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「底辺への競争」を転換させよう             かけはし2005.12.5号

欧米の保護貿易主義反対!

繊維製品輸入数量割当の廃止と新しい情勢

                               劉 宇凡


 多国間繊維協定(あるいは輸入数量割当=クォータ)は、十年間の過渡期を経て昨年末に完全に廃止された。二〇〇五年初め、中国のメーカーは早速欧米に向けて縫製製品を輸出し、その結果アメリカおよびEUが中国から輸入された衣類に対して改めて輸入数量制限を設定する事態になった。現在においても米中およびEUと中国との間の繊維貿易における衝突は全世界の関心の的の一つとなっている。貿易におけるこのような緊張関係は今後も継続し続けるだろうし、短期的にこれらの問題がすべて解決することはないだろう。

中国が欧米に反対する理由

 中国に対して欧米が改めて輸入数量制限を課したことに対して、中国から極めて大きな反発が起きた。なぜなら輸入数量制限それ自身は保護主義であり、しかも豊かな国が貧しい国を排除するという保護主義であり、それは撤回されなければならないからだ。しかも十年前にWTOでは世界規模での貿易の自由化を推進するために、二〇〇五年に輸入数量割当を全面的に廃止して市場を開放し、各国が自由に繊維製品を輸出入するように決められたからである。
 しかし輸入数量割当が廃止されて三カ月もたたないうちに、欧米は中国に対して新たに制限を課した。これは欧米などの自由貿易を吹聴する先進国の矛盾した恥知らずな傲慢な態度を反映している。それゆえ中国の繊維製品に対して欧米がふたたび輸入数量制限を課すことは不当であり、欧米に対する中国の批判も道理がないわけではない。
 しかし中国は欧米の横暴さを大声で批判はしているが、内心はそう自信を持っているわけではない。なぜなら中国は欧米による輸入数量制限が法的根拠を持っていることをはっきりと知っているからだ。中国は二〇〇一年末にWTO加盟の際に、次のような条項を受け入れた。二〇〇八年まではすべての締結国が、中国からの輸入によってその市場が撹乱されている証拠や証明がある場合、一時的に輸入数量制限を設定する権利を有する、というものである。欧米は双方で締結された協定にもとづいて手続きを進めているに過ぎない。中国は「契約精神」を遵守せざるをえない。それゆえ中国は、欧米が自由貿易の原則に反すると大声で批判するしかなく、輸入数量制限が不当である、とは言えないのである。
 一九七四年に設立された多国間繊維協定は、当初から欧米による保護貿易のための道具の一つであった。欧米による繊維製品への保護貿易は四十数年前から始まった。当時欧米は、衣類や繊維製品が日本、韓国、台湾、香港から大量に輸入されるという事態に直面し、輸入数量割当を導入して制限した。その目的は後発国からの廉価な製品が大量に市場にあふれることで市場が撹乱され、自国の雇用に影響がでることを防止しようとすることである。
 かつて強力に保護していた繊維産業を、なぜ現在は保護しようとしないのか。答えは簡単である。現在の繊維産業は先進国においてはすでに斜陽産業であり、欧米はさらなる利益が確保できる途上国のサービス産業と農業市場を開放させるために、国内の斜陽産業を犠牲にすることを厭わないからである。労働者の死活問題については、そもそも支配者にとって、それは最重要視しなければならない事柄ではない。
 中国がWTO加盟の際に署名した特別保護措置(欧米などの国々が改めて中国の繊維製品に対して制限を課す)は明らかに欧米の陰謀詭計の一つである。なぜなら七月中旬の米中による繊維製品輸入に関する交渉では次のような合意に達していたからである。それは、まる一日の緊迫した交渉の結果、中国からソフトウェアに関する政府調達市場の開放と知的所有権の保護などに関する約束を引き出した後、アメリカはやっと特別保護措置の「慎重な運用」を明示した。

割当て廃止と労働者の雇用


 輸入数量割当の導入が、まず欧米にとって有利に働いたことはすでに述べたが、その後この輸入数量割当が世界の繊維製品輸出を二百近くの国々に比較的均衡に分散させたことも事実である。それによって一部の後発および競争力の比較的弱い国々が輸出割当を確保することができた。
 輸入数量割当の廃止は、それまでの均衡を打破し、オーダーが最も競争力のある国家まで飛んでいくことになった。WTOの報告によると、多国間繊維協定の廃止後、最終的にわずか三十の比較的競争力のある輸出国家しか残らないと予測されている。そこには中国、インド、パキスタンが含まれる。
 予測では、中国の繊維製品が世界の輸出に占める割合は、協定廃止前の一六%から五〇%に、インドは四%から一五%に上昇し、競争力の弱い発展途上国がそれによって影響を受けた。バングラディッシュ、フィリピン、インドネシアなどの輸出は半減し、メキシコではなんと世界の輸出に占めていた割合が一〇%から三%にまで激減した。世界各地からオーダーを受注できなくなった国家は、雇用機会が大幅に縮小し、失業はいっそう深刻になる。
 国際繊維被服皮革労組同盟が最近発表した報告によると、今年初めに輸入数量割当が廃止されてから、アフリカの貧困国であるレソトではすでに六つの工場が閉鎖され七千人が失業した。下半期でさらに五万八千人が失業すると予測されている。レソトでは輸出による外貨収入のほとんどが繊維製品によるものであることから、その影響は極めて深刻であることは想像に難くない。
 カンボジアでは二十の工場が閉鎖され、その一割すなわち二万六千人が失業した。スリランカでは四十六の工場が閉鎖され、二万六千人が失業した。モーリシャスでは七千人の雇用が失われ、バングラデッシュでは百万人以上の雇用が失われたと予測している。
 輸入数量割当の廃止による被害者は貧困国の労働者だけではない。欧米などの先進国の被服産業労働者も被害者である。過去十年の間に、欧米などの国々で百万人を上回る被服産業労働者が資本のアジア、アフリカへの移転と廉価な繊維製品の輸入などによって失業した。輸入数量割当の廃止は世界全体がさらなる「底辺への競争」へと突入することを意味する。

「勝ち組」「負け組」のからくり


 中国は、輸入数量割当の廃止後の「勝ち組中の勝ち組」であると見られている。しかし中国が勝ち組である、という言い方にはすこし警戒が必要である。
 まず知っておくべきことは、繊維製品の国内総生産および輸出による外貨獲得の四分の一を外資が占めているということである。それゆえ中国企業だけが勝ち組ではなく、外資もその分け前を享受しているのである。
 次に、中国企業による輸出においても、実際にはその多くは海外ブランドの委託生産であり、中国企業はごくわずかの付加価値(工賃)を受け取るだけで、最大の利潤はブランドメーカーに入ることになる。
 第三に、中国が繊維品輸出大国になればなるほど、先進国からの紡績機械の輸入が必要になってくる。国産の紡績機械は先進国のものと比べて技術的な格差が激しく、またすでに国内メーカーはその多くが淘汰されている。今日、中国はすでに世界最大の紡績機械の輸入国になっており、第二位のトルコの輸入額の一・五倍に達している。
 ここからも、中国が繊維製品大国となったとしても、最大の勝ち組みは中国であるとは言えず、むしろ先進国であるといえるだろう。中国が繊維製品大国になるということ自体は、アメリカやヨーロッパの産業界の利益と基本的に一致こそすれ、衝突はしない。
 少なくとも第二次世界大戦以来、さまざまな理由から、先進国は必要な際には、一部の労働集約型の軽工業を後進国に移転させ、後進国の部分的工業化を促しさえした。先進国は良心からそうするのではなく、これらの軽工業製品の市場の分け前を後進国に分け与えると同時に、後進国が先進国の機械設備の巨大な市場になるように仕向けてきた。先進国にとっては、わずかな犠牲で大きな利益を得る取引きであり、歓迎すべき事柄であった。
 それゆえアメリカで一部の産業界と議員がもっぱら中国のダンピングを攻撃し、中国の輸出制限や輸入数量割当の延長を主張するが、中国の輸出によって莫大な利益を得ているアメリカ企業(ウォルマートなど)についてはまったく批判しないということは、偽善であり当てこすりに他ならない。
 アメリカのナショナルセンターであるAFL―CIOは(中国の輸出を制限するという)この立場に追随しており、それによってアメリカ労働者の雇用を守ることができると考えているが、それは資本の尻押しにしかならないだろう。中国の輸出を制限したとしても、ウォルマートはその輸入先を他の途上国(例えばインド)に変えるだけであり、アメリカの紡績産業の雇用を守ることはできない。アメリカの紡績産業が斜陽産業であるという事実は変わらない。
 さらにもう一つ、多くの論者が無視していることがある。中国紡績産業の「勃興」は、当然アメリカにおける同業種の雇用を脅かす。しかし中国紡績業の「勃興」それ自体は、同じように膨大なリストラをともなったのである。中国の労働者も本当の受益者ではなく、逆にアメリカの労働者と同じく被害者なのである。

労働三権が適用されない中国


 中国がWTOに加盟する以前、中国の紡績関連の国有企業では、一九九〇年代中頃から大量のリストラ(レイオフ)を進め、二〇〇一年までに紡績業において三百三十三万人をリストラし、その数は紡績産業における労働力の過半数を上回った(52・5%)! もしこの業界に関連する他の繊維産業や皮革業でレイオフされた労働者を合わせると、リストラ人員は軽く四百万人を上回るだろう。またリストラの不幸を逃れることができたとしても、労働条件の引き下げという打撃から逃れることはできない。今年の七月、広州では三千人の繊維労働者が賃金引下げに抗議している。
 もし全体を把握しさえすれば、本当の勝ち組は、欧米産業界や中国(香港を含む)産業界のボスたちであることを知ることができるだろう。本当の負け組は、欧米の労働者であり、中国の労働者であり、そして他の発展途上国の労働者たちである。
 勝ち組か負け組かを判別するには、国境に依拠するのではなく、社会的な貧富の格差に依拠しなければならない。もちろんそれぞれの国の資本家の間には、分け前を巡る反目はあるが、基本的な利害関係は一致している。アメリカの労働組合は中国には反対するが、自国の多国籍資本と政府には反対しない。それは客観的に見るならば、政府と産業界の策略に乗せられているのである。
 もちろんこれは中国政府には批判されるところがない、と言っているのではない。中国は輸入数量割当の廃止の「勝ち組」として、その最も重要な「比較優位」は他でもない中国労働者が極めて抑圧されていることにある。この点はそもそも争う余地のない事実であり、アメリカ政財界がこの事実を利用して中国を攻撃するからといってこの事実がでたらめであることにはならないし、また中国への批判を控えることにもならない。
 中国の労働者は、インドやタイやインドネシアなどの国家(すべて貧困国であるが)の労働者のような国際労働条約で規定されている労働三権(結社の自由、ストライキ権、団体交渉権)は享受できていない。もちろんこれらの国家において関連する労働法規が実際には極めて骨抜きにされてはいるが、中国のように、資本との闘いに活用できる権利を完全に剥奪されているということではない。これらの権利が保障されていないことによって、中国の労働者は自らの最低限の権利さえも守ることができず、結果的に中国の労働コストを極めて低くさせてきたのである。
 これら労働者の最も基本的権利を剥奪することで達成された競争力によって、中国と他の発展途上国との間で、労働者をスケープゴートにしたいっそうの悪性競争を引き起こし、それぞれの国の労働者にとっては、天災ともいえるせん滅戦という状況を作り出した。いまではベトナムの紡績業も中国によって淘汰されつつある。ベトナムの賃金は中国よりも低いが、中国の国家権力はベトナムよりもさらに厳しく労働者を管理することができ、資本家へのサービスの面でもいっそうの効率を提供することができるので、中国のメーカーはベトナムよりも早く生産し出荷することが可能である。あるアメリカのバイヤーによると、十万着のズボンを生産するのに、ベトナムでは四週間かかるが、中国では一週間でできるという。
 また先進国の労働者も被害者ではあるが、かれらは失業しても、わずかではあるが社会的保障がある。しかし途上国の労働者はこのような「幸運」にありつくことさえできない。だからこそ中国とその他の途上国との間の悪性競争と、それが労働者におよぼす影響に関心を持たなければならない。そしてそれにもまして中国政府のこのような政策を批判しなければならない。このような批判は、政財界の保護貿易主義とおなじ地平に立って行われる中国批判とは、まったく異なるものである。

米中がそれぞれ抱える矛盾


 アメリカの一部の労働運動活動家はこれについて、AFL―CIOとは逆の極端に走っている。
 かれらはAFL―CIOが自国の多国籍企業と政府を攻撃しない、という批判を行っている。それはもちろん正しいことである。しかし、かれらはそのすぐ後に、中国政府の問題点を重視せず、ときにはアメリカの労働組合は中国の官製労働組合と和解し正式な協力関係を樹立すべきだと主張し、中国の官製労組が徹頭徹尾資本家の側に立っているという事実を見ようとしない。
 また個別のいわゆるアメリカ左派の「中国にはあまり深入りせず、裏庭にもっと関心を寄せよう」という主張も、客観的にみて中国政府の労働者農民への抑圧を手助けすることになるだろう。
 労働者の立場として比較的全般的な考え方は、アメリカの保護貿易主義反対、労働者の権利を抑圧する中国の政策反対、ということになるだろう。この両者の間に矛盾はない。

政府・資本と対決する運動を


 欧米およびその他の発展途上国の雇用を守るために、世界で二百二十万人の組合員を擁する国際繊維被服皮革労組同盟は二〇〇四年に六十九の衣類輸出国と共同で割当て制の延期を要求した。これはもちろん成功しなかった。そしていまや、かれらはWTOに対してこれらの国々の問題を正視するようにという呼びかけを行うしかない。
 そして、EU(あるいはアメリカ)がWTO協定の「市場のかく乱」条項(セーフガード)を利用して中国からの輸出を制限することに付和している。このような立場はかれらが一貫して主張している、労働権を自由貿易協定に書き加えることと基本的には同じである。わかりやすくいえば、政財界の貿易政策という特急列車に便乗して雇用を守るという目的を達成しようというものである。これは失敗があらかじめ決められている。
 NAFTAとEUにおいても、いわゆる労働条項というものが存在するにもかかわらず、その無用性はすでに人々の知るところである。簡単な道理である。
 それはそもそも特急列車などではなく、海賊船であるということだ。先進国の貿易政策は、保護貿易であろうと自由貿易であろうと、その目的は雇用の創造や保障などではなく、産業界の金儲けなのだから。
 これらの貿易政策はそもそも雇用創出とはなんの必然的関係もないものである。労働者の運命を各国政府の貿易部門担当者に委ねることは、狼に羊の番をさせるようなものだ。もし労働組合が雇用を守りたければ、実力で政府に対して雇用機会の創出を迫る方がよっぽど効果があるだろう。あるいはアメリカの一部の市民団体が主張しているように、中国労働者の組織化を支援して労働条件を引き上げることで、世界の労働者による地球規模の「底辺への競争」を転換させることが必要だろう。途上国の工業もその市場を奪われることもないだろう。
 次に、アメリカの労働組合は、政客に付和して保護貿易主義を支持するよりも、その攻撃の矛先を中国労働者に対する搾取の一端を担うアメリカの大企業(たとえばウォルマート)に向けて、中国労働者の労働条件を向上させるように圧力をかけることである。国際繊維被服皮革労組同盟もアメリカの輸入業者について問題視することもあるが、それは単にロビー活動において輸入業者が労働者の権利を尊重している国から輸入するようにということにすぎない。これは肉食の猛獣にベジタリアンに改宗するようにお願いするようなものだ。
 先進国の進歩的団体がもし雇用保障をかちとろうとするのであれば、政財界の保護貿易主義の後を追うのではなく、政府と資本から自立した労働運動と社会運動をつくらなければならないだろう。労働組合が貿易について語る場合は、政財界の立場とはまったく逆に、貿易は労働者の権利に奉仕しなければならない、というもう一つの立場をとらなければならないだろう。
 真の労働者の立場は次のようになるだろう。
 1.それぞれの国の労働運動は、他の国に負けないように国家の側に立ち「競争力を引き上げる」ことに協力するのではなく、まずなによりも自らの国家の資本主義搾取制度に反対しなければならない。
 2.保護貿易主義に対しては、先進国と後進国のケースについて分けなければならない。われわれは先進国が後進国に対して保護貿易政策を実施することには反対する。なぜなら先進国は歴史の上でそもそも植民地主義者であったのであり、その立場を利用して覇権を実現させたからである。それゆえ先進国の労働運動は、とりわけ自らの国の保護貿易主義に反対しなければならない。
 3.後進国は先進国に対して保護貿易政策を実施する権利を有する。しかし、たとえそうであっても、われわれは貿易を保護するのではなく、まず労働者の権利の保護主義者であり、労働者の権利が貿易を上回らなければならないことを忘れてはならない。
 4.各国の労働運動は、たとえ自国政府が個別の政策において客観的に労働者の利益と矛盾しない場合にも、自国政府にその希望を託すのではなく、国際主義の旗印を高く掲げ、各国のブルジョア政府が進めようとする地球規模の底辺への競争に共同で対抗しなければならない。
 5.繊維製品問題においては、労働運動はアメリカと中国の立場の本質――両国それぞれのブルジョアジーの利益を擁護するもので、労働者の利益とはなんの共通点もない――を暴露しなければならない。過去の保護貿易主義(輸入数量割当)であろうと現在の自由貿易であろうと、アメリカによる中国の貿易に対する制限であろうと中国の労働者抑圧政策であろうと、労働運動はそれらに同意あるいは黙認してはならない。自立した闘いの推進に専念し、各国労働者の労働条件の向上をかちとらなければならない。
 それは底辺への競争ではなく、上に向けた競争である。中国(あるいは他の国)における労働者抑圧政策に対して制裁措置を行う場合は、政財界に希望を託すのではなく、労働運動自らがすすめなければならないだろう。かつての南アフリカのアパルトヘイト政権に対して各国の進歩的団体が提起した制裁のように。
 6.現在の労働運動が厳しい状況にあることから、闘争のスタートラインは低いところからの出発になることは避けがたいだろう。政財界と直接力比べを行う力がいまだないいま、まずは広範なキャンペーンを行うことも考えられる。たとえば、欧米の企業が労働者の権利侵害著しい国家からの輸入を制限する法律の制定を労働組合が中心になって呼びかけるということを運動のスタートラインとする。
 しかし運動の当初からはっきりと明記すべきは、このような運動はおもに宣伝にとどまり、世界的な底辺への競争の危機が立法によって全面的に解決すると勘違いしてはいけないだろう。われわれが直面しているのは、世界資本主義の危機なのである。危機の大海原はかくも深いのであり、それは法律というスプーンによってすくいとることはできないだろう。
 二〇〇五年十月五日


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