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第3回ヨーロッパ反資本主義左翼会議           かけはし2002.5.27号より

イギリス社会主義連盟(SA)が地方選で躍進

軒並み10%を超える得票

 社会主義連盟(SA)は五月二日に行われた地方選で二百九人の候補者を立てた。これは、今まで最左派が擁立した最大の立候補者数である。選挙結果もこれまでで最良のものであり、昨年の総選挙より減少することも計算に入っていたにもかかわらず、実際ははるかに良かった。
 この中で、選挙結果には地域によってかなりの差異があった。一部の地域では、はっきりと突破口を作りだしたといえるものであったが、一部はそれほどでもなく、将来の挑戦への里程票といえるものだった。社会主義連盟の名は広範に知られるようになった。
 社会主義連盟は、ロンドンでは立候補した八十八の議席で平均で七・五%を獲得した。それはロンドン市議会選挙時の約二倍である。最高の地区はハックニーで、同地区で争った十三議席の平均で一二%近く獲得した。社会主義連盟は、十三の選挙区のうち十区で保守党に勝利した。この結果は、ハックニーに存在していた危機と、同地区の社会主義連盟の強力なキャンペーンの双方を反映したものである。
 立候補したジャーナリストのポール・フットは、クリソルド区で二〇・八%という最良の成績を残した。彼に続いたのが一七・五%を獲得したポリー・マッチャム(ハックニー・ダウンズ区)と一六・三%を獲得したリチャード・ピーコック(リーブリッジ区)である。両者はともにとりわけ障害者運動できわめて積極的に活動した。
 ロンドンの他の部分でも同様に大きな成果をおさめた。キャムデンでは、アラン・ウォルターズが一四・二%を獲得し、ハリンゲイではシモン・ヘスターが一六・六%を獲得した。
 ランベス(ブリックストン・ヒル区)ではジュリア・フォールが一二・八%。ニューハムではフォレスト・ゲート・ノース区のポール・フィリップスが一二・七%、フォレスト・ゲート・サウス区のムヒン・ハクが一二・五%を獲得した。
 タワー・ハムレッツ区ではマーク・ウィークスが一七・四%、ウォルサム・フォレスト区ではリー・ロックが九・二%だった。
 ロンドン以外では、最高の票を得たのはウィガンで、そこではバリー・コンウェイが二一・四%、ジュディス・フォード(ホイーリー区)が八・三%だった。メーカーフィールドではマイケル・ドハーティーが一二・七%、ジャッキ・ポイントンが九・九%だった。スウィンドンでは、アンディ・ニュートンが一〇・九%を獲得した。
 こうした結果は、社会主義的政綱に基づいて立候補した候補者が獲得したものである。この政綱は、福祉支出の切り下げや民営化に反対しただけではなく――それは重要なことではあるが――戦争反対、パレスチナ連帯、難民の権利の防衛をふくんだものだった。
 これは、社会主義連盟にとって重要な前進である。われわれはいまや社会主義連盟を建設し、それをさらに活性化させるチャンスを手にしている。
 社会主義連盟は、自信を持ってこの選挙戦に入ったわけではなかった。いくつかの補欠選挙の結果は良いものではなく、多くの社会主義連盟のメンバーは今回のわれわれの選挙の見通しについて確信がなかった。
 今回の選挙はこうした状況を変えた。それは選挙活動におけるわれわれの自信を増大させ、将来の活動を元気づけるだろう。社会主義連盟は好調である。この数カ月で、社会主義連盟は千人以上の活動家を結集した労働組合会議を行い、選挙で好成績を収めた。
 タワー・ハムレッツとルトンでは近いうちに補欠選挙がある。そこでもきわめて良い結果が期待できる。
(英「ソーシャリストアウトルック」02年5・6月号)               



第3回ヨーロッパ反資本主義左翼会議

資本主義EU権力と対決する複数主義的左翼潮流建設の大きな前進

 統一ヨーロッパ資本主義権力と対決する現実的選択版として、反資本主義左翼潮流を作り出そうとする闘いが大きく前進している。以下は、昨年十二月にブリュッセルで開催された第3回反資本主義左翼会議についての報告である。反グローバリゼーション運動の広がりを基盤に、社会主義をめざす左翼の攻勢の時代が始まった。


 この会議には、ヨーロッパ十カ国から党、連合および反資本主義運動が参加した。すべてそれぞれの国で組織的再編と再結集の政策に関わっている諸組織である(注1)。この第三回会議は、リスボン(二〇〇〇年三月)およびパリ(二〇〇〇年十二月)で行われた会議に比べて、参加数、政治討論の質、合意内容において大きな前進を遂げた。
 イタリアの共産主義再建党(PRC)が初めて参加し、全国指導部の二人のメンバーが代表として出席した。(同党の前身である)旧イタリア共産党から受け継いだ国際関係の継続性を問うことなく、同党は数年間にわたって「多様化」の方針を実践してきた。共産党の伝統を持つ他の政治組織も参加した。すなわち、オランダ社会党(注2)、ルクセンブルグの「ラ・ゴーシュ」(共産党、第四インターナショナル支持者、共産党を離党した潮流で構成)、トルコODP(自由と連帯党、共産党、ゲバラ主義者、毛沢東主義者、第四インターナショナル潮流で構成)である。

 出席した他の諸組織は、種々の潮流を均等にバランスを取った、複数主義的性格を持っている。すなわち、ポルトガルの左翼ブロックは、構成は非常に包括的で、UDP(毛沢東派および新アルバニア派出身の「マルクス・レーニン主義者」、最大潮流)、PSR(第四インターナショナル・ポルトガル支部)、および共産党出身の小さいが非常に重要なグループを含んでいる。デンマークの赤と緑の連合(RGA)は、共産党員、左派社会党員、第四インターナショナルのメンバーを含んでいる。
 さらに、最近結成されたばかりの社会主義連盟(イングランド)は、労働党の左側のダイナミックな要素である。種々の潮流の統合の程度は現在は明らかに弱く、トロツキストグループ、とりわけ社会党(SP)(注3)が分かれた後の社会主義労働者党(SWP)が支配的な役割を演じている。したがって、この会議では、SWPとSPは独立した存在であった。
 SSP(スコットランド社会党)は、スコットランドにおいて際立った政治的原動力となっている。すなわち、種々の潮流(種々のトロツキストグループ、ナショナリスト左派、左翼社会主義者、エコロジスト)の統合の程度は、ポルトガルの左翼ブロックやデンマークのRGAに匹敵する。
 エスパシオ・アルテルナティボ(スペイン)は、種々の潮流で構成されているが、メンバーの大多数は統一左翼(スペイン共産党支配下のイスキエルダ・ユニダ)のメンバーまたは元メンバーであり、ここでは第四インターナショナル支持者が大きな役割を果たしている。
 フランスLCRはこれらの会議に最初から関わってきたが、逆説的な状況におかれている。すなわち、新しい広範な反資本主義的労働者の党の形成を追及しているが、今のところ他の諸国では存在するようなパートナーを持っていない。
 リュット・ウーブリエ(労働者の闘争派)は、よく知られた代表であるアルレット・ラギエを通じて選挙では大きな影響力を持っているが、トロツキストのみの統一のプロジェクトを持っており、共産党、社会党やグリーンから来た重要な組織された潮流は存在していない。
 われわれは、非常に異質な出身、伝統、イデオロギー的残留物、内部体制、機能と活動の方法を持つ政治的諸組織について話し合っている。これらの異質性は、政治的結集を妨げるものではなく、政治的結集は新しい参加者を増やし、引きつけるだろう。
 なぜか。第一にわれわれは、当面革命が日程に上っていないときに、社会民主主義やスターリニズムとは異なる、新しい「反資本主義的な」共通のアイデンティティの出現を目撃していることは疑いない。共通の政治的なシンパシーが存在しており、それは、現在構築されている欧州連合に対する根底的反対、日常の階級闘争への関与、社会的問題に対する関心の集中、資本主義的グローバリゼーションに対する闘争、あらゆるレベルの民主主義的要求、などに結びついたものである。
 したがって、排除されたものの中から登場し、現実の社会生活に影響を与えることができるという新しい政治的機会に直面しているという明確な意識が存在する。これを行うには、非常に多様な政治的諸勢力間の統一、単なる一時的統一行動や選挙連合にとどまらない統一を作り上げることが必要である。政治的内容と行動における結集の過程を、手を携えて進めることが必要である。
 ここで、この結集の過程における、一九六五―一九九五年にかけた革命的前進と反動的下降の二重のサイクルを通じて成熟を遂げた政治的世代が果たした役割を指摘することができる。そのおかげでこの会議は、伝統的政党の指導者がそれぞれの政治的路線を「討論」するときに陥りがちな二つの落とし穴を乗り越えることができたのである。
 すなわち、伝統的政党の指導者たちの外交的遭遇は陳腐な無表情な言葉や逸話的経験の対置によってつまらないものなっていた。われわれはまた、「革命的」小グループの伝統のよく知られた特徴を避けることができた。すなわち、政治的論争を不毛にし、共同作業を掘り崩すイデオロギー的対立である。
 新しい国際情勢に関するポルトガルの同志の報告はこの立場から行われ、有益でグローバルなものであった。だれもが関心を持つ重要な問題にアプローチし、議論によって支持された政治的判断にもとづいて組み立てられ、討論にいざなう調子で行われた。この報告は、次の二つの問題を中心にしたものであった。
 一、以前の政治情勢との不連続はどの点にあるのか。また、帝国主義の反撃(戦争、労働者階級への新自由主義的攻撃の新しい波を発生させる景気後退、反テロリズムを口実とする民主主義的空間を狭める動き)はどこまで進むのか。
 二、帝国主義は、資本主義的グローバリゼーションに反対する運動、社会的闘争、種々の形態の抵抗、搾取され抑圧された人々の社会的政治的運動のルネッサンスの鎮圧に成功するだろうか。戦争に反対する闘争における反グローバリゼーション運動の役割は何か。どのようにすればグローバルな社会的運動を再び開始し、階級闘争との結合を強化できるのか。
 二つの側面が討論の中心になった。第一は、イスラム原理主義とその反資本主義的力学の可能性に関するものである。第二は、反戦運動とその政治的方向性である。SWPは、フランスにおける反戦運動の弱さの理由の大きな部分がLCRの路線にあるという主張の主唱者であった。
 政治的イスラムの分析に関しては、完全な一致には到達しなかったが真の前進があった(SWPは、ビン・ラディンおよびアル・カイーダに同情的な動員の潜在的な反帝国主義的側面を主張し続けた)。しかし、SWPは、フランスの運動の(相対的)弱さの原因が綱領的内容のせいであるということを会議に確信させることは困難であった。
 ヨーロッパで最も強力な運動はイタリアの運動であるが、イタリアのPRCの代表が述べたように、イタリアの運動はフランスの運動と似た方向性、すなわち、何よりもまず帝国主義者の戦争を弾劾し、タリバンおよびアルカイーダを非妥協的に拒否するという二つの軸を中心とする方向性に基づいている。
 また、次のことも指摘しておく必要がある。すなわち、英国社会党(旧ミリタント派)は、ヨーロッパに関する不一致を理由として宣言への署名を拒否した。彼らは、現在の景気後退がEU内部の保護主義の高まりをもたらし、種々の加盟国を互いに対立させ、EUを存在の危機に導く可能性がある(特に、ユーロとの関連で)と主張した。この立場を主張したのは彼らだけであった。
 会議が再編された急進主義左翼からSWPやLCRのような革命組織までの広がりをまとめることに成功したのは、ジェノア以後イタリア国内だけでなく他のヨーロッパの共産党から見ても政治的威信が急上昇しているイタリアのPRCの存在によるとことが大きいとしても、達成された政治的結集の深さを過小評価すべきではない。
 今日の世界では、急進主義左翼の諸党のイニシアティブは物事の第一義ではない。なぜなら、現在運動の活動家層のバイタリティと政治的創意性をもたらしているのは資本主義的グローバリゼーションに反対する「新しい」運動だからである。
 歴史は、これは一つの段階に過ぎないことを教えている。将来、運動内部の弁証法がどのように進むのかが明らかになるだろう。それまでの間に、われわれは会議の進展と限界を明確に評価することができる。参加してくる各組織は、独自の分析とプロジェクトを持っており、共同作業をするには絶対的な一致は必要ではない。しかし、会議を継続することが必要である。その理由は本質的には次の通りである。
 第一点は、基本的なことであるが、社会民主主義および緑の党、および(これとはやや関係は異なるが)共産党とは明確に区別される政治的潮流が存在していることである。この潮流は、一九九〇年代の初め以来、結集、複数主義、反資本主義のテーマをめぐって次第に自らを確認してきた。
 これは、鉛の時代(一九八五―一九九五)の後の社会民主主義の「新自由主義化」と革命的左翼の消耗から生じたことである。この時期に、同時に階級協調の伝統的展望も社会主義革命の展望も消滅した。これらの急進的組織は、地域的、全国的、ヨーロッパ議会に影響力をもち、参加することさえできた(その国の選挙制度が選挙の民主主義を完全に圧殺していない場合)。
 ここから簡単な政治的結論が導かれる。全国レベルで達成したことを、ヨーロッパ・レベルで達成できないことがあろうか。EUがますます制約的で重苦しい制度的枠組みになるほど、なおさらそうである。さらに、左翼「既成」政党の「インターナショナル」やヨーロッパ的展望の独占から離れられないことがあろうか。
 ここから現実的な結論が出てくる。すなわち、われわれは集まって会議を持ち、共通の立場を取り、いっしょに行動する必要がある。もちろん、各組織が他の統一の枠組みに関与していることを承知の上で行うのである。
 第二点は、第一点より重要であるが、資本主義の攻勢の残酷さと労働者階級の対応能力の間の巨大なギャップである。百二十五年間で初めて、社会のオルタナティブなビジョンが存在せず、オルタナティブな行動のプログラムも、大衆的規模のオルタナティブな組織化された運動も存在していない。
 この真空状態は未曾有の事態である。この真空状態を単独で埋める手段や信頼を獲得している急進的組織や革命的組織は存在しないし、他の戦闘的左翼と対立していてはなおさら可能性は少ない。労働者の運動や社会的運動の中の、あるいは既存の左翼諸政党が存在しているところでは既存の左翼諸党の中の、生きた勢力を結集する辛抱強い作業が差し迫って必要である。
 第三点は、EUの建設が疑いもなく進んでいることである。五年以内に、われわれは強力で明確な、なによりも超民族的な国家機構に直面することになる。労働者の運動のイデオロギー的枠組み全体が大いに旧式化し、多くのことが再考と「ヨーロッパ化」を迫られるだろう。すなわち、要求、闘争戦術、行動様式、活動家のネットワーク、組織的つながり、活動家と指導者のチームの構築、などである。反資本主義的左翼は、この過程を逃れることはない。
 第二回会議(パリ)では、EUの批判的分析、その政策の具体的弾劾と全般的(社会主義的)対案に関して、非常に容易に合意に達した。さらに良いことに、われわれは具体的(部分的および反資本主義的)要求、それぞれが自分たちの国で自分の国家や雇い主に対して防衛できるような要求のカタログを列挙することができた。
 しかし、本質的なことが欠如していた。すなわち、搾取され抑圧された人々の闘いがますますヨーロッパ化された経済産業構造とヨーロッパ化された国家機構に向かうこと、経済的政治的権力の中心が移行していることである。労働者の運動の生き残りは、そのヨーロッパ化と結びついている。われわれは、ヨーロッパ的反資本主義的綱領と戦略に向かって、ねばり強く、しかし系統的に前進する必要がある。
 これを行うチャンスが存在している。「ブリュッセル」会議は世界情勢に支配されたが、「マドリード」が、動き出した資本主義ヨーロッパの盾の下で行われることになるのは疑いない。
 (注1)会議の参加者は次の通りである。赤と緑の連合(RGA、デンマーク)、スコットランド社会党(SSP)、社会主義連盟(SA、イングランド)、社会主義労働者党および社会党(英国)、社会党(SP、オランダ)、ラ・ゴーシュ(「左翼」、ルクセンブルグ)、革命的共産主義者同盟(LCR、フランス)、左翼ブロック(BdE、ポルトガル)、エスパシオ・アルテルナティボ(スペイン)、共産主義再建党(PRC、イタリア)、連帯S(スイス、ジュネーブ)、ODP(自由連帯党、トルコ)、プラタフォルマ・デ・イスキエルダ(オブザーバー参加、スペイン)。
 (注2)オランダ社会党は古くは毛沢東主義の出身で、ヨーロッパ議会ではヨーロッパ統一左翼/ノルウェー緑の左翼(GUE/NGL)のメンバーである。
 (注3)イングランドとウェールズの社会党(SP)は、元労働党のミリタント派で、イングランドの社会主義連盟の発足過程の最初には参加していたが、その後セクト的で自己宣伝主義的なコースを取り、連盟を離れた。国際組織「労働者のインターナショナルのための委員会」に参加している。この組織は、最近パキスタン支部(パキスタン労働党、LPP)を排除したことと、スコットランド社会党(SSP)創設の母体であった国際社会主義運動(ISM)の活動家の脱退により弱体化した。  (「IV」02年3月号)


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