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                           かけはし2005.11.14号

不安定雇用を新法によって統制する新自由主義的な第二次労働規制緩和

「労働契約法制」のねらいと問題点


二極化構造の進行と成立

 今日、非正規労働者は労働者全体の三分の一を占め、二十五歳未満ではニート・フリーターと呼ばれる非正規職労働者が四五%〜五〇%にも達している。
 また平均年収(二十五歳〜三十四歳)は、正社員が三百八十四万四千円なのに対して、非正規職で働く者は百五万八千円に過ぎず、正社員の三分の一にも満たない。誰もが非正規職のままでいいと思っているわけではなく、調査によると二十五歳までの「若者」で七二%の者が正社員で働くことを希望し、二十五歳〜三十四歳では八〇%を超える者が正社員になることを望んでいるという結果が報告されている。
 この十五年間の間に日本社会は完全に二極化構造が定着した。このことは収入だけではなく労働時間にも現われている。週の労働時間が「三十五時間未満の者」及び「六十時間以上の者」の全体に占める割合がともに増加している一方で、「三十五時間以上六十時間未満の者」の割合は減少する形で二極化がはっきりと現われている。とくに三十歳代の男性労働者において顕著で、十年前には百五十三万人であったものが、現在では二百万人を超え、十年間で約五十万人が増加し、三十歳男性の多くが週労働時間で六十時間以上も働かされているのである。
 年間総労働時間「千八百時間」という目標とは裏腹に平均年間総労働時間は「二千時間」を超え、現在では「二千二十一時間」にも達している。
 厚生労働省の出している「毎月勤労統計調査」による「製造生産労働者の年間労働時間の国際比較」でみると日本が千九百七十五時間、アメリカが千九百二十九時間、イギリスが千八百八十八時間、フランスが千五百三十八時間、ドイツが千五百二十五時間となっている。日本とドイツでは四百五十時間もの差がある。
 一九八〇年代後半から日本資本主義の新自由主義による「規制緩和」は一挙に押し進められたが、これと対応したのが一九八六年に制定された「労働者派遣法」の制定であったといえる。この労働法制分野での「規制緩和」が今日の労働現場における二極化構造に道を開いたことは明白である。
 そして労働者派遣法が「切り開いた構造」の上に立って、九〇年代には資本と財界は「新時代の『日本的経営』」という戦略的指針・文書を発表した。それによると第一は長期雇用継続型の少数精鋭の正社員、第二が専門能力活用型の専門的知識・能力を持った契約社員、第三は雇用柔軟型と呼ぶパート・アルバイト・派遣労働者という「労働者三分論」であった。これによって旧来から続いてきた「日本型終身雇用」を完全に解体しようとしたのである。
 ある意味で二極化は完成し、大企業は空前の利益を上げ、八十二兆円もの余剰資金を貯め込み、労働者の中でも正規と非正規との格差が明らかとなった。この新しく成立した「雇用構造と労働現場」を法的に整備し、新自由主義的競争を勝ち抜くために新しい段階に一歩進めようというのが政府・資本からする新しい労働法制としての「労働契約法」であり、非正規職の拡大がつくり出している矛盾を「是正」し、なんとかして不安定雇用に対して歯止めをかけようと模索しているのが連合、全労連、全労協など労働者側の「労働契約法」であるといえるだろう。したがって、「労働契約法」の法案化をめぐる一つ一つの条文は現局面と次の局面にむけた闘いの攻防に他ならない。

一層「競争・対立・差別」を煽る

 今日、「労働契約法」を法案化する(しなければならない)という動きは、二つの方向から急激に浮上してきた。
 第一は派遣労働法による労働の「規制緩和」が進み、非正規職が拡大して雇用不安定化が増大した。この結果、今までの労働基準法がすべての民間労働者に関し最低基準の厳守を求めるだけで、個々の労働契約の内容の適正化を図り是正させる「契約法」的側面が不在なため、労働保護法としての限界が明らかになってしまったという事実である。そのため個々の労働契約に違反する問題は裁判に持ち込まれ、結果として「労働判例」に委ねたり、依拠することによって是正させ、「従わせる」構造が定着しただけで雇用構造は安定しなかった。
 そしてこの構造は、日本における労働組合の組織率が減少したことによって一層拡大し、一般化した。資本の側は個々の争議や裁判を避けこの不安定な雇用構造が揺れることを法的に防ぎ、次の一歩を踏み出すために「契約法」を模索し始めている。
 第二は初期の「規制緩和」から「行政改革」と「民営化」に本格的に手をつけるために、旧来の労働基準法の枠組みを大幅に修正しようとすることと符合している。したがって資本や財界にとって、公務員に対して八〇年代から今日までかかって実現させた民間労働者の「非正規職的労働条件」をいかに貫徹するかという側面を当然にも新しい法案に要求している。
 第一の側面が「労働の規制緩和」が到達した労使それぞれの立場から「労働基準法の労働保護法としての限界」を埋めようとすることがねらいであるとすれば、第二の側面は新自由主義が「民営化」「市場化」の段階に対応するために労働法制を整備するという「積極」的役割が与えられている。それは圧倒的に労働者の権利を後退させる重大で危険な内容を持つ「改悪」の要素を持っている。
 そのため政府は二〇〇三年六月の労働基準法改正法案に対する衆参両院付帯決議で、「労働条件の変更・出向・転籍など、労働契約について包括的な法律を策定するため、専門的な調査研究を行う場を設けて積極的に検討を進め、その結果に基づき、法令上の措置を含め必要な措置を講ずること」として最初の第一歩が始まった。
 これを受けて二〇〇四年四月に厚生労働省は、明治大学法科大学院教授を座長とする十人で「今後の労働契約法制の在り方に関する研究会」を発足させた。そして二〇〇五年四月には「労働契約法」の「対象範囲」「ルールの在り方」「システムの在り方」「機能」などを骨子とする中間報告を発表し、先の九月十五日に最終報告を公表した。最終報告は序論にはじまり、第一章の「総論」から第七章の「労働時間法制の見直しと関連」までかなりの長文である。これを受けて厚生労働省は労働政策審議会にはかり、二〇〇七年に国会に法案として提出する計画をたてている。
 だがこの最終報告書は、すべての労使関係が「契約」の名のもとに労働者間の「競争」を抑止する方向ではなく、一層「競争」を煽り、労働者間の対決を増大させるものになっている。本来、「労働法」は差別と対立を抑制するために存在するはずが逆に正規と非正規、男と女、高齢と若年とあらゆる側面で差別・対立させるという形で書き上げられている。仕事をし生活を維持するための「労働」は一日として休むわけにはいかないために、労働者間の「競争」は「安い価格・値段」を強制される。八〇年代に始まる新自由主義の「規制緩和」は、この構造を促進した。その上で資本はこの「新しい競争」を公共部門を含めた全分野に波及・貫徹させようとしているのである。だが今回出される「労働契約法案」は資本の行為を強行的に規制する機能を持っていないのである。
 さらに労働基準法の範囲に属すべき「労働時間法制」の見直しが、あたかも労働契約法制の範囲でもあるように繰り返されている。このことに明らかなように労働契約法制は労働基準法の限界を補うという出発点とは裏腹に、「改悪」の側面が多くの個所に散りばめられている。
 つまり、資本の側に不利な「ルール」を新しい競争のために取り払うということが強調されているのである。

労働契約法案の批判点

 研究会報告が出されて以来、連合、全労連、全労協の各労働組合団体や日本労働弁護団は次々にこの報告に対する批判的視点や問題点を指摘している。そして批判点は五〜六点で共通している。これに対して別の視点があるわけではないので、ここでは今まで出ている批判点を簡単に紹介するにとどめたい。

(1)、労働契約と就業規則
 労働契約法制は「自発的な法目的達成への支援」と位置付けることによって、「労使当事者間の自主的な決定」とか「当事者間の信頼関係」という抽象的な「美辞麗句」を並べながら、労働契約関係上の権利義務については具体的に定めていないし、旧来裁判所が出した判例を用いていながら、資本(使用者)に対しては義務的条項さえ明確にしていない。
 それはそのまま会社と労働者の契約の基本となる就業規則のあいまいさにつながっている。とくに配置転換・解雇・休暇・退職金などについて企業(使用者)が講ずるべき措置が明確にされていない。これは契約法が法的拘束力がないことを逆手にとって、逃げているといえる。

(2)労使委員会について
 これが報告の目玉のひとつであるが、就業規則の変更、転職、出向などの人事権行使、解雇事件における使用者申立ての金銭解決・労働者からの苦情処理など、これら労使の契約の根本に関わる重大な問題が労使委員会で決定できる権限を付与している。
 だが労使委員会は労働組合のように労使が対等な関係でもなく、争議権を持っているわけでもない。労使委員会で五分の四以上の賛成があれば、前記したことを変更できるとなっているが、五分の一の意見は常に切り捨てられるのである。だが実際の労働現場では、パート・下請けなどが多く、五分の一の少数派は本当は多数派であるという報告が上がっている。仮に使用者側五人、労働者側五人の十人で労使委員会が形成されている場合、労働者側は実際には三人が賛成すればほとんどのことを決めることができるのである。トヨタの労使委員会ではこの十年間「反対」意見が一回もなかったと言われている。
 
(3)解雇の解決金制度
 報告は制度設計を労使委員会に委ねるとしているが、解雇が無効であっても解決金を支払うと労働契約は終了すると述べている。旧来でも裁判で「和解」という形で解決金を支払われて契約が終了する場合もあったが、それとて労働者側にとっては「泣く泣く」の選択であった。これが認められれば使用者側が労働条件の変更も解雇も思いのままである。

(4)時間法適用除外者の拡大
 これは一言でいうと「ホワイトカラー・イグゼンプション」の導入である。これは「創造的・専門的能力の発揮」という形でいかにも「やる気のある優秀な労働者が能力を発揮できる制度」のように述べられているが、コストに占める人件費の割合を切り下げることが目的である。その上で二極化の中で「富む」方に位置したホワイトカラーをさらに二極化することによって、さらに働かせようとするねらいであることは明白である。
 ホワイトカラー層の明確な規定はないが、年収五百万円以上の労働者は労働者人口の二一%を占めると言われており、これをさらに分割しようとするものである。これはアメリカの法制をモデルにしたものであるが、アメリカでさえ人気はなく、批判が出ている。「働きたい人は、何時間働いてもいいじゃないか」と言っているが、これは労働者の「声」を聞いていないか意識的に無視しているに過ぎない。

(5)有期労働契約について
 報告は、「有期労働契約については、……労使双方にとって良好な雇用形態として活用が図られるように条件整備を行う」となっている。だが「有期労働契約の締結・更新」を何度繰り返しても、正社員にしなくてもいいし、賃金を上げる必要も「賞与」もいらないし「有給休暇」を増やす必要もないと言っているのである。まして「正社員」化を会社にせまったりしたら解雇されても文句が言えないという使用者に都合のいい形になっている。同じように「試行雇用契約」が法制化された場合も、同じであり、新卒者は正社員になれるかどうかわからないまま仕事をさせられるのである。
 (1)〜(5)で見たように労働契約法は労働者が個々に置かれている状況にそれぞれ対応できるように極めて包括的に提案されているが、「解雇の金銭解決制度」に典型的に現われているように、明らかに労働者の権利を後退・解体するための攻撃が含まれている。また労働者を競争させ、分断する成果主義がいろんな分野に散りばめられている。
 さらに明確な言葉は使用されていないが、報告を貫いているキーワードは「迅速」ということである。それは「時代の要請」と一見とれるが使用者の要求であり、資本・財界の要請に他ならない。

「行革・民営化」のための手段

 「労働契約法案」の隠れたキーワードである「迅速」が「時代と資本の要請」であると前述したが、それは去る十月十三日に発表された日本経団連の「労働契約法制に対する使用者側の基本的考え方」に如実に示されている。
 経団連は労働組合側と同様「あまり乗り気でない」「今回の報告では反対せざるを得ない」と述べているが、@のあるべき労働契約法制についての項では、(1)労働条件の明確化、(2)紛争のルールを定めない、(3)ルールはあくまで労使自治の補充規定であること、(4)複雑な手続規定は設けない。以上のような(条件が満たされていれば)一般民事法としての労働契約法制は、これを否定するものではない。だが明記された場合は成立を阻止する、としている。
 A「今後の労働契約法制の在り方に関する研究会」報告については、強行規定、指針を背景に企業を規制する内容となっており、容認できない。解雇の金銭解決制度、ホワイトカラー・イグゼンプシヨンについて早期導入を要求する、と言明し極めて明確で「過激」な立場をとっている。
 この強気の背景にあるのは「規制緩和と民営化」に向けたタイムスケジュールができあがっているからである。二〇〇二年十二月の総合規制改革会議は、「第二次答申」で「民間でできるものは官は行わない」「民間にできることはできるだけ民間に委ねる」と報告しているが、そのレールに沿って進められているのであり、小泉が衆院解散―総選挙の「小泉劇場」で繰り返した言葉は、この財界・資本の意志を体現したものである。
 「郵政解散」「反対派に対する刺客」という小泉劇場で見せたやり方は、小泉個人の性格だけではなくこれから開始される「民営化」に対する地方自治体や「行革」対象の行政官僚に対するどう喝に他ならない。
 反対すれば「首を切る」「はずす」ということを突きつけてみせたのである。一昨年には労災保険の民営化、昨年は公共職業安定所の「民営化」が爼上に上がったが、法案上程さえできなかった「反省」に立って、郵政問題で公務全般、国・地方、国家系の金融機関の民営化に向けての決意を披瀝したのである。
 いま病院や公園管理などの公共部門で民間委託が進められているが、「強制入札」で新たな受注に成功した業者が、それまで他の業者のもとで仕事をしていた労働者を一挙に排除し首切りを行い、全国的に争議が広がり裁判が起こっている。こうした争議を法律で規制し、押さえ込もうというのが政府・資本のねらいなのである。
 今日、旧来にもまして全国的には「不当労働行為」による裁判が増大している。判決でも使用者側が六〇%近く敗北している。
 しかしこれは労働者が勝訴しているというよりは、「基本給を一挙に二割近く下げる」とか「転勤か減給か」と労働者に二者択一のように選択させ、選択を拒否すると即時解雇するというふうにいまの「法律」では認めることができない攻撃の結果なのである。「労働法は現在十年遅れている」と資本側は呼んでいるが、敗訴しても「遅れている労働法」を改悪するバネになればいいのである。「労働契約法制」もそのための手段であり、労働時間制の改悪=労働基準法の改正、均等法の改正を射程に入れて「次の段階」「次の局面」に向けて準備を開始し始めているのである。
 資本主義のもとにある産業社会では「労働と雇用」は社会の根幹をなすため、「労働契約法」を導入しているニュージーランドなどでは、労働者の人権を守るために労働保護法を強化し、それを補完する人権法まで成立させている。それでも矛盾が噴出し、資本が労働者を犠牲にする攻撃がなされているという。だが日本では憲法十三条で基本的人権、二十五条で生存権、二十八条で団結権が保障されているはずが、いまや完全にこの三権は反故にされ、その上憲法改悪の動きが公然化している。
 当面は、厚生労働省が法案化の材料とする「労働政策審議会」答申が出されるまでの二〇〇七年の審議過程が闘いの焦点であるが、労働組合の結成を含めた労働現場での闘いが最も重要である。(松原雄二)


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