| ボリビア民衆の反政府決起 かけはし2005.7.11号 |
天然資源は人民のものだ!外国企業やエリートのものではない
人びとはあきらめない
「インターナショナルビューポイント」編集部
以下のジェフリー・R・ウェバーの記事は、カルロス・メサ大統領の辞任と新たな選挙の約束の前夜に書かれたものである。五月二十三日以降、新ガス法に抗議する民衆運動の先頭にはアルトプラノや特にエルアルトの広範なスラム街の先住民が立ち、ラパスや他の大都市を封鎖した。下部民衆の多くはガス産業の国有化を下回るような要求はしていなかったが、先住民のリーダーでMAS(社会主義運動)の指導者であるエボ・モラレスはロイヤリティと税金の実質五〇%の引き上げを要求した。
国が麻痺したので、議会のブルジョアジーの政治的代表者たちは決定的な手を打つ必要があった。六月八日のカルロス・メサ辞任から六月九日夜のスクレ(ボリビアの憲法上の首都、最高裁が所在)における議会の会議までの間の短時間に、右翼政党、特に、今やまったく名が体を表していないMIR(革命的左翼運動)やMNR(民族革命運動)の上院議員たちは、上院議長で右翼ビジネスマンのホルマンド・バカ・ディエスを新しい国家大統領に選ぼうとしたのかもしれない。
これは決起した民衆運動にとってはまったく受け入れられないことであり、おそらく、民衆勢力を街頭からたたき出す全面的な弾圧の意図の表明となったであろう。結局、(支配階級の観点からして)より賢明な選択が行われ、最高裁判所長官で政治的に「中立」の、エドゥアルド・ロドリゲスが大統領に選ばれた。
エルアルトの戦闘的指導者たちの反応は、ガスおよび石油の国有化のみが満足できる回答である、というものであった。しかし、この路線を維持することは困難であった。二十四時間以内に、二週間半に及ぶ連続動員の末に第二次ガス戦争の第一ラウンドが終わったことが認識された。
大統領選への局面
移行と右派の対応
関心は選挙戦線に向かい、MASはエボ・モラレスを大統領にするために最後の一押しを試みるだろう(二〇〇二年にはわずか一・五%足りなかった)。
多国籍企業と新自由主義に救いがたく結びついているボリビアの支配階級にとっては、エボ・モラレスを大統領に選ぶことは大いなる危険である。彼はもう一人のウーゴ・チャベス、もう一人のルラになるのだろうか。
いずれにせよ、ボリビアの右翼は、モラレスに対抗して彼らを団結させることができる信頼できる候補者を見つけようとするであろう。ワシントンの外交政策および安全保障問題の専門家たちは、確かにそのことについて議論を始めている。
同時に、エボ・モラレスと民衆運動の最も戦闘的部分の間の関係が、国有化問題に関して険悪化していることを忘れるべきではない。運動が最高潮に達していたとき、ラパスにおけるいくつかの民衆集会でモラレスはブーイングを浴びた。
この第二次ガス戦争の第一局面は、闘争の上昇局面の一部であった。一九九〇年代後半には、アメリカが後押しする「反麻薬戦争」の暴力に対してコカ農民が立ち上がった。二〇〇一年〜二〇〇二年には、コチャバンバ市の水道を民営化して多国籍企業の手に渡そうとした企てに対して驚異的な動員が行われた。第一次ガス戦争では、サンチェス・デ・ロサダ大統領が引きずりおろされた。今回再び、驚くべき動員によって大統領が引きずりおろされた。
過去七年間に、貧しいコカ農民、極度の搾取を受けている労働者、とりわけ極寒のアルトプラノの貧困に苦しむ先住民が決起し、最も不平等な大陸の最も不平等な国のひとつで新自由主義に対して抗議の声を上げ、反撃に立ち上がった。彼らは簡単には負けないであろうし、国の天然資源は人民のものであり、豊かな外国企業やその協力者の富裕なボリビア人エリートのものではないという彼らの基本的要求をあきらめないであろう。
運動基盤の急速な拡大と統一的政治戦略の必要性
ジェフリー・R・ウェバー
二〇〇五年六月六日月曜日の午後九時半に、カルロス・メサ・ヒスベルト大統領は儀式ばった仕方でテレビに登場し、劇的なしぐさで演説を始めた。明らかに彼は辞任しようとしていた。
二〇〇五年三月六日に、彼は初めてテレビで挑発的に「辞任」を発表し、国を麻痺させている種々の社会運動を非難し、帝国主義的権力のあらゆる指令、とりわけ世界銀行、国際通貨基金(IMF)、米国大使館の指令に従うことの必要性を指摘した。メサの論理に従えば、ほかに選択肢はなかった。大統領としての彼の役割は、彼らの命令に従うことであり、一部の「おろかな」インディアンのリーダーたちがボリビアの進むべき道について別の考えを持っているとしても、それは彼らが現代の「民主主義」の仕組みを理解していないからであった。
数週間後に、民衆勢力の動員の拡大と極右からの弾圧要求に直面し、メサは二〇〇七年に予定されていた大統領選挙の繰り上げを要求した。辞任も選挙の繰り上げも、必要な議会の承認は得られないとメサは予測していた。「植民地大統領」(ルイス・タピアは最近彼のことをそう呼んだ)は、右翼からの圧力の高まりの中で、権力の座にとどまることはできなかった。
しかし、民衆勢力は、二〇〇三年十月の「ガス戦争」で七十人以上が殺された後、要求を政治の前面から降ろそうとはしなかった。あの闘争の中で、ゴンザロ(「ゴニ」)・サンチェス・デ・ロサダは権力から去り、副大統領のメサが彼に代わった。
次は何かが真に
問われている!
「十月の公約」を実行するというメサへの付託を、動員された大衆は次のように理解した。すなわち、(1)炭化水素(特に天然ガス)を国有化すること、(2)大多数の貧しい先住民の利益のためにボリビア国家を作り直すために憲法制定議会を召集すること、(3)二〇〇三年十月にゴンザロ・サンチェス・デ・ロサダと彼の仲間が犯した犯罪について彼を裁判にかけること、であると理解した。
メサは「十月の公約」を実行せず、したがって二〇〇五年は、これまで、民衆動員が膨れ上がっていく年となった。最近の二〇〇五年五月十六日には「第二次ガス戦争」が始まり、「エルアルト統一隣人連合(FEJUVEエルアルト)」に率いられた大規模な行進がエルアルトからラパスに下ってきた。同じ日に、エボ・モラレス率いる社会主義運動(MAS)の旗の下に多数の先住民農民組織が、カラコロからラパスへの四日間の行進に加わった。
エルアルトからの要求は、明らかにより急進的であった。すなわち、ガスの国有化、議会の閉鎖、そして十月の公約を裏切ったカルロス・メサの辞任であった。MASが率いる行進は、多国籍石油会社がボリビアに五〇%をはるかに超えるロイヤリティを支払うことを要求した。メサの事実上の承認を得て三月十七日に通過した法律では、わずか一八%のロイヤリティと三二%の直接炭化水素税を規定している。直接炭化水素税は多国籍企業によって容易にごまかされるだろう、という批判を受けている。
MASに率いられた行進者たち、エルアルトの種々の民衆組織、ラパス県の二十の郡のアイマラ農民、鉱山労働者たちのすべてが、二〇〇五年五月二十三日までに首都に集中し始めた。五月二十三日以降、首都は国家警察、最終的には軍との激しい衝突が繰り広げられ大量の催涙弾とゴム弾が降り注ぐ舞台と化した。メサの「辞任」に至る最後の日々には、首都はガスの不足、食料の高騰、一部地区の水不足で麻痺状態に陥った。
二〇〇五年六月五日には、ラパスでは四、五十万人の抗議デモ参加者がラパスの街頭を埋めた。英雄広場は、どっちを向いても見渡す限り群集で埋まり、周辺道路も埋め尽くされた。ラパスは占拠され、メサはこの夜、テレビ演説をせざるを得なかった。
憲法に従えば、メサは自分の辞任が「取り消せない」ことを明示的に表明していないので、議会の承認を得る必要があるが、三月の場合と違って承認されるであろう。憲法の定める大統領継承順位に従えば、次の順位は、嫌われ者の右翼の上院議長ホルマンド・バカ・ディエスである。彼が拒絶すれば、次の順位は下院議長のマリオ・コシオ(ゴニの民族革命党のメンバー)である。最初の二人が拒絶すれば、最後は最高裁判所長官のエドゥアルド・ロドリゲス・ベルツェになる。
最後の選択肢が、MASと第二次ガス戦争の中核部隊である社会運動組織の多くにとっては好ましい。バカ・ディエスとコシオが降りてロドリゲスが大統領になり、選挙を推進せよという要求が高まっている。依然として、抗争の状況は未だ明らかでなく、国有化と憲法制定議会召集の要求は燃え盛っており、メサの辞任を前にして抗議は続いている。
何が生じるかを判断することは、未だ尚早である。運動の基盤は信じられないような規模で動員されたが、国家権力に関する一貫した政治的プロジェクトを欠いている。新自由主義的国家は危機に陥っているが、予想に反して今のところは持ちこたえている。それぞれの展開に対して軍がどう反応するかも、未だはっきりしない。民衆ブロックが動員だけでなく統一した政治的プロジェクトを明確にできれば、結果はボリビアとラテンアメリカ全体にとって大きな意味をもつものになるであろう。
訳注:ジェフリー・R・ウェバーは、トロント大学政治科学部の博士課程大学院生で、ニューソシアリスト・グループのメンバーである。(IV電子版05年6月号)
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