
 マヌエラ・レオン・ペレイラさん(FOKPERS:東ティモール女性連絡協議会)は、「東ティモールでは六割が女性だが、主要な役割ではこの比率となっていない」と指摘し、三点の問題を指摘した。
 第一は、父権主義。女は男より下との普遍的考えがあり、家庭内でも男子が優先。女性は、結婚資金が相手から得られることもあり、早く結婚させられる。暫定統治機構下では、男女同権の思想は普及してきたが、海外NGOのみ権限があり、彼女たちはコンピュータを使えなかった。制憲議会では八十八議席中、二十五人が女性。
 第二は、暴力の問題。インドネシア国軍支配で暴力にならされ、日常になっていた。女性は軍支配の戦略に使われ、レイプ、拷問、強制避妊もあった。公的な暴力の他、家庭内暴力もある。軍政下での暴力の犠牲者調査も行っているが、加害者がジャカルタに行ってしまい、処罰できていない。日本軍「慰安婦」支援もしているが、新生政府は、過去のことは忘れるとの対応だ。
 ペレイラさんは、「こんな対応では、九九年民兵暴力の被害についても、きちんと処罰できるのか不安だ」と語った。
 第三点は、教育の問題。識字率は三〇%。公用語の問題もあり、憲法ではティトン語(先住民語)とポルトガル語となったが、若い人はインドネシア支配が続いたためインドネシア語中心であり、ポルトガル語ができる教師も少ない。
 日本のNGOとの関係として、PARCの越田さんは、「日本との関係では、ODA、PKO、戦後補償の三つ。日本は最大の援助国でありながら、かつての侵略の後、自衛隊六百五十人が部隊で登場したのが不幸。戦後補償でも政府が国家賠償を求めないのなら、個人補償しかない。この間、パルクでは小学校を改修し、今後、机・椅子を作製していくが、国家の枠組みを超えたところの支援を模索したい」と語った。さらに、SHAREの青木さんは、東ティモールでの保健計画推進のNGO活動の苦労など指摘した。
 その後、質疑討論となり、インドネシア留学生からの独立おめでとう!とのエールもあったが、東ティモールの経済問題がひとつの焦点となった。九九年襲撃後廃墟となっていたディリの街が、今は立派な建物となり、すべて外国企業の名前となっている。NGO活動でも有名なコーヒー産業もNCBAというアメリカ企業の支配を受けている。IMFや世界銀行の支配が進行し、グローバリゼーションが進むだろう。東ティモールのNGO活動家二人は、今後について悲観的だと口をそろえた。そして、政府と世銀の共謀があるだろうが、これに対抗するのはすべての民族の課題だと締めくくった。

国民国家の壁を超えた協働のために

 私の印象的意見は、資本が多国間で進出し、IMFなど国際機関がそれを支えているのに、民衆の側は国民国家の壁に阻まれ、その枠内でしか闘えないのかということだ。幾つものNGOが、テーマ別に立派に活動してきたが、それはあくまで、東ティモールなら東ティモールというひとつの国民国家の枠内だ。どうしたら、国家レベルの悲惨さと民衆レベルの熱い支援が統合できるのだろうか。
 それは、もちろんIMFなどの国際的機関への統制(解体)とトービン税など国際的税収課税と国際的配分しかないことは、アッタクなど国際的NGO運動体が身をもって示してきたことだろうが…。一体、誰がそれをするのか。いまの国連にできるとは思えない。その意味で、私も悲観的である。
 最後に、ポルトアレグレでの第二回世界社会フォーラム、アジア反戦の集いでも、東ティモールの仲間が以上のような問題を指摘していたが、決議での東ティモールの項を参考まで引用したい。
 「国際的資本家の進出における個々の国家の共謀は、アジアにおける多くの支配体制の―しかも多くはアメリカに支えられている―非民主的エリート主義的本質を表している。長い間自由と独立のシンボルであった、新しく独立する東チモールでさえ、今や西側の支配という苦い薬を無理矢理飲まされようとしている。東チモールでは、政治的独立が経済的主権の喪失を伴わされている。それは、世界銀行やIMFがどの時期に東チモール経済を世界システムに統合すべきか指図することによる。アメリカが背後にいる過渡期体制の下、六カ月経過するときに、アフガニスタンも同様の運命に直面している」。(S)


もどる

Back