| 有事法制と一体の戦時法を許すな かけはし2002.5.20号より |
「個人情報保護法案」「人権擁護法案」の審議が四月二十五日、衆議院と参議院でそれぞれ始まった。この二つの法案と「青少年有害社会環境対策基本法案」は、「メディア規制三法案」と呼ばれている。それは、「個人情報の保護、人権擁護」の美名のもとに、国家がメディアの反政府的報道を監視し、「事業者」と判断されるすべての者に、法の網をかぶせて思想信条を取り締まる治安維持法そのものである。それは戦争国家体制へと国民を動員する「有事法制」と表裏一体のものとして登場した言論封殺法である。
マスコミ各団体・出版社・作家・ジャーナリストらをはじめ、消費者団体や写真・映像関連団体にいたるまで、「表現の自由」に関わる多様な団体と個人は、こぞって反対の声をあげ行動を起こしている。運動が全国に拡がり、世論が盛り上がっている今こそ、この悪法を葬り去る時だ(個人情報保護法の適用例など詳細は本紙01年9月17日号参照)。
「個人情報保護」の必要性は、八〇年代半ばごろから「消費者問題」として議論されるようになった。本人の知らない間に生年月日や家族構成などの「個人情報」が流出し、DMや勧誘の電話がひっきりなしにかかってくる、そんな経験はだれにもあるだろう。特にこの不況に乗じて「士(サムライ)商法」と呼ばれる資格取得教育業者や、悪質な先物取引業者がはびこり、法外なカネをだまし取られる被害が相次いでいる。さらに「被害救済」と称した「名簿取り戻し業者」による二次被害まで起きている。「国民生活センター」によるとその数は十年間で約二十万件。業者間には、強引な勧誘に屈した被害者の名簿「カモリスト」まで出回っているという。行政や公共施設の職員による「データ売買・流出事件」もあとを絶たない。
一方、「IT社会」などと呼ばれる時代のすう勢は、大量の個人データをコンピューターに蓄積し、利用目的に応じて検索や抽出・分類を瞬時に処理している。コンピューターを通じた電子商取引の地球規模の展開と、それに伴う個人情報の保護は、「IT革命」を標榜し推進する上での重要な課題であった。
EU(欧州連合)は九五年十月、加盟国に対して、保護基準が十分でない第三国への個人情報の移転を禁止する指令を出した。欧州を舞台に活動する日本企業は数多い。日本の企業に欧州の個人データが流れてこなくなれば、それはまさに死活問題になる。
こうした流れのなかで政府は九四年八月、「高度情報通信社会推進本部(現・IT戦略本部)」を設置。九八年十一月に同本部は「高度情報通信社会に向けた基本方針(アクション・プラン)」をまとめた。ここで描かれた構想とは「官による規制を最小限にとどめ、業界の自主規制と必要最低限の分野での法整備を図る」という、「業界中心かつ表現の自由尊重」のアメリカ型の対応策であった。「個人情報」と一口に言っても、その内容や使途は業界や企業ごとに異なる。従って情報取り扱いの法制化にあたって、この時点ではあくまで「民間主導」であり、政府の役割は「環境整備」程度だったのである。ところが、この枠組みを大きく覆す転機が訪れる。
九九年八月、「住民基本台帳改悪法」が成立した。国民全員に十一ケタの背番号を割り当て、個人情報を国家・行政が一元的に管理するこのシステム。導入への審議のなかで、個人情報を大量に保有する官庁から民間業者への情報漏洩の危険性が指摘された。議論は「官民両分野への法的規制」へと移り、「包括的法案」の必要性が打ち出された。
かくして「改悪住基法」成立に伴い、「個人情報保護法」の三年以内の制定が条件となったのである。法案の当初の趣旨は、大量の個人情報を保有する官庁および公的機関の規制が大前提とされた。
ところが政府案の中身は、国家および権力者すなわち「官」の情報を秘匿保護し、メディアはもとより国民一人一人が所有する情報の利用に厳しい義務を押しつけ、違反したら罰則を課すという、一八〇度転換した恐るべきものだった。
「個人情報保護法案」は、「基本原則(努力義務)」と「義務規定(罰則あり)」の二つからなる。
まず「基本原則」として次の五つを挙げ、「すべての国民」にその順守を求めている。それは@利用目的の明確化A適法・適正な取得B正確性・最新性の確保C安全性の確保D透明性の確保、である。
「義務規定」は違反すると「六カ月以下の懲役または三十万円以下の罰金」が課せられる。「義務」が課せられるのは、「主務大臣が個人情報取り扱い事業者と認定した者すべて」である。ただし、「放送機関、新聞・通信社、その他報道(機関)の用に供する目的」、「学術研究(機関)目的、宗教活動(団体)、政治活動(団体)などは、この規定は適用しない」という。
本来これらの原則を守るべきは、膨大な個人データを所有する国家権力、警察、官庁、公的機関、地方自治体、大民間企業である。しかし法案は@国の機関A地方公共団体B独立行政法人C特殊法人を「個人情報取扱業者」の規定から除外しているのである。
一方、「義務規定に違反すると処罰」を適用する際の目安となるのは「千人分から一万人分のデータを所有する者すべて」である。インターネットを活用すれば、この程度の情報量を持つことはめずらしくない。法案は、監督大臣の強力な権限のもと、規制と処罰の適用範囲を無尽蔵に拡大し、法の網にかけて取り締まる、まさに言論封殺=治安維持的内容で登場したのである。
メディアはこの間、かなり力を入れてこの法案の問題点を取り上げている。新聞は連日「反対キャンペーン」に紙面を割き、テレビは政府の法案担当者を招いた番組を放送している。このなかで推進派は繰り返し、「あくまで市民の個人データの流出、流用、転用、悪用を制限する目的」と強調し、「メディア規制は杞憂である」と説明している。これはまったくの詭弁(きべん)でありペテンである。
圧倒的な個人情報を保有するのは、先に述べた官庁や自治体、警察と、それによって収益を得る民間企業である。法案はこうした業者について、「業者の権利または正当な利益を害するおそれのある場合」として、「本人への利用目的の通知」などの「義務規定」を除外しているのである。市民が法の趣旨に則って業者を告発しても、「企業の正当な利益を害する(おそれがある)」として一蹴されるだろう。彼らには情報の自由な流通が保証されている。まさに資本に甘く市民に厳しいザル法なのだ。
さて、法の規制を受ける「個人情報取り扱い事業者」とは、いったいだれをさすのか。この線引きも極めてあいまいである。法案作成過程で重要な役割を果たした内閣審議官藤井昭夫(個人情報保護担当室室長)は、朝日新聞のインタビューに答えて言う。「営利・非営利は関係ない。……保有している個人情報の件数によって一定の線引きをするつもりだ。目安として五千件程度を考えている」(3月21日)。
官民を問わず五千件の個人情報(名前・電話番号など)を保有している者が取り締まりの対象となるわけだ。この「五千人」という数字にさしたる根拠はない。「情報の数」は後でどうにでも操作ができる。それよりも、その「利用目的」が問題であることを藤井は匂わせている。「仲間うちだけで使っているのであれば、基本原則に沿って自主的に努力していただければいい。ただ、社会的な活動に伴って利用しているとなると、……義務規定の対象になってくる」。インターネットでの無料メールマガジン発行や同人グループ、掲示板管理者が、そしてインターネットを通じたさまざまなNGOやNPO活動も、規制と処罰の対象になりうる、と藤井は言っているのだ。
この法案のもっとも重要なねらいの一つは、新聞やテレビなど大手メディア、さらにはフリーのジャーナリスト、契約ライター等の取材・報道統制である。
法案は報道機関を「義務規定適用」から除外し「基本原則」を適用するとしている。しかし何が「報道目的」で、何が「そうではない」のかを決めるのは、主務大臣ただ一人なのだ。本法案は政府の委員会でろくな議論も行われず、わずか二年で作られた。作成にあたって大義名分として声高に叫ばれたのが、「メディアの過剰取材・過剰報道による人権侵害」であった。
検討部会の討議が始まった九七年は、「酒鬼薔薇事件」「和歌山カレー事件」など、凶悪犯罪が世間を騒がせていた。これらの報道における「被害者のプライバシー侵害」について、委員の間からマスコミ批判が沸き上がったというのだ。議論の流れは一気に「メディアの過剰取材規制」へと進んでいった。
たしかに新聞や週刊誌は、犯罪被害者・加害者のプライバシーを根こそぎ暴き、あることないことを興味本位で書きたて、世論をあおってきた。それは「狭山事件」や「松本サリン事件」など数々の「冤罪」をも生み出した。彼らは結果的に警察の手先となり、無実の人々を「犯人」と決めつけ、その人生を破壊した。しかし人権意識と運動の高まりのなかで、これらの行為が批判され、メディア自身による―微弱ではあるが―「反省」もされてきた。一方、刑事事件における警察の怠慢や捜査のデタラメぶり(桶川ストーカー殺人事件など)を、さらにはその底知れぬ腐敗を暴露したのもメディアであった。
巨大メディアは、権力に寄生しながらも権力を監視し、告発する重要な役割を果たしてきた。疑惑議員の追及、スキャンダル暴露は、ジャーナリズムの「正義」の体現であった。それは大きな世論を形作り、各種選挙に影響を及ぼしてきた。
法案のねらいは、まさにここにある。各局の報道番組、反権力的記事を書きつらねる日刊紙、週刊誌、月刊誌をこの法律でがんじがらめに縛りあげようというのだ。
自民党は九八年夏の参院選敗北を受けて、同年十月、党内に「報道モニター」を設けた。九九年には「報道と人権等のあり方に関する検討会」がつくられている。そのなかで彼らは「総括的なプライバシー保護・人権保護法制定の必要がある」と主張しているのだ。時おりしも、今回の「メディア規制法」の審議が山場を迎えていた。自民党は昨年「放送活性化委員会」「報道番組検証委員会」などを次々と立ち上げ、「反政府報道」の弾圧に乗り出している。
法案では、「義務規定」と「基本原則」の適用範囲が実に巧妙に区分されている。
大新聞は「義務規定」の「適用除外」になっているが、出版社および、作家、評論家、各種ライターは「除外」されていない。彼らは「報道機関」とは見なされていないのだ。先に述べたように「報道(目的)に値するかどうか」は大臣の主観で決められ、認められなければ罰則が課せられる。
大マスコミだけが適用を除外され、その下で働いてきたフリーランサーが規制と処罰の対象となれば、だれも積極的に危険な取材はしなくなる。法で護られる正規社員とそうでない者が分断され、総じてジャーナリズムの質は低下する。「権力批判」には危険が伴って対価が大きくなる。現在でさえ、政治家からの圧力やクレームは多い。「疑惑隠し」の議員に告発され、ささいなネタで裁判を抱えることは、経営面で打撃になる。政治家のスキャンダル告発には紙面が割かれなくなり、正社員による「皇室記事」のような礼賛・提灯記事や、プロスポーツキャンペーンのような国威高揚記事が紙面を埋めつくす。密室の厚い壁を打ち破りながら権力へ肉薄し、真実を見極めようとするジャーナリズムの質が衰退していくことは明らかだ。
かつて日本が侵略戦争へと突き進んでいった昭和初期、過酷な言論統制の歴史があった。大新聞各紙は生き残りのために、政府と軍に都合のいい情報のみをタレ流して競い合った。それこそ国民を欺き、無謀な侵略―殺りくと、天皇制ファシズムに総動員していった元凶であった。
戦後、彼らは数多の翼賛報道を「反省」し、二度と国民を戦争に駆り立てないという誓いのもと、「報道の自由」「表現の自由」を標榜し謳歌してきた。この理念は、まがりなりにも戦後のジャーナリズムにかかわるすべての者たちの精神的な支えであり、自負ではなかったか。この法案によって、メディアは再び翼賛報道一色に塗りつぶされ、もう一度国民を帝国主義戦争に動員する役割を果たしていくのである。
「人権擁護法案」も参議院で審議入りした。「青少年有害社会環境対策基本法案」は、今国会への提出が見送られた。前者はメディアの過剰取材による報道被害を口実に、権力者の「人権救済」を謳い、後者は凶悪化する少年犯罪を口実に、「青少年に有害で健全な育成を阻害する恐れのある」報道、そして業者を一網打尽に取り締まろうという代物である。
「人権擁護法案」の主要なターゲットもまた、「メディアによる人権侵害」である。法務省の外局として新たに設置される「人権委員会」なる組織が調べる。しかしこれはあくまで法務省の内部組織。事務局も現在の同省「人権擁護局」がスライドする。「独立性」などないに等しいこの形態は、他国には例がない異様なものである。
委員会は「人権侵害」からの救済や予防のために助言・指導(一般救済)をする。「特別救済」として差別や虐待などには調停・勧告・訴訟援助などができる。この「特別救済」の対象のひとつに「報道機関による人権侵害」が規定された。
法案作成者のいう「人権」とはいったいだれの人権なのか。マスコミの調査報道によって汚職とスキャンダルにまみれ、権威を失墜し、罪を問われ、あるいはいまなおのうのうと国会に居座り、血税を食らっている数多の政治家・公人の「人権」である。
法案では、「取材拒否」の意思表示をしてなお、「電話やファクスを送られる」場合、「特別救済」の対象になるという。これもまさに「公人」を想定している。
犯罪被害者や加害者へのマスコミの適正な取材と調査報道は、国民がその事件や事故を正しく点検するために欠かせない行為である。これを規制することは、捜査権のある警察の権限をさらに拡大し、警察情報が――すなわち警察に都合のいい情報――のみがタレ流されることになる。冤罪はさらに増えるだろう。そして警察権力と結託した「公人」――政治家・官僚・資本家たちの不正腐敗は、だれにも知られずに水面下で横行する。
この恐るべき悪法に、全国各地で反対運動が盛り上がっている。四月十三日には、銀座で作家やジャーナリストらがデモ行進した。四月二十四日には日本新聞協会が「同法案断固反対」の緊急声明を発した。
「日本ペンクラブ」「作家共同アピールの会」「雑誌編集長三十四人」「国際雑誌連合」「テレビキャスター七人」「緊急アピール行動」「民放労連」「民放連」「日本書籍出版協会」、さらに「日本写真家協会」までもが反対声明を発表している。地方の新聞社、放送局、通信社など抗議の声も全国に拡がっている。
有事法制と軌を一にした「北朝鮮不審船キャンペーン」。ワールドカップを利用した排外主義的ナショナリズムの鼓舞と、戦後責任の欺瞞的清算。「フーリガン対策」を掲げたハイテク武装警官による「暴徒鎮圧キャンペーン」。「9・11テロ」に乗じた自衛隊派兵による米軍支援、有事法制定前から行われていた民間人の動員要請、海幕による「米軍対日要請」裏工作などなど。戦時体制はある日突然やって来るわけではない。すでに超法規的な既成事実が、戦争準備が着々と進んでいるのだ。
低迷する経済と増大する倒産、失業者群。目を覆うような凶悪犯罪の日常化。少年犯罪の増加。理想や目標のない窒息しそうな社会の閉塞感。人々のフラストレーションは爆発寸前にまで高まっている。一触即発の緊張感のなかで、ささいな出来事は瞬時に殺人事件として展開する。人々の追い詰められた心理は「自衛武装」へと行き着き、それがさらに社会不安を増幅し、犯罪を呼び起こすという悪循環に陥っている。
こうして日本社会がどん詰まり的荒廃状況を呈する時、為政者はその怒りと不満の矛先を他国に向け、巧妙に敵がい心を煽り、内に向けては皇室礼賛報道で挙国一致的世論を醸成していくのだ。
「報道・表現の自由」が剥奪され、国民の「知る権利」が奪われ、「マスコミ不信」を利用したジャーナリズムの分断と解体、御用・翼賛化がもくろまれている。
大新聞や大放送局が報道を抑制し、国家に管理されるということは、人々から抵抗のための、闘いのための術=あらゆる情報を奪い取ることである。ジャーナリズムの危機、反権力運動の危機が迫っている。社会主義者・共産主義者のみならず、ありとあらゆる反体制的言動、改革改良運動を取り締まり、抹殺し、戦争への道をひた走る暗黒の時代に突入している。今回の法案採択を、われわれは絶対に許してはならない。いまこそ廃案への闘いに全力をつくそう。(五月十一日)
追記 五月十二日、読売新聞は一面トップで今回の二法案に対する「修正試案」なるものを掲げた。「報道の自由と個人情報保護の両立を可能にする」という一部手直しの妥協案であり、これをもって今国会での成立を叫んでいる。
だがそもそも、「新聞協会声明」(4・24)で、もっとも頑強に法案に反対したのは、協会会長であるナベツネこと渡辺恒雄読売社長その人ではなかったのか。
おそらくは政府と協会理事の間で、何らかの裏取引があったとみるのが自然であろう。与党内部にも法案への慎重意見が噴出し、足並みが乱れているいま、読売の無責任な転向は犯罪的ですらある。
|