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9条改憲反対の訴えをさらに広げよう           かけはし2005.8.8号

有明講演会に9500人

戦争への道を押しかえし平和を作り出すのは私たち

 七月三十日、東京の有明コロシアムで「九条の会・有明講演会」が開催された。主催は九条の会、協賛は、映画人九条の会、九条科学者の会、九条歌人の会、九条の会・医療者の会、九条の会・詩人の輪、宗教者九条の和、女性「九条の会」、スポーツ「9条の会」、俳人「九条の会」、マスコミ九条の会。

一人一人の意思
を結び合わせて

 昨年六月に井上ひさし、梅原猛、大江健三郎、奥平康弘、小田実、加藤周一、澤地久枝、鶴見俊輔、三木睦子各氏の呼びかけで発足した「九条の会」は、全国各地で大きな共感を作りだしている。昨年七月に東京で行われた「結成記念講演会」以後、全国八カ所(大阪、京都、仙台、札幌、那覇、横浜、広島、福岡)で行われた「九条の会」講演会には、合わせて二万七千四百人が結集し、どの会場でも入りきれないほどの盛況となった。各地域や職種・専門別に作られた「九条の会」は全国で三千を超えた。その中には七月二十八日に結成された函館市の生花店、葬儀社の代表六人呼びかけの「フラワーはこだて『9条の会』」といったユニークなものもふくまれている。
 今回の「有明講演会」は、六月十八日に朝日、毎日、東京の三紙に掲載された意見広告で発表され、参加希望者一人一人が直接に返信用封筒を入れた封書で申し込むという方式を採用した。政党、労組の動員力をあてにした参加形態ではなく、一人一人の意思で「九条改悪」に反対する運動をつなぎあわせようという試みを、参加形態にも貫こうという実験だった。参加申し込みは講演会二週間前の七月十六日に一万人に達し、事前の整理券の発行は停止された。

次の世代が楽しく
暮らせるように

 むし暑い一日であったが、当日は早朝から整理券を持たない人がキャンセル待ちで並び、午後一時半の開会を前に、十一時頃から各ゲートに参加者が列を作りはじめる。一時過ぎには一万一千人収容の会場がほぼ埋まっていた。参加者数は九千五百人に達した。
 荘村清志さんによるギター演奏のプレコンサートの後、午後一時半から小森陽一さん(東大教員)と渡辺治さん(一橋大教員)の司会で講演会が始まった。
 最初に呼びかけ人の最高齢で一九一七年生まれの三木睦子さん(三木武夫記念館館長)が発言。三木さんは、自らの戦争体験に踏まえて「一人一人が個々に戦争に反対する意思を持ちつづけるだけでは力にならない。みんなの戦争に抵抗する声を一つにしていかなければなりません。青年たちが平和で楽しい暮らしを送れるように」と思いをしぼりだすように訴えた。
 つづいて鶴見俊輔さん。鶴見さんは「戦争が必要だという理屈づけを一生懸命やっている人びと」が増えている現状の中で、「戦争を立派なもののように飾りたてる言葉を拒否し、私は自分のモウロクを楯としてそれに反対する」と語り、「モウロクの中で理想に向かって歩む、あるいは沈んでいきたい」「モウロクを組織しよう」とユーモラスに語った。次に小田実さんは日本が日露戦争以後、西欧列強の後を追って「覇道」を歩んでいるという孫文の演説を引きながら、倫理とモラルに立脚したアジアとの関係を築き上げよう、と語りかけた。

私たちの側がイニ
シアチブを取れる

 この日の講演会に参加できなかった澤地久枝さんのビデオアピールの後、奥平康弘さんが発言した。奥平さんは「衆参両院調査報告書は厚さ八センチにもなるが中身はスカスカだ。改憲派が言ってきた『押しつけ憲法』論は根拠薄弱であることが確認され、『知る権利』や『環境権』などの加憲論も決して華々しいものではない」。こう切り出した奥平さんは「自主憲法制定を党是としていた自民党がその論拠を維持することは困難になっている。同時に前文を書き換えて天皇制の強化を狙いつつも、さまざまな困難な中で天皇制についてはそっとしておく、という可能性もあるだろう」と分析した。
 「改憲派の一貫したテーマは九条の改悪である。それ以外は、九条だけを突出させないための従属的改定ということだろう。三分の二の多数で改憲案をまとめるにはさまざまなすりあわせが必要であるが、その中で九条の一項については手をつけずに二項だけを手直
しするということに焦点が絞られている。しかし第二項を欠いた第一項はモヌケのカラだ。改憲派は九条の改悪とともに、愛国心や歴史と伝統や『権利だけではなく義務を』といったことを前文に盛り込もうとしている。これを阻止することを通じて、われわれの側が政治のイニシアティブを奪い返す展望も開けてくる」。奥平さんはこのように述べた。
 大江健三郎さんは、沖縄戦での座間味島と渡嘉敷島の住民の「集団自決」を日本軍の命令とした『沖縄ノート』の記述に対して、当時の軍の部隊長やその遺族が大江氏と版元の岩波書店が「名誉毀損」として提訴した(産経新聞7月24日)ことから話を切り出した。
 「私はいつでもこの裁判を受けて立つつもりだ。『集団自決』に使われた手りゅう弾は軍から配られたものであり、そこに命令や強制がなかったなどいうことは有りえない。広島と長崎の被爆者たちの被害補償要求に対して、政府は『国を挙げての戦争を行っていた時、国民はその被害を受忍すべき』と言い放った。二〇〇三年の有事立法審議に際しても、当時の福田官房長官は『思想、信仰の自由は公共の福祉のために制約される』と発言した。こうした国家のあり方に反対しなければならない」。
 「私は、改憲の攻勢を押し返すことができると考えるが、その攻勢を押し返した後に東アジアの人びととのしっかりとした平和の関係を作りだすことができるかどうか疑問に思っていた。改憲を阻止した有権者は、やはり自民党に投票し続けるのではないかと思っていた。しかし、シュナイダーという詩人はこれからさき五年間は健三郎という通りかもしれないが十年後は違う。われわれ古い世代が知らなかったようなやり方で若い人びとが変化をもたらすだろう、と言ってくれた。私もそこに希望を持つ」。
国家や企業に運命
を委ねたくはない

 最後に井上ひさしさんが発言した。
 「一九四五年、男性の平均寿命は二三・七歳、女性は三二・三歳だった。広島と長崎では原爆投下直後に十四万人が死亡し、その年のうちに十四万人が亡くなった。こんな時代が素晴らしい時代だったという人が、いま勢いを増している」「私たちは、平和を守る、憲法を守る、という時に、若い人たちになかなか通じないという感覚を持っている。それを別の言葉で言い換えれば、私たちの日常の暮らしを守るということになるのではないか」。
 「いま自分の運命を国家や企業によって決められたくないという意識が作りだされつつある。これは非常に重要なことだ。アメリカでは人口三万人以上の都市千二百以上の市長が全米市長会議が作られているが、この市長たちへのアンケートによればアメリカも核兵器を持つべきでないという意見が六八%、米政府は京都議定書に復帰すべきだという意見は九八%にも上っている。無防備都市運動も広がっている。こうした流れに注目しよう」。
 参加者たちは「九条の会」呼びかけ人たちの訴えに、精一杯の拍手で応えた。最後に司会の小森さんと渡辺さんが会場の参加者とともに憲法九条の条文を朗読して、この日の講演会をしめくくった。

来年、全国的交流
集会をめざそう

 七月十四日に開かれた連合の第二十四回中央執行委員会で、「国の基本政策に関する連合の見解」案が発表された。見解案は憲法九条に関して@九条を改正し、詳細を規定するために「安全保障基本法(仮称)」のような法律を制定するA九条の改正はあえて行わないが、同じく「安全保障基本法」のような法律を制定する、という両論併記で、今後、各構成組織で論議し、八月と九月の中執で討論した上で、十月に開かれる定期全国大会で承認を得るとしている。
 自民党の改憲案作成に向けた急ピッチの動きとともに、否応なく多数の人びとを巻き込んだ憲法論議がさらに繰り広げられることになる。「九条の会」事務局は、今後の方針として以下のような訴えを発表している。
 @アピールに賛同し広範な人びとが参加する「会」を、全国の市町村、学区、職場、学校につくりさらに広げましょう。
 A相互に情報や経験を交流しあうネットワークを広げ、来年、全国的な交流集会の開催をめざしましょう。
 B大小無数の学習会を開き、日本国憲法九条の意義を学び、改憲キャンペーンをはね返しましょう。
 C私たち一人ひとりが、ポスター、ワッペン、署名、意見広告、政治家・影響力を持つ人びとへのハガキ運動など、九条改憲に反対する意思を、さまざまな形で表明し、大きな世論をつくりだしましょう。
 九条改憲阻止へ、ねばり強く、かつ大胆な行動と討論の渦を主体的に組織しよう! 
(K)


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