| 国勢調査の見直しを求めよう かけはし2005.9.19号 |
調査票は封入し
て提出しよう
十月一日、五年に一度の国勢調査が実施される。住基ネットへの反対運動や個人情報保護法の施行など、プライバシー保護意識の高まりのなかで、調査員が直接訪問する全件(悉皆)調査は批判を浴びており、今回は全世帯に回収用封筒を配布せざる得なくなった。
国勢調査は、人口センサスと呼ばれる調査で、統計法に基づいて行われる。世帯を調査員が直接訪問して調査票を配り、再び訪問して回収する方法をとっている。今回は簡易調査と呼ばれ、調査項目大規模調査よりも少ない十七項目。それでも、年齢や性別に限らず生活内容に踏み込む項目が対象だ。
もっとも問題となっているのは、調査員が調査項目を見るということ。おおよそ五十世帯を受け持つ調査員は、ほとんどがその居住する地域から選ばれ、顔見知りということが多い。原則民間人で区市町村長の推薦で総務大臣が任命する。調査の期間だけの非常勤の国家公務員だ。
一九二〇年の調査開始以来、調査票をそのまま提出することが求められてきた。調査項目には世帯員の構成のほか、学歴、就労状況や勤務先の名称や所在地などもある。調査員が記入の誤りや漏れを確認するためと説明されているが、顔見知りに知られたくない、また守秘義務のある調査員が調査内容を漏らしているとの訴えが相次いだ。そして、前回二〇〇〇年調査で、総務省統計局は、小さなシールを配布し、調査票を説明用紙で包み封をする方法をとった。その結果、全国で一千万世帯を超える世帯が封入提出し、全国平均で二一・五%に達した。
プライバシーを守ろ
うとする意識の拡大
こうした批判を受け、総務省は今回全世帯に封筒を配布する。これは、批判を続けた市民運動の成果であり、調査開始以来の大改革だ。しかし、全員の封入提出を認めたわけではない。調査票を封筒に入れ、封をした場合、調査員は調査票を見ることなく区市町村に提出する。だが、配布の封筒は「整理用」であり、「調査票をなくしたり汚したりしないよう、整理用としてお使いください」と書かれている。そして、調査員が点検できるよう「裸」のまま提出するよう求めている。さらに、自治体が未記入などの確認をするため電話番号の記入も求めている。プライバシーが丸見えという批判に応えて封筒を配るが、調査の精度を下げないため、なるべく使用させたくないというのが本音ではないか。総務省は従来の方式を維持したいのだが、実際に調査を行なう区市町村のなかには、横浜市、川崎市、世田谷区、三鷹市など積極的に封入提出を呼びかけるところも広がりつつある。調査の困難さや苦情を考えれば、現実的な判断だ。
都市部を中心に、調査の実施は毎回難しくなっている。前回は全国八十万世帯で調査票が回収できなかった。東京では五・九%にも達した。調査票が未回収の場合、郵送での提出を認めるほか、調査員が性別や人員などについては近隣への聞き取り調査も行なっている。この数が多くなれば、調査の精度に関わる問題になる。だが、調査を行い続けるのはなぜか。
国や行政に利用
されるデータ
国家を挙げての人口調査は、紀元前三千六百年ごろのバビロニアにさかのぼるとされる。ローマ帝国が行った人口調査のため指定された日に間に合うよう徒歩で百二十キロ離れた出身地に戻るマリアが、ベツレヘムで産み落としたのがイエス。その誕生を知り、地位を奪われることを恐れたヘロデ王がベツレヘム地方一帯の二歳以下の男児を皆殺しにしたと聖書は伝えている。人口調査は権力者のために駆使された。二千年を経ても、情報に対する権力者の考えは変わっていないだろう。
一九二〇年第一回調査の標語に「個人の秘密 国に用なし」、また第四回では「ありのまま残らず告げよ国のため」とある。こうした標語から、国勢調査は、個々人の生活よりも国家の利益を優先するため行われてきたことがわかる。今回、調査員は八十五万人、自治体職員を加えると約百万人が一斉に調査のために動員される。結果よりも調査の過程そのものが、権力に素直に従う人々を作りだすという意味を持っているといえる。総務省はこうした意識から何時脱却できるのだろか。正確な調査結果をもとめるならば、プライバシーに配慮するべきである。また、人口以外は抽出調査でも充分だろう。
今回のポスターには「少子高齢化への取組みやみなさんの街づくりにいかされます」と書かれ、調査結果は政策に生かされるとされている。しかし、どこまで信用できるのだろうか。昨年の年金国会では、出生率など重要なデータが審議中隠されていたことが暴露され問題となったことは記憶に新しい。
一方で国勢調査結果はデータ化され一般に販売され、主に企業の市場調査などに活用されている。
もはや、プライバシーを丸裸にするような調査は意味がない。六百四十九億円もの巨費を投じてまで行う必要があるのだろうか。調査項目や方法の抜本的な見直しが必要だ。本紙が届く頃には調査票が配布され調査が始まる。今回の調査結果によっては、五年後の大規模調査(収入状況など調査項目が増える)のあり方に大きな影響を与える。
密封して提出することは、総務省も認めた方法である。全世帯が密封して提出しよう。国勢調査には申告しなかったり、虚偽の申告、妨害した場合には統計法で罰則もある。だが、これまで、国勢調査に協力しないことを理由に適用された例はない。配偶者の有無や学歴欄は数十万人から二百万人が記入していないといわれている。
納得できないことがあれば、総務省や自治体に電話しよう。長年、国勢調査の見直しを求めてきた「国勢調査の見直しを求める会」は、インターネット上で掲示板をすでに開設しており、調査にあわせて今回も電話相談を開設する。
(長沢克巳)
国勢調査電話相談=ホットライン
9月25日(日)〜10月6日(木)13時〜19時
電話03―5155―7378
東京のほか大阪、札幌、高松でも開設予定。
【参考】
b「国勢調査を調査する」 山本勝美著
岩波ブックレット bR80
b「国勢調査が分かる」
国勢調査の見直しを求める会
http://www.ringo.sakura.ne.jp/~kokusei/saishin.html
関西共同行動などが呼びかけ
立川ビラ入れ弾圧糾弾控訴審闘争の勝利を
【大阪】九月九日エル大阪で、二〇〇四年に陸上自衛隊東立川駐屯地の官舎にイラク反戦ビラ入れを行い、住居不法侵入を理由に不当逮捕された立川自衛隊監視テント村の大西章寛さんと、立川反戦ビラ入れ弾圧救援会の宗像充さんを招いて「立川ビラ入れ弾圧報告集会」が行われ、約四十人の参加で成功した。
初めに大西さんが、逮捕された当時の体験を語った。
「逮捕された三人のうち、高田さんは当時事務所にいた。朝六時五十分いきなり玄関をドンドンと何回もたたきベルをならすので、のぞき窓を見ると廊下に私服刑事が十人ぐらいいた」。
「チェーンロックをつけてドアをあけたら、立川署の者だという。大家さんに連絡するため電話をかけている間にチェーンロックをぶち切り部屋に乱入してきた。電話もむりやり切らされた」。
「令状を出し、ビラ入れの事で家宅捜索をするという。高田さん自身の立会で、二時間かけて家宅捜索をおこない、ビラ入れとは関係のない、パソコン、印鑑、預金通帳などを押収していった。警察は家宅捜索が終わった段階でもう一枚書類を出した。逮捕令状だった」。
「逮捕連行され、アパート一階出口に来るとすでにNHK、フジテレビ、TBSのマスコミ三社が来ていた。マスコミにリークした上での逮捕だった」。
「私(大西さん)の場合は前日に友達の家に泊まり、朝家に帰る途中、公安警察に声をかけられ、自宅を家宅捜索している旨を告げられ(大西さんの兄が立会人をした)、もう一枚書類があると逮捕令状を出された。同じ手口だった」。
「この日は六カ所が一斉に家宅捜索された。七人を弾圧するため公安刑事約六十人が動員された。公安二課の刑事が約百七人いるから約半分が動員されたことになる」。
「その後、逮捕された三人は立川留置所に入れられ二十二日間の取調べを受けた。大洞さんは取り調べのとき、刑事が机をけってわざと膝にぶつける暴力的な取調べをうけたという。また高田さんは取り調べのとき刑事から、立川の浮浪児、寄生虫、などの誹謗中傷をうけた」。
続いて宗像さんの方から報告があった。
「イラク戦争下でこのような弾圧があった。ほんとうに戦時下になったと感じる。ビラ入れで、今までこのような弾圧はなかった。今まではすべて現行犯逮捕だった。今回は、自衛官官舎が対象だったということで、向こうも本腰を入れて弾圧をしてきたのだろう。三人は完全黙秘でがんばっていたので、起訴をさせない運動と奪還のためにがんばった。ビラを入れて何が悪いのか、ということを強く主張したい」。
「逮捕直後すぐに四十人が集まり抗議声明をだしたが、集まった記者は三人だけだった。逮捕の日はオウム真理教の麻原の死刑判決の日で、マスコミはそこに集中していたのだろう」。
「その後も救援は大きく広がっていった。多くの団体が声明を出してくれた。労組ががんばってくれた。山形大学の学生も手伝いにきてくれた。アムネスティインターナショナルは、国内初の『良心の囚人』に認定してくれた。保釈要求・無罪要求の署名運動も短期間に大きく広がった。北海道では連合が声明をだしてくれた。三人の完全無罪をかちとるまでがんばりたい」。
さらに宗像さんは、立川自衛隊基地の近くに建設されている昭和天皇記念館について追加報告した。
このあと全日建・関西生コン支部とおおさかエコムーブのほうからそれぞれが受けている弾圧について報告があり、質疑応答を行い、最後に中北龍太郎さんのほうから閉会のあいさつを受けて集会は終了した。
この事件の一審判決は、行為自体は住宅不法侵入で違法だが、軽微であるので無罪とした。しかしまさにこの点を検察は控訴申し立ての理由としている。控訴審の第一回公判は9月14日に予定されている。 (A)
コラム
「夏バテ」考
今年の夏バテはいつになく激しい。もちろん年のせいもあろうが、それだけではないようだ。今年は夏が一カ月早くやってきたのだ。しかも、例年より湿度が高く、むし暑い。昨年は、台風が群発し、次々と日本列島を襲った。運悪く、私の夜勤日に集中したため、様々な対策に追われ、仮眠時間が二〜三時間となりバテてしまったのだが、今年はそれは未だない。台風一四号も直撃を免れた。
根本の問題は、一〇八人の生命を奪ったJR宝塚線の尼崎付近の事故にある。私の通勤路線だ、今も。当日は、明け番ではなく、夜勤の出勤日のため、その電車に乗ることはなかった。運良くと言ってよいのかどうか、何ともやり場のない思いが今も残る。
JR宝塚線が不通の期間、私は、電車を四回も乗り継いで出勤しなければならなかった。しかも、JRから阪急へ乗り継ぐために、坂道を一〇分近く歩くことになった。さらに阪急から阪急へ、そしてもう一度阪急からJRへ。通常より三〇分以上も時間がかかる。その上、夜勤のため、一日で一番気温の高い時間帯に、家を出て職場に向かうのだ。やっとの思いで職場にたどり着いた時には、眼もくらみ、頭がガンガン鳴るのである。
例年であれば、夏ともなれば、私はプールに行く。近くの海は、すでに、泳ぐに値しないほど汚れてしまっている。週に二日ぐらい、二〇〇メートルを単位として一キロほど泳ぐことにしていた。だが今年は、もはやそんな気力が湧いてもこない。
JR西日本は、私のような被害者が存在することも思いを致すべきである。通勤時間が、通常より往復で一時間以上増加したのであるから、私は一時間以上の超過勤務を余儀なくされたことになるのだ。それに加えて、通勤途中に熱中症になる危険性や、体力の消耗が激しくなるために疲労困憊する。それを軽減するための休暇措置も必要となる。この責任は、すべてJR西日本が負わなければならないはずである。
「疲労」は、誰も病気だとは思わない。だが、「慢性疲労」ともなれば、疲労が重なり「過労」となり、過労が重なって回復が著しく困難になることを言う。だから、疲労は万病の入口となる。それくらいは私も知っている。
最近、「慢性疲労症侯群」(CFS)という言葉をよく耳にする。れっきとした病気だそうだ。CFSは、全身の脱力感や頭痛などが長期間続き、日常生活にも支障を来すほどの症状がでる。診断基準は、貧血や糖尿病など原因病がないのに激しい疲労感が半年以上続くことなどがあげられる。原因は不明らしい。以前は、怠け者の仮病のように見られていたものだ。近年、疲労研究が飛躍的に前進した結果、患者数も増加の一途を辿っているという。「日本疲労学会」も発足したと聞く。
「疲労死」の解明も進み、その概略が判明しつつあるようだ。「脳の中には疲労を感じるセンサーがあり、脳内物質が出て休息指令をだす。ところが、何らかの原因でセンサーが働かず、疲れているのに疲労を感じにくくなり、疲労死に至るまで働き続けてしまう」という。あいつはタフな奴だと言ってはおれないのである。
疲労は実に多様であり、百人おれば百の疲労があり、それに至る道筋もまた百あると言っても過言ではないだろう。しかも、それは「死」への扉を開きかねないのである。
夏バテもまた疲労のひとつである。 (灘)
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