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                            かけはし2006.7.17号

枝川朝鮮学校を守ろう

東京・江東で応援する集い

 「パッチギ」上映と井筒監督のトークに共感の渦


 【東京東部】六月二十五日、東京・江東区文化センターで「枝川朝鮮学校を応援する集い」がで行われ、会場の定員を越える八百人以上が参加した。東京都が東京朝鮮初級第二学校を被告に「不法占拠」として土地の明け渡しを求める裁判を起こして三年目、裁判の山場に向け、支援が拡がっていることが示された。
 つどいは、朝鮮学校の生徒たちの歌と踊りではじまった。あざやかな民族衣装は、昨年の支援コンサートで集まったカンパで贈られたものだ。生徒の代表は「こんなに大勢の前でとても緊張しました」と、学校を守ることに大勢が応援していることへ感謝を述べ、「これからも一生懸命勉強やサッカーにとりくみ、日本のお友達も作って仲良くしていきたい」と元気良くあいさつをした。

カンパでスクー
ルバスを贈呈

 当初、裁判は和解に持ち込まれ、早期に解決すると考えられていた。ところが、東京都の姿勢は強硬で、裁判はすでに十三回の口頭弁論が開かれている。都の主張は、(1)校舎の一部が「区道」にかかっていること、(2)都有地である校庭の無償貸与期間が終了していること、この二つが不法占拠であるというものだ。しかし、四十年前に校舎の建築確認もおりている。当時から区道が事実上機能していなかった。一九七二年には、朝鮮学校の歴史的経緯と民族教育の意義を認め無償貸与の契約がなされており、二十年という期間は都の規則上の制約から加えたものであり、新規契約までは賃料を請求しない約束も同時に交わされていた。様々な証拠も提出され、裁判は学校側の主張が優勢に進んでいる。また、この裁判は、単に土地の問題としてだけはなく、日本に多く存在する外国人学校の存続や民族教育にかかわる権利の問題として、その行方が注目されている。
 日本人の支援も大きく広がり、「枝川朝鮮学校支援都民基金」も設立された。二年で資金を集め、スクールバスを送る計画であったが、予想以上の金額が一年目で集まり、今回贈呈することが出来た。バスといってもワゴン車であるが、広い地域から登校する生徒にとっては大切なもの。
 都民基金共同代表の田中宏さんは、「普通の基金は、何億円という資金があってその利息を運用するもの。この基金は違って、集まったお金をすぐに使ってしまう」と多くの人々からのカンパで成り立っていることを強調した。つどいでは、もうひとりの共同代表大津健一さんが、目録を校長に、車の大きなキーを生徒に贈呈した。都民基金は、同日の午前中に総会を開催し、二年度目も引き続き、個人一口三千円の賛同金の提供をひろく呼びかけることを決めた。次は校庭の遊具などを送る計画だ。

イムジン河を
全員で歌った

 つどいのハイライトは、在日朝鮮人社会をするどく描き話題になった映画「パッチギ!」の上映と井筒和幸監督のトーク。パッチギとは「頭突き」として知られている。ワールドカップで韓国選手はパッチギでゴールを決めた。本来は「乗り越える、突破する」という意味の言葉である。
 監督とのトークの相手は一九七〇、八〇年代朝鮮高校で学んだ二人。七〇年代大阪で朝鮮高校に通った李昌興さんは、「ケンカもしたが、不良になりたかったわけではない。朝鮮籍では外国に行けない、卒業後の進路も限られている、という社会的な見えない壁の中で暮らさざるえなかった。そのことを知ってほしい」と映画を見て当時の気持ちを述べた。弁護団で八〇年代に朝鮮高校生だった金舜植さんは「朝鮮学校には、常に笑いがあり感動があった。しかし、都は朝鮮学校は各種学校だから運動場はいらないとまで裁判で主張している」「皆さんの支援が、壁を乗り越える大きな力になっており、朝鮮学校の生徒たちの未来は明るい」と述べた。
 この映画は大きな反響があり、次の仕事ができないほど多くの上映会や講演の依頼があったという。また、多くの在日から自分の地域を舞台に「パッチギ2」を作ってほしいという声があちこちからかかっている。監督が、枝川を舞台に次の映画を準備していると語ると大きな拍手がおこった。
 ケンカを繰り返す朝鮮高校生と日本人高校生。暴力シーンが頻繁に登場するが、井筒監督は「戦争をすればするほど悲惨であることに気付いてもらいたい」と語った。「若い人から、高校生や大学生から沢山の手紙をもらった。知らなかった。というのが多い。日本と朝鮮の関係を学んでいない。学問や教育を奪うのは、人間の歴史にとってよくないことだ」と石原都知事を批判し、学校を応援していると結んだ。
 つどいの最後に、映画で、対立や壁を乗り越える象徴として何度も歌われた「イムジン河」を全員で歌った。
(T)
 追記:今回、裁判の記録や関係者の声をまとめたブックレットが発行された。「とりあげないでわたしの学校 枝川朝鮮学校裁判の記録〈第一集〉 枝川裁判支援連絡会編」(発行:樹花舎、発売:星雲社、定価:本体800円+税)


辺野古に基地を作るな
安次富浩さんと高里鈴代さんが沖縄現地報告

腹が立つ「基地負
担軽減」の言葉

 七月一日、「日米軍事再編と基地強化に異議あり! 沖縄・辺野古への基地建設を許さない! 7・1集会」が、東京・文京区民センターで開催され、二百二十三人が集まった。主催は、二年間にわたる「沖縄・辺野古への海上基地建設とボーリング調査を許さない実行委員会」の活動に区切りをつけて、新たに結成された「辺野古への基地建設を許さない実行委員会」(辺野古実)。
 主催者を代表して、中野共同行動の田守順子さんが、ボーリング調査に反対する辺野古現地での座り込み行動や海上阻止行動に連帯して、毎週月曜日、防衛庁前での行動を継続した闘いの意義を振り返りながら、「ボーリング調査は阻止されたが、辺野古への基地建設を日米両政府があきらめたわけではない。あくまでもV字型滑走路二本を備えた巨大な基地を建設しようとするたくらみを許すことなく、運動を強めよう」と訴えた。
 平和フォーラムの五十川事務局次長、全労協の中岡事務局長が連帯発言を行い、韓国・平澤米軍基地拡張阻止汎国民対策委員会からのメッセージが紹介された後、この日の集会のために沖縄から駆けつけた安次富浩さん(名護ヘリ基地反対協代表委員)と、高里鈴代さん(基地・軍隊を許さない行動する女たちの会)の報告にうつった。
 安次富さんは、今回の米軍再編が「沖縄の基地負担軽減のために」なされたという言い回しを聞くたびに腹が立ってしょうがない、と切り出した。
 「先日のNHKの番組で、私たちは沖縄の苦しみを本土にバラまくことを望んでいるわけではないが、私たち県民の思いを無視する政府に対して黙っているわけにはいかず、『基地は本土に持っていけ』、と発言した。さらに腹が立つのは安保・防衛政策は政府の『専管事項』という主張だ。こんなことでは住民の命を守れない。一九九七年の名護市民投票の時に、当時の久間防衛庁長官は全国の自衛隊員に対して、知り合いに名護市民がいたら賛成にまわるよう説得しろ、と訓示した。また防衛施設庁の職員二百人を名護に動員して、戸別訪問をやらせた。専管事項であるなら、なぜ住民投票にこんなに力を入れて介入したのか」。
 「この二年間、辺野古でのボーリング調査に対して、権力に歯向かうことで大きく支援を拡大した。私たちは、あの時と同様の闘いで沿岸案を阻止する腹づもりだ」と述べた安次富さんは、さらに九月の名護市議選、十一月の沖縄県知事選を全力で闘い抜くこと、アメリカでのジュゴン裁判などで環境保護団体と連携するとともに、全国の米軍再編反対の闘いと連携を強める決意を語った。

軍事化の日常を
拒否しつづける

 高里鈴代さんは、「日米ロードマップ」にいたる経過を追い、昨年十月の「中間報告」が新たな「日米同盟」の大枠の枠組みを決定づけた「最終決定」であったことを、ローレス米国防副次官の「問題は、日本側が地元のささいな問題に矮小化していることだ」という発言を紹介しながら明らかにした。
 「額賀防衛庁長官は普天間の移設を『沖縄の悲願』と言い、小泉首相は『沖縄の基地負担を軽減するために国民は負担を引き受けるのが当然』だと述べている。そのことによって、より多様な日米の軍事演習が可能となり、軍事化の深刻な状況がさらにエスカレートする。嘉手納の米軍機を受け入れさせられる鹿屋、岩国、千歳などの地元では、沖縄の基地負担軽減のために受け入れなければならないと考える人びともいるし、政府の側は基地の経済的効果を過大に、米軍犯罪発生率を過少に語って説得している。しかし私たちは軍事化の日常を拒否する運動を作りだしていかなければならない」。
 高里さんは、このように訴えた。
 続いて、日米軍事再編と闘う全国連絡会・共同代表の金子豊貴男さん(相模原市議)の発言を受け、練馬アクション、千葉沖縄県人会から檄布が安次富さんと高里さんに手渡された。
 辺野古実は、今後も毎月第一月曜日の午後六時半から防衛庁行動を継続する。ボーリング阻止闘争に連帯した首都圏での運動を引き継ぎ、辺野古への基地建設、米軍再編に反対する闘いを発展させよう。  (K)                   


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