| フランス EU憲法に「ノン」を表明した左翼の政治討論会 かけはし2005.10.3号 |
広範な政治勢力
の代表が参加
討論会に参加したのは、フランシーヌ・バベイ(ノンを支持する緑、緑の党内の欧州憲法反対の勢力)、オリビエ・ブザンスノー(LCR)、ジョゼ・ボベ(農民連盟)、マリー・ジョルジュ・ビュフェ(共産党)、アニク・クペ(連帯労組連合)、ジャン・リュック・メランション(社会共和国のための潮流、社会党左派)、イブ・サレス(コペルニクス協会)、クレール・ヴィリエール(左翼オールターナティブのための市民の結集)の人たちであった。
この討論会は冒頭に、まず高校生運動の指導者、ポリーヌ・サラングが、高校生運動への弾圧に反対するアピールを行ってから開始された。ロズリンヌ・ヴァシェッタが司会を務めるこの論争は、すべての人々が考えている諸問題、すなわち、国民投票キャンペーンをめぐって生まれた共同の闘いを今後も継続していくのか、さらには、この共同の闘いをどの地点まで推し進めていくのか、をめぐって展開された。
「社会的・政治
的戦線」の建設
共同の闘いをともに継続していくこと、この誓いについては参加者全員が一致した。ブザンスノーにとっては、この共同の闘いとは、「ここにいるわれわれがともに力を合わせてこの宝飾品を築き上げた」ものなのであり、アニク・クペは、「それは、これまでには想像できなかったようなまったく新しい過程であるが、それをどのような名称で呼ぶべきだろうか?」と語った。
各人がそれぞれ自分でその名前を付けるだろう。社会党左派のメランションは、「ファビウスからトロツキストまでの排除のない新しい左翼連合」を擁護しているが、同時に、共産党のビュフェ全国書記の「証言するためではなくて、勝利するための多数派人民連合」という定式をも受け入れると述べた。オリビエ・ブザンスノーは、「永続的な社会・政治的戦線」の建設を呼びかけた。
「二つの左翼が
存在している」
論争は左翼についての分析から始まった。ブザンスノーの評価するところによれば、まさに二つの左翼が存在するのであり、この評価は、「セクト主義ではなくて、そうしないと『ノン』の発展力学によって支えられた要求を結集することができないという点を確認することにすぎない」というのである。イブ・サレスは、「左翼がもっているさまざまに異なる論理についての分析なしで済ますわけにはいかない」と主張した。
しかし、ヴィリエールにとっては、「潜在的には、イデオロギー的ヘゲモニーが左翼において陣営の移行をもたらしてきた」のであるということなのである。アニク・クペは「闘う急進派と管理するその他の勢力との間の永続的な断絶から脱出したい」という願望を表明した。
メランションは、……社会党内では「ウィ」と「ノン」の間の仲直りはないだろうと断言し、とりわけ現在可能になっている左翼の結集を行うべきだと強調した。共産党のビュフェは、「他の勢力もなお今後結集する可能性があるのだから、左翼の結集に今から前もって境界を設けてしまうことには」同意できないと主張した。
政治的道を切り
開いていく責任
共同戦線の方法に関してもまた、アプローチの違いが存在している。ブザンスノーは、「本末を転倒することなく、二〇〇七年の選挙にだけに凝り固まることなく」、議会の解散や人員整理に反対する行進……などの具体的キャンペーンから始めるよう訴えた。「候補者の前に、対立を生み出すことになるようなテーマをも含めて内容を討論しなければならない」というわけである。
ビュフェは、「オールターナティブのためのひとつの短距離走のコースがある。したがって、まず最初に社会的反撃を、次に政治的回答とする必要はない」とみなしている。イブ・サレスは、新自由主義と決別する本当の政策とは何かをめぐる政治的練り上げ作業のための手段が存在していると判断している。
ヴィリエールは、一九九五年以降の総括を確認し、「われわれは、選挙の面での共通の解決策を見出すことによって、闘いの行動と選挙の行動という二つの間の弁証法をうまく成し遂げなければならない。個人の候補者ではなくて、集団的な候補者を受け入れなければならない」とした。メランションは、「政治的活動家として、私は政治的道を切り開く責任がある」のであって、さもないと、闘争には展望が生まれてこないだろう、と付け加えた。
「ノン」の二重の発展力学を確信しているバベイ(緑の党)は、新自由主義や愚かしい生産力主義とは決別した綱領を目指して活動することを望んでいる。ジョゼ・ボベは、「二年以内ではなくて、今、綱領を作成する必要がある。われわれは、前進しながら建設しなければならない」と語った。アニク・クペは、「選挙問題は今から統一的解決策を通じて相互で検討を行うべきであり、われわれが建設にたどり着いたこの空間は同時に大衆動員を促進するであろう」と主張した。
緑の党の権力行使
の経験は絶望的
メランションは、LCRに問いかけた。「あなた方は、多数派になり、統治することを望んでいるのか、イエスかノーか?」。ジョゼ・ボベは、権力の行使についてよく考えなければならないとみなしていて、この点で緑の党の経験は「破滅的だ」との判断を示した。
この論争を締めくくるに当たって、オリビエ・ブザンスノーは、……「そうだ。われわれは多数派になることを望んでいるが、われわれは同時に公約された政策が本当に実施されるという保証を得ることをも望んでいるのだ。われわれは多元主義的左翼の新しい二番煎じから再出発することを望んでいないのだ」。
(「ルージュ」(05年9月1日)
北朝鮮問題についての私の見解
誰のために、どんな立場でのぞむのか
遠山三郎
一、北朝鮮問題が大きな問題になっている。それは、直接的には、北朝鮮国家権力による日本人拉致を、小泉訪朝によって金正日が認め、何家族かが日本に帰国したことによって、全国民的な北朝鮮批難となってあらわれている。もちろん、これは拉致疑惑として永年の家族会を中心とした運動のひとつの成果として、認めさせたのである。そして、それは、拉致問題の徹底的解決を求めて、今、北朝鮮への経済制裁論が強く出されている。この北朝鮮への経済制裁が何を目的とし、どのような戦略展望を描いているのかわからないが、このことに対する態度は明らかにする必要があろう。
二、単なる拉致問題でなく、北朝鮮問題であるというのは、北朝鮮の国家体制なり、国民のおかれた非常な危機的状態が破綻的、爆発的状況に達しているからにほかならない。これに対する認識は、どのような立場、主張の違いがあったにしろ、共有しているのではないか。北朝鮮において、九〇年代後半に餓死者百万〜二百万人が発生したこと、政府は、体制維持を最優先し、国民を強制収容所と公開処刑などに終始し、大量の難民が中国東北地方などへの脱北として生まれていること、それは金正日政権をして、アメリカに対し“体制の保障”を求めるというほど危機的なものであり、北朝鮮国家そのものが崩壊の瀬戸際に立っているのである。そのような軍事・警察支配の極限の中から生まれているのが北朝鮮核武装化であり、六カ国協議による非核化のための国際協議である。
三、このように考えてくると、拉致問題は拉致だけにとどまらず、北朝鮮の国家と民衆にかかわる全般の問題にどのようにかかわるのか、態度を明らかにしなければならない。従来、北朝鮮を「社会主義国家」であるという理由で、それらの矛盾に対し沈黙していたり、逆に北の体制を打倒しようとすることのみが、目的であるかのような体制批判があるが、いずれも抽象の域を出ない。様々な問題が含まれ、複雑であるといっても展望を開くような議論がもっとあっていいのではないかと思う。だからこそ、明確にすべきは、「誰のために、何のために」主張をするのか、ということである。日本政府は拉致問題の未解決を理由に、約束した食糧援助も実施しようとしていない。十年前の飢餓状況の時も、ほんのわずかしか応援せず、北朝鮮民衆が餓死するのを放置していた日本政府のことだから、いざ自国民の自由の回復を国際的に提起しても、理解はされず、聞いてもらうだけに終っている。北朝鮮問題全般の解決のため、日本はどのような戦略と展望を持っているのか、が問われているのである。
四、そうした観点に立てば、単に金正日独裁政権を批判し、金正日体制崩壊がすべての解決の早道であると、する期待と願望をもつことよりも、民衆の生命や生活を維持、向上できるよう経済的な再建が最優先されるべきだと、と考える。「誰のために」とは、北朝鮮民衆のために、ということである。今、中国は、積極的な経済援助を行い、それによって北朝鮮の経済的発展がされることは望ましいことである。同様に、韓国が「太陽政策」を持続し、北と南との経済交流を強め、民族統一のための土台作りを行うことを我々は支持したい。とにかく食うことが先、生きることがまず優先である。中国が北朝鮮を中国経済圏に組み込むのか、韓国が先に統一朝鮮への道筋をつけのかはその次の局面であろう。日本にとっても、経済援助、そして外交的、政治的諸関係の軌道化(国交回復かそれに準じた関係の早期樹立)が望ましい。北朝鮮を鎖国化し、孤立化させていることをいつまでも放置してはならないし、朝鮮の歴史的統一という課題に沿った中で、問題の解決をはかるべきである。拉致問題は、北朝鮮の鎖国化という中でこそ起きた事件であり、北朝鮮の開放政策への全面転換という中国やベトナムが採用した道をとる中で、解決可能ではないだろうか。
五、現時点では政治的体制がどうなるかわからない。中国のように経済は自由化、体制は厳しく統制という可能性もあるが、これまでがあまりにも厳しい統制と刑罰主義であったことを思うと、中国化へまっすぐには進まないし、しかも政治も経済も自由化、民主化ということはありえないことを考えると、整然たる秩序から不安定な混乱の道へ進む可能性が強い。韓国や中国もかなり巻き込まれるだろうし、日本だけが、圏外にいることもまた考えられない。日本と朝鮮半島との歴史的な関係からして、どうなるか不明であるが、様々な可能性を考え、議論する必要がある。その際、われわれは自国だけの安全や利益、日本人だけの利害から主張するのだけはやめなければならない。「東北アジア全体の平和と共存」のために、汗を流すべきだと考える。
単に北朝鮮はケシカランという議論だけでは、朝鮮総連をはじめ在日朝鮮人、韓国人の運動をわれわれの課題として共有することはできない。今年になって日本共産党は元赤旗ピョンヤン特派員の荻原遼氏を除名したそうであるが、北朝鮮の問題は、一九六〇年代の帰還運動など在日朝鮮人の運動の問題でもあり、在日韓国人の運動も含め内なる日本の問題でもある。テレビなどでも脱北者や強制収容所の問題など多くの報道がなされているが、今、われわれにできることは一人ひとりの人間の生命を救うための支援を具体的に行うこと、そして朝鮮問題は日本の問題でもあることをその歴史も含め、理解し、学ぶことである。私はなにも知らないが地道でねばり強く活動する方法があるし、それに取り組んでいる先達も多数いると思う。それらに学びたい。
母親が10年振りに選挙に出かけた
先日、自分の母親から、この十年来聞いたことのない言葉が飛び出した。「こんどの選挙に行くから、葉書はどこだ?」と。どうしても解せないので理由を聞くと「自民党が勝つと、税金が上がる」と答えた。
てっきりマスコミにでも踊らされて浮かれているのかと思っていたが、意外にも分かっていたのだ(ただしこの選挙が「大きな」ものであると認識させたのに、「小泉劇場」の効果が皆無だとはいえないが…)。
そんなことはうちの母親でさえ分かっていたのだ。選挙後一週間の間に、マスコミの記事に、「自民党が勝ちすぎて不安」、「有権者が支持したのはあくまで郵政民営化のみ」、「重要法案が審議なしで可決」というものが出てきている。
選挙戦中は「郵政」、「刺客」、「ホリエモン」などが大きく報道され、税金、年金、外交問題、海外派兵などは、まるで首相の意図の沿うように、新聞の片隅に引き籠もっていたのである。それがいまになって「後出しじゃんけん」のように、大きく取り上げているのである(9月17日のある全国紙にはこのような内容の、一面丸ごとの特集と、ほかに2、3の記事が載っていた)。
だったら始めから言えよ!ふざけるな!
やはり「本当の敵」はコイズミではなくマスコミなのだろうか…。(Y・N)
「右島一朗著作集」、「山の記憶」出版記念会のお知らせ
昨年八月八日、右島一朗(高島義一)は静岡県赤石沢で登山中に滑落して亡くなりました。週刊「かけはし」編集長であった右島一朗の「著作集」と「山の記憶」が完成しました。「著作集」はA5判で800ページを超えるものであり、彼がさまざまな分野にわたる問題について、鋭い分析を加えた文章の数々です。「山の記憶」は、彼が登った北アルプスなど数々の山行記録と友人たちが思い出を綴ったものです。
著作集出版にあたっては、多くの人からカンパが寄せられました。この場をお借りして感謝いたします。
つきましては、ぜひとも出版会に御参加していただき、ともに右島一朗を偲びたいと思います。
b日 時 10月16日(日曜日)、午後1時30分より
b場 所 日本教育会館2F「喜山レストランホール」(都営地下鉄神保町A1出口徒歩3分)
b会 費 10000円(著作集5000円、山の記憶1000円も含みます)。ただし、事前にカンパを戴いている方については、5000円。
※昨年の偲ぶ会に参加された方、カンパをいただいた方には、往復ハガキにて、ご出欠をお願いしております。
b主 催 右島一朗著作集刊行委員会
b連絡先 新時代社
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