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民主化運動の名誉回復にとどまらず           かけはし2005.6.20号

生活改善と民主的要求の結合を

6・4天安門事件16周年追悼

経済の繁栄の陰で多くの血が流されている
                                 先駆社



6・4事件の追悼
は今も弾圧の対象

 中国共産党政権が一九八九年の民主化運動を弾圧してから十六年目の記念日がまもなく訪れようとしている。香港は当時もっとも積極的に民主化運動を支援し、またその後も深い想いでそれを追悼してきた地区でもある。それは香港の栄光である。
 しかし時は光陰の如く流れたが、中国人民は民主的自由もなく、国内で六四事件を追悼することさえも弾圧の対象となる不法行為とされている。こうした状況において、香港人はますますひとつの問題、すなわち八九年民主化運動がかちとろうとした目標をいかに達成することができるのかという問題を考えなくてはならなくなっている。それはすなわち、毎年行われる追悼行動を、たんなる過去を追悼し願望を表明するという一種の儀式ではなく、実際の効果を持たすことができるのか、ということである。
 もしわれわれが六四事件の追悼を八九年民主化運動の名誉回復の要求にのみ限定するのであれば、中国共産党当局にわれわれの要求を迫ることだけでなく、人々を動員し支持を受けることさえも難しくなるだろう。なぜなら時代の変化とともに、人々は八九年民主化運動の名誉回復と自分自身の切迫した問題がどのような関係があるのかを感じ取ることが難しくなるからである。
 われわれは八九年民主化運動の名誉回復と民主的自由のスローガンを結びつけたとしても、経済的に困窮している労働者人民に対しては恐らく大きな求心力にはならないかもしれない。労働者人民が最も関心を持っているのは自らの生活問題である。民主化運動はこの生活問題に直接関心を持つことで、広範な民衆の積極的参加を実現しなければならないだろう。

中国とアメリカ・
EUの経済戦争

 八九年民主化運動は、人民を擁護し権力を失った胡耀邦を人々が追悼したことが始まりであった。民主化運動が拡大したのち、民衆の抗議と供給は民主的自由一般の問題に留まらず、当時主要な経済的腐敗現象であった「官倒」(官僚ブローカー。官僚が職権を利用して投機売買を行い利益を上げた。中国の新興官僚資本による本源的蓄積の初期の主要な方法)にとりわけ批判が集中した。今日、「官倒」の「歴史的任務」はとっくに完了している。さらに広範でさらに巧妙な略奪方法を通じて、中国で復活したブルジョアジー(依然として官僚ブルジョアジーがその中心ではあるが)は基本的にかれらの本源的蓄積の段階を完了し、労働者民衆の頭上に居座り、外国資本とときに協力しときに競争し、残酷で恥知らずな搾取に従事している。
 驚異的な中国経済の繁栄の陰に労働者農民の血と涙があふれている。これが、いわゆる中国の平和的台頭の真相である。中国とアメリカ・EUとのあいだで貿易戦争がまもなく開始されるが、それは労働者人民にさらなる苦痛をもたらすだろう。
 今日における世界資本主義の発展は、すでに後進国家が資本主義の道において、労働者農民に本当の生活改善をもたらすことを許容できなくなっている。今後の民主化運動は、広範な労働者農民大衆の積極的な参加と、かれらの搾取に反対する闘いに密接につながることでしか、大きく発展し、成果をかちとることはできないだろう。断固たる民主派は八九年民主化運動を乗り越え、民主的自由を断固要求するだけに留まることなく、労働者農民の一つ一つの弾圧に反対する闘いと搾取に反対する行動を積極的に支持し、資本主義と一切の搾取制度を転覆するという目標にむけて前進しなければならない。
 二〇〇五年六月一日


自由市場憲法を支持するネグリ
EU憲法は社会のオルタナティブモデルになりえない


共著「帝国」の誤
った政治的結論

 アントニオ・ネグリは、フランスの新聞「リベラシオン」で「フランス人民は五月二十九日の国民投票でEU憲法を支持すべきだ」と語った。彼は、二〇〇一年に出版されたマイケル・ハートとの共著で示された「帝国」の分析を適用して、私には間違っていると思われる政治的結論に行き着いたのである。この分析はたしかに魅力的だが、不適切さと限界をも示している。
 ネグリの推論はプラグマティックで具体的なもののように見える。そのために国民投票で反対票を投じることを恐れたフランスのインテリゲンツィアに称賛されてきたのである。ネグリは自分のことを「現実主義的で革命的」だとしている。この現実主義は、欧州憲法への拒否を阻止しようとする彼の決意のなせるわざである。
 彼は、EU憲法への拒否は帝国の利益を勝利させるものだと信じている。ネグリにとって帝国とは、新たなグローバル化された資本主義的社会である。彼は、欧州を、「資本主義的で保守的で反動的な経済的単独行動主義のイデオロギーへのブレーキ」と考えており、「したがって欧州は、アメリカの単独行動主義、その帝国主義的支配、石油生産を支配するための十字軍に対する対抗力になりうる」と考えているのだ。

EUの資本主義
的性格の軽視

 これは、ネグリが「消滅を運命づけられた不快きわまる国民国家」と呼ぶものが持つブレーキではないに違いない。そうではなく、ネグリが認めるようにこのEU憲法は新自由主義的であり、社会のオルタナティブモデルとはなりえないという事実にもかかわらず、彼にとって欧州とはその中で国家が消滅しうる政治的空間なのである。
 「そんなことが問題なのではない」とネグリは述べる。なぜならこの憲法は、超国家的国家への「通路」なのであり、「この憲法は十分に連邦主義的ではないが、少しだけ連邦主義的なものに向かう新しいステップ」だから、というのだ。それはたんなる手段なのであり、したがって「ある憲法を基礎にして平等を打ち立てることができると考えるのは愚かなことだ」とネグリは言う。彼は、フランスがEU憲法を挫折させるならばすべての構造物は崩壊し、国民国家が帝国への唯一の抵抗力になってしまうだろう、と説明する。もし反対が勝利すれば、それは中世への回帰となり、賛成が勝利すれば、欧州とアメリカという二つのモデルを比較するチャンスを獲得する、というのだ。
 「反対に投票する者は保守的で無知蒙昧である。賛成に投票する者は『現実主義的で革命的』である。フランスで賛成が勝利すれば、われわれが一九九二年のマーストリヒト協定以前から知っていたように、欧州が政治的・経済的・軍事的パワーとなる推進力を強化するだろう」。
 それは、超国家的実体の緩やかで矛盾に満ちた構築である。それは現代的グローバリゼーションを誘導する、より機能的な手段であり、したがってそのような形でアメリカのスーパーパワーに対する政治的・経済的・(軍事的)対抗力になりうる、というのだ。
 そうであるならば、ネグリの「帝国」についての分析には問題がある。それは、この地球が国民国家や国連のような制度的空間を超越する権力の多国籍的ネットワークによって支配されている、と述べる。この帝国に反対することは、諸国家を基盤にしてはなしえず、この権力によって抑え込まれているマルチチュードの「エクソダス」(脱走)によってなしとげられる。
 世界は、さまざまなつながりの分厚いネットワークが交差しているが、それは現実のほんの一部分にすぎない。イラク戦争は、画一的な帝国が存在するという主張の限界を明らかにした。アメリカは帝国主義的支配の伝統的な手段を最後の拠り所とした。戦争は欧州、とりわけ仏独同盟を分裂させた。これは「帝国」によっては説明できない。
 そこでネグリは、アメリカはUターンを実施し、その特殊利害を推進するために欧州に対する「クーデター」を行ったのだと述べた。
 ネグリはふたたび自らの矛盾に直面している。欧州はこの問題の構成要素であるが、いまや帝国へのブレーキである。「帝国」はふたたびアメリカとなり、欧州連合の資本主義的性格を軽視している。それを無視することで、欧州憲法への支持はアメリカの権力への対抗力となる、という主張になった。しかしそれは欧州の新自由主義的プロジェクトを押し上げるだけなのだ。
 これは二〇世紀の労働運動の前に投げ出された選択肢を映し出すことに帰結しているのであり、運動がしばしばだまされたものであった。このイデオロギーは人びとを資本主義の最も進歩的な要素の支持へと導いた。その時、人びとは労働者運動が最強の資本主義の担い手の犠牲とされてきたことを理解する。
 これは現在欧州がまさに問題としていることである。欧州資本主義の勝利は、アメリカ資本主義の勝利よりもましなものではない。われわれが建設しなければならないのは超未国家的ネットワークを築き上げた反資本主義・反戦運動である。
 この労働者運動は、民族主義に目を向けることなく英国モデルと米国モデルの双方に対するオルタナティブを構想する。フランスにおける欧州憲法反対キャンペーンの勝利は、連帯のプロセスを前進させる可能性を切り開くだろう。
 ネグリは社会主義という言葉をお気に召さない。それなら横において置こう。しかし彼が保守派だからといって、われわれを保守派になろうとさせてはならない。

(サルバトーレ・カンナヴォは、イタリアの共産主義再建党〔PRC〕全国政治委員で、PRCの日刊紙「リベラチオーネ」副編集長)
(「インターナショナルビューポイント」05年5月号) 



こらむ

コンビニの食料「廃棄」


 コンビニエンスストアが新しい店舗を出す際の大きな基準・目安とされるのが、食料品がどれだけ売れる可能性があるかという見通しだという。
 しかも食料品一般ではなく弁当・おにぎり、サンドイッチが一日どれだけさばけるかが大きな決め手になる。飲料水も売り上げとしては大きいが、弁当などに比例するらしい。コンビニにとって弁当、おにぎり、サンドイッチの売り上げが店舗の成否を決め、これを作る工場、さらには運搬というラインの有様に直結する。コンビニが弁当・おにぎりなどの商品開発にしのぎを削る理由もここにある。
 ここに書くことのほとんどは六年前に酒の小売りからコンビニに商売変えした友人からの受け売りであるが、その管理体制の「すごさ」にあきれる。セブン・イレブンなどはチェーン店であると同時に、個々の店舗にはオーナーがいる。しかし、チェーンに加盟した段階で店に並べる商品は契約によって決められ、足りなくなったものはPOSを通じて補填される。
 POS(販売時点情報管理)システムは、商品についているバーコードが、レジを通した段階で本社にどの店でなんの商品が売れたか記録される仕組みのことである。
 このデータに基づいて各店舗に順次商品が補填されていくので、オーナーといえどもこの過程には一切介入できない。オーナーがやれるのは従業員の勤務管理、清掃と整理、一日三回の弁当などの棚の入れ換えだけだという。ほとんどのコンビニでは、午前〇時、九時、午後四時に新しい商品を棚に並べ換える。これは並べ換えるというより、賞味期限のチェックが最大の目的らしい。弁当、おにぎりは賞味期限の四時間前、牛乳は四日前とか決まりがあるらしい。四時間前というのは、買っていった人が、食するまでの時間も計算するためらしい。
 コンビニで一番「すごい」のは、品切れが絶対に許されないことだという。そのため各店舗に通常の売り上げに八%プラスした商品が届けられる。つまり弁当、おにぎり、サンドイッチの八%が「廃棄」され、捨てられることが前提になっているのである。それに加えてケーキ、牛乳などがプラスされるため、「廃棄」が八%以内の店舗は「優良」で表彰ものらしい。コンビニで「品切れ」を採用すれば「廃棄」は格段に少なくなる。
 ローソンの昨年の経常利益は約三百六十六億円であるが、「廃棄」された食料の額は四百億円に達している。経営利益と「廃棄」がほぼ同額である。
 店にもよるが、各店舗が一日で「廃棄」する食料品の額は、一万三千円〜二万円にのぼり、年間四百五十万円から五百五十万円に達する。今流行の「もったいない」の典型といえるだろう。
 他方、今売り出し中の「オリジン弁当」は、新しい店舗を出す基準として、半径五十メートル以内に二店以上のコンビニがあり、そのコンビニが三年以上営業を続けているということが「内規」で決められているらしい。その「オリジン弁当」は、惣菜が中心なので一個の額を決められないとして、「廃棄」額を明らかにしていない。全商品が調理済み食料であるから、おそらく「もったいない」のコンビニと同額かそれ以上に達するであろう。     (武)    


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