| 非武装地帯内監視哨所で起きた銃器乱射事件 かけはし2005.8.8号 |
6月19日午前2時30分ごろ、京畿道蓮川軍中面の某師団隷下部隊の最前方GO(監視哨所)で、銃器事故によって8人の若い青春が犠牲となった。すでに事件のてん末はマスコミを通じて報道され、国防部(省)にあっては事件は公式に終息した。だが事件の発生とともに提出された数多くの報告や対策は、事態の本質からかけ離れているばかりではなく、問題を少なからず歪曲している。
事件をめぐるさまざまな見解の根底には、軍隊が必要だとの認識が横たわっている。幾つかの見解の共通点は各種のマス・メディアや保守右翼集団、政治圏内部の進歩陣営をも網羅して、軍隊の必要性について、いかなる問題意識をも提起してはいない。
そのために軍隊の基本的システムを維持、保存する中で最近になって銃器乱射事件とともに水面上に登場した、国内で発生したさまざまな事件(全裸写真、人格冒とくの事例など)について根本的な解決策とはなり得ない、その場しのぎの対策を提示している。これらは、階級支配の道具であり、また体制再生産の能動的役割を遂行している軍隊の本質を徹底して無視している。
軍隊の必要性と階級的本質
軍隊は北韓(北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国)との対峙下で「国土防衛、国家守護」のための機構として存在してきた。それにしたがって1953年の休戦協定以後、南韓(大韓民国)と北韓は競争的に軍事施設の増強や軍費拡充をしてきた。
だが南韓と北韓の対立は、南北関係それ自体でのみ説明できるものではない。ソ連や東欧社会主義政権が解体されるまでは南韓は米国をはじめとする帝国主義諸勢力の東アジアの戦略基地として重要な位置を確保してきた。
陣営間の敵対的対立が消えた今も、韓国は米国の「戦略的柔軟性」の下で、東アジアの軍事基地としての役割を担わなければならない。そのために東アジアの軍事的緊張の高低は米・ホワイトハウスの態度に大きく左右され、結果として南韓国民の意思とは全く関係なしに、いつであれ突然戦場となりかねない。
だが多数の大衆は2000年の南北首脳会談以後、速い流れに乗ることになった南北和解ムードと経済協力の過程を経験するとともに、北韓に対する二重的態度をもっている。今や北は敵ではなく、協力と和解の対象と思うようになっている。依然として軍にとっては「主敵」の概念は存在するけれども、これは軍隊の設定であるにすぎない。
南北経済協力によって毎日のように金剛山観光を行き来する人々がおり、板門店を通過して物資を調達する労働者たちがいるという現実にあって、「敵」という規定はアイロニー(皮肉)ではないだろうか? このような現実において軍隊は「自衛」というよりは帝国主義勢力の軍事覇権や世界支配のプロジェクトに能動的に編入しようとする国内諸勢力によって、その必要性が、より極大化されている。
軍隊は戦争の脅しや挑発が存在していない日常の時期、「国家守護」、「国土防衛」という国有の任務よりは労働者・民衆の闘争を暴力的に鎮圧し弾圧する役割をしてきた。
80年の光州民衆抗争を血で染みこませたことや「陸・海・空軍の上陸作戦」とまで表現された現代重工業コルリアット闘争への強制鎮圧が、これを歴史的に証明している。政権や資本は労働者階級の闘争が現体制を脅かす水準で展開されるとき、真っ先に軍隊を動員した。
また軍隊は資本主義的人間を養成する積極的教育機関として機能している。身体健康上の欠格事由がないならば、大韓民国の国籍を取得している男性は軍服務をしなければならない。彼らは軍隊で2等兵から兵長までの階級を経験する。
階級上昇に伴う権力の獲得過程を味わい、社会での高い地位や身分の上昇、階級獲得の必要性を体得することとなる。徹底して自分より高い階級や指揮には頭を垂れ、身分的に低い位置にいる人々には権力を振りかざす「資本主義的人間」、「弱肉強食」の論理に支配される人間へと生まれ変わる。
また70万将兵らは週1回以上、「精神教育」という名によって資本主義体制の優越性や北韓社会主義の病弊について、イデオロギーを注入される。
反女性主義と権威主義の温床
これだけではない。家父長的男性主義中心の社会を積極的に再生産している。孤立した男性たちだけが存在している中で、女性たちは生の同伴者ではなく、性的欲求や欲望の排泄口へと転落する。
入隊と同時に個人管理の観点から何回にもわたって行われるアンケート・面談は恋人の有無、恋人との性関係の回数まで徹底して個人のものではないことを強制する。昨年、性売買特別法が国会を通過したとき、第一線の幹部たちは外部や外泊、休暇の際に部隊周辺のチケット茶房、あるいは性売買業の所に出入りしてはならない、との教育をしつつ、性的欲求の排泄口が封鎖された現実を悲痛がったりした。
また軍隊は最も硬直した階級構造を持っている。資本主義システムが労働者階級に対する搾取や収奪を隠ぺいするものとは違って、軍隊は階級構造を明確にすることによって戦時体制を準備する所だ。命令に対する徹底した執行だけがあるにすぎず、反逆は即座に罪だ。個人的な抵抗は許されない。
このような組織原理がなければ、血気盛んな20代の男性らに銃器を握らせ、身の回りに殺傷の武器を放置することはできない。 そのために軍隊で発生する個人の抵抗は脱営や自殺、そして銃器乱射事件のような極端な方式となる。
このような運営の原理下で上級者による殴打および苛酷な行為、人格に対する冒とくなどの行為は、どんなに自浄能力を強化したとしてもなくならない。位階と権威による暴力が家庭や学校、職場でも頻々と発生している現実にあって、軍隊について何か言わんや、だ。
このほかにも、強制的動員の体系を土台にして20代初盤の男性労働力を搾取している。彼らに支給される1カ月の月給は日雇い職労働者の日当にもならない、たかだか数万ウォン(数千円)だ。これは国家による超過搾取の制度化でなくて、何だと言うのか?
欺まん的で一時しのぎの解決策
現実の政治圏、さまざまなマス・メディア、各市民・社会団体は、根本的対策のない一時しのぎのレベルの診断や解決の方式を提起している。彼らが代替案として提起している今回の銃器乱射事件に対する立場や対策は、大むね次のようだ。
1番目は、キム1等兵の個人的問題として取り扱うものだ。KBSニュース追跡チームは、精神科の医師らの77%が彼を精神疾患と診断したとの事実を大きく報道したし、野党ハンナラ党が6月28日に行った「軍事故防止討論会」でキム・ヨンソク軍事問題研究所・研究支援本部長は、軍内の17・4%が人性検査で不適格判定を受けていることを根拠として、心理相談の専門将校を部隊配置することを主張した。これは問題ある個人による偶発的な事件として事態を判断しているものだ。
2番目は新世代に対する診断だ。ゲームやインターネット中毒の現象、個人主義や利己主義、秩序・服従・規範意識の不足、忍耐力や精神力の弱さなどが新世代の特性だと言うのだ。だが、ゲームやインターネット中毒はIT産業の活性化やインターネット網の全国的な普及がもたらした社会的結果であり、新世代という虚構の枠組みでこれを特化させるのものだ。
制度教育や入試が個人主義や利己主義を煽っているのではないのか? そして軍隊は共同体精神を涵養する空間ではなく、「愛国」、「国土守護」という美名下に全体主義の秩序によって個人を強制動員するものだ。
3番目は、兵営施設や文化の改善についてのものだ。政治圏は、将兵たちが生活している幕舎の個人当たりの空間が0・7坪であり、大部分の施設は20年を超える老朽化したものだと指摘し、長期的・短期的改善の課題を提出した。
もちろん、これは正しい指摘であり、軍の将兵たちの福祉改善のために早急に対処されてしかるべきものだ。そうは言うものの、物理的環境の改善が将兵らの強制的動員や服務を正当化することはできない。
最後に、軍の縮小と徴兵制の廃止、募兵(志願兵)制の主張だ。このような主張は相対的に他の見解や問題意識に比べて、進歩的だ。だが同じように軍の本質や帝国主義の連関性などについて問題提起してはいない。また過剰となった軍体制の効率的縮小という総資本の立場と一脈通じるものだ。
軍隊を根本的変革する展望
19世紀に入るとともにヨーロッパの諸軍隊によって、現行的な威容を持つに至った常備軍、正規軍制度は、韓国では大韓民国政府の樹立後に実施された。この制度は国家防衛のために国家権力によって編成・維持される正式の軍隊だ。
だが「自衛」と「防衛」よりは、帝国主義侵略戦争の先兵としての活躍や民衆の闘争に対する仮借なき弾圧の武器としての機能のほうがより大きい。
兵役拒否闘争や徴集拒否闘争が民族主義や良心の自由の拡大の側面から人権的意義を持っているにもかかわらず、個人の思想や信念に訴える人権闘争へと狭小化される心配がある。
20代の男性全体を範ちゅうとして、彼らが結局は労働者階級の息子たちだという包括的観点から問題にアプローチしてこそ、根本的解決は可能だ。
究極的には階級的力関係によって決定されるものの、国家権力の日常的な暴力を制度化する軍隊の解体だけが根本的な解決であり、これは反資本主義的変革の展望の中で提起されなければならない。(「労働者の力」第82号、05年7月15日付、ソン・ジヌ/会員)
GP(ガード・ポスト、監視哨所)は韓国(朝鮮)戦争の結果として生じた空間だ。中国、朝鮮民主主義人民共和国「韓国軍事停戦に関する協定」(以下、停戦協定)を結んだ。協定にしたがって南北は軍事分界線(MDL)を中心として、それぞれ2キロメートルずつ後ろに下がり南方限界線と北方限界線を設定し、155マイル(248キロメートル)の空間を非武装地帯(DMZ)として設定した。
以後、南北は南方限界線と北方限界線をを中心に軍事力を競争的に集中させ、非武装地帯内にもそれぞれGPを設置した。
本来、停戦協定には原則的に非武装地帯内ではピストルと単発銃だけを携行できるようにした。常駐人員も南北を合わせて1千人以内に制限した。大規模な軍事的衝突を阻むためだった。けれども1960年代末、南北の極端な対立や70年代の冷戦を経つつ、南北はGPに自動小銃(南はK―1、北はAK小銃)をはじめとして手榴弾、クレモア、50ミリ口径機関砲や爆撃砲などの重火器を配置した。
兵力も1千人をはるかに超える3〜5千人ほどを常駐させた。このような状況は90年代以後にも継続され、今日まで続いている。これを南北いずれも既成事実として受け入れている。
今回の事件の展開過程で、一部では停戦協定違反ではないのか、との論議が起きているが、正確に言えば「論議」の余地は、ない。明白な「違反」だからだ。ただ「われわれだけが破ったのか」という点が残る。北側もGP内に相当な武装力を配置していたことが知られている。
GPは孤立無援の閉鎖空間だ。鉄条網によって取り囲まれた敷地全体はおよそ300坪で、城砦のように囲まれたコンクリート・ブロックのバンカーは100坪内外だ。GPの建物や施設は重火器ぐらいはそこそこに耐えられるほどに堅固だ。
だが戦時には真っ先に打撃の対象となるがゆえに、どこよりも先に被害を受ける所だ。実際に南北ともに、開戦と同時に砲弾の洗礼が集中するのはGPだと言う。通常、1個小隊30人内外が勤務し、3カ月ごとに交替する。
西部戦線から東部戦線まで該当地域の条件によって多少の違いはあるものの、GPの構造や面積は似たようなものだ。南側が運営しているものだけで100カ所を超え、北側の分まで含めれば200カ所を超える。
今回の事件によってGPの勤務人員や勤務方式は、ごく自然に世間に知られるところとなった。けれども今なお、GPの位置や接近路に入って行く出入り口の位置などは軍事保安事項だ。(「ハンギョレ21」第566号、05年7月5日付より)
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