| 2.16総決起集会を成功させよう
かけはし2006.1.30号 |
全闘争団、争議団、原告団の大同団結へ前進を
鉄道運輸機構訴訟
報告集会を開催
一月十八日、東京飯田橋のSKプラザ地下で「鉄道運輸機構訴訟報告集会と2006年国鉄闘争共闘会議新年旗開き」が開催され、百人が参加した。
第一部では鉄道運輸機構裁判報告が萱野一樹主任弁護士から行われた。
「第八回目の口頭弁論が今日開かれた。第二次訴訟は三十六人の原告団で、引き続き六回目の原告団追加も予定されている。争点は三つある。鉄道運輸機構は、@採用問題で、不当労働行為がなかった。解雇は当然だA時効の起算点は最高裁判決ではなく、その以前だB鉄建公団訴訟の一審判決の五百万円の慰謝料は異常に高いものだ――と主張している」。
「@について、分割民営化に反対していた国労に比べて、動労や国労を脱退した鉄産労は協力的であった。国労が反対したから採用されなかったのだ――このように鉄道運輸機構は主張しているがこの主張は組合差別があったことを認めたものだ。A時効について、JRと同時に鉄道運輸機構を訴えることもできたというが、国鉄を引き継いだJRに責任があるかどうかが裁判や労働委員会での争いであった。この点からも9・15判決を受けつぐのは当然だB慰謝料についても、今回の解雇事件が他の一般的な個人における失望や落胆とは違うことは明白だ」。
「9・15判決で認めなかった不当労働行為の全体を認めさせ、解雇の無効を確認させたい。春からは原告本人の証人尋問が始まる。傍聴などの支援をよろしく」。
続いて、川端一男さん(鉄道運輸機構訴訟原告代表)が「われわれが求めているのは原状回復だ。9・15判決ではダメだ。労働処分者に対して、9・15判決は却下したがわれわれは法廷でこれをひっくりかえすためにも闘う。四つの団体がスクラムを組んでいく。われわれの原告は最初は九人から始まった。それから仲間が増えている。2・16集会の実行委が作られた。2・16集会を成功させ、解雇された一〇四七人の枠でせいいっぱい闘って勝利の判決を勝ち取りたい」と訴えた。
たたかいの中で
展望を切り開け
訴訟の報告を終わり、第二部の国鉄闘争共闘会議の旗開きに移った。最初に、国鉄闘争共闘会議二瓶久勝議長があいさつをした(別掲)。
次に、中曽根元首相がNHKテレビで「国労・総評・社会党をつぶすために国鉄分割民営化をやった」と発言したインタビューを放映(05年11月20日)したものとその放送に「国家的不当労働行為=違法行為」を堂々と主張しているのをそのまま放映したことにビデオプレスが抗議している様子を三分間映像にしたものを放映した。改めて、国鉄分割民営化の政治目的が明らかになり、不法行為が公然と行われたことが明らかになるものだった。参加者は怒りを再度燃え立たせた。参加した佐藤弁護士、大口弁護士、国労高崎委員長、建交労委員長、沖電気の解雇と闘う田中哲郎さんのギター演奏や闘う決意が次々と述べられた。
田中さんは「私は四度も最高裁で争った。この国では少なくとも、闘っても命までは取られない。そう覚悟できればなんでもできるものだ。私は寒い冬なので、手袋なしではギターはひけないが、門前でギターをひき、歌を歌い解雇撤回を訴える行動を行っている。ともにがんばりましょう」と訴えた。
最後に、共闘会議副議長の星野良明さん(東京清掃労組委員長)が「9・11総選挙以降、情勢は極めて厳しい。甘い見通しなど持てない。しかし、一〇四七人の首を切られた当事者が結集しようとする端緒が切り開かれた。共闘の仲間は全面的にこれを支持をし、この方向性を支えぬいていきたい。闘いの中で展望が切り開かれる。新自由主義のほころびがあちこちで出てきている。命と安全がおびやかされている。こうした中で国鉄闘争を勝ち抜く。そのことが日本の明るい展望を切り開いていく。こういうわれわれの自信と確信を持ってこの一年間をせいいっぱい闘いぬいていきたい」とまとめの発言をした。2・16集会に参加し、国鉄闘争勝利のために奮闘しよう。 (M)
二瓶久勝議長の発言
解決へ向けた当事者の努力を支えるべき
9・15の判決は何もしないのにポッと出たものではない。9・15判決は原告団を中心とした三年八カ月の闘いの成果だ。それをしっかり確認したい。一〇四七人の当事者が問題を解決するんだということを突き出した。今後は高裁ならびに地裁の裁判を中心にしながら、一〜二年の闘いになるだろう。
今後は大同団結でがんばりたい。なぜかと言うと、四原告団と国鉄闘争団全国連絡会議で主催する2・16集会が決まりました。国労本部との兼ね合いですが、国労本部との関係を修復していくことに何の異存もありません。しかしながら、原告団と国労本部が了解すれば良いことだ。それに私たちがお手伝いできればよい。
しかし、一部には原告団と国労本部を差し置いて、私の共闘会議と中里さんの共闘会議を統一してしまえというような話もある。絶対そうしたことはできません。別れた経過があるからだ。9・15判決を勝ち取ったのはわたしたちの力だ。ここは一〇四七人の当事者の解決能力を高めて、それを全体で後押しする。そういうことが今後の方向性であることは明らかだ。共闘会議は全力をもって闘い抜くことを表明する。(発言要旨、文責編集部)
JR採用差別事件の勝利解決をめざす
1047名 闘争団、争議団、原告団 2.16総決起集会への参加要請
日頃のご活躍に敬意を表するとともに、国鉄闘争とりわけJR採用差別事件への物心両面にわたるご支援に心より感謝とお礼を申し上げます。
さて、JR採用差別の闘いは、一九八七年二月十六日のJR不採用通知となった屈辱的な日から二十回目の2・16を迎えようとしています。
この間、紆余曲折を辿った国鉄闘争ですが、二〇〇三年十二月二十二日に最高裁は「JRの法的責任なし」との不当判決を出す一方で、「組合差別があった場合は、その責任は旧国鉄及び清算事業団が負う」と責任の所在を明確に示しました。また、ILOからは六度にわたる勧告が日本政府に出されています。
昨年九月十五日、鉄建公団訴訟裁判で東京地裁民事36部は、「国鉄によるJR採用者名簿作成で国労差別があった」と初めて司法の場で不当労働行為を認定したものの、「解雇は有効」とする捻れた不当判決でありました。これらの動きに対しマスコミ各社は、「政治の責任で解決の時」と一斉に報道がされました。当該労組、被解雇者はもとより各労組・団体・支援者からも「9・15判決を機に解決を!」と、この時期に解決に全力をあげることが表明されています。
私たち被解雇者は、こうした情勢を踏まえ政府、鉄道・運輸機構に解雇撤回・勝利解決を迫って行くには「一〇四七名の大同団結と共同行動が不可欠である」との認識の一致から、この間幾度かの意見交換を重ねる中で、被解雇者一〇四七名による集会実行委員会を発足させて、下記の通り「2・16総決起集会」を開催することになりました。
つきましては、集会成功に向けた貴団体の絶大なるご支援とご協力をいただけますようご要請申し上げます。
記
1、名称 JR採用差別事件の勝利解決をめざす1047名 闘争団、争議団、原告団2・16総決起集会
2、日時 2006年2月16日(木)午後6時開場 6時30分開演〜8時30分終了
3、会場 日本教育会館(千代田区一ツ橋2―6―2)
4、主催 1047名被解雇者 2・16集会実行委員会
5、内容 オープニング、基調講演、ビデオ上映、被解雇者5団体決意表明
国労闘争団全国連絡会議 議長 神宮義秋
国労闘争団鉄建公団訴訟原告団 団長 酒井直昭
国労闘争団鉄道運輸機構訴訟原告団 団長 川端一男
全動労争議団・鉄道運輸機構訴訟原告団 団長 池田孝治
動労千葉争議団・鉄道運輸機構訴訟原告団 団長 高石正博
2006年1月17日
樋口篤三さんの出版記念と喜寿を祝う会
一月十四日、東京・後楽園会館で「樋口篤三さんの出版を記念し喜寿を祝う会が開催され、百五十人以上が参加した。
「樋口さんの最新の著書『靖国神社に異議あり』(同時代社)は戦後六十年の「8・15」に合わせて発刊されると同時に多くの読者に感銘を与えました。……
樋口さんは食道ガンという病に冒されながらも、三人の兄たちへの鎮魂の思いと自分が関わっているさまざまな運動への使命感から、ついに原稿を書き上げ、かつ、病魔を克服し、現在も意気高く活躍されています。
いまの時代、私たち一人ひとりが、その生き方を問われているように思われます。そういうときだからこそ、樋口さんの思想と行動は私たちをおおいに励ましてくれています。……」(案内文より)
一部で樋口さんは最初、戦争で死んだ三人の兄弟の話と靖国神社問題の性格を明らかにした。「靖国神社問題はアジア人民から猛烈な反発があり、保守が割れていて政治闘争の焦点となったことにより、勝てる課題だ。ぜひ、ここで保守を追いつめる必要がある」。樋口さんは、さらに「日本における横断左翼の必要性と日本、韓国(朝鮮)、中国を結びつけた国際的展望を持つ」ように訴えた。
この後、山崎耕一郎さん(社会主義協会代表代理)と川上徹さん(同時代社)がコメントした。、武建一さん(全日建・関西生コン支部委員長)、戸塚秀夫さん(東京大学名誉教授)からのアピールが読み上げられた。保坂展人社民党衆院議員、日森文尋社民党衆院議員のあいさつの後、キューバ大使が長年の樋口さんのキューバ人民への連帯運動に対して感謝の気持ちを述べた。
国労本部佐藤委員長、小塚尚男さん(生活クラブ生協神奈川県顧問)、吉川勇一さん(市民運動)、白鳥良香さん(元静岡県議)など多くの人が、「樋口さんとの出会い、果たした役割」について、語り、樋口さんのこれまでの健闘を讃えた。樋口さんの人柄が作り出したさまざまな思想や運動の経験の人たちが集まり、懇談の場ができた。樋口さん、これからも健康に留意され、ともにがんばりましょう。 (滝)
コラム
「豪雪地帯」で
東京が雪に見舞われた一月二十一日も友人は朝早く実家に帰った。彼の実家・故郷は新潟県十日町市。いわずと知れた日本有数の豪雪地帯である。六〜七年前に通称「ホクホク線」と呼ばれる北越急行が越後湯沢から直江津まで開通し、今では上越新幹線を利用すると東京駅から家まで二時間半もかからないという。
彼の実家は一昨年秋の中越地震で半壊した。彼に言わせると築八十年も経った「文化財」のような木造家屋で、修理も改築もできずに昨年秋に新築した。彼は中越地震の翌日、上越新幹線も上越線も止まってしまっていたので、長野まで新幹線で行き、長野の駅前でレンタカーを借り、実家に駆けつけた。被災直後から新しい家ができるまで、家の片付け、半壊した家の雪降ろしと月に二〜三回は実家に戻った。
「新しい家は屋根にヒーターを通した融雪設備を取り付けたから、この冬から雪降ろしに帰る必要がない」とつい先日まで自慢げに屈託なく笑っていた。しかしこの冬の大雪は彼の思惑を超えて屋根の雪降ろしはなくても、屋根から落ちた雪が家を塞ぎ、家から道路につながる道を毎日のように雪かきをしなければならない。八十歳を超えた両親にはあまりにも辛い仕事である。そのため、彼は再び毎週のように実家に帰っている。
故郷は彼の自慢である。「雪は多いが、水も酒もうまいよ。コメは魚沼産コシヒカリの本場だし、布海苔をつなぎに使ったへぎそばは絶品ですよ」。私が山に登るのを知っているから夏になると、「秋山郷に行きましょう。秘境ですよ。苗場山や鳥甲山など二千メートル級の山に囲まれ、水がきれいで、なによりいいのは上高地や尾瀬のように人が来ないことですよ」。
その言葉に誘われて数人で津南町と十日町市の間にある旅館に出かけた。「雪見と温泉」三昧である。越後湯沢駅で降りると「国境の長いトンネル……」らしくすでに二メートル近い雪があり、旅館は三メートルの雪に埋もれていた。確かに「雪見と温泉」ではあるが、真っ白な雪しか見えない。帰る日、旅館の車で近くのバス停まで送ってもらおうとすると道路は雪崩で塞がり、三十分程除雪を待つことになり、予定のバスに乗り遅れた。旅館の好意で、飯山線の森宮野原駅まで送ってもらった。この駅こそあこがれの秋山郷への長野県側の入口であることを駅の説明板ではじめて知った。その三日後に「通行止めになった国道四〇五線」の両脇はバスより雪壁が高く、津南町の市街地でさえかろうじて家の屋根が見えるだけである。融雪設備のない多くの家は、一階の屋根から二階に登る常設のハシゴが取り付けられており、一メートルを超えるつららも垂れ下がっていた。私は雪国の育ちだがこんな大雪を知らない。ただただ仰天し、びっくりするだけであった。
降ろしてもらった森宮野原駅のプラットホームの横に「最高積雪七メートル三五センチ」書かれたポールが立っていた。一九四五年の冬に記録した積雪量である。二階建ての駅舎の屋根より高い。この冬も線路脇の雪は電車の屋根よりはるかに高い。
日本一のコメの産地は日本屈指の豪雪地帯であり、有数の過疎地である。老いた人間にあの豪雪は重い。水分が多い雪は老人の力をはね返す。「豪雪地帯」という言葉の持つ意味も、予想を超えるスピードで過疎が進行する事態の本質もはじめて垣間見た。
千曲川沿いに走る飯山線の車窓からは、大雪のせいか島崎藤村の「千曲川スケッチ」がそのままであった。「雪見と温泉」も含めて、思い出が残る旅行となった。(武)
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