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ドイツ                        かけはし2005.11.28号

新しい左翼の解放の党を目指して(下)

左翼党の形成のために綱領的討論を呼びかける

                             マヌエル・ケルナー

 討論すべき第一の問題は、社会民主主義の新自由主義的政策に対する共同責任からわれわれ自身を解放することの必要性である。連邦レベルでは、現在はこの問題は提起されていないように見える。SPD指導部が、国会内での左翼党との協力を拒否しているからである。しかし、すでに四人の左翼党国会議員が、必要ならメルケルに反対してシュレーダーに投票することを提案した。彼らはすばやく統制された。そんなことをしているときではない、選挙と党の基盤である人々はこれを新自由主義的政治支持の行為としか解釈しないだろう、というわけである。それにもかかわらず、ギジ、ラフォンテーヌや他の人々は、数年後にはSPDが変わり、すべての様子が変わる可能性があると絶えず繰り返している。
 しかし、まさに現在問題が存在する。ベルリン州およびメクレンブルク・フォアポンメルン州の州政府への左翼党の参加問題である。
 そして、ベルリンのWASGの中には、SPDの従属的パートナーとして地域レベルで新自由主義的緊縮政策を実施している党との融合の考えに反対する大きな運動が存在する。左翼党が連立政府から引き上げない場合には二〇〇六年のベルリン地方選挙でWASGは独自に立候補するという提案をめぐって、活発な討論が行われている。ここでは、新しい党の形成のリズムと方法の問題と、その政策の内容の問題が密接に結びついている。
 左翼党の指導部は、WASGとの融合を急速に進めることにより、ベルリンにおける対立候補の可能性を解消することを望んでいる。WASGはベルリンでは相対的に党員数が少なく、バランスに大きすぎる影響を与えることはなく、ベルリン州政府への参加を終わらせることにはならないであろう。
 重要な根本的問題は、社会体制としての資本主義に対するオルタナティブの不在である。左翼党の綱領の「民主的社会主義」は、別の社会のための闘争を意味しておらず、漠然とした倫理的基準でしかなく、既成の社会秩序の限界にいかなる意味でも挑戦しない現実主義的政治と完全に両立するものである。WASGの綱領は、資本主義批判を定式化しているが、明確な反資本主義的基準点を持っていない。
 社会主義的民主主義、世界的規模での階級のない社会を求めて闘っているわれわれは、社会主義的オルタナティブへの信頼の危機が依然として非常に深刻であることをよく知っている。われわれは、われわれの観点を押し付けようとは思わないが、全般的に一致する点から出発して、資本主義に対するオルタナティブの問題に関する徹底的な討論を行うことを主張する。われわれは皆、最大利潤を目指す競争に支配されない、社会的必要性とエコロジー的責任に支配される経済制度を望んでいる。そのような制度は、大規模な生産手段を民主的に自主管理する社会的所有に基づいてのみ可能である。
 問題は、このオルタナティブを抽象的に議論することではない。実際、この問題は具体的要求と結びついている。現実に存在する資本主義を超える地平なしには、労働者や社会的に無視されている層の即時的要求のための闘争の中で一貫した立場をとることは不可能であろう。資本主義体制を超えて進むことを望まなければ、敵の主張に抵抗することは不可能である。社会的に公正であるが最大利益を求める競争やすべての他国に対して自国の最強の立場を求める競争と両立しないことは、いけにえとして「現実主義」にささげられるであろう。
 賃金削減なしの労働時間の実質的短縮を強制することを、われわれはどうすれば望むことができるのか。社会的獲得物を防衛し労働者や社会の無視されている層の生活条件の改善を強制することが、生産手段や銀行や保険会社の聖なる私有制度に挑戦する用意なくしてどうして可能か。市場、独占および巨大多国籍企業の権力に支配された今日の基盤とは異なる、新しい基盤の上に社会を再編成する必要を考えないで、民営化のドンチャン騒ぎに対する抵抗を組織化し、社会的関係の再文明化のために闘うことが、どうして可能であろうか。

 国際主義は、建設すべき新しい党の不可欠の一部でなければならない。これは、社会的最低所得を求める汎欧州的闘いおよび賃金削減なしの労働時間の短縮を求める汎欧州的闘いに始まり、軍事介入拒否の闘いに引き継がれ、社会民主主義より左翼に位置し反資本主義的なすべての勢力との連絡を確立することによって完結するものでなければならない。われわれは、欧州左翼党への参加のみに自己を限定することには同意しない。
 築き上げるべき党の方針と政策は、われわれが建設したい党のタイプに結びついている。われわれの意見では、SPDや他の多くの党が今日の姿になったのはなぜかという問題を提起することから始める必要がある。大きな問題の一つは、指導部、党機関および特に議会グループ(ミルラン主義的大臣たちは言うまでもない)の代行主義である(ミルラン主義=社会主義者のブルジョア内閣入閣)。これが、当初の解放の目的から離れて既成のブルジョア政治のメカニズムと親資本主義的多数意見に順応する傾向を絶えずもたらしている。
 要するに、このメカニズムは労働の社会的分業の産物であり、それは大衆の自発的活動と自己組織化の質的飛躍によってしか乗り越えられない。左翼党の議員たちに社会的運動の拡声器の役割を演じるように要求するだけでは不十分である理由が、ここにある。さらに多くのことを要求しなければならない。すなわち、彼らのすべての活動を、動員を促進し、動員の中で自己組織化を促進する方向に向けること、言い換えれば、議会外闘争に向けることを要求しなければならない。さらに、大きな社会的動員と資本との対決なしには、われわれの要求は実現する見込みはない。それこそが、社会の力関係を本当に変えることができる唯一のものである。
 しかし、社会的および政治的趨勢の大きな変化を待ち望む一方で、われわれは党員の活動を絶えず激励する党、したがって党員が指導部、機関、議会グループを制御し、政治方針と活動を決定できるような民主的に組織された党を必要としている。それは、「過激」すぎるという口実で潮流を排除しないような、複数主義的な開かれた党でなければならない。戦略的方向に関する論争は長期的に行われる必要があり、排他的でなく、すべての人に(ケインズ主義者だけでなく反資本主義勢力にも)意見を表明し全党に向けて発表する権利を与えて行われなければならない。
 すでに、左翼党の機関と指導部の重圧は重大な問題になっており、大衆的基盤を持つ広範な新しい党の建設の目的にとって障害であることが立証されている。連邦議会選挙前には、時間が不足しており、われわれは急がなければならなかった。いまや、左翼党の指導部は上から組織され編成される急速な融合を望んでいる。WASG内部では、これに対する抵抗が存在し、WASG指導部は、二つの既存の勢力の融合に留まらない開かれた過程、開かれたフォーラムを伴う過程の必要性を表明している。
 この間、新しい議会グループが仕事に取りかかっている。協力者として雇われているのはベルリンの旧PDSの中央機関のメンバーたちであり、カール・リープクネヒト・ハウス(党本部)における彼らの地位は、WASGの選ばれた指導的メンバーをも吸収しようとしている。したがって、この機関の重圧はすでに巨大であり、制御困難である。そしてこれは政治的には地方レベルの連立政策支持者の重圧でもあることは、言うまでもない。この重圧が強化されているのである。
 現在のところは、これは地方レベルに留まっている。現在のところは、左翼党の最高指導部、WASGおよび議会グループは、SPDとの協力はあり得ないとしており、たとえば、メルケルに対してシュレーダーや別のSPD首相候補に投票するという考えを拒否している。しかし、長期的には、ギジもラフォンテーヌも繰り返しているが、連邦レベルにおいても、SPDとの政府レベルでの協力の方針が存在する。
 これに対して、われわれは社会的動員に向けての方針を対置しなければならない。街頭および職場での行動の統一なしには、制度レベルでの統一は順応に向かうあらゆる傾向を加速するだけである。そして、SPDは、これまでいかなる場合も、もはやまったく動員の党ではない。
 建設すべき新しい党へのわれわれのアプローチは、従来の意味での「加入戦術」、この用語がわれわれの運動の中で持っている意味での「加入戦術」ではない。われわれはこの党を、開かれた過程の中で、採用すべき方針や機能の仕方に関する広範で多面的な対話を進めることにより、誠実に建設したいと考えている。同時に、この広範な過程の中で、反資本主義的で国際主義的な潮流の形成を推進することを望んでいる。なぜなら、これには分かりやすい信用できる強力な仕方で表現することが不可欠であると思われるからである。われわれの組織は、この過程のなかで「分派」として行動する意図は持っておらず、WASG、左翼党、および建設される新しい党の中でメンバーに対して規律を課すことはしない。いずれにせよ、そんなことをすれば、新しい党の他のメンバーとの関係を悪くするだけであろう。しかし、われわれのメンバーは深い綱領的信念を共有し、基本的方針に関して定期的に議論し決定し、この方針に責任をもち、政治的アイデンティティを放棄することなく、この広範な枠組みの中で活動する。
 このアプローチが問題を提出する場合があることを、われわれは現実の経験から学んでいる。WASG、左翼党および建設される新しい党の広範な枠組みの中で、われわれのメンバーは指導部の種々のレベルで種々の責任を担い、種々の役割を演じ、種々の仲間を見つける可能性がある。たとえば、「現実政治」への偏好を持つ改良主義的社会主義的信念の持ち主や、必ずしも社会主義的信念を持たないが解放にくみし、民主的で、反機関的な人々、などである。このことが対立を生み出す可能性があり、対立を生み出している。これらの影響に対抗する非管理的な方法のみが、討論の枠組みとしてのわれわれの組織を強化すると思われる。違いが存在する場合は決定を行い、われわれの立場を定式化し、それを活動家に機械的に強制せず、わが小さな政治潮流の意見が何であるかを公然と述べることである。

▼マヌエル・ケルナーは、「ゾチアリスティッシェ・ツァイトゥンク」(社会主義新聞)の執筆者で、ISLの調整委員会のメンバーである。
(「インターナショナルビューポイント」電子版05年10月号)



コラム
機関紙とネットの融合を

 十一月二十一日付「かけはし」第一九〇四号を読んだ。一面トップの大見出しは、「管制塔被告団が27年間の国による鉄鎖を断ち切る闘いに勝利」。二面見出しは、「あの闘いを忘れない」とあった。そして紙面には、一億四百万という巨額な損害賠償請求をわずか四カ月という短期決戦で集め切り、国に叩きつけた状況がその現場にいるかのような臨場感で描かれていた。もちろんこのことは、日刊紙やテレビ、ネットなどでも報道せれているが、その内容が正確に伝えられることはない。まして、政治がらみであればなおさらである。改めて機関紙の重要性を再認識した瞬間だった。
 思えば「かけはし」の前身である「世界革命」を初めて手にしたのが、二十七年前の三・二六だった。管制塔占拠の数日後、大学の正門で配られた赤刷りの号外を興味津々で読んだことを覚えている。ゲバ文字の大見出しと、装甲車を先頭にバイクヘル姿の一団がゲートを破って突撃する大写真が印象的だった。
 当時大学二年生だった私は、三里塚闘争の政治的意味は知っていても、現地に行ったことも、集会に出たこともなかった。わずかながらサークルを中心に活動していた学友もいるにはいたが、大学そのものに三里塚を想起させるものは皆無に等しかったといってもよい。「世界革命」だけが三里塚の窓口だったのだ。
 「世界革命」を定期購読するようになったのは、地区の連帯する会が上映した「大義の春」に出かけたことが始まりだった。会が終わって散会するとき、主催者の「外に警察がいますから」の一言が今でも耳に残っている。
 機関紙の重要性を再認識したことは先に書いたが、この間の管制塔カンパはインターネットによるところが大きい。「かけはし」が週刊であることに対して、ネットはリアルタイムである。日に日に集まるカンパの金額しかり、人々のカンパに寄せる思いもしかり、瞬時に発信できるのだ。しかも世界中に、である。私自身、仕事の合間を縫って日に何度も関係サイトを見て回った。まさにネットサーフィン状態の毎日だった。
 しかし、紙面にあったように初めは柘植洋三さんの「電車男」的な発想に期待を抱いた人は少なかった。情報取得手段としてのネット活用はあっても、メッセージを発信する手段として理解する人が少なかったに違いない。
 結果はネットの完勝だった。「管制塔被告連帯基金支援ウエブサイト」を中心に、次々にリンクが張られさまざまな思いがネット上で公表された。その多くはハンドルネームであったがBBSでは、熱い討論も行われていた。ネットでなければ、「二千人が管制塔に駆け上がった」というキャッチフレーズに、異なる意見があることを誰も知らずに終わっていただろう。
 これからの社会変革を展望する時、機関紙とネットが運動の両輪になることは確かである。今回の勝利で我が社もネットの達人を多数輩出したようだ。あとはプロジェクトの立ち上げと、その人選を待つだけだ。 (雨)


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