以下に掲載するパオラ・ミレンダが行ったジルベール・アシュカルへのインタビューは、イタリア共産主義再建党(PRC)の日刊紙「リベラツィオーネ」(解放)06年7月15日号に掲載されたもの。
全体を危機にさらす
――さる水曜日以来イスラエル軍は、レバノンのヒズボラの戦士が二人の兵士を誘拐し、それ以外にも七人を殺害したということで、レバノンを包囲下に置き、空襲をしています。イスラエルの反応は、不釣り合いなほど大規模なものだとはいえ予測されていたことです。ヒズボラのこの行動の背後に見える政治的・戦略的理由はいったい何でしょうか。
ヒズボラがこうした行動を行った事情には多くのことが説明できます。第一の理由として引き出されるのは、囚人の釈放を勝ち取ることです。イスラエルに公式に拘留されているのはわずか二人ですが、それ以外に何人かのレバノン人が監禁されていると考えられています(もちろんその上に一万人近いパレスチナ人の囚人がいます)。
それとともにパレスチナでのハマスの闘争と連帯して行動することです。ハマスはヒズボラと類似した精神に鼓舞されて動いており、現在のガザへの強襲に反応しているのです。もちろん、別の兵士の誘拐に対してイスラエル軍がパレスチナでやってきたことに照らして考えれば、イスラエルの側からの暴力的報復を予期していたことは当然です。
この危機には、多くの側面が含まれています。国際問題の評論家たちは、現在起こっていることや、地域の力関係に関してどのような計算がなされているかについて、シリア、そしてとりわけイランの役割の可能性を論議してきました。テヘランのヒズボラとの関係は、「国際共産主義運動」の時代にモスクワが各国共産党と持っていた関係に類似しています。テヘランは、スンニ派ムスリムの世論を獲得するために、ライバルのアラブ諸国政府に対して反イスラエルのトランプゲームをやってきたことがあります。
一年前に選出されて以後のイランのアフマディネジャド大統領の挑発的声明は、このゲームの一部であり、核問題についてのアメリカの圧力が全面的に拡大している時に、米国に対峙しているテヘランの戦略に適合しています。しかしどうあれ、ヒズボラがやったことは彼ら自身を犠牲にするという危険を冒した力の試し合いを促進してきました。いま彼らはすでにレバノン全体を危険にさらしています。
ヒズボラの「冒険主義」
――イスラエルに対する力の試し合いなのでしょうか、レバノン国内での試し合いなのでしょうか。
この力の試し合いは、まずイスラエルに対するものです。イスラエルはこの行動を通して、パレスチナでもレバノンでも抵抗運動を粉砕しようとしているからです。最近の事件は、ヒズボラとハマスを粉砕する口実として理解されており、イスラエルの軍事攻撃の暴力性は、この文脈の中で読み解かれるべきです。イスラエルは全住民を人質に取っています。それはパレスチナ住民に対してなされてきたものですが、いまや同様のことがレバノン人に対してもなされているのです。
イスラエルはベイルート空港を爆撃し、レバノンへの封鎖を強行しています。それらすべてが、レバノン国家ではなく、レバノン人の一グループによってなされたことを理由に行われています。
事実イスラエルは、不釣り合いなほど大規模な反応として全住民を人質に取っていますが、それは敵を窮地に追い込み、レバノン軍に対してヒスボラに対決して行動するよう圧力をかけることを目指しています。しかしそれが本当にイスラエルの計算だとしたら、それは裏目に出かねません。これほどの広がりをもった軍事行動が、まったく逆のものをもたらし、ヒズボラに対してよりもイスラエルに対して住民がラディカル化する可能性があるからです。
イスラエルの反応の殺人的残虐性、空港の閉鎖と海上封鎖――こうした行為は住民をイスラエルに対する反乱という形で団結させるかもしれません。
私は、ヒズボラの真の政治的計算が何であるのかについてはよく分かりませんが、すでに以前から何回もレバノンに侵攻してきたイスラエルの長期的反応を予測していたことは確かです。そのため私には、彼らの行動が「冒険主義」の重要な要素を伴っているように思えます。とりわけ彼らが全住民を巻き込むという危険を冒しているからです。彼らは、イスラエルの巨大な軍事力と残虐さを知った上でイスラエルへの攻撃を開始するという重大な危険を実際に冒したのであり、レバノン民衆がその代価を支払わなければならない新しい戦争と新しい侵略の責任を彼らに負わせる可能性もあります。
しかしこう言った上で、全情勢の悪化の主要な責任がイスラエルにあると強調することが必要なのです。とりわけガザに関して、彼らの完全に嫌悪を催させるような振る舞いが、最近、新たな頂点に達しました。パレスチナ人グループによるイスラエル兵の誘拐の後で、イスラエル軍は何十人、何百人ものパレスチナ市民を殺害しました。
イスラエルは、何の罰も受けることなくパレスチナ市民を誘拐し、拘留することができます。しかし一部のパレスチナ人が、拘留された人びとを釈放する交換として利用するためにイスラエル兵の一人を誘拐したならば、イスラエルは拘束なき暴力に訴えて、すべての住民を人質に取り、全世界の無関心の中で人口の密集したガザ回廊を爆撃しているのです。
これこそが地域の不安定化の主要な原因です。イスラエルの暴力と傲慢な行為は、イラクに展開している米国の同じような傲慢で暴力的な行為と完全に一致しています。
ヒズボラとハマス
――ヒズボラの行動に直面しているレバノン政府の立場はどのようなものなのでしょうか。イスラエルは、レバノン首相の否定にもかかわらず、この行動の責任がレバノン政府全体にあると見なすという決定を行いましたが。
イスラエルの政策は、私が述べたようにまさに住民全体を人質に取ることを含むものです。パレスチナに対して、そうしたことが行われました。レバノンの場合、それはいっそう明白です。ヒスボラが政府の一部に入っているのは事実ですが、その参加は最小限のものであり、実際には彼らは野党としての立場を取っています。レバノン政府はアメリカと結んだ多数派によって支配されており、現在彼らは、シリアに反対する問題である場合にのみレバノン人民の運命に深く関心を寄せると主張するブッシュ政権の偽善を全面的に評価しています。
レバノン政府がヒズボラの行動と公式に距離を取った後でも、ヒズボラの行動の責任を政府に負わせることは、一方ではイスラエルの理不尽な政策を示すものであり、他方ではパレスチナで彼らがやろうとしているように、レバノンを内戦状態に追い込もうとするイスラエルの決意を示すものです。いずれの場合も、イスラエルは地域社会の一部――パレスチナではファタハ、レバノンでは政府多数派――を駆り立てて、イスラエルの主要な敵であるハマスとヒズボラを粉砕させ、さもなければ自分たちが自滅するというところに追い込もうと望んでいるのです。
――ヒズボラとハマスの運動はどういう関係にありますか。
彼らは似通ったイデオロギーを持っており、イスラエルにラディカルに反対しています。ハマスはスンニ派ムスリムでヒズボラはシーア派ムスリムですが、双方はシリア、イランと結びついています。それはイスラエルに対するある種の地域的連合です。ヒズボラは一九八二年のイスラエルによるレバノン侵攻の後で誕生し、ハマスは一九八七〜八八年の第一次インティファーダの時点で生まれました。両者の根本的な存在意義はイスラエルへの反対であり、彼らの領域での占領者に対する民族的闘争であり、イスラエルならびにその背後にいる米国として表現された共通の敵への闘争です。
イラクでのスンニ派とシーア派の分裂は、イラクに特有な国内的要因によるものであって、中東地域全体にとっては重要なものではありません。この分裂は、それほど致命的な形でなかったものの、昨年レバノンにおいても現れました。サウジアラビアならびに米国と結びついているハリリが主導するスンニ派社会の多数派が、シリアと結びついたヒズボラに指導されたシーア派社会の多数派と対立したのです。しかしこの分裂は、イラクやレバノンのように、シーア派とスンニ派という二つの社会がともに存在しているようなことのない諸国では、重要な要因になりません。パレスチナではシーア派はほとんどいません。
ヒズボラがハマスとの関係で持っている連帯の関係は、自治政府がアラファトに指導されていた時は、PLOやパレスチナ自治政府との関係では存在しませんでした。ヒズボラはアラファトにはいかなる共感も抱いておらず、マフムド・アッバス(現パレスチナ自治政府議長)に対してはさらに共感の度合いは小さいのです。ヒズボラは、ハマスに対して認めているようなイスラエルへのラディカルな対立をアッバスに対しては認めておらず、ヒズボラはハマスをパレスチナの大義を裏切ったとして非難してはいません。パレスチナにおけるハマスの影響力の拡大を、ヒズボラとイランは勝利と認識しました。パレスチナへの西側のファンドがカットされた時、パレスチナに対して埋め合わせの基金提供を申し出た最初の国がイランでした。
国家の統一の維持か分裂か
――レバノンの住民は、現在起こっていることについてどのように反応するでしょうか。ヒズボラは人びとからの連帯を受けとるのでしょうか、それとも彼らの苦難の責任を取らされるのでしょうか。
もちろんヒズボラの民衆的基盤はシーア派です(シーア派はレバノン社会の中で最大の少数派であり、どの社会も多数派ではありません)。しかし確かに、少数派のスンニ派の多くの人びとがハマスやパレスチナ人への連帯のジェスチャーとしてその行動を支持しており、イスラエルの対応の残虐性は、この連帯を増大させています。他方で、シーア派を除くレバノンの少数派の主要な部分――マロン派キリスト教徒、スンニ派、ドゥルーズ派など――の間で、ヒズボラの一方的選択によって自分たちが危険にさらされることになったと感じ、そして自分たちがこの選択の代価を支払わされると考えるためにヒズボラへの敵意が強まるのは、ありうることです。レバノン内部での宗派的分裂が深まり、それが結果的に新たな内戦をもたらす危険性が存在することは明らかです。
決定的な問題は、レバノン政府の多数派が新たな内戦という代価を払ってイスラエルの理不尽に屈するのか、それとも優先すべきはイスラエルの侵略に反対し、国家の統一を維持することだと決めるのか、ということです。当面のところ、第二の選択となりそうに思えます。そうなるだろうと希望するだけです。イスラエル二正面攻撃に反対する国際的抗議は、共同の抵抗という選択の強化に大いに貢献することができます。
(ジルベール・アシュカルはフランスに移り住んでパリ大学で政治学と国際関係論を教えるようになる以前、長年にわたりレバノンで暮らした。彼は「ルモンド・ディプロマティク」に頻繁に寄稿し、『野蛮の衝突』〔邦訳 作品社刊〕などの著書がある。)
(「インターナショナルビューポイント」06年7月号)
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