かけはし重要記事

frame01b.html

もどる

条文解説                      かけはし2002.5.13号より

有事法制3法案とは何か(1)


 小泉内閣は四月十六日に「有事法制3法案」(武力攻撃事態法案、自衛隊法改悪案、安全保障会議設置法改悪案)を閣議決定し、翌十七日には国会に提出した。四月二十六日の衆院本会議では同法案の趣旨説明が行われ、審議がスタートした。連休明けの五月七日からは衆院特別委員会(委員長:瓦力・元防衛庁長官)での審議が始まる。小泉内閣は、与党からの批判・慎重意見もふくむ多くの反対を押し切って、五月中にも衆院で同法案を可決し、国会会期を延長してでも有事法=戦時法案の成立を強行しようとしている。
 ここで、「有事法制3法案」の条文に即してその本質を明らかにしていきたい。この法案の検討を通して、それが超憲法的に「国民の権利と自由」を制限し、首相に独裁的な権限を集中して、戦争のために人びとを動員する「戦時強権支配体制」の構築をねらうものであることが明確になるだろう。
 五月二十四日に行われる「STOP!有事法制 5・24大集会」(午後6時30分〜東京・明治公園、呼びかけ:陸海空港湾労組20団体、平和をつくり出す宗教者ネット、平和を実現するキリスト者ネット)をはじめとする一連の行動への結集をかちとり、地域・職場・学園から「戦争法案反対!」の声をとどろかせ、有事法制阻止をなんとしてでも実現しよう!  (平井純一)



「武力攻撃事態」とは何か

--戦時体制確立のための「総論」

 「武力攻撃事態法案」の正式名称は「武力攻撃事態における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律案」である。「武力攻撃事態法案」は、戦時体制確立のための「総論」とも言うべきものであり、戦時体制を発動するために「武力攻撃事態」の定義、その「事態」に対処するための国、地方公共団体、指定公共機関の役割の規定、対策本部の機能、今後の法制整備などについてうたっている。
 「平和と独立」とか「国民の安全の確保」などという言葉をかぶせているが、それは人びとをアメリカが主導する戦争に強制的に動員し、権利と自由を剥奪する「戦時体制」の確立を受け入れやすくするためであることは言うまでもない。
 「武力攻撃事態法案」は四章構成となっている。第一章が「総則」、第二章が「武力攻撃事態への対処のための手続等」、第三章が「武力攻撃事態への対処に関する法制の整備」、第四章が「補則」である。
 「総則」の第一条「目的」の項では、この法案で「武力攻撃事態への対処」について「基本理念、国、地方公共団体等の責務、国民の協力その他の基本となる事項を定め」、「併せて武力攻撃事態への対処に関して必要となる法制の整備に関する事項を定め」るとしている。つまり「武力攻撃事態」という戦争状況の認定とともに、国、地方自治体、国民などが一丸となって、この「事態」に対処すること、その際、国が主導権を発揮して、自治体、「指定公共機関」(後述)、国民を従わせるものであること、そのために今後必要な法整備を進めることが、まず規定されている。その内容については、以後の条文に沿って明らかになる。
 第二条は「武力攻撃事態」とは何かについての「定義」である。第二条一項では「武力攻撃」とは「我が国に対する外部からの武力攻撃」であるという。これだけを見れば、「外部」から日本に武力攻撃があった時に初めてこの「武力攻撃事態法」に基づく「対処基本方針」が発動されると考えられるだろう。ところがそうではない。「事態」という言葉が付け加わることによって「武力攻撃事態」とは「我が国への武力攻撃」以前の段階をも意味する広い概念になってしまうのである。
 第二条第二項を見よう。「武力攻撃事態」とは「武力攻撃(武力攻撃のおそれのある場合を含む。)が発生した事態又は事態が緊迫し、武力攻撃が予測されるに至った事態をいう」とされる。つまり「武力攻撃」の「おそれのある場合」とか「予測されるに至った事態」という、条文上はどのようにも拡大解釈されうるきわめて恣意的な認定を内閣が下すことによって、この戦争動員(「対処基本方針」)が発動されるのだ。
 ここで一九九九年の「周辺事態法」を思い起こしてみよう。同法の第一条では「周辺事態」の定義として「そのまま放置すれば我が国に対する直接の武力攻撃に至るおそれのある事態等」とされていた。つまり、日本の領域外で行われる米軍の武力行使に対する「後方支援」活動に自衛隊が従事することを規定した新ガイドラインに基づく「周辺事態」の規定が、そのまま「武力攻撃事態」と重なり合うことになるのである。
 中谷防衛庁長官も、「周辺事態」が「武力攻撃事態」を適用するケースに属することを認めている。したがって、ガイドライン安保の下で米軍の日本領域外での武力行使の際に自衛隊が「後方支援」を行う「周辺事態」と連動して「武力攻撃事態」が認定されることがもっともありうることだろう。「我が国に対する外部からの武力攻撃」によって、この戦時法制が発動されるわけではないのだ。

「武力攻撃事態への対処」

--国、自治体、指定公共機関、国民の「責務」

 「武力攻撃事態法案」の第三条では「武力攻撃事態への対処においては、国、地方公共団体及び指定公共機関が、国民の協力を得つつ、相互に連携協力し、万全の措置が講じられなければならない」とされている。そしてその際に、国にはその「固有の使命」からして「組織及び機能のすべてを挙げて、国全体として万全の措置が講じられるようにする責務」を有する、とされる(第四条)。地方公共団体(自治体)も、国や他の地方自治体と協力した上で「武力攻撃事態への対処に関し、必要な責務を実施する責務を有する」(第五条)。同様な「責務」は「指定公共機関」にも課される(第六条)。
 「指定公共機関」とは耳慣れない用語だが、これは「独立行政法人……、日本銀行、日本赤十字社、日本放送協会その他の公共的機関及び電気、ガス、輸送、通信その他の公益的事業を営む法人で、政令で定めるもの」とされる。つまり国公立病院や日赤などの医療機関、各電力・ガス会社、NHKや民放、JR、NTTなどの公共的機能を持つ機関(そしてそこに働く労働者)はすべて「武力攻撃事態」に対処する「責務」を持つことになるのだ。
 この時、第一義的に優先されるのは国の方針である。「対処方針」を決定するのが政府であることからして、それは当然のこととなる。地方公共団体は「国の方針に基づく措置の実施その他適切な役割を担うことを基本とするもの」とされている(第七条)。そして国民もまた「対処措置を実施する際は、必要な協力をするよう努めるものとされる」(第八条)となっている。国民が「努め」るものとされている「必要な協力」の内容は規定されておらず、条文上は強制ではない。しかしそれが事実上「国民の義務」として強制力を発揮する事態についてわれわれは十分な予測と警戒を払わなければならない。

「武力攻撃事態対策本部」

--首相が独裁する超憲法的軍事・行政指導機関


 「武力攻撃事態」の対処方針を決めるのは政府である。首相が基本方針案を作成し閣議がそれを決定すれば、首相はそれを公示するとともに、内閣に臨時に首相を長とする「武力攻撃事態対処本部」を設置する(第十条)。すべての国務大臣が「対策本部員」となるが、その他の本部職員は、内閣官房の職員、「指定行政機関の長その他の職員又は関係する指定地方行政機関の長その他の職員のうちから、内閣総理大臣が任命する」(第十一条)ことになる。
 この国務大臣ならびに首相が指名する職員からなる「対策本部」とは、超憲法的な臨時の軍事・行政指導機関である。しかしこの「対策本部」が「対処措置」に関する全権限を集中的に掌握するのである。
 対策本部の長としての首相は、「武力攻撃事態」が認定されれば指定行政機関や地方公共団体の長、「指定公共機関」に対して「対処措置に関する総合調整」という名目での指令を発する。つまり首相がまさに独裁者的権限を行使することになるのである。
 たしかに「対処基本方針」の閣議決定があった時は、ただちに「国会の承認を求めなければならない」という規定は存在する(第九条6項)。しかしこの戦時法制そのものは、首相による基本方針の決定だけで発動されるのであり、「国会の承認」は事後的なものである。
 さらに首相は、地方自治体の長などとの「総合調整」によっても「所要の対処措置が実施されないときは、……関係する地方公共団体の長等に対し、当該対処措置を実施することを指示することができる」(第十五条)とされ、さらにこの指示による対処措置が実施されず、緊急の必要がある場合には首相自ら大臣を指揮して、自治体の長に代わってこれらの措置を実施することができる、となっている(第十五条の2項)。
 これは地方自治体の権限を剥奪し、首相がその権限を「代執行」するという地方分権を破壊する規定に他ならない。それは「国家緊急権」による憲法違反である。
 この憲法違反は「国民の自由と権利」の制限を明言するところにまで至る。「基本理念」について述べた第三条の4項で「武力攻撃事態への対処においては、日本国憲法の保障する国民の自由と権利が尊重されなければならず、これに制限が加えられる場合は、その制限は武力攻撃事態等に対処するため必要最小限のものであり、かつ、公正かつ適正な手続の下に行われなければならない」としている。言うまでもなく、その意図は「必要最小限」で「公正で適正な手続」の下で「国民の自由と権利の制限」を行う、というところにある。
 「必要最小限」とか「公正で適正」などという修飾語は「自由と権利を尊重する」なんの保障にもならない。「武力攻撃事態法案」は、明確に「自由と権利の制限」をうたった点で、本格的な戦時法としての本質を露呈し、公然と憲法を破壊するものとなったのである。     (つづく)


もどる

Back