| 8・6広島――8・9長崎 かけはし2006.9.4号 |
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被爆61年・体験を継承し戦争のない世界を実現しよう |
米軍岩国基地バスツアー
基地沖合移転埋め立て工事現場で説明会
「8・6ヒロシマ平和へのつどい06」の一環として、八月五日、米軍岩国基地バスツアーが取り組まれた。参加者は東京、神奈川、関西などを含めて満杯になり乗れない人もでた。今年の岩国の取り組みは、ピースリンク広島・呉・岩国代表の湯浅一郎さんが説明役として同乗し、広島から岩国への途上で岩国基地や米軍再編について説明した。
岩国市役所からは、市職労の岡原書記長が同乗し、説明していただいた。現在の滑走路増設の契機は六八年の九州大学への板付基地のファントムの墜落だった。岩国基地の滑走路の真正面には化学コンビナートがありきわめて危険だとの理由で九七年に「沖合移転工事」が始まった。ところがこれは口実にすぎなかった。実際拡張が最終局面に入った今では、米軍再編報告では、厚木の空母艦載機の移駐が盛り込まれた。岩国市民は、「移駐の賛否を問う住民投票では八七%(全有資格者の52%)が反対に投票し、つづく市長選挙でも移駐の白紙撤回を掲げる井原市長が再選された。
それでも政府は、住民登場、市長選挙の結果を無視して基地の拡張と艦載機の移駐、普天間基地からの宮中給油機の移駐を強行しようとしている。さらに、逼迫する市財政が、基地への依存の強化に拍車をかけ、民間空港との共用などの案も出ている。「自治労・市職労としてはあくまでも『縮小・撤去』で闘っていく」と岡原書記長は決意を述べた。
拡張工事現場のすぐ近くで行われた説明会では、新しく作られた「住民投票の成果を活かす岩国市民の会」の今井さんが、「いらないものはいらないといえる社会を作りたい」と訴えた。また、相模原の監視団の沢田さんは、「相模原から岩国への移転というが、整備工場や大島、渋川の訓練基地も残っている。私たちは岩国市民に押しつける気持ちなど毛頭ない。米本国に持ち帰れ」と語った。ピースデポ理事の田巻一彦さんは「横須賀の原子力空母配備と岩国の埋め立て、深さ十三メートル以上の軍港の併設は一体のものだ。空母の配備は止められる」と報告した。 (H)
ヒロシマ平和へのつどい
核時代の戦争にどのように立ち向かうか
今年の、8・6広島集会は、「ヒロシマ・ナガサキからイラクまで……。核時代の戦争に抗して」と題して八月五日にもたれた。会場のYMCAコンベンションホールには満杯の二百人が詰めかけた。
はじめに沖縄のまよなかしんやさんの歌があり、つづいて、地元ヒロシマからは、被爆二世でもある原発はごめんだヒロシマ市民の会代表の木原省治さん、ナガサキからは長崎ピースウィーク実行委員会の舟越耿一さんが発言した。木原さんは、「原爆症認定集団訴訟の判決は当然のことだ。『過ちはくり返しません』とよくいわれるが、『過ちはくり返させません』というべきだ」と闘いの必要性を訴えた。舟越さんは、国民保護計画では、核攻撃が前提となっていることに注意を喚起し、長崎市の平和資料館が原爆の語り部に「天皇・靖国・劣化ウラン」などでの発言の抑制を求めたことを撤回させたことを報告した。
ベトナム、ヨルダン、シチリア島、米国、ジャマイカなどを回り、神戸に上陸してからは広島まで歩いてきたピースボートのピースウォーク隊のあと発言した「原爆投下を裁く国際民衆法廷・広島実行委員会」事務局長で弁護士の足立さんは、法廷がトルーマン大統領らを有罪にしたのは、アメリカ政府・軍部のそれまで空襲の被害を受けていない都市をねらう(その人体、建物などへの影響を正確に計るため)など事前の計画性によることなどを報告した。
原爆症認定集団訴訟の弁護士の小賀坂さんは、認定の基準を爆心地からの距離で判定したことが非科学的で不合理だったと指摘し、四十人全員の勝訴に対する政府の控訴を許さない闘いを訴えた。在ブラジル原爆被爆者協会理事の渡辺淳子さんは、現在の会員は二百四十一人だが、高齢化がすすみ亡くなっていく人も多い中、現住地で医療を受けることの重要性を訴えた。
イラクのカジャック・ヴァルタニアンさん、イタリアのステファニ・ディベルティートさんは劣化ウラン弾の放射能による健康被害を認めようとしない米政府・軍部を強く批判した。
ピース・デポ代表の梅林宏道さんは、「米軍再編と九条改憲を市民はどう打ち返していくか」と題して話しをした。その中で、梅林さんは、米軍再編=基地問題ととらえるのは一面的で狭いと指摘し、対テロ戦争と称するアメリカの新しい世界戦略を問題にすべきだと訴えた。さらにそこでは、米軍再編は旧来の日米安保とすら矛盾・対立していると指摘した。
特別報告に立った岩国市議の田村順玄さんは、艦載機移駐を問う住民投票につづいて、市長選挙でも移駐反対を掲げる井原氏が当選したが、政府は市庁舎改築の補助金を凍結するなど圧力をかけていること、また知事が軍民共用空港案などを持ち出していることを報告した。また、性教育に取り組み、新しい教科書をつくる会と組んだPTAからバッシングを受け、自ら提訴して闘っている河野美代子さんがアピール。
まとめは、つどいの代表の湯浅一郎さんが行い「岩国の結果に励まされている。厳しい状況高、闘いには希望もある」と発言した。そのあと、翌六日の式典参加者に配布する「市民による平和宣言2006」を採択したが、会場から「『沖縄・神奈川の負担軽減の矛先がすべて岩国に向けられている』という表現は正確でない、神奈川では負担軽減とは考えていない」との指摘がなされ、指摘の意図は確認された。 (H)
グラウンド・ゼロのつどい
爆心地でのダイインとピースウォーク
被爆・敗戦から六十年を経たということは、一世代のサイクルが回ったということであり、長崎市平和宣言にあるように再出発を確認した年であった。被爆した当時の子どもたちは、今は老いて、ますます他界されていく。反動化している広島県教育委員会に対して、広島市教育委員会は、八月六日の登校を奨励した。多くの学校が登校日にした。大変よいことである。しかし、現場の多くの教師にそれを活かす力量がない。平和教育の経験が断絶しているのである。
朝七時から、原爆ドーム前と平和公園各所で「市民による平和宣言2006」「9条新聞意見広告」ビラ配布行動をしてから、原爆投下時刻の八時十五分、ダイインを行う。渡辺朝香さんの歌、「世界の命=広島の心」の独唱を聞きながら。八時半、グラウンド・ゼロのつどいが開催された。主催者挨拶を湯浅一郎さんが行い、生活クラブ生協神奈川子どもツアー、ピースボート五十三回クルーズ・ピースウォーク隊、ピースサイクル全国ネット、舟越耿一さん(長崎ピースウィーク2006実行委員会)、梶野宏さん(反安保実行委員会)、古橋雅夫さん(関西共同行動)、竹林伸幸さん、田中利幸さん(原爆投下を裁く国際民衆法廷・広島)が発言した。
その後、ピースウォークが二百人で出発。「イスラエル軍はレバノン攻撃をやめよ!多国籍軍はイラクから撤退せよ! 航空自衛隊はイラクから撤退せよ! アメリカ政府は原爆投下を謝罪せよ! 日本政府は米軍再編に協力するな! 小泉首相の靖国参拝反対! 天皇の責任を追及するぞ! 国民投票法案反対! 六ヶ所村の再処理工場の運転をやめよ!」と元気なコールが続いた。中国電力本店前に到着し、反原発座り込みに入り、各地から発言を受けた。翌七日には、クルージングの「海から見る! 戦争遺跡と軍事施設」が百五十人で行われた。(K)
被爆体験を語り継ぐ会
在韓被爆者が援護制度の差別性告発
八月八日夜、長崎市の教育文化会館で、第二十回ピースウィーク2006 in Nagasaki の一環として「被爆体験を語り継ぐ会」がもたれ約五十人が参加した。集会には「ジュンとネネ」の早苗ネネさんが友情出演し、「愛するってこわい」を歌い、自ら作った「サヨナラ戦争」を参加者も交えて歌った。
被爆体験を語ったのは、韓国人被爆者教会のピョン・ヨンオクさんだった。ピョンさんは国民学校四年生のとき広島で被爆した。被爆後韓国に帰国し、そのあと体に斑点ができて医者にいったが、医者は、強い光線によるショックだろうとだけいった。弟が被爆のことについて話したところ、大きい病院に行けといい、被爆者協会があることを教えてくれた。その後、炭鉱労働者の組合が日本に来て治療するよう働きかけてくれたが、当初日本政府はビザを出さないなど妨害した。被爆者と認定されるためには二人の証明が必要だが、広島を離れて韓国に住んでいるピョンさんにとっては至難のことだった。ピョンさんは幸運にも二人の証明してくれる人を見つけることができた。当時は、経済的にも苦しく、日韓間の為替レートもあり日本に来ることは至難の業だったが、炭鉱の労働組合、市民運動のカンパなどで何とか日本に来て治療を受けることができた。
「日本は嫌いだが、日本人は好きだ」と話しを締めくくった。
このあと、韓国被爆者協会のカクさんが、二〇〇三年から被爆者には健康手当が出るようになったが、韓国にはまだ三百人の被爆者が、証明してくれる人がいないので手帳をもらえていないと制度の不当性を訴えた。さらに、日本人被爆者と韓国人被爆者の間に不当な差別があることも強く指摘した。集会には在韓の被爆者二世、三世も参加し、父親、祖父の意を受け継いでがんばると発言した。
集会には、地元長崎や神奈川の高校生も参加し反核運動、被爆者援護の取り組みなどについて発言した。(H)
ピースウィーク06集会
戦争前夜の時代に対峙する運動を!
八月九日、早朝、朝鮮人被爆者慰霊の碑前での集会では、「被爆者健康手帳の交付について在外申請を認めること」「ドイツにならって抜本的な『戦後保障法』を早急に制定すること」「『日朝平壌宣言』に基づき、速やかに国交を樹立すること」の三点を訴えるメッセージが確認され、一人一人が献花した。
そのあと、中心地公園で、ピースウィーク2006市民平和集会がもたれた。今年で二十回目になる。今年の集会はこれまでの集会と違って、市当局が事前に規制を強めてきた。「マイクを使うな」「横断幕を広げるな」などなどだ。これは、市や平和資料館が、原爆の語り部に政治的発言の自制を求めてきた(後に語り部やピースウィークなどの抗議によって、撤回されたが)ことに通じる。反核・反原爆の自発的運動に対する敵意と規制、慰霊行動の管制化がもくろまれている。もちろん集会実行委員会はこれを拒否し、例年通り、粛々と集会を進めた。マイクも、横断幕も使って。
最初に、実行委員会の舟越耿一さんが、教育基本法改悪や共謀罪の新設、さらにこの集会に対する規制の強化などにふれ、「平和な日常が足下から崩される感じがする」「自分がいるところで異議申し立てを」と闘いを訴えた。 自転車で、各地から駆けつけたピースサイクルのメンバーは、小さな町でこつこつとがんばっている平和運動に出会って勇気づけられたと報告した。また、あるところでは、この厳しい情勢に自転車で走っているだけで何か役に立つのかと質問されたことを報告し、「真剣に受け止め答えを見つけていく」と語った。広島からは「ヒロシマ平和のつどい2006」の久野さん、弁護士の足立さんが岩国での闘いなどについて報告した。
今年も、星座保育園の園児たちの「青い空」の歌があり、西宮の竹林さん、福岡県教組直鞍支部、本嶋元長崎市長などが発言した。本島さんは「一人一人に戦争責任はある」と参加者一人一人に闘いへの自覚を促した。
集会の途中では、被爆時間の十一時二分に黙祷を捧げ、集会の最後には星座保育園の園児を含めて慰霊碑を取り囲む人間の鎖を行った。
集会で採択された「長崎市民平和宣言」には、「二度と過ちをくり返すことがないように、核と戦争のない恒久的な平和を希求する姿勢を改めて強固なものにし、その立場から、到来した『戦争前夜』の時代と対峙しなければならない」と述べている。 (H)
【訂正とおわぴ】本紙6月5日号の「水俣病―新たな50年のために」の記事に誤りがありました。本文3段目10行目「チッソの社員も同じ人間」を「チッソの社員も人間。自分も同じ人間として」に、5段目川本ミヤ子さんの発言で「一年七カ月座り込みをやり」を「夫は一年七カ月座り込みをやり」に、杉本さんの発言で「行政は患者を敵対的に向かわせた」を「行政の患者無視が患者を運動に向かわせた」に、9段目の中原八重子さんの発言の「両親は一九九六年に和解した」を削除、「いまは子ども二人で」を「いまは子どもと二人で」に訂正し、発言なさった患者の方々、講演会を主催した水俣フォーラム、および読者の方におわび致します。
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