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ロシアで初めて開催されたG8              かけはし2006.8.7号

中東問題でもエネルギー問題でも対応策を失った「主要国」


厳戒態勢下で反対派の行動


 七月十五日から十七日までロシア・サンクトペテルブルグでG8(「主要国」首脳会談)が開催された。
 今回のサミットは、ロシアで初めて開催され、プーチンが主催するという事情によって、労働者国家解体後のロシアが米国を中心とする「西側」体制にどのように統合されるのか、あるいはどのように撹乱的要因となるのかが一つの潜在的な焦点だった。
 実際、首脳会談開催前から米国政府がロシアの「民主主義の不在」を批判し、ロシア政府がそれに反発するという応酬があり、また、ロシアのWTO加盟をめぐって米露首脳会談が行われた(米国はロシアの農産物輸入規制、銀行・保険市場へのアクセス、知的財産権保護のための法律上の措置等について改善を要求している)。首脳会談においても、ロシアはエネルギー問題を中心議題の一つに設定し、世界経済におけるロシアの重要性をアピールしようとした。
 一方、厳戒態勢下のサンクトペテルブルグの各所で、G8に反対するさまざまな行動が行われ、デモ隊と警官隊との衝突で数十人が逮捕されている。新自由主義的グローバリゼーションに反対する左翼活動家は第二回ロシア社会フォーラムを開催した。ボリス・カガルリツキー氏によると、このフォーラムは民主主義と、社会的権利の擁護と、未来志向を代表しており、結集は少なかったが、共産党ではない左翼反対派の存在に注目を集めたという点で重要な成果があった。「民族ボリシェビキ党」は急進的な新自由主義派とともに「合同反対派」を形成してフォーラムを開催した。このほかアナーキスト、AIDS問題の活動家等が行動に参加した。
 しかし、三日間のサミットを支配した最大の問題は中東における新たな戦争の拡大だった。そして、この問題でG8は何のイニシアチブも発揮できなかった。
 G8は、一九七五年にG6として出発した当時から、一握りの国の首脳が世界の重要な問題について重要な影響力を及ぼすということの閉鎖性と非民主主義性格が批判されてきた。とりわけ、九〇年代以降は、G7(のちにG8)が世界の多くの国で貧困を拡大してきた新自由主義経済政策を強力に進めてきたことに対して、毎回、開催地で大規模な抗議行動や対抗イベントが行われてきた。
 二〇〇一年九・一一以降のブッシュの「テロとの戦争」の下では、G8は「テロとの戦争」をめぐる各国間の調整と協力に大きな比重を置いてきた。しかし、今回のサミットで明らかになったことは、G8がもはやそうした調整機能すら失い始めているということである。

政治ショーとしての体裁も喪失

 中東情勢をめぐっては、「過激な勢力」(ハマスやヒズボラを指す)を非難し、イスラエルにも「自制を求める」という内容のG8の声明が採択され、プーチンが発表した議長総括では、「国連が中心的な役割を果たし、政治的、外交的解決方法が優先されなければならない」と述べられている。しかし、それは国連決議を無視してパレスチナの占領を続けているイスラエルや、それを支持してきた米国に対して何の効力も意図していない。また、イスラエルのレバノン侵攻を容認し、国連安保理の停戦決議に拒否権を行使した米国にいかなる圧力にもなっていない。フランス、ドイツやロシアは、体面を保つためにのみ、「国連が中心的な役割を果たし」という文言を米国に受け入れさせたのである。
 中東をめぐる米国とロシア、EU諸国の利害と関心は、歴史的経緯に加えて、各国のエネルギー戦略とも結びついて非和解的に対立している。しかもイスラエルの占領政策と軍事侵攻・大量虐殺は、アラブ民衆の間でのイスラム教武装勢力への支持・共感を一層広げるという結果をもたらしており、和平を一層困難にしている。
 この状況を解決できるのはパレスチナやレバノンの人々だけであり、G8に集まっている諸国はパレスチナやレバノンの人々を代表していないし、いかなる意味でも代表しえない。この事実の前に、政治ショーとしての体裁さえ取り繕うことができなかった。
 中東問題だけでなく、エネルギー問題でも石油・天然ガスの主要生産国の一つであるロシアが「エネルギー憲章」の批准を拒否し、G8は原油価格高騰に対する対策を何一つ示すことができなかった。
 貿易問題では、ブラジル、中国、インド、メキシコ、南アフリカの首脳をオブザーバーとして招請して、WTOドーハラウンドの早期合意に向けた「新たな野心的な目標に合意した」という空虚な発表が行われただけである。WTOにおいて「南」の諸国を代表するブラジル、インド等を取り込むことによって行き詰まりの打開をはかるほかないということ自体が、G8の機能喪失を示唆している。G8に中国を正式参加させることも検討されている。

小泉の思惑は通用しない

 日本政府は、小泉の最後のサミット出席という事情もあり、「北朝鮮ミサイル問題」、「拉致問題」をG8に持ち込むことでこの間の外交政策の行き詰まりと失政を挽回しようとした。その結果、議長集約でもこの問題が言及されるという「成果」が得られ、メディアはそれを大きく取り上げている。しかし、米国が外交辞令的に同調したほかは、EU諸国にとってもロシアにとっても、これは大きな関心事ではなかった。国連安保理決議に続いて、日本政府は国際政治における役割と影響力の大幅な後退をさらけ出したのである。
 しかし、私たちにとって、日本政府の国際政治における役割と影響力が後退することは悪いことではなく、むしろ歓迎すべきことである。もはやG8においてすら、日本がアジアを代表しているとはみなされていない。東アジアにおいては、少なくとも中国・韓国との対話・協力を強化することなしに、日本が何らかの能動的な役割と影響力を行使できることはないだろう。小泉外交の惨めな破産から私たちが導くべき教訓はこのことである。
 (7月24日 小林秀史)


JR東日本の非常識を問う集会
安全を訴えたら処分―しかし事故は止まらず

 東京・飯田橋のSKホールで「7・25 JR東日本の非常識を問う市民集会――安全を訴えたら処分……しかし事故は止まらず――」が開催され、会場いっぱいの百三十人が参加した。
 最初に処分の発端になったビデオ「レールは警告する」(短縮版10分)が上映された。レールにひび割れが広がっているシーンは、尼崎事故とも重なって何回見ても身の毛がよだつ。
 ビデオ上映後、経過報告をJR千葉支社の菊地さんに対する「処分の撤回を求める会」事務局の松原明さんが行った。松原さんは「レールは警告する」を作成したビデオプレスのメンバーでもある。
 「ビデオをつくる話は尼崎事故を契機として始まった。しかし現場レベルで協力してくれる人がだれもみつからなかった。関西の国労の中にもいなかった。それでJR東日本の山手線を舞台にしようと考えたが、その案も現場の協力者がみつからなくて実現しなかった。ようやく最後に国労千葉の人が協力してくれビデオは完成した。……ビデオが完成すると『テレビ朝日』『サンデー毎日』『朝日新聞』などが次々と取り上げたいといって取材に来たが、結局どの局も、どの誌・紙もデスクや上から止められ実現しなかった」「今年の一月、ようやく『週刊金曜日』で座談会がビデオに出演した三人で実現した。だが四月二十八日、一番若い菊地さんに『厳重注意』の処分が出された。『軽い』という意見もあるが、萎縮させる効果は十分にある。どう喝なのだ。この結果、闘う側は実名を出しにくいという状況がつくり出されている。いろいろな評価はあるが、ともかくもJR千葉支社に対する抗議の署名運動を始めた。尼崎事故をめぐるシンポジウムに参加したフランス、韓国、イギリスなど海外から早速激励が寄せられた。『JRに安全と人権を』との声を上げ、全国で闘いをつくっていこう」と報告した。

このままでは
再び大事故に

 『週刊金曜日』の北村編集長は「この業界で一番うるさいクライアントはトヨタとJR。企業に対する批判だけではなく、自分たちに不利だと思えば客観的報道さえクレームをつける。この問題でJRに電車の中吊りをはずされた」と業界の裏側を暴露した。
 被処分者の菊地さんは、国鉄からJRに至る経過、そしてJRになってからいかに安全を無視した合理化が行われたが、具体的数字をあげて説明した。さらに「処分の理由はなにかとJRを追及すると、ビデオで言っていること、座談会で話していること全部であると答えてきた。ようするに内部告発によって合理化や安全の実態が暴露されたことに頭にきたのだろう。しかし輸送は人の命を預かる。したがって輸送業は安全と安定がすべてだと思う。どういうことがあっても闘い続ける」と決意を語ると会場から大きな拍手が起こった。
 次に国労の仲間がJRの実態を職場の状況を通して報告した。とくに強調したのは浜松町や高田馬場、そして先日の渋谷駅のようにレールが盛り上がったり、陥没したりする事故は国鉄時代はほとんどなく、民営化の結果工事が外注化されたり経済主義第一で走ったことが原因であると。これがこのまま放置されると再び尼崎事故のような大事故を引き起こすことは明らかである。
 最後に『週刊金曜日』発行人であり、「処分撤回を求める会」の代表である佐高信さんが「JR番外地」と題して講演した。「売られたケンカは買うしかない」という口上から始まり、JRの東日本の社長に就任した松田が、その著書の中で「民間・民営化になれば事故は起きない。事故を起こすと民間の会社はつぶれる」と述べているが、事故規定を変え、あたかも事故が減っているようにごまかしているに過ぎないと暴露し、JRを批判しないマスコミの実態を明らかにした上で、闘う側もいかに乗客にわかり易い用語や言葉を使い、「乗客・国民」の中に支援を広げていくことが必要だと結んだ。最後に全員で国労闘争団とともに菊地さんの処分撤回のために闘うことを確認した。(D)




コラム
歴史のロマンと現実

 下関には高杉晋作にちなんだモニュメントが多い。この地が米英仏蘭四カ国との馬関戦争(一八六四年)の舞台となり、そこで彼が組織した奇兵隊が正規隊をはるかに凌ぐ働きをしたことなどから、明治維新にむかう数々の足跡が残されているわけである。
 このまちには「高杉晋作ゆかりの地めぐりコース」と銘打った観光コースまで用意されている。そこをたどれば、奇兵隊結成の場とされる当時の豪商、白石正一郎旧宅跡、肺結核のため二七歳の若さで世を去った高杉晋作終焉の地などを見ることができる。そのゴールが、日和山公園に建つ備前焼の陶像。没後九〇年を記念して今から五〇年前に建立されたという。こうした像にはめずらしく、着流し姿のゆったりした表情をしている。療養中に散歩している様子を模したものと思われる。関門海峡が一望できるひらけた風景ともに、そよぐ風が心地よい。春ともなれば、地元の人たちが花見に集まってくるというのも頷ける。
 ついでに旧い城下町、長府にある功山寺まで足をのばしてみることにした。この寺は、奇兵隊の反対を押し切り、わずか八〇名ほどで長州藩上層武士を中心とする幕府との妥協勢力に対して挙兵した場所として知られている。境内の一画には高杉晋作像があるが、日和山公園のものとはまったく趣を異にした、馬にまたがる勇ましい軍装という、愕然とするほどありふれたものだ。
 寺の前には古びた石碑が忘れ物のように佇んでいる。碑文には「高杉晋作回天義挙之所」とある。広辞苑によれば、「回天」とは、「時勢を一変すること、衰えた勢いをもりかえすこと」とある。天皇制日本帝国主義にとって、兵士は爆弾の付属物でしかないことをグロテスクなまでにあらわにした「人間魚雷」につけられたのも、「回天」という名だった。それだけに、この二文字を見ただけで身の毛がよだつ気持ちになる。ひとときの「歴史のロマン」は冷や水を浴びせかけられ、「歴史の現実」に引き戻されてしまう。
 思えば、日本には近代の支配階級が「国民」の名を騙って自らの歴史的出発点を記念した日、たとえば「明治維新の日」のようなものはない。それもそのはず、明治維新は、人為的に形成された天皇制国家のもとでの資本主義の導入と強制的資本蓄積の開始だった。日本の近代支配階級は、天皇制国家のもとで、しかもそこに隠れて形成されたのである。「明治維新」の英語表記を直訳し直せば「明治復古」となるが、このほうが現実を言い当てているように思われる。
 明治維新からそろそろ一四〇年が経とうとしている。その間、国家との関係で相対的に自律した「市民社会」は未成熟なまま、近代日本の歴史は一貫して国家の主導のもとで形成されてきたといっても過言ではない。さらに今では、露骨に大資本を擁護する政府のもとで、軍事的列強への道さえ突き進もうとしている。大衆運動の経験をつうじて、いかにして国家から政治的に独立した集団を形成していくのか。私たちの課題は、あまりにも遠大である。
 柄にもなく「歴史のロマン」にひたろうとした旅の結末は、いかにも散文的だった。                                    (岩)


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