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ひるむことなく脱原発社会への歩みを          かけはし2005.10.10号

JCO臨界被曝事故を忘れない
これ以上ヒバクシャをつくるな


臨界被曝事故6周年東京集会
大惨事の前に原子力からの撤退を迫る運動を

行政の責任をあ
くまで追及する

 九月三十日、渋谷勤労福祉会館で「東海村臨界被曝事故を忘れない9・30六周年東京集会」が9・30臨界事故6周年東京行動実行委の主催で開かれ、百三十九人が参加した。
 最初に、主催者を代表して、たんぽぽ舎の柳田真さんが基調を提起した。
 基調の核心は、次のことである。
 「事故を忘れない、再びおこさせない。地震多発・原発事故多発時代の生き方――大惨事の前に『原子力からの撤退』を迫ろう。核と人類は共存できない。これ以上ヒバクシャをつくるな」。
 「今朝、経済産業省・原子力保安院前で追悼行動を行い、その後、経済産業省資源エネルギー庁・原子力安全保安院、内閣府、文部科学省へ抗議・要望・申し入れを行った」。
 「JCO臨界事故後、六年目に事故を総合的にとらえようとする動きがあった。@原子力学会がJCO事故での政府の対応を批判した報告書(05年2月)を発表したA『東海村臨界事故への道』七沢潔著、岩波書店が発刊されたB『青い光の警告―原子力は変わったか』がJCO臨界事故総合評価会議から出た。一年間の運動としての取り組みは、ニュースの定期発行、地元の乾燥芋の販売、JCO臨界事故ヒバクシャ・大泉夫妻の健康被害裁判支援、「サクラと原発」の調査、地元との交流ツアーなどを行ってきた。今年は前年の活動を引き続き行うとともに、劣化ウラン兵器禁止・市民ネットワークと連帯・協力すること、浜岡原発を止める活動、日本の核武装問題批判研究会との連帯など、共同行動を強化する」。
 続いて、世界のヒバクシャを撮り続け、『核の世紀 マーシャル諸島』を刊行した豊崎博光さんが講演を行った。豊崎さんは、核実験、ウラン採掘と精練、原発事故、核物質製造と核兵器製造、原子力発電所の運転、核廃棄物の処理などによって生み出されたヒバクの実態とヒバクシャの現状について報告した。豊崎さんは、地球温暖化防止を理由に、いったん止まっていたアメリカでの原発建設がブッシュによって、再開されたこと、原発への依存を強めようとする各国の動きについて批判した。さらに、豊崎さんは地球規模のヒバクの恐ろしさを明らかにし、核・原発の廃棄とヒバクシャへの治療などの支援を訴えた。(別掲)。


健康被害裁判を
全国で支えよう

 次に、JCO健康被害裁判原告の息子の大泉実成さんが裁判の報告を行った。
 実成さんは、実は母親で原告の恵子さんが参加して報告する予定だったが、PTSD(外傷後ストレス障害)で人前に出るとパニック障害を起こすので出席できず、代わって報告することを明らかにした。
 「事故後、毎年春になると行政は健康診断を行っている。事故後、激しい下痢、口内炎など粘腋をやられ健康被害がでた。よくなったという人が少ない。事故直後に、科技庁の職員は『これぐらいの被曝でなぜ来るのか、来ても意味がない』という対応をした。どこに行っても、被曝の被害を認めようとしない。行政は情報を隠す、漏れるのをいやがる。裁判をさせないように、いろんな所から手をのばし、生活の場でプレッシャーをかけてきた。それでも、被害者の会は百人ぐらいの会員がいる。わたしたちは、健康手帳を配って、記入してもらっている。それで二百人ぐらいの輪が出来ている」。
 「裁判は、@JCOの親会社住友金属鉱山にも責任があるかどうかA健康被害の原因は臨界事故なのかで争われている。双方の主張がほぼ出つくしていて、証拠調べの段階に入っている。二月十六日の第十一回公判で、原告側が八人の証人申請をしたが、JCO側は、全員を必要はないと言ってきた。こんなことは普通の裁判ではめずらしいという。しかし、裁判所は証人尋問を認め、十一月十六日水戸地裁で、皮膚科の医師二人の証言がある」。
 「九月十一日に行われた東海村村長選で、新しい原発を持ってきて、プルサーマルをやりますという推進派の候補者が落選した」。
 裁判支援のカンパが呼びかけられ、五万数千円が集まり手渡された。集会の最後に、浜岡原発止めよう行動、NO・DU行動への参加が呼びかけられた。(M)

豊崎博光さんの講演から
見捨てられる世界のヒバクシャたち

ヒバク放射線量
に安全値はない

 今年は、アメリカによる広島、長崎への原爆投下によって多数のヒバクシャが生み出されてから六十年を迎えた。このことはまた、米英ソとフランス、中国、インド、パキスタンによる二千五十七回の核実験によるヒバクシャ、核兵器製造と原子力発電用のウラン鉱石の採掘と精練によるヒバクシャ、スリーマイル島原発とチェルノブイリ原発事故によるヒバクシャ、核物質製造と核兵器製造、核廃棄物処理などによるヒバクシャも長い年月を過した。
 ヒバクとは放射能による影響、被害だ。今年七月に、アメリカ科学アカデミーは、ヒバク放射線量に安全値はないとする報告書を発表した。すなわち、許容量以下の低いレベルの放射線でも低い割合でガンを発症させるとした。これまで許容量以下のヒバクのためヒバクシャとして認められなかった人びともヒバクシャになるということだ。
 ヒバクシャはヒバクした時からむしばまれ続けている。その影響はすでに二世や三世にもおよんでおり、ヒバクの被害に終りはない。核兵器と核燃料に使われる猛毒の放射能プルトニウムの半減期は二万四千年、劣化ウラン弾に使われるウラン238の半減期は地球誕生の年月と同じ四十三億年。「核の世紀」、「ヒバクシャの世紀」に入って六十年余りという時期はプルトニウムやウラン238の半減期から見るとわずかな時間でしかない。私たちはこの地球上で暮らす間、ヒバクされ続ける。

放射能被害と先
住民族への差別

 ヒバクの影響、被害は次の四つが見られる。
 @健康被害A精神的被害B社会的被害。放射能汚染により、従来の土地での暮らしとともに育んできた伝統や文化が成り立たなくなって崩壊し、暮らしもコミュニティも破壊されることが社会的被害Cニュークリアー・レイシズム。核による人種差別と訳している。ウラン採掘の現場はそのほとんどが先住民族の地域で行われている。これらの核実験場では一部で放射能を除染する作業が行われたが、依然として危険なレベルの放射能が残り、本来の所有者である先住民族の人びとは帰郷できないばかりか、いまなお立ち入ることも禁止されている。
 ヒバクの被害と影響は広範囲であり深刻だ。しかし、ヒバクによる健康被害などは見えにくいのが実態だ。それゆえ、ヒバクは「インビジブル・バイオレンス(見えざる暴力)」と呼ばれている。日本やアメリカは補償法を持っているが、健康被害に対するもので、精神的被害、社会的被害に対する補償金は支払われていない。多くの国で、ヒバクの実態は隠しつづけ、ヒバクシャは見捨てられている。(スライドを使っての講演だったので、講演者の講演主旨のメモをまとめたものです。文責編集部)                    


JCO臨界事故6周年全国集会
東海・六ヶ所・福井をつなぐ反原発の闘いへ

もんじゅ事故10
周年全国集会へ

 九月二十五日、JCO臨界事故六周年全国集会が水戸市内で開催された。原水禁国民会議(平和フォーラム)、茨城平和擁護県民会議、原子力資料情報室、反原子力茨城共同行動の共催で約三百五十人が参加した。また東海村では平行し、臨界事故被害者の裁判を支援する会主催の講演会も開催された。
 全国集会では茨城共同行動の河野さん、原水禁の福山さん、平和擁護県民会議の川口さんのあいさつに続き、九州大学教員の吉岡斉さんによる「原子力大綱と原子力のゆくえ」と題した記念講演が行われた。吉岡さんは「政府ではかつて、余剰プルトニウム問題という文言を使っていたが、現在はプルトニウム利用計画と言い換え、いかにもプルトニウムは余っていないかのごとく取り扱われている」と国の政策を批判した。講演の後段では、吉岡さんとともに原子力委員会の新計画策定委員を務め、脱原発の論陣を張った原子力資料情報室の伴英幸さんが登壇し、Q&A方式で対談を行った。
 続いて、青森と福井から特別アピールが行われた。三沢市議の山田清彦さんは「六ヶ所再処理工場ではルアーグ再処理工場の技術者がフランスでの報酬の数倍を得ながら日本人技術者の支援のため派遣されているが、中途での帰国者が後を絶たない。六ヶ所再処理工場の危険性を物語っているのではないか」と訴えた。福井県平和センターの水上さんは、十一月末に国民保護法に基づいて、美浜原発の武力攻撃を想定した実働訓練に対する監視行動と十二月はじめのもんじゅ事故十周年全国集会への結集を訴えた。

六ヶ所村再処理
工場稼働阻止へ

 茨城共同行動の根本さんによる現地報告、原水禁の井上さんによる行動提起、たんぽぽ舎の柳田さんによる連帯アピールと集会アピールの採択の後、水戸市内をデモ行進した。
 今秋の反原発の全国集会として、十一月十九日に日比谷野音を会場に、六ヶ所再処理工場稼動阻止の大集会が準備されている。(斉)


9.23田んぼくらぶが稲刈り
悪戦苦闘の末に今年の収穫はジャスト三俵

 九月二十三日、横堀の旧二期工区にある熱田さんの田んぼで田んぼくらぶの仲間たちが稲刈りを行った。
 二十二日、仕事を終えて夜遅く横堀農業研修センターに宿泊した仲間、朝早起きしてやって来た仲間、大人と子供あわせて二十人以上の参加で朝露の乾いた十時ごろより作業が始まった。今年も早稲品種である「ふさおとめ」だがスケジュールの都合などで、かなり遅い稲刈りとなった。
 まず始めに田んぼ一面を覆うスズメ避けの網を外す。台風などでも飛ばないように田んぼの中に何本も竹の棒を立て、かなりしっかりと縛ってあるので、これを外すのが一苦労である。今年で三年目の網はあちこち穴があいており、そういうところは籾殻が地面に落ちていたりする。また、田んぼの中に狸と思われる足跡があったり、最後には網の下からキジが飛びったったりと、網の効果も万全とはいかないが、それでもあるとないとでは大違いである。
 網を外すといよいよ稲刈り開始。例年のように手前の方はコンバイン、奥のぬかるんだ方は手刈りでと手に手に鎌を持って田んぼの中へ向かう。
 普通はこの時期になると穂が重くなり稲が倒れているものだが、今年の稲はピンピンしている。また、水は抜いてあるのだが田んぼの中がいつもよりぬかるんでいる。そして雑草もかなり多い。などと思っていると、刈り始めてすぐにコンバインが埋まる。
 みんなで押したり、周りを掘って泥をどかしたり、コンパネを田んぼの中に敷いたりと脱出までに約二時間かかってしまう。結局、コンバインはぬかるんだところは避けて刈ることにして、半分以上手刈りでやることになってしまった。
 夕方までかかって稲刈り終了。今年の収穫は三俵ジャスト。今までで二番目に低い収量であった。
 夜は東峰部落の石井恒二さんを迎えての交流会。コンバインを貸してくれたのも石井さんだったのだ。田んぼのことについて、プロの意見を聞いたり、東峰の様子などについてもお話を伺った。
 翌日は前日から乾燥させておいた米のモミスリを行い。できたての新米を精米して持ち帰った。  (板)


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