| あいも変わらぬ東電の「事故隠し」体質 かけはし2006.4.3号 |
【いわき】一月十日東京電力福島第一原発6号機で制御棒の破損事故が発生した。制御棒は、原子炉の中で核反応を一定程度吸収し、核反応を制御する役割を果たしている機器であり、核反応を利用して発電を行う原子力発電にとっては心臓部に位置するとも言い得る非常に重要な機器である。
しかしこの重要な機器「制御棒」の「破損事故」という事態に対して、事故隠しが発生している。二〇〇二年八月にデータ改ざん事件が発覚し翌年一月には、東京電力福島原発は原発全機を運転停止する事態に追い込まれた。これ以降東京電力は「地元の住民の皆様への情報の公開を図り信頼回復に努める」としてきたが、事故隠し体質は旧態以前であることが明らかになっている。
発表するたびに
ひどくなる損傷
東京電力は今回の制御棒破損事故について一月十日、最初に第一原発現地(大熊)でプレス発表した。この時のタイトルは「ヒビらしきものの発見について」としている。それが翌日になると、タイトルは「ヒビらしきものの調査状況について」とあるが、内容は、「一月九日に発見したヒビらしきものを、燃料貯蔵プールに移し水中カメラによる概観確認を行った。ヒビは二十三箇所(41本最大長さ15センチメートル)、一箇所破損となっている」とするもの(状況図として、捲れた図が添付してある)。
それが同月十八日になるとタイトルが「6号機で確認された破損部の一部欠損について」になり、内容も欠損部を回収するとして添付図は一部欠損となっている。翌十九日になると、保安院の指示による同一形式の制御棒の点検の結果、当初のヒビ有り一本が合計九本になり、ヒビ発生部分もシース部及びタイロッド部の二つの部分に増加している。
「ヒビらしきもの」が「破損」に、そして「一部欠損」になり、そして二月二十五日プレス発表では、ヒビあり燃料棒は九本になりヒビの部分もシース部分とタイロッド部分の二箇所となっている。
最初に燃料棒の破損図を公開した時(1月11日)、状況図(破損図)を公開し、「破損は原発停止後に実施した動作確認試験により発生したものと推定している」とした。しかし厚さ〇・九ミリのステンレス製鋼鈑のヒビが、動作確認試験により、捲れてしまうものだろうか。そして十日(11日現地プレス)の時点では存在していた破損部はいつ欠損したのだろうか。
東京電力の一月二十五日、福島第一原発のプレス発表によると「制御棒冷却孔から針金らしきもの一個発見(長さ約15ミリメートル太さ約1ミリメートル)同十三日に回収したが回収時に細分化した。調査の結果チャンネルボックスの剥離片と判断した」とし、「制御棒欠損部は同月十九日炉内当該制御棒の装荷されていた位置の近傍より回収し、形状が当該欠損部の一部と一致する事を確認した」。破損は原発停止後に実施した動作確認試験において、制御棒引き抜き後の挿入時に、既に発生していたヒビが燃料集合体下部と干渉し発生したものと推定している、となっている。
保安院も事故
隠しでは同じ
では保安院はどうだったのだろうか? 一月十九日プレス発表のタイトルは「ハフニュウム版型制御棒のヒビ等について」となっている。ところが内容は、「東京電力から十八日と十九日に定期事業者検査の状況について報告があり、福島第一原発6号機で使用していた制御棒全十七体中九体に複数のヒビが確認され、内一体には欠損部を含む破損が確認された」としている。この時すでに破損し一部欠損していたことはわかっていながら「ヒビ等について」と発表し、添付した図面にもヒビだけ記入し破損については記入もしていないのだ。
無謀な運転中
動作確認指示
一月十九日、保安院は、東京電力に対して、「ヒビ等」(注釈に於いてヒビ等=ヒビ及び破損としているが破損とするべき)の状況と発生原因及び、「ヒビ等」が確認された制御棒の製造及び中性子照射量を含む運転の履歴の調査と報告を指示し、合わせて「ヒビ等」が確認された制御棒の健全性評価及び技術基準適合性を含む安全評価の実施と報告を指示した。
そして、沸騰水型原発を運転する事業者に対しては、次の諸項目=ハフニウム型制御棒の本数、配置状況、中性子照射量の報告、同制御棒の健全性の確認と報告を、運転中の原発については動作確認による点検を指示した。
東京電力は一月十一日(大熊発)の声明において破損の原因について「破損は原発停止後に実施した制御棒動作確認試験によるものと推定」としている。厚さ〇・九ミリのステンレス製鋼鈑のヒビが、動作確認試験により、捲れてしまうものだろうか? そして十八日福島第一原発(大熊)では「一部欠損について」となっている。破損の経過及び原因について疑惑があるとしても、保安院はヒビが破損から欠損に至った原因を「制御棒の動作確認試験と推定」との報告を受領しているにもかかわらず、運転中の原発に於いて制御棒動作確認試験を指示していたのだ。
ヒビ割れ制御棒
でも安全なのか
保安院は二月三日のプレス「制御棒ヒビ等(破損とするべき)に関する対応について」の中で、@原因は究明がなされていないA東京電力プレス発表(2月1日)「ヒビ在り制御棒は、寸法安定性に係わる技術基準には適合していないが、健全性確保に係わる技術基準については、構造件健全性は確保されている」に関して、「東京電力の評価の妥当性を確認出来ない」としている。
ここで破損制御棒が危険であることを保安院が認めざるを得なかった。東京電力1F―6制御棒が、一部欠損を含む破損であることは、水中カメラによる観察によって初めて判明した。
「動作確認試験」では制御棒の健全性を確認出来ないばかりか、運転中の動作確認試験により、破損制御棒を欠損に至らしめる重大な誤りであることは明らかだ。また保安院は、同声明に於いて「ヒビ等(一部欠損を含む破損)は、4・4×1021/2以上の熱中性子照射量を受けたものの一部で発生と確認している」として、熱中性子照射量がその値を超えたハフニウム版型制御棒は全挿入位置にして運転するよう指示した。
この措置に対して原子力資料情報室は「出力を抑制した状態での原子炉を運転することは原子炉を不安定にし、一九八八年三月に米国ラサール原発で起きた出力振動のような事故をまねく危険性がある」として、沸騰水型原子炉を運転する電力各社に対して、ひび割れの恐れのある制御棒を挿入した状態での運転ではなく、すみやかにすべての原子炉の運転を止めて制御棒の一斉全挿入試験、外観の点検などを行うことを求めている。
「すべての沸騰水型原発をただちに停止し制御棒の水中カメラによる観察を実施する」ことは緊急の措置として当然である。そして今回の制御棒破損の原因究明は徹底されなければならないのも、また同様である。
今回の制御棒破損事故に係わる一連の事態を通じて「保安院」が原発に係わる規制当局としてのなんらの役割も果たしていないだけではなく、保安院もまた事故隠し体質に染まりきっていることも合わせて明らかになった。 (浜中)
枝川朝鮮学校創立60周年
都の「明け渡し請求」をみんなの力で打ち砕け
【東京東部】三月四日、東京朝鮮第二初級学校で、「朝鮮学校―過去・現在・未来」と題するイベントが開かれた。東京都から土地の明け渡し請求裁判を起こされている同校が創立六十周年を迎えた。日本人支援者など百三十人が参加し、在日一世などから枝川地区の形成や民族学校の思い出を聞いた。
枝川町は東京湾にそそぐ隅田川河口に作られた埋立地の一つで、一九二〇年代には埋立てが終わったばかりの不便な土地に在日朝鮮人がバラックで生活していた。枝川町近隣を会場に万国博覧会が企画され(戦争の拡大で後に中止)、東京市による移転計画が進み、四一年、木造の簡易住宅が枝川町に完成した。しかし、下水道もなく雨が降れば膝まで水に浸かる劣悪な環境だった。
一九四五年八月解放直後から、奪われた民族の魂を取り戻すため国語(朝鮮語)講習所が各地に開設され、翌年には学校の形態に発展していく。枝川町では四六年一月隣保館で学校が始まった。日本政府は民族学校つぶしの弾圧を繰り返すが、住民の手によって学校が守られてきた。
五歳で日本に渡り枝川で総連役員もつとめた金さんは、昨秋、東京大空襲で犠牲になった同胞の遺骨が都慰霊堂に保管されていることを突き止めた。強制連行で犠牲になった同胞が東京にも多くいるが、その実態は明らかでなく、現在も調査している。
枝川町も東京大空襲を受けたが、住民が防空壕を出て落ちてきた焼夷弾を必死で消火し、街は焼けなかった。翌朝、深川から避難して来た日本人を温かく迎えいれた。その先頭にたった朴在魯さんは「隣保館での学校は、市が了解し円満に利用できた」「日曜日ごとに労働し穴を埋め運動場を作った」、現在争点になっている道路についても「人が通れるように地ならしし作ったが、学校に支障をきたすので通るのをやめた」と住民たちの手で学校が創設されたことを語った。
朝鮮学校は一九四九年都立学校になり、朝鮮人と同数の日本人教師が配置され日本人校長のもと、民族教育の科目が大幅に削られる。都立学校時代に教員だった鄭昌燮さんは「ホームルームでしゃべったことが教育委員会に筒抜けになっていたが、日本人の先生も保護者の積極的協力的な活動を見ているのでひどいことはしませんでした」と当時の様子を話した。
その後、都は一方的に廃校を決める。一九五四年秋、廃校に憤慨した保護者たちの呼びかけに応え記録映画「朝鮮の子」の撮影が始まる。製作に関わった呂さんは、枝川の学校で撮影されたことや、戦争中から深い交流があった朝鮮・日本の映画人の協力で製作されたことなどを語った。
裁判が始まって二年半、都の論理は破綻していると弁護団が報告した。一九七二年、都と朝鮮学校は無償で使用する契約を交わしている。二十年との文言があるが、期間満了時に学校が存続していた場合には継続するとの当事者間の了解があったことが、証拠や当事者の証言で明らかになっている。
都による裁判が始まって以降、民族教育に関心を持つ人が増え、学校への来訪者も千名を越えた。韓国でも支援が拡がり国会議員も視察に来ている。また、生徒も四月から増える。同校の校舎で行われている朝鮮語講座ミレ(未来)には二十数人が学び、学校を応援する「枝川朝鮮学校支援都民基金」も一期の目標であるスクールバスの寄贈が可能にった。
6・25応援する
集いの成功へ
枝川裁判支援連絡会は、裁判の山場に向け、さらに支援を拡げる取り組みを行なう。小集会や会合に講師を派遣するほか、六月二十五日午後に映画や唄と踊りなどによる「枝川朝鮮学校を応援する集い」を江東区文化センターで開催する。映画「パッチギ」の上映と井筒和幸監督と弁護団のトークが予定されている。(T)
枝川裁判支援連絡会
http://homepage3.nifty.com/kinohana/edagawatop.htm
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