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                            かけはし2006.9.4号

ハンセン病元患者への行政対応要請の経験から思うこと

たじま よしお

元患者に面会し
リンゴを送った

 「六年間の長野県・田中県政とは何であったのか、その敗因」について、考えてみたがなかなかまとまらない。それほど注意深く見てきていないし、資料をファイルしてもいない。しかしハンセン病に関して田中知事に少々もの申してきた経緯があるので当時を振り返りながら少しまとめてみることにする。
 二〇〇一年の一月二十一日に、私の住む下伊那郡阿南町で田中知事を囲んでの車座集会がもたれた。私はその集会においてハンセン病に関する発言をしようと考えたが、その機会を得られなかった。
 そこで別紙@「ハンセン病元患者への行政の対応に関する要請」と「『定住外国人』の無年金者の救済について」の私見を記したものを担当者に手渡してきた。
 この年の五月十二日にハンセン病国賠訴訟は熊本地裁において全面勝訴した。しかし、そのままおけば、国は控訴するのは間違いなく、国会内外で綱引きがはじまった。控訴期限は五月二十五日である。「国は控訴すべきでない」という意見表明をしていただきたい旨、私は田中知事に連日FAXを送り、政策秘書室にも電話を入れた。
 ちょうどその頃は知事は県庁を留守がちであり、政策秘書室が頼みの綱であった。はじめそこへ電話をした時は「国賠訴訟」といってもなんのことだかわからないふうであったが、連日マスコミが報道していたので先方でも段々様子が飲みこめてきて「控訴期限は五月二十五日ですか。大変ですね」などの答えが返ってくるようになり、「あなたからのFAXを明朝知事さんの机の一番上に置いてあげますから」とまでなった。私の主観ではあるが政策秘書室になにか自由な雰囲気が感じられた。その時送ったFAXが別紙Aである。
 残念ながら五月二十五日までの田中知事の「国は控訴するな」の声明は間に合わなかった。報道陣の前で態度表明したのは翌月六月十三日であったが、その後彼は東京の東村山の「全余園」に収容されている長野県出身の元患者さんに会いに行っているのである。これは私の要望事項のひとつであった。それに加えて当時百万円の予算を計上して各施設に収容されている長野県出身者にリンゴを贈ったのである。
 今もなお郷里の土を踏むことのかなわない彼ら彼女らにとってそれは大きな喜びとなったであろう。田中知事は私の住む阿南町の隣の泰阜村へはよく足を運んでいたようで、お招きすれば、私の住まいへも心易く訪れてくれたであろう。

安心してつきあ
えないところも

 しかし彼は自分の感性に任せて行動する人で「行動の基軸がわからない」ゆえに安心してつき合えないところがあった。今回の選挙の敗因もそんなところにあるのかもしれない。
 しかし自分自身の反省として当初要請文にも表現しておいた「『定住外国人』の無年金の救済」についても、もっとねばり強く交渉していれば、彼は自分の感性で行動する人だけに、その救済はおそらく実現出来たのではないかと思うのである。それを妨げるものはなにもなかったし、この社会でしいたげられている人々の側にたつ勇気がなによりも必要だと思うが、自分はそれをやってこなかった。
 田中知事はかつて石原都知事のいう「外形標準型課税」の導入を主張したことがあった。そこには政治綱領が感じられない。そこへゆくと東京都議の福士敬子さんは「外形標準型課税」に独り反対しておられた。
 パフォーマンスは大いに大切であるが、反グローバリゼーションの立場に立った政治綱領もまた大切である。このようにはっきり物を言うと、自分の生き方が問われてくることになるが、私も山の中へ逃げかくれしている訳でもない。ぼつぼつやってゆきたい。

資料@
ハンセン病元患者への行政の対応に関する要請

 五年前の一九九六年の四月に「らい予防法」が廃止されました。(略)
 ハンセン病療養所は全国に一三施設ありまして、その各々には納骨堂というものがあります。かつての「らい予防法」による隔離政策によって形成された差別意識は今も根強く、各施設で亡くなった方達は郷里に帰ることもかなわず、各地の納骨堂で眠っております。
 かつて、それぞれの県には「無癩県運動」というのがありまして国の強制隔離政策に積極的に加担してきた歴史があり、ひいてはそれを無批判に受入れてきた私達一人ひとりの責任も問われていると思います。
 ここでひとつ私の提案なのですが、ハンセン病の元患者さんのとりあえず長野県出身者を県知事自ら訪問して、その心情に耳を傾ける、その事を一日も早く是非とも行動に移していただきたいのです。
「定住外国人」の無年金者の救済について
 私がハンセン病のことについて強くこだわるようになりましたのは、今から一五年程前からハンセン病療養所の在日朝鮮人・韓国人のみなさんと日常的に交流をもつようになったからです。そしてそんな中で、もう一つの重大な問題に気づかされました。
 それは、一九八二年の一月一日時点で二〇歳を越えていた「在日朝鮮・韓国人障害者」には障害福祉年金は支給されない。そして、一九八六年四月一日時点で六〇歳を越えていた「在日朝鮮・韓国人」には老齢福祉年金が支給されていないということです。あまりにも政府の対応がひどすぎるということで、自治体が独自に救済措置を講じる所が近年ふえつづけています。
 無年金の高齢者は七五歳を越え、その救済は一日も先へ延ばすことは許されません。障害福祉年金から排除されている障害者の生活も一層深刻なものがあります。
 人間としてぎりぎりの生存権の問題であり、是非とも救済措置をとっていただきたく要請いたします。
 二〇〇一年一月二一日
(01年1月20日、阿南町車座集会の時提出した田中知事への要請文)


資料A
ハンセン病国賠訴訟に関する要請書

 私は今年の一月二一日に、下伊那郡阿南町で開かれた知事を囲んでの「車座集会」に出席した者です。この集会で私はハンセン病に関する要請をしたいとかんがえ、草稿を用意して臨みましたが、残念ながら発言の機会は得られませんでした。それで担当者に、別紙添付の要請文を手渡して参りました。
 すでに御承知のことと思いますが、ハンセン病国賠訴訟は熊本地裁において、五月十一日原告側の全面勝訴となりました。この判決は、我が国のハンセン病政策の誤りと、人権蹂躙の実態を正しく把握し、「らい予防法」とその政策が憲法に違反している事を指摘しています。そして加害行為が法廃止まで継続している事から、除斥期間が適用されないことを明言している点でも、画期的な判決だと思います。
 元患者さん達の平均年齢は七四歳を超えています。一刻も早い全面解決が求められます。その為にも被告国は控訴せず、本判決に服すべきです。解決の引き延ばしは、原告らから司法救済を受ける権利さえ奪う、新たな国家犯罪につながります。
 控訴期限は五月二五日です。判決は国会の責任も認定していますから控訴をするか否かは当然国会の意見も聞くべきです。現在超党派による議員懇談会が結成され、百名を超す議員が参加し、解決にむけて活発に運動を展開しております。
 またこの裁判は、判決以前からマスコミが特集を組むなどして大きく報道され、しかも各新聞の社説では被告国は控訴すべきでないと、論じているのです。
 別紙の要請文でも述べましたが、かつてそれぞれの県には「無癩県運動」というものがあって、野犬狩りにひとしい酷いこともあったと、聞き及んでおります。貴職におかれましては行政の長としてのお立場から、この裁判を重く受け止められ、国に対して控訴しないよう、なんらかの形で意志表示して頂きたく要請いたします。尚、参考資料を多数同封致したく思いますが、その精査はあまりにも労が多いと考え、直接お目にかかりご説明いたしたく、霞ヶ関での動きは二一日が山場という事ですので、早急に面談出来ますよう、お取り計らいの程よろしくお願い申しあげます。
 二〇〇一年五月
 ハンセン病国賠訴訟を支援する会 たじま よしお
 (01年5月20日、田中知事へFAXを送った要請文)



コラム

定年退職後の子育て


 我が家で今年の5月から親戚の幼児を週3日間(原則的に月、木、金曜日)預かることになった。私の子どもたちの場合や、孫たちが幼児の時は私も働いており1日中関わる経験はなかったが、今回はほとんど幼児と関わっている。
 朝7時ごろ迎えに出向き、夕方6時過ぎに送り届ける。これは私の役目である。ミルクを飲ましたりオムツを取替えたりは主に連れ合いが行うがオシッコだけの場合は私も行う(ウンチの場合は私の手際が悪いため取替えをさせられないのが実情)。抱っこして寝かしつけたりするのはそれぞれが疲れすぎないように交代で行ってきた。
 生後2カ月から預かり始めた幼児は今5カ月目となり「眠る」「飲む」の繰り返しから、「飲む」は定期的であるが「眠る」は不規則になり、「泣き」「遊ぶ」が混じり始めたこの頃であるようだ。眠りから覚めて布団の上で寝返りしたり、与えられた玩具を舐めたり、放ったりして遊ぶ、それに飽きると抱っこを要求する、知らん振りをすると大声で泣き出し要求を貫徹する。このようにして抱っこさせ、さらにミルクを飲みたくなればまた大声で泣き、次の要求を伝える。眠りたい場合は泣くというより「怒る」ように感じられる。
 具体的にどのような行為かと問われると答えようがないが、抱っこしている当事者の体感として眠り(おんぶ)を要求していることが分かる。おんぶすると10分も経たないうちに「眠る」。誰が教えるでもないのにこのような「要求」の仕方を変えてくるのは幼児の体格、知覚の発達がそうさせるのだろうか。
 つい先日のことだが送り届ける際、自宅を出発してすぐ大きな泣き声を上げ、届け先まで泣きっぱなしであった、車を止めチャイルドシートを止めておいたシートベルトを外すと泣き止み、その後は大声で泣いたことなど忘れたように家族に笑顔を振りまいていた。
 これまでは送迎の際、朝に泣くことは一度もなく、帰りの場合遅くなって樹木の茂みなどで暗くなっている場所などで騒ぐ時があったが、声をかければすぐに落ち着いていた。大泣きした日は帰りが遅くなり薄暗い状態であったが、そのためかどうかは判らない。
 この子は4人姉妹の4女で、姉たちは保育所に行っている。そのためか病気をもらって帰ってくる姉がいれば他の姉妹に感染する、幼児だからといってこの子に感染しないわけではない。感染すれば私たちも医院や病院に連れて行くことになるし、現に何回か連れて行っている。未就学児童は市から医療費の助成を受け自己負担なしで受診できる。しかも医療機関が直接市に請求するので窓口負担は医療費に含まない薬びん代などだけであり、小銭入れを持っていけばよいなど保育者にも負担が少なくなっていると感じた。
 週3日、1日12時間未満の子育て手伝いゆえか、幼児の来ない日はなんとなく寂しいような気もするし、2日過ぎて会うと何故か大きくなったようにも見受ける時もある。この子たちの時代は平和で格差の少ない世代であるようにするのが現代の自分の任務だろう。
(高)


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