相い次ぐ国の負担率削減
日本政府は二〇〇四年末に続き、二〇〇五年末にも財政改革を唱えて生活保護費の国負担分を現行の四分の三から三分の二にしようと画策した。しかし、生活保護世帯が二〇〇五年の間に百万世帯を突破するという事態を迎えた今、負担増を一方的に押し付けられる地方自治体はこぞって反対の姿勢をとり、予算削減をすればよいという政府首脳への不信はますますあらわになった。
国の負担率引き下げが画策されたのは今回が初めてではない。一九八一年に「123号通知」を設け、一九八六年、国の負担率は暫定的に十分の八から十分の七となった。一九八九年に十分の七から四分の三へ固定化されて現在に至っている。
「123号通知」が登場した時期は、第2次臨時行政調査会(土光臨調)が八一年三月に発足し「行財政改革」「増税なき財政再建」を推進していた時期に重なる。八二年に国鉄民営化の答申が出されるなどし、日経連の提言に見られるように賃金の官民格差などが話題にされ始めたのもこの時期である。今回も予算縮小に迫られて、生活保護費の国負担分のカット、あるいは世帯格差是正を名目にした加算のカット、支給額基準の地域間格差解消をうたっている。すでに母子加算、老齢加算の削減は始まっており、広島市などで老齢加算廃止は違法であるという訴訟も起こされている。
だがこのような生活保護の「是正」は常に、支給総額の下すべりを狙ったものでしかない。このカットによって負担が増える地方自治体はどのような施策をとり、生活保護の対象となる当事者にどのようなことが起こっているのか。主に野宿者支援の活動の中で、福祉事務所を訪れる視点から確認していきたい。
「保護申請させない」指導
まず保護を申請する人に申請をさせないということが福祉事務所の職員にとって重要な仕事になってきているように感じる。これまで、たとえば野宿をする人が申請をしようとしたときに、職員が用いる言葉は「住所がないからダメです」「仕事を探してください」というものが多かった。しかし高失業率と常勤雇用の破壊、高齢者の就労難、野宿者層の急激な拡大が「国民的」常識となってしまった現在、最低生活を送れない人をそのような言葉で追い返すことは少なくなった。
林訴訟において名古屋地裁(一九九六年十月三十日)で「働く意思があっても、具体的に働く場所がなければ、稼働能力を活用していないとはいえない」という判決を下すなどの意義は大きかった。生活保護受給者の義務として稼働能力活用のためにとにかく就職をという「指導」がとかく強引になりがちな問題もあったし、最近では、ほかの手当て扶助は軒並み減らされるなか、就労支援相談員だけは増員されている。
だが就職がうまくいかない人から「就職、就職というが福祉事務所で仕事の世話をしてくれないのか」と切り返されると、たいていの職員は何も答えられなくなる。その代わりに用いられるのは「親族の人は扶養してくれないのですか」というものだ。親族と関係が取れない者の面倒は見切れないということだし、指導員は現場職員に少しでも他法他施策優先の原則によって生活保護費の垂れ流しをさせないということを徹底する傾向にあり、それが最重要事項だと勘違いしている職員もかなり存在する。
申請後の調査の主要な部分を占めるのは血のつながった親族に電話、はがきなどで「援助しますか」と紹介する作業である。この連絡がきっかけで家族の交流が始まることも多いが、「知られたくないと思っていたのに、プライバシーの侵害ではないか」「だから生活保護は受けたくない」といった訴え、不満もたくさんあるようだ。
この場合は、千円でも多く扶養費を計上し保護費を削減する「仕事」をしたいという意味と、生活保護が開始されても就労難とその結果生じる生活難のケアの負担を少しでも親族に分散したいという、現場職員の切実なニーズが反映されている。だが、当事者からは、「今さら親族に頼れないから福祉事務所に来ているのではないか」「扶養といったって、生活は苦しいはずだ」という困惑に満ちたこたえが返ってくる。
ついで「定住所がないのでだめです。施設であればかまいません」という返答も多くなっている。野宿等で定住所がないことを口実とした申請却下については、以前から最低生活を保障するという観点から問題だといわれてきた。洞窟を居所として保護を実施した例もあるし、監査の目をくぐり抜けて路上で保護を実施した職員は何人もいる。
また、アパートに居住していながら病気、失業などで家賃を払えなくなった人に民間宿泊所などを勧めるケースも多い。民間宿泊所の多くは第2種福祉施設であるが、第1種の救護施設は国、自治体から一定の措置費を交付されているので職員の数、作業訓練の充実度などでまったく及ばない。
現在「精神障害、身体障害」があるとされる人が雑多に入っている救護施設は全国百八十一箇所、一万七千人を収容している。そして、精神、身体にやや軽度のハンデを抱えるといっていい野宿者層が、救護施設の収容人員を超えて生活している。施設ならばいいという論理には、担当件数の増大に押しつぶされそうな職員が、結果として施設管理者に保護受給者のケアを任せてしまおうという論理がある。生活保護のあり方協議会に出席していたある救護施設の施設長は、「生活保護受給者の自立ということがよく言われるが、施設で生活する高齢者、疾病者の自立は地域生活への移行ではないか」と主張している。背景に、福祉事務所が居宅生活への移行、あるいは他地域への移管を認めない傾向、それも頑強なものだといわざるを得ない。
日常化する威嚇的対応
この生活保護費の出し渋りは野宿者の申請に限ったことではない。他の困窮者の申請、受給中の各扶助に当てはまることだといえる。この出し渋り、漏救は何を根拠として行われているのか。職員は相談を受けると、自身の裁量で判断できないことはケース検討会に諮ったり、査察指導員に指示を仰いだりする。だが、生活保護法の理念で最低生活の保障という部分が生きない仕組みになっている。
決定的だったと思えるのが、最初に述べた「123号通知」を中心とした第三次保護適正化政策である。この保護費抑制政策はそれまでも第一次適正化政策(一九五五年ごろ)で結核患者、在日韓国・朝鮮人の受給者を減少させ、第二次適正化政策(一九七〇年前後)において炭鉱閉山後の稼働能力がある受給者を減少させることになった。受給者数は一九五五年の百九十万人から十六年後の一九七一年には百三十三万人へと減っている。第三次適正化が行われる中では、和歌山県御坊市の暴力団員が生活保護費で包丁を購入し、銃刀法違反で逮捕される事件以降、不正受給阻止のキャンペーンが張られたのである。本来適正化とは一部の不正受給を阻止することを目的としているはずだ。だが、「123号通知」は申請時にいきなり資産調査のための包括的同意書をとる事を当然の風潮とし、そのほかにも収入申告、資産申告を厳格にした。申請受理を簡単におこなわせず、「相談」というかたちで処理するなど窓口水際で「保護の適正」をふるいにかけることが進んだおかげで、野宿者が一九九〇年代から急激に増加したといっても過言ではないだろう。
日本テレビで放送された「ニッポン貧困社会 生活保護は助けない」(二〇〇六年一月十五日)では、高松市福祉事務所において警察官、刑務官OBなどが申請を受け付けない窓口対応をしている画面が放映された。逆に日本テレビは、福祉事務所側から取材方法の偏りを指摘され、抗議を受けることにもなったが、高松市福祉事務所の驚くべき職員配置は数年前から有名であった。
こうして暴力団員の不正受給を防ぐという口実のために威かく的だと受け取られやすい窓口対応がおこなわれていることは、警察官が配置されようと、されなくとも日常的なことである。単に威かく的な言動で接されるという理由のためだけで福祉事務所一般に近づけない人もいる。
しかしそれぞれの福祉事務所が不当な対応をしているいう批判の前に、福祉事務所の職員の待遇改善が求められる。職員の側からすれば、最低生活すら送れず精神的に追い詰められた相談者を受け入れなければならないという不安感、圧迫感は要保護世帯の急増に伴い、急激に高まっていると思われる。生活が困窮し、急激に将来の展望を失う中で、精神的に追い詰められれば、相談者が暴力的に詰め寄る場合が多いとしても不自然ではない。かつては暴力団に所属していた人が、収入を失って窓口を訪れるということも珍しいことではないだろうから、そういうことが重荷に感じる職員もいるに違いない。
三月十七日には熊本市役所で相談者の男性が、包丁を振り回して保護1課の課長補佐にケガを負わすという事件もあった。二〇〇三年に保護を廃止されたことをうらみに思っていたということだ。〇五年五月に長崎県高島村で生活保護の相談に来た男性が福祉事務所職員を刺殺した事件も起きているが、このようなことは珍しいことではない。
相談者にとってみれば、窓口、地区担当の職員には絶対的な権限、裁量があり、自身の生殺与奪の権を大げさに思わざるを得ない状況だ。淡々と権利行使をするという発想を持たせない生活保護行政の責任なのだが。このようなトラブルを未然に防ぐための「危機管理マニュアル」を配布している職場もあるというが、マニュアルより、余裕を持って相談を聞き取る体制があまりにないがしろにされている。職員が、明らかに最低生活を送っているであろう人に「無駄な」申請を許さない体制が、特に第3次適正化政策以後、出来上がってきたのである。双方にわたって不幸な相談窓口を作り上げてきたた責任を厚生労働省はきちっと取るべきだろう。
検証されるべき「自立支援」
指導員、課長など管理職の意向が現場職員の判断を大きく左右することは先に述べたが、これを強力に裏付けることのひとつに監査がある。会計監査員の監査は職員一人一人を呼び出し、その結果順位をつけて評価するというものなので、現場職員の感じているプレッシャーは相当なものだろう。当事者が生業扶助の支給を要求したりして断らざるを得ないときに「監査が大変だから」と言い訳にする職員もたまにはいるのである。
職員の配置が全く行き届いていないことは保護費の削減圧力と同じくらい深刻なことである。相談体制が整わず、助言、指導が適切に行えないことと、構造的失業社会が長期受給者を増やしているのに、その事実には触れられず保護費の増大ばかりが問題にされている。
職員は規定では八十人を一人の職員で受け持つことになっているが、今まで聞いた限りでは施設内の人も含めて二百件を受け持っている場合がかなり見られる。厚生労働省の発表によれば二〇〇三年の時点で全国に職員が一万一千四百八人だが、この法定配置によれば千八十九人が不足している事になるという。二〇〇〇年には三百五十九人の不足だったというから二〇〇六年にはどのような事になっているのか。
また異動が多いことはこの職場のストレスの多さ、やりがいの少なさを物語っている。相談者との間の傷害事件は極端な例ではなく、そのような緊張感は常にあるともいえる。二〇〇〇年度で一般職員の四分の一が異動している。また、指導監督担当職員のうち、担当職員経験がない者が全国平均二六・一%(二〇〇三年度)となっている。相当の専門性が要求される職場でありながら、大学で関連科目を履修しただけの人が研修を経て福祉事務所に配置され、経験を積んだかと思うと他の部署に去っていくということが繰り返されてきた。学校で定められた教科を三科目以上履修していれば、福祉事務所相談員に必要な社会福祉主事となれることから、「三科目主事」とやゆされたりもするゆえんである。
こういった職員配置と監査の圧力によって、利用者への相談活動より、調査、就労促進、出納事務をいかに確実にこなすかが職員の評価に結びつくことになるのである。ある職員は「居宅訪問と支給額計算で精一杯だ。ていねいなケースワークなど出来ない」とこぼしていた。
小泉首相が進める構造改革によって生活保護削減に先駆けて行われたのは、障害者自立支援法制定であり、介護保険の改悪であった。こういった「諸改革」を貫いている「自立の助長」という概念は現場からていねいに検証を続けなければならない。
今まで作業所に通って工賃を受けていた人が、逆に利用料を払って通所するようになる。保障されていると思って安心して介護を受けていた人がサービスを有料で受けなければならなくなる。今まで何とか制度を利用できていた低所得者世帯の人、障害者手帳を取得できていない人、介護保険認定を受けられなかった人が、生活保護を申請するケースは増えると思われる。
他方で、すでに受給している人への風当たりも強くなるだろう。潜在的な生活保護受給者層の裾野はすさまじい速度で広がっているが、下支えする生活保護制度そのものも不安定にされようとしている。地域生活への移行、真の自立が望める状況ではない。
年金制度の実質的な崩壊と低年金受給者の増加を受けて、生活保護支給額の年金支給額以下への削減も厚生労働省は検討しているということだ。改めて税金によって財政面において一元化された社会保障制度、利用者にとって多様性が確保された社会保障制度を構築しよう。 (海田昇)
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