| 11月県知事選の勝利をバネに「米軍再編」プランを阻もう |
いわゆる「米軍再編」は沖縄の「基地負担軽減」を口実に進められている。しかしそれは辺野古沿岸への新基地建設をはじめとする基地強化にすぎない。いま現地での攻防と共に11月の県知事選が大きな焦点になっている。野党の統一候補・糸数慶子さん(現参院議員)の必勝めざして、「本土」からも支援を。
名護市教育委員会と那覇防衛施設局職員は九月十四日、キャンプシュワブへの「文化財調査」を強行しようとし、移設に反対する住民に阻止された。十五日には沖縄県警機動隊が、これまでの「普天間移設」をめぐる攻防において初めて導入され、住民を排除する暴挙の末、その調査は開始されたのである。
この「文化財調査」は、一月に米側が始めるよう要求しているシュワブ内兵舎移転工事開始の露払いである。兵舎移転工事は地すべり的に沿岸滑走路建設着工につながる可能性が強い。「着実な実施」を合言葉に、「文化財」というオブラートにくるんで世論の抵抗を減らそうとする日本政府のやり方に断固、抗議の圧力をかけていこう。
県知事選野党統
一候補の擁立へ
日米政府は十一月の県知事選を前に少しでも既成事実を作っておきたいと考えている。九月中旬の時点で野党統一候補の擁立は社大党などが推す糸数慶子参院議員、社民党などが推す山内徳信氏、『そうぞう』などが推す下地幹朗氏との間で困難を極めているが、簡単に分裂選挙になっていたこれまでとは様相が違う。一方、稲嶺知事の後継には元通産省で沖縄電力グループ会長などを勤める仲井真弘多氏が決まり、着々と選挙準備をすすめている。一つだけ言えることは、本土の運動の強まりも含め「工事着工」をどれだけ阻み、基地問題をどれだけ争点化するか、で野党候補の勝利の道は開ける、ということだ。(編集部:9月17日の段階で、野党は糸数慶子参院議員擁立で基本的に合意)
九月十日には統一地方選の一環として名護市議選もおこなわれた。二〇〇五年市長選以後、辺野古新基地への民意を示す重要な選挙だった。命を守る会が中心となった阻止行動に参加した五候補の内、具志堅徹さん、大城敬人さんなど三員の現職議員が当選し、瀬嵩・ジュゴンの里から立候補した東恩納琢磨さんは一票差で次点となった。以前市長選に立候補した宮城康博さんも落選した。与党は定数二十七のうち、十六議席を再度保持したが、島袋市長の基地建設推進路線を名護市民が容認した、という見方はあたらないだろう。与党・推進派は選挙のときに限り、基地建設を争点からはずし続けた結果として何とか現状を維持したにすぎないのである。
沖縄と連帯する
「本土」の闘いを
稲嶺沖縄県知事は当初の辺野古沖ではなく、辺野古沿岸に滑走路を作る案に「難色を示して」いるが、これもゆがんだかたちではあるが、阻止闘争が県民に広範に支持されたことの成果である。この情勢で、沖縄県政などが辺野古新基地建設の阻害要因にならないよう、八月二十九日に協議会の初会合を開いている。
以前にも普天間移設代替施設協議会が(2000年8月から2002年7月まで全9回)首相官邸で開かれたが、これは振興策を用いたどう喝の場であって、基地建設着工の実効性を担保しない。二十九日の会合でも沖縄県、北部市町村の首長などは「地元の円滑な協力を求める」防衛庁案に反対し、いったん不参加を表明しながら、遅れて参加するという一幕もあった。
日本政府が「振興策」をちらつかせて沖縄の担当者を呼びつけるという形式に明らかに破綻が生じている。基地建設と振興策をリンクさせる、という発想の矛盾を追及しなければならない。
八月二十三日には、衆院沖縄・北方特別委の国会議員九人との面談の席で、在沖海兵隊基地司令官のジョセフ・メディナ准将が「二〇一四年から二〇一六年の間に垂直離発着機MV22オスプレイを沖縄に配備する」と発言したという。また、「(辺野古沿岸の)千八百メートルの滑走路はC130輸送ヘリや、オスプレイのために必要な長さだ」とも言ったともいう。
MV22オスプレイは二〇〇〇年四月、十二月の事故で二十三人の死者を出して、長い飛行停止の時期を経て、現在恐る恐る実験を繰り返している機種だ。危険なものを真っ先に沖縄に押し付けるという案が、実態を隠して「基地負担軽減」として華々しく宣伝されることを許すとき、日米軍の機能強化、憲法改悪への流れは止まることをしらなくなるだろう。阻止する行動に連帯していこう。
(海田 昇)
大江・岩波沖縄戦裁判
「自決命令はなかった」の主張にするどく反論
【大阪】九月一日、大江・岩波沖縄戦裁判の第四回(実質第5回)公判が大阪地裁大法廷で開かれた。傍聴券を求めていつも多く人が並ぶが、今回も同じだった。支援連絡会事務局の報告では、傍聴者のうち原告側(大江さんたちを訴えている側)の傍聴者数は前回よりもさらに少なかったとのことである。
この裁判の原告は梅沢裕氏(元座間味島の第1戦隊長・元少佐)と赤松秀一氏(元渡嘉敷島の第三戦隊長で元大尉であった赤松嘉次の弟)で、彼らが軍の自決命令はなかったとして、大江健三郎さん・岩波書店を訴えている裁判である。この訴訟の背後には、真の当事者である新しい歴史教科書をつくる会がいる。軍命令による「集団自決」はなかったとすることによって、日本軍による住民虐殺の事実を抹殺し、沖縄戦の事実を歪め、日本軍の残虐性を「捏造されたウソ」にして、「軍隊は住民を守らない」という認識からの転換をねらうものである。
原告が問題とした岩浪書店発行の『太平洋戦争』(家永三郎著)、『沖縄問題20年』(中野良夫・新崎盛暉著)、『沖縄ノート』(大江健三郎著)の三冊のうち、『沖縄問題20年』(中野・新崎著)は、時効が成立しているとして取り下げられた。
集団強制死(「集団自決」は軍人用語であり、日本軍を免責するので、集団強制死とする)は、四月一日米軍が沖縄本島に上陸する前の三月二十五日から二十八日にかけて起きた。
根拠がうすい
原告側の主張
原告は、部隊長の自決命令はあったかなかったかだけに焦点を当てて主張を展開している。自決命令があったとする座間味村の『座間味戦記』は、援護法の適用を求めるためやむを得ずねつ造されたウソであり、それは宮城晴美の『母の遺したもの』と宮平幸延の『詫び状』により明らかだと原告は主張する。また渡嘉敷島の場合の原告の主張の根拠は『集団自決を追って』(星雅彦)と『ある神話の背景』(曾野綾子著)である。
援護法が沖縄に適用されたのは一九五三年三月のことで、現地取材に基づいて書かれ、一九四九年八月に出版された『鉄の暴風』(沖縄タイムス社)では、座間味島では、原告梅沢の自決命令により「集団自決」が行われたとの村民の証言がある。
また米軍が三月二十七日に上陸した渡嘉敷島では、米軍の艦砲射撃や迫撃砲が打ち込まれる中で、隊長の自決命令は兵事主任から村の指導者を通じて伝えられ、防衛隊員が手榴弾を持ち込み「集団自決」が行われた。被告準備書面(3)では、原告の主張や原告が根拠としている上記の資料に対する具体的な反論が展開されている。
当時日本軍は、秘密保持のため住民が村外に避難することを許さず、米軍が上陸した場合には住民とともに玉砕する方針を宣言し、住民に対し米軍の捕虜となることを禁じ、米軍の捕虜となった場合には女は強かんされ、男は八つ裂きにされて殺されると脅し、いざというときには自決するように言い渡していた。軍の関与なしに、自発的に親兄弟子どもを殺し合う自決がおこなわれたのでは決してない。
ところが、住民の「集団自決」やスパイ容疑での処刑とは反対に、いずれの島でも日本軍は最後は全員投降した。原告梅沢は壕に女性と隠れているところを米軍に逮捕されたと言われている。
『鉄の暴風』を発行した沖縄タイムス社の牧志氏が、一九八六年に神戸新聞に「梅沢命令説などについては調査不足があったようだ」との談話を発表したことで、原告梅沢から訂正・謝罪を要求された沖縄タイムス社は、一九八八年に座間味村村長に梅沢部隊の玉砕命令に関する村当局としての公式見解について照会した。その結果は、部隊命令・軍命令があったというものであった。
また、宮平幸延氏の詫び状は、酩酊状態で梅沢氏に強要され捺印したものであるとの回答があった。その後、梅沢は沖縄タイムス社とのやりとりの末、「座間味村に対し見解の撤回を求めることはしません。もう私はこの問題に関しては一切やめます。」と述べている。
「集団自決」の
本質とは何か
公判の日の夕刻から、支援連絡会の学習会が開かれた。始めにあいさつした世話人の菱木政晴さんは、相手の土俵にのらない主張をしようと述べ、経過報告を事務局長の小牧薫さんが行った。岩浪書店の担当者として岡本厚さん(「世界」編集長)があいさつし、「生きるべきであった村民たちがたくさん死んで、特攻隊の梅沢さんや赤松さんたちは死ななかった。梅沢さんは、多くの人々の死に責任がないというのだろうか。パロマの社長だって謝っているのに。おそらく彼らは利用されているだけだ。その背後にいる新しい歴史教科書をつくる会は許せない。」と語った。
近藤弁護士は、「軍命令はあったことを立証するが、それがあったかなかったという狭い視点ではなく、『集団自決』があったことの本質を主張し、狭い視点で判決が下ることのないように努力したい」と述べ、原告の弁論は前回言っていたよりお粗末なものであったと述べた。弁護士の説明では、名誉を傷つけられたとして訴えている元隊長梅沢は健在だから、軍命令はなかったという立証は被告の責任となり、一方元隊長赤松は死亡しているから、遺族としての敬愛追慕の情を侵害されたいう立証は原告の責任となる、これが裁判のやり方であるとの説明であった。
この後、沖縄平和ネットワークと松代大本営保存をすすめる会から連帯のアピールがあり、続いて安仁屋政昭さん(沖縄国際大名誉教授)が「合囲地境における『集団死』」というテーマで講演をおこなった。
「合囲地境」では
軍司令官に全権限
聞きなれない「合囲地境」という言葉は、軍制学教程(陸軍士官学校教科書)に出てくる。「合囲地境」とは、敵の包囲や攻撃にさらされている地域のことで、ここでは民政はなくすべての権限は現地の司令官にまかされるというものである。自決とは自発的に死ぬという意味だが、「集団自決」は自決ではなく、軍命によるものだった。かつて、家永訴訟の家永先生は文部省に「集団自決」と書くように言われ拒否した。それは、「集団自決」が軍の強要・誘導によるものであったからだ。その後、「集団自決」という言葉が一人歩きしてしまったが、言葉はどうでもいい。その中味は軍の強要・誘導によるものであると言うことだ。「集団自決」と言わず、玉砕と言ったりするが同じことだ。
自決以外では、スパイ容疑での皇軍による虐殺もたくさんあった。すべては、天皇の軍隊・皇軍と民衆の問題だ。皇軍は国体護持をすべてに優先した。ポツダム宣言を受託させたのは、広島・長崎の原爆投下だったと言われているが、そうではなく八月九日のソ連軍の参戦だった。それで同日深夜、国体護持を条件に宣言を受託することで交渉に入ることが決定されたのだった。講演はおおむね以上の内容であった。
この後若干の質疑応答があった。次回公判は11月10日。 (T・T)
【訂正】本紙前々号(9月11日号)3面「防災訓練記事4段14行〜15行「来年春には実働訓練が行われる」を「来年三月末までに実働訓練計画が策定される」に、同5段18〜19行「国民保護反対墨田連絡会」を「国民保護条例を考えるすみだ連絡会」に、同3面「野宿労働者」記事1段1行「八月三日に続き」を「八月九日に続き」に、4行目「今回は三日に」を「今回は九日に」に、2段目17行〜18行目「本誌前号参照」を「本紙前々号参照」に訂正します。前号(9月18日号)4面「ミーダーン」結成集会記事、栗田禎子さんの講演要旨1段1〜2行「ノバノン侵攻」を「レバノン侵攻」に訂正します。
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