TVドラマ紹介 TBSドラマ「涙そうそう」プロジェクト
『広島 昭和20年8月6日』 かけはし2005.10.3号 |
あの日までの20
日間のあらすじ
八月二十九日にTBS系で放映されたドラマ、「涙そうそう」プロジェクト「広島昭和20年8月6日」を観た。
広島に落とされた原爆を扱ったドラマで、日本中の多くの人々が涙し、若者たちにも、たくさんの感動をあたえ、「戦争」について考える機会をあたえた。私自身も放送が終わっても涙が止まらず、数日たった今もまだ胸がいっぱいになっている。このドラマは、私が「忘れかけていたもの」を呼び覚ましてくれた。ストーリーを番組公式HPから転載する。
広島、平和記念公園。
ひとりの老紳士(西田敏行)が、就学旅行の学生たちを相手に話をしている。
かつて、その辺りに民家や商店が建ち並んでいた時代。そこで、両親をなくした四人の姉弟が助け合って笑い合って仲良く暮らしていた時代。そんな六十年前の夏の話を│。
戦争まっただなかの一九四五年七月十六日。
広島、天神町。
志のぶ(松たか子)は矢島家の長女として、両親が遺してくれた矢島旅館を守りながら、妹と弟の面倒を見る大黒柱。自分の幸せよりも何よりも家族を守ることを使命と考えている。
次女の信子(加藤あい)は小学校の代用教師。戦時下での教育にも、戦争そのものにも疑問を抱いているが、自分が何もできないことに苛立ちを隠せない。
三女の真希(長澤まさみ)は高校生。
日本が戦争に勝つと純粋に信じ、学徒動員に駆り出された被服工場で、一生懸命働いている。
年明(富浦智嗣)は花や動物が好きな心優しい末っ子。姉たちが口論しているのを見ると、自ら道化役をかって出て場を和ませる。いつも笑顔。争いごとが何より嫌いなのだ。
そんな姉弟に、苦しく辛い試練が次々と訪れる。年明が戦争に行くことになったのだ。
妹たちに心配かけまいと、ニコニコと出征していく弟。しかし志のぶだけは知っていた。前の晩、年明が「戦争に行きたくない……死ぬのが怖い」と、拾ってきた子犬ゴローを抱いて泣いていたことを……。生き物を育てるのが大好きな弟が、なぜ人を殺せと命令されなければならないのか。こんな戦争、誰が始めたのだろう……?
ある日、真希は工場でバレエを踊っている少女・美花(深田あき)と出会う。美花はほかの生徒たちから「朝鮮」と呼ばれていた。彼女が教官(甲本雅裕)から差別を受ける様子を見た真希は、思わず彼女の手をとり、工場から逃げ出す。
一方、信子は建物疎開で疲れきった幼い生徒たちを不憫に思い、規則に反して一日裏山で遊ばせる。ところが、それが軍部に知れて捕まってしまう。志のぶが身体を張って将校(石丸謙二郎)に謝罪し、信子の解放を求めるが……。
そんな時、志のぶのもとに三年前に結婚を申し込んでいた重松(国分太一)から手紙が届く│。(以上)
戦争の記憶が
薄らぐ中で
戦争によって無慈悲に殺される一般市民、心やさしい人、社会的弱者、これらをこのドラマは、ひとつの家族に焦点をあてて、たんねんに描いている。
広島・長崎の原爆、空襲などたくさんの戦争被害、これらは敗戦後の日本でくり返し語られてきた物語だ。ややもすると「マンネリ」とされてしまう。事実、いつのころからかテレビでは、太平洋戦争についての報道、ドラマなどが、めっきりと少なくなってしまった。そんな中で、このドラマはまっこうから「語りつくされた悲劇」を描いた。
戦時下の息苦しい時代でありながら、懸命に生き、そしてそんな日常を送る人々が、まったく予期しなかった一発の爆弾によってすべてを失う。それだけを描いた。しかしそこには「悲劇の押しつけ」も「説教」もなにもない。あるのは現実に起きたできごとという事実のみだ。作品がフィクションでも、実際に存在したかもしれないひとつの家族はリアリティーをもって見るものに迫ってくる。これが多くの人々の心をゆさぶったのだろう。私もその一人だ。
私の考えをか
えた「731」
私は子どものころ親などから、戦争中の空襲の話や空腹の話、そして原爆の話を聞いて育ち、また本や映画、テレビからも戦争を知り、自然に反戦意識を持った。
中学生のころ、そんな私の価値観を変える本を知った。旧満州における日本軍の犯した犯罪、「石井七三一部隊」の実相に迫った、森村誠一の『悪魔の飽食』という本だ。
中国での戦時中の日本人の蛮行を知り、当時の私は、今まで親などから聞いてきた戦争体験話が、なにかしらじらしく思えてきた。
「被害者ヅラで、みんな戦争を語るけど、けっきょく日本こそ加害者だったじゃないか!」
これを境に、私の心は日本人が味わった戦争体験から離れ、のちに「東アジア反日武装戦線」の考えに共鳴する。彼らの犯した罪は正当化されるものではないが、彼らの「日本人が犯した罪は日本人自らが償わなければならない」、という主張には反論の余地がないと今でも思う。
現在の私は、かつての親の話も含め、日本人の戦争体験も貴重なものだと思っている。それでも依然として沖縄を例外に、「日本人の被害者意識」になじめず、次第に、広島、長崎から心が遠ざかってしまっていた。戦時中、言論統制がされていたとしても、「反戦」をとなえた人々を「アカ」として差別し、弾圧に手を貸した日本人。みずから戦争に賛成した多くの日本人。それが負けたとなれば「被害者」としてふるまう。どうしても嫌悪感が先立ってしまっていた。
このドラマは、そんな私の心を粉砕してくれた。私が忘れ、捨て去った、「戦時中の日本人の悲劇」を、確固たる現実として思い出させてくれた。日本人の犯した罪は必ず償うべきだ。しかし、「戦争に賛成した」としても殺されていい命などなかった。「あたりまえ」のことをこのドラマが教えてくれたように私は感じた。「あたりまえ」を描いたからこそ、多くの人々を感動させ、「あたりまえ」こそがこの作品の最大の魅力ではなかったのではないだろうか。
さらに特筆すべきなのは、朝鮮人を差別する日本人を描いたことだ。これは今まで、戦争を扱ったテレビドラマでは、あまり語られなかった切り口だろう。
朝鮮人の女の子と友情を育んだ「軍国少女」が原爆によって命を奪われる。「加害者」だろうが「被害者」だろうが、戦争は無関心にすべてを消し去る。争いが嫌いな心やさしい少年も銃をむりやり持たされる。時代にあらがう人も、一生懸命生きてるだけの人も、すべてを戦争は抹消する。
思うに私は、こんなあたりまえのことを再び思い起こせたから涙したのだ。こんな私が感動できたのだからこそ、多くの人々の心に響いたのだろう。
若者達も「反戦」
を受け入れる
戦後60年がたち、若者に戦争をどのように伝えれば良いのかと、たくさんの人が悩んでいる。私もその一人だが、戦争を体験してるわけじゃない。それでもそれを「想像力」でおぎなってきた。今の若者には情緒や想像力が不足気味ではないか? そんなことを時々私は考える。戦争の話をすると「実感がない」と言われたし、「はんせんってなに?」と言われたこともある。私の力不足でもあるが、気になってしまう。大人でも似たようなものだ。
私自身は「反戦」の思いから「左翼」になったが、今やイデオロギー云々以前に、前提となり得る反戦意識を多くの人々が喪失してるように感じていた。
このドラマの公式サイトの、「意見、感想」のページを開いてみた。そこで私にとっては意外なものを見た。10代、20代の若者たちが、男女を問わず「反戦の意思表示」をしていることを発見できたのだ。思い思いにドラマの感動とともに、それをつづっている。戦争に無関心だった自分を恥じ、反戦にめざめた人、憲法九条を変えてはならないと主張する。まだ選挙権のない若者、選挙権を平和のために行使する、と宣言する人、朝鮮人への差別を初めて知り、「反日」感情がわかり、差別を非難する人、そのほか圧倒的に多くの人々が反戦の願いを込めて書きつづっていた。その多くは若者でしめられている。一つ一つの、たくさんの意見を読んで私はまた涙が出た。ドラマの感動とあいまって、一つ一つの真剣な意見、なにより人数の多さがうれしかった。久しぶりに幸せな気分に浸れた。
「実態を見れば、クールな若者にもわかってもらえるのだ」
そう私は考えた。世の中捨てたもんじゃない。潜在的な人間の持っている良心は、それを発掘する「手順」をしっかりとふめば、まだまだ掘り返せるのだ。そんなことを思った。
このドラマの思い出も、長い人生の中で若者は忘れてしまうかもしれない。でも一度、心に映った感動は、なにかのきっかけできっと呼び覚まされる。私は今、そう信じている。
若者の心をゆさぶり、自分自身の頭で考えてもらい、決して押しつけがましくない、自然体の丁寧で時間をかけたさまざまな作業を通じて若者はきっと気づいてくれる。デモや集会にすぐに来てもらわなくてもよい。つねに「きっかけ」だけをあたえ続け、ゆっくりと若者の「自立」を待てばいい。今の私たちには「荒れ地を耕す」ような、地道で丁寧な作業が求められていると私は思う。そして、私自身も成長しなくては、と思うようになった。 (T・W)
コラム
衆院選の結果に思う
民主党の1・5倍弱の票を取った自民党は、その4倍を超える議席を自らのものとした。共産党と社民党は辛くも踏みとどまった。これが、自民圧勝とされる今回の衆議院選挙の内実だった。
そこにあったのは、小泉マジックなどではなく、小選挙区制がもたらした「マジック」だった。小選挙区制とそれに付属する二大政党構造は、議員内閣制を擬似大統領制へと変質させ、政治の領域での中央集権主義を一挙に促進しているとみるべきだろう。
今回の衆院選がしるした、政治体制における都市部と地方の関係の歴史的転換について考えてみたい。
70年代以降、自民党国会議員のルートをつうじて、公共事業、補助金、交付金を町村に導入し、またそれにタイアップして自民党地域機構が日常活動を展開するという構図が定着していった。町村レベルでは、自民党以外の政治勢力はほぼ存在できない状態さえつくられていった。
それは、高度経済成長をバックにした都市部での税収の拡大を地方に再配分するシステムでもあった。このシステムの牛耳を執った自民党は、みずからの安定した全国政治ヘゲモニーを成立させたのである。
だが、バブル経済とその崩壊をつうじて、地方の農村部に顕著な基盤を築いた自民党の全国政治ヘゲモニーは衰退にむかった。とりわけ最近の十数年間は、ジリ貧状態におちいり、一時は政権の座から滑り落ちた。この時期、民主党は、合従連衡を繰り返したのち、いち早く新自由主義綱領をかかげて誕生した。
そして今回。自民党は、目先の利便性に敏感な都市部に基盤をおく政治勢力への脱皮をとげた。それは、郵政三法案に反対した議員を強制排除し、新自由主義の第1旗手の座に踊り出たことと軌を一にするものだった。トヨタ資本の小泉選挙への異常なほどの熱の入れようが示すように、大資本は、第1旗手と自分たちの展望をひとつに重ね合わせた。この過程で、民主党は新自由主義の第2旗手の座に転落していった。
自民党が都市部に基盤をおくようになったからといって、地方においてただちに没落するとは考えにくい。自民党から排除された議員たちは、首班指名では「小泉」と書いた。現在の状況を一時的なものと考える、過去からくる幻想は消えていないのだ。小泉は「任期はあと1年」と、この幻想をしきりにあおっている。加えて、小さくなったパイを奪い合わざるをえない地方政治は、中央への依存をいっそう強め、自民党への再結集がすすむこともありうる。民主党が資本との「信頼」関係を再構築して、自民党に取って代わるところが出てくることもありうる。
いずれにせよ、小選挙区制に付属する二大政党構造は、過疎問題のような地方の「小さな」問題を切り捨てにするだろう。そして、あたかも党首が権力を自由に操ることができるかのような中央集権主義は、安定したものになるかどうかは別にして、後戻りすることなく進んでいく。「地方分権」もまた知事への権力の集中として機能していく(小選挙区制が「政治改革」の名において導入されたことを想起すべきだろう)。
こうして、民主主義をめぐる対抗関係は、新自由主義のグローバリゼーションとオルタグローバリゼーション運動として設定されている。都市部と地方を貫くオルタグローバリゼーション運動の役割は、今後ますます大きなものになっていくにちがいない。共産党と社民党の未来さえ、この運動の中にあると言っても過言ではない。 (岩)
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