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政府に対する青年の怒りが共感を呼び全国で反乱      かけはし2006.1.16号

治安対策を正当化するための非常事態法

逮捕された青年の姉に聞く

警察に証拠がないことを認めながら即決裁判

 大都市郊外での青年の反乱の後、数千人が逮捕され、そのうち数百人が即決で有罪判決を受けている。これはまさに政府のウルトラ弾圧策の結果にほかならない。他の多くの仲間と同じく、十八歳のメディ君も不当にも有罪判決を受けた。
 十一月二日から三日にかけての夜、自分の仲間数人とともに逮捕された。自動車に火をつけたという罪状で起訴された彼は、六カ月の刑(実質三カ月の禁固)を宣告された。メディの姉、ファティア(注)、が事態について語ってくれた。

――あなたの弟はどのような情況で警官に逮捕されたでしょうか?

 弟は、仲間の一人を探しに出かけたのです。その帰り道、弟とその仲間は、自動車が燃えているのを見たのですが、連中が自分たちに罪を着せる恐れがあると思って、帰宅することに決めました。まさにちょうどその時に、警官に尋問されて、警察に連行されることになったのです。
 尋問中、弟たちは殴られ、四十八時間勾留されたままでした。警察は、燃えた自動車の側でガソリンの容器を発見し、それについている指紋を検査したのですが、そこで検出されたどの指紋も弟や仲間の指紋とは一致しませんでした。弟たちは身体検査もされましたが、火をつけることができるようなものはいっさい出て来ませんでした。しかし、それでもやはり、単に現場近くにいたというただそれだけの理由で、起訴されてしまったのです。

――即時出頭裁判はどのように行われたでしょう?

 警官たちが証言しましたが、それぞれの陳述には大きな食い違いがありました。弟とその仲間の陳述は、逮捕以来相互に引き離されて接触できなかったにもかかわらず、全員が同じ内容でした。警察は、現行犯でもなく、証拠もないということを認めました。
 でも、検事は、「警察官は宣誓しているのであるから、彼らの陳述を信用しなければならない」と述べて、六ヶ月の禁固刑を求刑したのです。弟には弁護士と協力して自分の弁護を準備する時間がほととんどありませんでした。判事は、六ヵ月の刑(実質三ヶ月の禁固)を言い渡し、全員が即時、収監されました。

――弟さんは自分の無実を証明するためにこの判決について控訴することを考えているのでしょうか?

 いや、控訴しません。彼はむしろ、控訴することによって罪状が重くなる危険を冒したくないのです。私にも、控訴審が、今日では一審の罪状をそのまま認めるか、その罪をいっそう厳しくすることになることが、分かっていました。即時出頭裁判がそうであるように、控訴審もまったく信頼できない、と言われています。

――獄中での生活はどのようなものなのでしょうか?

 困難なものがあります。弟はもはや学校の授業を受けることができません。彼は、拘留されている人びとの間で騒動や暴力行為があるので、他の囚人たちと交わりたくないと思っています。
 母は面会室で弟と面会することができました。私はと言えば、携帯電話を身につけているという理由で、面会を断わられてしまいました。私は、携帯電話をそこに預けていくからと申し出たのですが、看守はいっさい聞き入れようとしませんでした。

――弟さんとあなたはこの間の一連の事態についてどう感じていますか?

 弟はうんざりしています。不公平感を抱いています。その上、獄中で自分が何をするのかも分かっていません。私自身はと言えば、私も反乱派です。自分の心の中には憎悪が渦巻いています。

聞き手――フィリップ・サルティ

 注 弾圧を防ぐために、場所や固有名詞は変えてあります。
(「ルージュ」05年12月1日号)


しっぺ返しを食らったサルコジ内相
植民地支配の歴史をめぐる評価に現地住民が激しい怒り

 郊外青年の反乱に対して、それら青年たちを「社会のくず」と呼び、強権的弾圧を強行したサルコジ内相は、フランスのマスコミによれば、その強硬路線によってかえって「世論」 の高い支持を得ているという。サルコジをはじめとするフランスの与党勢力は、フランスの植民地支配の過去を正当化する法律を承認した。二〇〇五年二月二十三日に採択された法律(二月二十三日法、旧植民地からの帰還者支援法)の第四条は、学校教育の課程で、フランスのかつての植民地における存在が肯定的役割を果たしたという点を教えることを認める、としているのである。サルコジをはじめとする右翼与党勢力は、この第四条を削除すべきだとする提案を十一月末、多数決で却下したのである。そこには郊外青年に対する弾圧とまさに同じ思想が貫かれていると言わなければならない。だが、サルコジの「人気」は、フランス本土以外には通用しないことが明白になった。議会におけるこの第四条の却下は、ただちにアルジェリア政府からの抗議を引き起こしたし、サルコジが十二月に予定していた、カリブ海地域のマルチニクとグアドループへの訪問は、現地住民の激しい怒りの中で、中止を余儀なくされた――編集部

カリブ海地域の
訪問が中止に

 フォール・ド・フランス(マルチニク)で千人、ポワンタ・ピートル(グアドループ)で三百人のデモが行われ、マルチニクの詩人エメ・セザールがサルコジに会うのを拒否すると発言。その結果、フランスのサルコジ内相は、アンティール諸島への訪問を断念せざるを得なかった。これは、フランス帝国主義の過去の植民地支配を「積極的な役割」を果たしたとして承認した連中に対する勝利である。
 最終的に正義が実現された! 偶然の日程のめぐり合わせによって、海外でのフランスの存在が果たした「積極的役割」を認めた二月二十三日の法律の第四条を十一月二十九日に承認した後、マルチニク島の数千人の人々の怒りを全面的に受けることになったのは、サルコジ内相であった。
 UMP(右翼の与党連合)の指導者であり、フランス国民議会の多数派の長であるサルコジは、この破廉恥な法律案の採択の主要責任者なのである。そして、この採択がこの人物のこの間の発言と行動と姿勢の右翼的路線の一貫であることは、明白である。
 植民地主義を賛美する訴えから、「郊外」の「くず」を「カルシェール」(掃除機)を使って清掃するなどという猛々しい宣言に至るまで、これらを貫いている糸は同じである。サルコジは、極右派国民戦線のル・ペン党首と同じ土俵で有権者の票を刈り取りたいと必死になっているので、結局のところ、ル・ペンそっくりになってしまった。フランスの「おまわり」の長官は厚かましい男なのだ。彼は、アンティールやギアナの出身の人々を含む移民を侮辱しておきながら、われわれのところを訪問すると主張したのである。彼は、自身の政策によって「滞在許可証を持っていない状況」におかれているアフリカ系その他の移民を追放する政策をさらにエスカレートさせる決定を下しておきながら、その後で、「母国」の寛大さを自慢するためにやって来たのである。
 サルコジ内相の訪問が発表されると、憤激の渦があらゆる住民に行き渡った。宣言が次々と広がっていった。抗議と反撃のイニシアチブが至る所で生まれてきた。GRS(革命的社会主義グループ、第四インターナショナル・アンティール支部)がこうしたイニシアチブを無条件に支持した。われわれの同志たちは至るところで、すべての大衆的闘争機関の中で大衆動員を築くために、活動した。十二月七日と八日のデモンストレーションを呼びかけるアピールは、反植民地教育の復活の第一歩となった。われわれはこの教育が差し迫って必要となっているという点をたえず訴え続けてきた。
 一方におけるCDMT(マルチニクの医療部門の主要組合)と他方におけるPalima(マルチニク解放党)のアピールに応えて、ある種の共闘委員会が生まれた。そこには、とりわけ、FSU、Unsa、UGTM(マルチニク労働者総同盟)、SUD、UFM、LDH、CRS、CNCP、PPM(マルチニク進歩党)、Modemas(主権をもつマルチニクをめざす民主的、エコロジスト的運動)、PKLS(社会主義のためのマルチニク独立党)、記憶の義務グループ、Attacなどの団体や数多くの個人を見ることができた。
 作家エメ・セザールがサルコジに会うことを拒否した。これは、フィンケルクロート(フランスの哲学者、植民地支配の過去を問題にする人々を批判し、植民地支配を正当化するような議論を展開している)の人種差別的意図を承認したばかりの、高慢なこの内相の政策と挑発を住民が拒否していることを明白に示すものであった。サルコジは結局来なかったし、これはすばらしいことである。しかし、大衆動員は、二月二十三日の法律の撤廃を勝ち取るために、現在も続いている。
 十二月七日のデモは、二千人を動員した。二つの共闘委員会はその行動を続ける。CRSは、フォール・ド・フランスでの十二月十三日の集会で重要な役割を果たすに違いない。植民地主義に反対する世界行動日である二月二十一日は、二つの共闘委員会が設定している重要な出会いの場となるだろう。
 ジルベール・アルタンボー(フォール・ド・フランスから)(「ルージュ」(2138号、2005年12月15日)



犯罪担当部局がサルコジ発表を否定
貧困の種を撒いた政府が嵐の報いを受けている

 都市郊外の青年の反乱に関するRG(一般情報局)の最新の報告はサルコジの発言を否認するものとなった。この報告によると、組織的な集団も、マフィアも、指導者もいない。郊外の反乱の現実は内相の信用を失墜させた。
 サルコジはやはりでたらめを言っているのだ。今回は、彼自身の情報部門が彼とは反対の主張を行っている。セーヌ・サン・ドニ県のクリシー・スー・ボワで警官に追われた二人の青年が変電所で感電死した直後に、これは泥棒をめぐる事件なのだとサルコジ内相が発表したことを、われわれは思い出す。ところが、今回の調査がそのような事件が何ら発生しなかったことを立証したのである。十一月末、サルコジの主張を否認したのは犯罪担当部局であった。その調査によると、街頭で尋問された人のうちの七五%は、警察がすでに知っている軽犯罪者であった。裁判の大部分が明らかにしたのは、告訴された者のうちのわずか二〇%から二五%が再犯にすぎなかった。
 今日では、「内相のすばらしい分析」は、マスコミが暴露したDCRG(一般情報局中央司令部)の報告によって無に等しいものにされてしまった。十一月三日以来、サルコジ内相は、発生した暴力が「けっして自然発生的なものではなく」、「ごろつきの徒党」や「マフィア」や「原理主義者」によって「完全に組織されていた」と宣言してきていたのだった。
 一般情報局の調査は、この時期についてそれとはまったく異なる説明を与えている。まず第一に、それが「指導者も、要求綱領の提起もない、時間と空間という点において団地地域の大衆的反乱の出現という特徴をもつ非組織的な決起という形態」をとったものである、という点をこの調査は指摘している。
 続いて、この報告は、一部の人々が主張したがっているような「エスニック的=宗教的戦争」であるとする評価に反論して、「フランス社会から排除されている自らの社会的待遇にもとづく強いアイデンティティーの感情が存在している」と語っている。同報告は明確に「青年たちは、自分たちの貧困と肌と皮膚の色、自分たちの名前によって不利益を受けていると感じている。破壊行為を働いた人々は、フランス社会における展望の欠如と仕事が与えられないという境遇にともに直面しているのである」と述べている。
 たとえ、サルコジ内相が新聞やテレビのマスコミの中で、この報告が発表されなかったものであって、全体としてその現実を明らかにしていないと必死になって弁明しようとしても、彼の虚勢に関心を向けるものは誰もいないのである。
 サルコジ内相、ド・ヴィルパン首相、シラク大統領は、自分たちの治安対策を正当化するために条件反射的な恐怖の反応を組織している。この政府は、非常事態法と夜間外出禁止令を強引に敷いた。そして、こうした連中によれば、団地地域の反乱は、組織的なごろつきやマフィア集団や原理主義集団が一定の役割を果たしているから生じているにすぎないというのである。これによって、社会政策の欠如、首切りによるフランス経団連への国家の従属、最も困難な住民が直面している人種主義的差別、を黙って見逃すことができるからである。
 貧しい人々と排除された人々の反乱は絶えることはない。一般情報局は明確に述べている。「今日を支配をしている平穏であるかのように見える状態は、問題の根本が解決されたという考えを裏付けるものであると考えてはならない」。みんないっしょになって、われわれの声を聞き届けさせるために自らを組織しなければならない。貧困の種を撒いた政府は、それによって嵐を招くという報いを受けているのだ。
(「ルージュ」(2138号、2005年12月15日)


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