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電通労組大内委員長が賃金カット遠隔地配転の中止を熱く訴える |
七月十五日午前十一時から、東京地裁710号法廷で、NTT反リストラ裁判の第2回証人尋問が行われた(六月十五日に行われた第1回の証人尋問については、本紙6月27日号参照)。この日は、宮城、福島、大阪、徳島などから結集した電通労組全国協議会の組合員をはじめとして六十人が傍聴席を埋めつくし、法廷に入れない人も出るほどだった。
NTTのリストラとは、すでに本紙でも報道しているように二〇〇二年以来の十一万人リストラで、「五十歳退職・再雇用」が強制され、五十歳退職に応じた労働者に対しては自ら設立した子会社に再雇用されるものの一五〜三〇%の賃金カットが強制され、退職を拒否し、「満了型」を選択した労働者には、「報復・見せしめ」の遠距離・強制配転で家族がバラバラになる状態を余儀なくさせるという理不尽きわまる攻撃である。
この「構造改革」という名のリストラは、「経営危機」というでっち上げに基づいたものであるとともに、二〇〇一年四月がら施行された会社分割法と「会社分割に伴う労働契約の承継等に関する法律」(労働契約承継法)の網の目をかいくぐった「脱法行為」である。
「労働契約承継法」は採択にあたっての付帯決議で「会社の分割を理由とする一方的な労働条件の不利益変更ができないこと」とされており、また「承継法8条に基づく指針」)では、「承継された労働条件は、分割された設立会社等に包括的に承認されるため、その内容である労働条件は、そのまま維持されるものであること」と明確にしている。しかしNTTは、労働者への「全国どこでも配転するぞ」という恫喝によって「本人同意」を強制して、この「脱法行為」を進めてきたのである。
しかも「六〇歳以上定年法」によって六〇歳未満の定年が「無効」となるため、NTTは就業規則に「五十歳退職・再雇用」を明記せずに、毎年の「社長達」でそれを進めるという「脱法」行為を行っている。
まともに答えられ
ない会社側証人
午前中から午後にかけて、被告であるNTT側の証人として、専用サービスセンターにおける人員配置等の計画・実施に関わる業務の責任者だった浅見啓行専用サービスセンター企画部門総務担当課長(当時)への尋問が行われた。
浅見証人は、「専用サービスセンター・東北専用サービスセンター」での「構造改革リファイン」というリストラによる配転の必要性について「首都圏を中心とした競争に対処するため」と強弁したが、その合理性を問う反対尋問にまともに答えることはできず、広域配転が「五十歳退職」に応じなかった労働者への「見せしめ」であることを暴露する結果となった。
午後の原告側証人として尋問に立ったのは、大内忠雄電通労組執行委員長。大内委員長は、二〇〇三年四月に三十年以上在職した仙台(当時NTT東日本東北専用サービスセンター)から、NTT東日本技術部情報システム体系化推進PT(NTT金町ビル)に遠距離単身強制配転された。
大内さんは、これまで通信局をまたぐ移動はなかったことを訴えて、「退職・再雇用」を拒否したら広域配転を強制されるNTTリストラの不当・不法性を強調した。
公判終了後、傍聴した全国の仲間たちと日比谷公園で総括集会を行った後、日比谷野音での国鉄闘争全国集会に合流した。 (K)
〈連続講座〉入り会い再考・再生第3回
巨大開発の時代を超えて
成田東峰神社裁判から―
神社裁判の経過
と住民側の勝利
七月十三日、東京・総評会館で地球的課題の実験村と脱WTO草の根キャンペーンによる主催で「〈連続講座〉入り会い再考・再生=脱グローバリゼーション試論」が行われた。第三回目は「巨大開発の時代を超えて│成田東峰神社裁判から見えてきたもの」というテーマで、三里塚・東峰住民の樋ケ守男さんが講師で問題提起した。
樋ケさんは、最初、東峰神社裁判の経過について、次のように提起した。
政府と空港公団は、東峰住民の闘いによって三里塚空港平行B滑走路が未完成のままだったが、アジア国際空港競争からの遅れを取り戻すために一九九九年、本来計画(二千五百メートル)から北側にずらし二千百八十メートルの暫定滑走路建設に方針を変更した。東峰住民はじめ反対意見があるにもかかわらず、二〇〇二年四月供用に向けて工事を強行した。
その後、生活道路の封鎖、軒先工事など物理的圧力の強化、千葉県と周辺自治体、地域ボスたちを動員した追い出し攻撃を強められていったが、東峰住民は、すべてはねかえしていった。計画変更時点において空港公団は、暫定滑走路南端から六十メートルに位置する東峰神社林が「飛行妨害物」として撤去対象であることがわかっていた。東峰神社の土地は東峰部落の総有=共有財産であったにもかかわらず、転出していた名義人から密かに買収(二〇〇〇年十二月八日)し、二〇〇一年六月十六日に東峰部落に何の相談もなく突然に東峰神社林を伐採した(立木二十三本、竹五百本以上)。
二〇〇二年四月、暫定滑走路の供用開始に対する抗議の意味を込めて、東峰住民は、千葉地裁に提訴し、@東峰神社の土地は東峰部落の所有、部落民の総有物であり、公団は真正な登記名義の回復をすることA原状回復(神社林の復活と謝罪文の交付・公告)B損害賠償を請求した。
住民と弁護団は、果敢に裁判闘争を展開し、二〇〇三年十二月五日、和解という形で勝訴した。具体的には、敷地が部落の総有財産であることの確認と所有権移転登記、神社林の回復などを勝ち取った。そして、二〇〇四年四月、住民たちは、神社林再生に向けて苗木を植樹した。
入会の民主主義
が提起するもの
樋ケさんは、経過報告のまとめで「裁判には勝利したが、頭上四十mに早朝から夜にわたって飛行機が飛び続け、環境・生活が破壊され続けている」と怒りを込めて述べた。
さらに、神社裁判から見えてきたものについて集約的に整理し、「総有とは、みんなの土地という概念だ。入会の民主主義は、全員一致制│納得民主主義であり、一人一人に拒否権がある。人間と生物が生かしあい、それを持続することで成立する。つまり、入会は現在各地で乱開発│巨大開発に対抗する環境保全機能を果たしている。人々が遠い将来まで生き続けてゆこうとした日本民衆の公共心そのものだからである」と強調した。
続いて、「巨大開発の時代を終わらせることは可能か」、「『多数派の独占』ではない民主主義とその原理は?」、「巨大開発の時代を超えて│国家や巨大開発のまっただなかにいながら│人々が違う社会、生物社会の民主主義をつくりだしてゆくには」などの論点を設定し、諸観点から掘り下げていった。
最後に、「入会の民主主義は日本民衆がつくりあげてきた自治・自律の民主主義であり、時代を越えて再生する。その主体である個は私であると同時に公であり、生きた関係としての公性から考えれば、公性の最少単位は一人。とすれば多数派の独占や常備軍といった近代的方法ではなく、相互異文化そのままに個々が共に生かしあう、棲みわけの世界に生きようとすることで世界とつながり、世界が変わる可能性がある」と結論づけた。
樋ケさんは、三里塚の地に住み、空港反対闘争の中で蓄積してきた思想・理論を自信を持って提起しぬいたと言える。数々の樋ケ理論は、今後の運動、ネットワーク、民主主義の問題に対して多くの示唆を与え、力強く具現化されていくのではないだろうか。 (Y)
書評
アンガス・フレーザー著/水谷驍訳/平凡社刊
8月5日(金)午後6時半
広島YMCA地下コンベンションホール
呼称と新しいア
プローチの方法
ジプシーという呼称に賛否があるということを冒頭にお断りしなければならない。この呼称の賛否の論点をまとめたものとして、『「ロマ」を知っていますか』(反差別国際運動日本委員会編集 解放出版社)がある。
あえてこの呼称「ジプシー」を使用する意図について、そこに所収されている第T部現状 第1章 東欧編に本書「ジプシー」の訳者である水谷氏の見解が述べられている。是非、この本を読まれる方は、併せて読んで頂きたい。
日本ではジプシーについて、十九世紀後半、ボヘミアンにたむろしていたジプシーの中のボフェミアンのような芸術的放浪者を強くイメージしていた文章が多くあった。こうした狭義の意味でのジプシーの把握ではなく、より深いその歴史や存在をこの本は示している。
かつて、ウォーラステインは、マルクス主義史学の手法の限界を手厳しく批判していたが、アナール派の歴史学派に見られる資本主義発達史の態度、つまりそれ自体「資本と賃労働」をその核として成立してきたとしても、歴史学はその生成史のみにかかわるべきではないし、そのことで、様々な異相を解析できるものではないという。
このことは、これまでのステロタイプのマルクス主義による民族問題アプローチについても同じ問いを含んでいる。
こうした問いかけを前にジプシーのありかたと歴史について、この本は、おおいに示唆に富むものである。
学問の閉塞と新
しい活路の探究
さて、この本は、中世にバルカン半島に移り、やがて、ヨーロッパ大陸全体に、さらには、その彼方に、放浪しながら広まっていったひとびと、いわゆるジプシーの壮大な歴史の話である。
この著者であるアンガス・フレーザーは、訳者あとがきで、その経歴が次のように紹介されている。「一九二八年三月十日、スコットランド南部に生まれ、二〇〇一年五月二十七日にミュンヘンで没している。グラスゴー大学を出て軍務に服したあと、一九八七年に退官した。しかもその後も、在職中の手腕と見識を買われて、サッチャー首相の政府能率効率顧問や関税・消費税調査会長などさまざまな政府関係機関の役職をつとめている」。
研究とは、いまでこそ大学や研究機関に所属する人びとによって行われるとの一般的通念があるが、もともとは、フレーザーのような人によって行われていた。哲学者スピノザは、レンズ磨きの職人をしながら哲学書を書いていた。また、近代哲学の祖といわれるベーコンは、官僚であったし、メンデルは、遺伝学の祖といわれたが、修道院の僧であった。
これは、昔のことだけではない。現代では、フランスを代表する歴史家フィリップ・アリエスは、熱帯植物資源調査機関の一社員であったことも単なる偶然ではなく、閉塞した学派に対し、別の視点からの探求が、新たな活路を生み出した良い例だと思う。
「社会主義」体制
下のジプシー
この著書の訳者である水谷驍氏も長年、ソ連・東欧資料センターでの活動と研究に従事し、その後、現在では、この日本でのジプシー研究の第一人者として、前述の人びととともに優れた在野の一研究者として名を上げても良い人物である。また本書の刊行前、共同通信社から『ジプシーの歴史』が刊行されている。
同書は「東欧とロシアのロマの歴史に関する研究のデービット・クロウェの十年間の集大成」であり、これも水谷氏の訳書である。水谷氏のこの範疇への問題関心の根拠は、東欧研究のなかでの、ジプシーの存在との出会いからであったという。
さらに旧来のマルクス主義の民族アプローチの限界をここで指摘することは、話が分散しがちなので慎しむことにするが、そうした領域も訳者水谷氏の問題関心でもある。
第一章 起源
第二章 初期の移動
第三章 ビザンツ帝国とバルカン半島へ
第四章 大詐術
第五章 形勢一変
第六章 締めつけ
第七章 変化の動き
第八章 地獄への道
第九章 現代
冒頭に著者フレーザーは、次のように語っている。「ジプシーが、『ヨーロッパの民族』であることは、普遍的に認められた真理とは言いがたい。……言語、文化、人種を共通にする男女と子供たちの、隣人たちとは容易の区別のつく集団を指すとすれば、ジプシーは久しい以前からまぎれもなくそうだった」。
いまだに『オックスフォード英語辞典』(一九八九年第二版)の基本定義では、「ジプシー(gipsy, gipsy)……放浪する人種(ロマニと自称する)の構成員。ヒンドゥー人起源。十六世紀初頭にイングランドにはじめて出現し、当時はエジプトから来たと信じられた。/肌は暗い黄褐色で、髪は黒い。かご編み、馬喰、占いその他を生業とし、その遊動の生活と習慣のゆえにつねに疑いの目でみられてきた。言語(ロマニ語と呼ばれる)は訛りの非常に強いヒンディー語方言で、ヨーロッパ各地の言語から多数の言葉が混入している」とあるが、この規定も現在では、人種に対する差別の問題も絡み、より複雑な意味合いをも含んでいる。
第一章から第八章までジプシーの軌跡が書かれていて一気に読み進んだが、特に考えさせられたのが、最終章第九章現代のなかの「政策の諸問題」である。第二次世界大戦後の世界で生活圏が国境線に分断され、各国政府の内政の直接的影響をうけるようになり、ヨーロッパのジプシー住民の大半が、いわゆる共産主義体制下に入るが、特にソ連、ポーランド、ハンガリーでの経験は、各国政府の政策としての統合への強制と再検討、さらに地域での偏見と敵対という混沌とした不遇のものであった。
さらに出生率の高いジプシー女性に対し、何人かの子供を生んだあと数千人に強制不妊手術が実行された事実もあった。
東ヨーロッパを移動し、その後、分散したジプシーたちとの各国政府の接触のありかたとして明確な反省が必要であることを痛感した。かつてロベール・ジュランは、「白い平和」のなかでバリのインディオとの接触の歴史を十六世紀に遡り述懐しているが、東ヨーロッパの各国の当局は、いわゆる共産主義の名の下の「進歩の目」でジプシー政策を、あるいはジプシーの接触を重ねていたのではないだろうか。いずれにしても深く考えさせられた。(浜本清志)
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