| ブラジルの組織問題に対する決議 かけはし2006.5.22号 |
解説
二〇〇二年秋のブラジル大統領選挙でPT(労働者党)のルラが勝利し、二〇〇三年一月にルラを大統領とするPT主導左派政権が出発した。しかしPTは上下両院で少数与党であり、ブルジョア政党の支持を得て前政権から継続した新自由主義的政策を採用することになった。これはルラ政権を押し上げた労働者や農民、貧困層の期待を裏切るものであった。
ブラジルの第四インターナショナル派は、PT内の最左派としてDS(社会主義的民主主義潮流)を形成し、とりわけ拠点であるリオグランデドスル州の州都ポルトアレグレでは市長を担い「住民参加型予算」の実験で大きな成果を収めた。ルラ政権の発足にあたってDSは、ミゲル・ロセット(前リオグランデドスル州副知事)を農業改革相に送り込んだ。
しかしルラ政権の押し進める新自由主義政策は、DSが掲げる反資本主義オルタナティブの綱領的立場との矛盾を拡大するものであった。二〇〇三年末、ルラ政権の新自由主義政策に反対票を投じたDSの同志エロイザ・エレナ上院議員などPT左派議員の一部はPTから除名された。この状況の下でDS多数派は、PTの左翼的改革の立場から党内に止まることを決議したが、エロイザ・エレナなどDSの一部のメンバーはPTと決別し、他の左派とともにPSOL(社会主義と自由党)という新党の結成に踏み込んだ。これによりブラジルの第四インター勢力は分裂することになった。
二〇〇四年二月の第四インターナショナル国際委員会は、DS多数派とPTから分裂して新党建設方針に向かった同志の双方の出席の下にブラジル問題についての討論を開始した。しかし、その後の過程の中でインターナショナルのビューロー(書記局)とDS多数派との対立は深まり、DS多数派は事実上、討論を拒否するに至った。昨年の第四インターナショナル国際委員会は、「ルラ政権内に位置を占めることと、われわれの綱領的立場と一致したブラジルにおけるオルタナティブの構築とが矛盾することに、もはやいかなる疑問もありえない」とする決議を採択し、DS多数派の翻意を促した。
しかし他党の議員の支持を取り付けるために金銭を供与した汚職事件にPTナンバー2で官房長官をつとめていたジョゼ・ディルセウが関わっていたというPT執行部の腐敗と危機にもかかわらず、DS多数派は、「PTの左翼的改革」の立場を放棄せず、インターナショナルの立場をセクト主義として批判している(DS多数派の見解については本紙05年10月31日号「ラウル・ポントとのインタビュー」参照)。今回の国際委員会には昨年に続いて、DS多数派は出席せず、PSOLの同志のみが出席した。PT内外の左翼の分岐と対立は今年十月に予定されている大統領選挙に向けて、さらに煮詰まっていくことになるだろう。
私自身は国際委員会決議の立場を支持する。同時にブラジル問題は、国際左翼にとって今日の反グローバリゼーションの運動が政権の問題に直面した時に提起される重大なジレンマの表現であり、さらに論議を深めていく必要があると考える。 (平井純一)
(1)ブラジル情勢の発展は、二〇〇五年二月の国際委員会決議でルラ政権とその政策に与えた「議会内右派に依存した資本の代表との連合政府である。それは新自由主義経済・金融政策を実施し、したがってブラジルにおける貧困と社会的排除や、帝国主義との対立といった本質的問題に応えることができない」(訳注1)という特徴づけを確認するものであった。昨年のルラ政権の措置と決定のすべて――金融市場の指令の受容、債務支払いのための予算余剰の確保、真の土地改革の不履行――は、同じ方向を進んでおり、それは、現実には失業を低下させず、賃金を上げず、不平等と闘わなかったというMST(土地なき農民の運動)からのラディカルな批判を引き起こした。この政権はまさしく社会自由主義政権である。
(2)民衆の利益に反する昨年のこうした政府の諸政策は、その腐敗した政治的手段と実践の暴露を伴うものであった。それは伝統的ブルジョア政府となんら変わるものではない。何十人もの国会議員が、PT(労働者党)指導部と政府の著名なメンバーによって買収された。政府のナンバー2の位置にあったジョゼ・ディルセウは辞任せざるをえなかった。これはまさに、PTとブラジルの政治生活を揺り動かした激震である。
(3)政府の社会・経済的、政治的、そして倫理的性格の進展も、政権とその政策への特徴づけからわれわれが引き出した結論、すなわち革命家は社会自由主義政権に参加することはできないという結論を同様に確認するものであった。革命家はルラ政権に参加できない。ルラ政権の政策のすべては、金融市場の基準の尊重と新自由主義的な反動的「改革」の枠組みに適合している。
DS―PT(PT社会主義的民主主義潮流)の同志をふくむほとんどの左派は、汚職事件や党の機能のあり方に対する批判にもかかわらず、昨年のPT指導部選挙(訳注2)において、政府と決別する政策を主張しなかった。この三年間における新自由主義的措置の蓄積は、汚職事件とあいまって、政府と決別する新しい条件を作りだしてさえいる。しかし同志たちは、この選択を拒絶した。
(4)二〇〇六年の選挙におけるルラの大統領選への立候補は、彼の社会自由主義政策を再確認するものとなる。彼の立候補にあたって、革命家たちが統一し、反資本主義的オルタナティブと、右派と支配階級に対してのみならずPT指導部の社会自由主義へのオルタナティブをもって登場することは、積極的な展開となる。
PSOL(社会主義と自由党)は、エロイザ・エレナを共和国大統領候補として擁立することを決定した。このキャンペーンにおいてPSOLは、民衆的諸階級の利害と要求を防衛し、新自由主義と資本主義と決裂する綱領を押し出すだろう。PSOLは、右派のすべての攻撃、金融市場が押しつけた政策、そして新自由主義的な反動的「改革」の諸結果のすべてを非難するだろう。それはルラ政権が行ってきたことに反対する立場を取るだろう。ラテンアメリカ民衆の闘争への連帯、とりわけベネズエラのボリバール主義革命に連帯するエロイザの立候補は、反帝国主義的な立候補となるだろう。
この立候補は、新自由主義的資本主義の攻勢に抵抗し、事態を変えようとする願いを表明するチャンスをブラジルの幾百万人もの人びとに与えるものとなるだろう。この立候補は、一定の潮流と組織を押し上げ、ルラ指導部が投げ捨ててきたPTの本来の綱領と根本的な本来の価値を取り上げることのできる、ラディカル左翼、反資本主義左翼の統一を可能にさせるだろう。
(5)われわれはまた、ブラジルの左翼が依然としてきわめて分裂しており、この左翼の多くの部分が依然としてPT内にとどまっていることに留意する。PCdoB(ブラジルの共産党)、「運動主義」にしがみついている他の部分、さらにPSTU(統一労働者社会主義党)(訳注3)などの他の諸組織は、独自の立場を保持し続けるだろう。残念なことにブラジルにおける第四インターナショナルの勢力は、いまだ分裂したままである。DS―PTはPT内で活動し続けており、政府への参加を確認し、党指導部への統合を強めている。DS指導部の一人はPT書記長の地位を占めている。ブラジルにおける第四インターナショナルのもう一つの勢力は、PSOLの建設に関与し、「DSコレクティブ―第四インターナショナル」グループを形成し、暫定的に「エンラス」と呼ばれるPSOL内の新潮流の形成に加わっている。
討論の継続を促進しするとともに、すべての反資本主義的部分が統一するチャンスを最大限のものとするために、国際委員会はブラジルにおける第四インターナショナルのすべての構成要素との関係を維持し、これらの構成要素のすべてが全権利を持ったインターナショナルのメンバーてあり続けることを再確認する。
(6)国際委員会は、ブラジル情勢に関する討論を開始することを提案する。この討論はとりわけ、ここ二十年間のPTの展開と変化、ブラジル支部の政策、そしてインターナショナルが行った討論と決定の最初のバランスシートを作成することを目標とする。国際委員会はブラジルの同志たちに、この討論の導入部分を提起するよう要請する。この討論文書の長さは最大限で二万字である。
(7)国際委員会は、二〇〇六年二月の会議にDS―PTが参加しなかったことに注意を払っている。国際委員会はこれらの同志たちとの討論を継続することを追求し、可能なかぎり最も近い将来にこれらの同志たちとの討論を組織することをビューローに委任する。
二〇〇六年二月
(訳注1)本紙05年4月25日号参照
(訳注2)昨年のPT指導部選挙については本紙05年10月31日号参照。PT委員長選挙でDSのラウル・ポント(元ポルトアレグレ市長)は決戦投票で48・4%を獲得したが、主流派のリカルド・ベルゾーニに僅差で敗北した。
(訳注3)PSdoB(ブラジルの共産党)は元毛沢東主義・元アルバニア派起源の党。一九九〇年代以後の大統領選挙では一貫してPTと共同戦線を組んでルラを支持。PSTU(統一労働者社会主義党)はモレノ派トロツキストの党。もともとはPT内の「社会主義統一潮流」だったが、一九九三年にPTから分裂して独自の党を結成。
イタリア総選挙結果と共産主義再建党
右派の復帰を阻止し新自由主義に抵抗する道を!
ロマノ・プロディの「ウニオーネ」(連合)は、四月九〜十日の選挙で鼻の差で勝利を収めた(1)。
この中道左派連合の一部であるオルタナティブ左翼は、いまやいかにして社会自由主義への道を阻止するかという挑戦に直面している。しかしいずれにせよ、ベルルスコーニの権力復帰を支援することなく、である。
四月九〜十日の選挙は、イタリア政治情勢のきわめて複雑なパノラマを明らかにしている。ロマノ・プロディの「連合」は、下院ではぎりぎりの多数を得ただけであり、また上院議員の数は中道右派よりわずか二議席多いだけである。「連合」はシルビオ・ベルルスコーニの「自由の家」(2)よりも多数の得票を獲得し、若者たちの支持を獲得したにもかかわらず、右派の選挙民の支持を勝ち取るという目標に失敗した。その結果、この勝利は苦い味をともなったものだった。
新自由主義政策の悪を批判せず、穏健な選挙運動を行ったプロディは、自らの選挙民のすべての部分の支持を失った。上院選挙での共産主義再建党(PRC)の好成績(七・五%)は、下院でのそれほど良くはなかった得票(五・八%)によって部分的に相殺されたが、新自由主義モデルへのラディカルな批判のスペースが存在していたことを示すものである。「連合」内のより大きく、より穏健な勢力(左翼民主党、マルガリータ)は、このスペースを占めることができなかった。彼らの失望をもよおす結果は、「連合」を弱体化させた。
この文脈の中では、情勢はPRCにとってきわめて困難なように見える。イタリアでのオルタナティブで反資本主義的な左翼の建設は、いまや決定的な段階に入っている。自らを政府の中に閉じ込める党多数派の提案は、きわめて危険な展望となる。責任感と「連合」の規律への尊重を主張するPRCのアピールは、党を「連合」の決定に従わせる恐るべき圧力となるだろう。ベルルスコーニの権力への復帰という恐れが力関係への重圧となっているからである。ファウスト・ベルティノッチPRC書記長の、国民議会議長への選出は、この圧力を強めることになりそうである。
四月二十二日〜二十三日に開催された中央委員会で、われわれは「批判的左翼潮流」として多数派に対する仮説的対案を提出した。他の反対派潮流は党内闘争を回避しているようである。そこでわれわれは、PRCが政府に参加する諸条件は存在しないことを強調した。しかしわれわれは、プロディ政権が実現するためには、とりわけ選挙民の大多数が望んだベルルスコーニの「パラッツオ・チギ」(政府の中枢)からの追放を確実なものにするためには、われわれの投票が必要であるという事実を隠さなかった。
この「閣外からの支持」は、プロディを支持する広範な社会的基盤を与える唯一の道であり、また前政権の新自由主義的で戦争を支持する政策と明確に決別する道である。こうした決別のサインとなるものは何だろうか。イラクとアフガニスタンからのイタリア軍の即時撤退、労働条件を改悪する法律30号の撤回、さらに教育改革と、移民に関するボッシ―フィニ法の撤回、賃金問題に関する真剣な指針を提起することであり、あらゆる新たな民営化の拒否、真の非軍事化政策である。
政治的・制度的レベルだけではなく社会的基盤で右翼政党を打ち破る可能性は、何事も変えないで政府の枠組みだけを変えることにとどまらない社会的オルタナティブの建設にかかっている。一方でプロディは、彼の政権を古い新自由主義政策の直接的路線に位置づけたいと思っている。それはEU委員長時代の彼を特徴づけるものだ。PRCの政権参加は、イタリアにおける強力な反資本主義左翼の展望を遅らせるだけである。
(フラヴィア・ダンジェリ)
(フラヴィア・ダンジェリは、共産主義再建党〔PRC〕の「批判的左翼潮流」内の第四インターナショナル支持者が組織する「バンディエラ・ロッサ〔赤旗〕」潮流の指導者。この論文はLCR〔革命的共産主義者同盟、第四インターナショナルフランス支部〕の週刊新聞「ルージュ」4月27日号に掲載されたもの)
注1:「ウニオーネ」(連合)は、左翼民主主義(DS。元イタリア共産党でいまや社会自由主義に転換し、社会主義インターナショナルの一員)、「マルガリータ」(中道政党グループ)、反自由主義左翼の党である共産主義再建党〔PRC〕を包含する連合。PRC内に第四インターナショナルのメンバーが参加する「批判的左翼潮流」が存在している。
注2:「自由の家」の主要勢力は、ベルルスコーニの党である「フォルツァ・イタリア」、元ファシストの国民連盟、ポピュリストの北部同盟。
(「インターナショナルビューポイント」電子版06年5月号)
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