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左翼はなぜEU憲法条約に反対するか           かけはし2005.6.13号

新自由主義的政策に対応するヨーロッパの新しい独裁支配


 フランスの国民投票における「ノン」の勝利は、新自由主義的グローバリゼーションに反対する運動の新たな勝利である。商業メディアは当惑し、「保護主義的な感情の高まり」や「欧州統合の後退」などと的外れな論評を展開している。しかし、問われたのはEU憲法条約とそのプロセスの非民主的な性格であり、そこに貫かれている新自由主義のドグマである。以下は「インプレコール」誌(フランス語)の編集者であるジャン・マレウスキー同志が、「ノン」キャンペーンの渦中に発表したレポートであり、左派がなぜEU憲法に反対しているのかを明らかにしている(IV〇五年五月号(電子版)より。原題は「ヨーロッパ憲法――ヨーロッパの新しい独裁支配」)。

世論調査の衝撃

 EU憲法条約の批准を国民投票に委ねることを決定したいくつかの加盟国において、「ノン」への投票が、万全と思われていたヨーロッパ憲法の神聖化のための過程を停止できるかもしれないことが世論調査によって判明した。それによって超国家的機構の弱点が暴露された。
 考えてもみよう。ヨーロッパの政党の大部分(キリスト教民主主義、自由主義、社会民主主義の政党や、緑の党さえ含む)、そして労働組合官僚の大部分(欧州労連に加盟しているほとんどの労働組合のリーダー)が、EU憲法条約の批准を支持していた。
 フランスとオランダでは、最近の社会的運動の高揚によって支持基盤が弱くなっていた政府は、国民投票で支持を得ることによって、一連の労働者階級の既得権に対する攻撃を正当化し、同時に民主主義の制度や社会的権利の保障の領域における反動に対する同意を取り付けることができると考えた。一石二鳥をねらったのである。
 しかし、この二つの国における最近の世論調査は、ヨーロッパの政党や労働組合が人々を必ずしも代表していないことを証明している。これは、当然にも、人々に隠れて人々の運命を決定することに慣れてきた者たち、そして「ヨーロッパ憲法を制定するための条約」を通じてそのようなあり方を固定化しようとしている者たちを驚愕させた。
 われわれはこの計画が明らかにされた当初から、その内容を詳しく分析し、その反動的な社会的性格を指摘してきたので、ここでは繰り返さない(「インターナショナル・ビューポイント」誌や「インプレコール」誌の諸論文を参照)。しかし、一つの問題が残っている。なぜ新しい条約が必要なのかという問題である。この新しい条約はこれまでの条約を廃止し(その基本的な内容を踏襲している)、「EUを設立する」(第一章の一条)としている。しかしEUはすでに一九九三年十一月一日に施行されたマーストリヒト条約によって設立されている。
 ニース条約で確立された議決権配分の変更だけが問題だったのなら――これがフランスやポーランドなどの国に人口と不釣合いな重みを与えていることは事実であるが――、そのために憲法を制定する必要があったのだろうか? この条約は一体何を「制定」することを目指しているのだろうか?

超国家的独裁機構

 この条約によって「憲法」が制定されるということ自体が奇妙なことである。それは憲法制定議会によって発議されたものでもないし、ヨーロッパのすべての人々が直接に批准する機会を、国民投票という形でさえ、持っているわけではない。実際、大半の加盟国では、批准は間接的方法で行われる。要するに、これはヨーロッパの人々の主権を「制定」するものでない。
 EUはいかなる意味でも加盟国やその国家機構に代わるものではない。それは超国家的機構を強化し、永続化することによって既存の国家機構を補完することを目指している。この超国家的機構が既存の国家機構と異なる主要な点は、それが歴史的にブルジョア国家の根本的な原理とされてきたこと、つまり立法・行政・司法の間での権力の分離を基礎としていない点である。
 この「補完」関係の特殊性は、新しい超国家的機構が、いくつかの領域においては、国民国家の機構――少なくとも形式的にはブルジョア民主主義の原則を尊重する――に優先されるということである。
 この超国家的機構の権力の基礎を規定している第四章(EUの機構と機関)と第五章(EUの権限の行使)は、唯一の直接選挙で選出される機関である欧州議会に対する制約を非常に明確に規定している。欧州議会は完全な立法権を持たない。欧州議会は欧州法を採択できるが、評議会(閣僚から成る)との共同でのみ、そうすることができる。つまり、拒否権を行使できるだけである。欧州議会は法律を発議する権限さえ与えられていない。法律の制定を阻止することはできるが、法律を提案することはできないのである。法律の発議権は、依然として、直接に選出されたのではない機関、すなわち評議会と委員会に限定されている。それは欧州評議会(各国の政府首脳によって構成される)によって定義された「方向」と「一般的な政治的優先度」という枠組みの中でのみ行われる。
 さらに、憲法条約は欧州裁判所を永続的な機関にしようとしている。欧州裁判所は政府によって任命された裁判官と法務官によって構成され、任期は六年(再任可能)である。一九六四年にこの裁判所は、(ECの設立を決定した)ローマ条約は通常の国際条約ではなく、「独自の司法秩序」を構成するという判断を示し、それを確立した後で、国内法よりも優先される司法原理の確立に着手した。それは、規範の優越性を特徴としている。こうしてEUにおいて、司法に事実上の政治的権力を付与するやり方が導入された。
 この司法秩序は、資本の国際化と調和し、それに奉仕するものであり、その独立性が第一章の六条と第一章の三十八条によって永続化されている。
 また、評議会は特定の加盟国に対して、憲法に規定されているいくつかの権利を停止することができ、それはその国を代表する評議会構成員の議決権の停止を含む。さらに、「連帯条項」(第一章の四十三条)は、EUに「テロリストの脅威を防止するため、民主的機関と市民を防衛するため、あるいは加盟国の政府の要請があれば、加盟国の領土に援助を届けるために、その裁量の範囲内で利用できるすべての手段――軍事的手段を含む――を動員する」権限を与えている。
 「テロリスト」という用語の定義は与えられていないが、最近では一般的に、この用語は広い範囲に定義される傾向が強い。こうして「ヨーロッパ憲法」は、戦争という手段の行使に根拠を与えるものと解釈できる条項を組み込んでいるのである。付け加えておくと、加盟国はEUから脱退する権利を持つという新しい規定があるが(第一六章の一条)、この権利は国民にではなく、その国の政府に与えられている。

「ヨーロッパ市民権」の実像

 憲法条約は、新しい市民権を確立するものではない。それは各国の市民権を補完することに自己限定している。条約の第一章の一〇条は、「EUにおける市民権は、各国における市民権に付け加えられるものであり、それに代わるものではない」と規定している。
 そして、この補完的な市民権は、いかなる意味でも新しい市民権を確立したり、市民権を拡充するものではない。それはヨーロッパの市民に、EUの領域内で移動し、居住する権利と、欧州議会(立法権を持っていない)および地方議会に対する選挙権と被選挙権を保障している。ただし、州や国家のレベルの選挙権は保障されていない。この点では、ヨーロッパの市民は、その出発点において、居住する国ごとに不平等な条件の下に置かれることになる。このほかにヨーロッパの市民は、自分の国以外の加盟国の外務省や領事からの保護を受ける権利を保障される(自分の国が第三国におけるそのような保護を保障しない場合)。また、欧州議会に嘆願する権利や、欧州仲裁委員会に提訴する権利、自分の言語でEUの機関や諮問機関に提訴して、同じ言語で回答を受け取る権利が保障される。憲法条約が保障しているのはこれだけであり、これがすべてである。嘆願する権利や提訴する権利には感謝すべきなのかもしれない。まるで封建時代に戻りつつあるようだ。
 このように条約は「ヨーロッパ憲法」(「ヨーロッパ市民権」ではない)を確立しようとしている。それは言い換えれば、代議制民主主義によるリスクを免れることができる超国家的機構である。それは「管理された民主主義」を確立する。それを「開明的専制」あるいは「寛容な独裁」と呼ぶことができるかもしれない。つまり、政治的選択が閉鎖的なエリート集団の特権であるような体制である。

監禁された民主的国家

 われわれがこれまでに発表してきた分析や、とくにフランスにおいて、「左翼からのノン」に参加した人々によって提起された論争は、「ヨーロッパ憲法」のもう一つの特殊性を問題にしてきた。つまり、この憲法は、周期的に繰り返し論議されるべき政治的方向を、あらかじめ固定してしまうということである。政治的方向が一度決まれば、それを疑問視することはできず、EUの機構と加盟国はそれに従わなければならない。このようにして、政治的意思決定に対して非常に厳格な枠組みが課される。言い換えれば、市民による民主的な管理を受けないヨーロッパ規模の機構を確立するだけでは満足できず、将来の政策に対しても制約を課しておく必要があるということである。
 この政策は条約のテキストに繰り返し現れる二つの定式、すなわち「自由で束縛のない競争」(注1)と「(加盟国における)法律上の権利のハーモナイゼーション(異なる制度間の調整)の排除」に要約できる。前者は利益の源泉となるすべての活動に関わっており、後者は加盟国のいずれかにおいて獲得されてきたすべての社会的権利に関わっている。
 こうして新自由主義的政策はヨーロッパの憲法上の規範へと格上げされる。ヨーロッパの超国家的機構――すでに述べてきたように、形式上の民主主義すら欠いている――は、まだ完全には従来の国家を代替してはいない。従来の国家は依然として、政治のいくつかの側面を支配しており、それは選挙というリスクに直面しなければならない。しかし、条約の第三部(EUの政策と機能)は、加盟国の市民がEUの上級の機構によって最終的に決定された政策の枠組みを逸脱する可能性がある政策の採用を自国政府に強制できないようにすることを意図している(注2)。
 したがって、第三部は、しばしば言われてきたように、単に既存の諸条約の規定を盛り込んでいるわけではない。それはEUの機構を完成させ、加盟国のレベルにおいては形式的民主主義の体制の存続を許容し、設立されるEUの体制の絶対主義的な性格を隠蔽する。それによってこの憲法条約は、この絶対主義的な体制と、加盟国のレベルにおける形式的民主主義の体制の共存を保証する。加盟国の体制の政治的主権は第三部によって仕切られているが、いくつかの領域ではすでにEUの絶対主義体制に委託されている。
 「ヨーロッパ憲法」が体現する民主主義の重大な後退は、市民にとっては明らかになっていない。市民は自分の国での民主主義的権利を保持しつづける一方、それらの権利の内容が大幅に空洞化されてきていることに気付いていない。市民投票(「国民投票」と呼ばれている)が計画されたのは、政府がそれを自分たちに有利であるとみなした国だけである――その判断が正しいか間違っているかは別にしてだが。国民投票は、この脈絡の中では、この民主主義の後退に正統性を与え、絶対主義体制に市民的な装いを施し、将来における民主主義の一層の後退のための法律上の根拠を確立するために重要な役割を持っている。

民主主義を装った絶対主義

 欧州単一国家の確立――それは絶対主義的かつ資本主義的なものになるだろう――が現在の条件の中ではあまりにも危険が大きいという判断の下で、憲法条約は、国民国家のますます空洞化する外殻の中に存在する形式的民主主義と、「寛容な」独裁体制の混合物を作り出そうとしている。それは旧世界の没落帝国主義が巨大な米国との競争に立ち向かうために十分な力を実感できるように、必要とされるヨーロッパの資本の大規模な構造改革を指揮できるようなレベルにおいてである。米国が比類のない軍事的主導権を持っている(イラクの占領によってその限界が明らかにされたとはいえ)のに対して、条約草案は「共通の外交および安全保障政策」の確立をも意図している。
 「防衛能力の開発、兵器の研究と調達の分野における機関(欧州防衛庁)」の設立は「産業および技術基盤の強化」と、米国との競争を可能にするための軍事産業の再編に向けた一歩である。そしてこの現在再編されつつある軍産複合体のための資金供給を保証するために、憲法条約は「加盟国は漸進的にその軍事能力を向上させる責任を負う」(第一章の四一条の三項)と規定している。
 こうして憲法条約は、富裕な帝国主義者のための政治的ヨーロッパの確立に奉仕する。加盟国における大衆的な批准拒否は、この試みにブレーキをかけるだろう。それは「必然的にヨーロッパの政治的統合を阻害する」(批准賛成を呼びかける社会党のリーフレット)。ただし、それはこれまで行われてきたような政治的統合に対してである。
 そのことは、これまで抑制されてきたもう一つの社会のためのプロジェクトに関する議論を開始させるだろう。グローバル・ジャスティス運動(公正な世界のための運動)が要求してきた「可能なもう一つのヨーロッパ」とはどんなヨーロッパか、をめぐる議論である。これが新自由主義を進める政治的エリートたち、とくに、ごまかしの社会的政策すら放棄し、今では民主主義に対する願望を埋葬しようとしているヨーロッパの社会民主主義者の好みに合わないことをわれわれは理解できる。このような者たちは、そのような議論の脇に追いやられるだろう。

注1 「束縛のない」という文言を追加するのは蛇足と思われるかもしれないが、新自由主義者の婉曲表現では、これは、共同体が、資本家に対して、商品やサービスを販売するやり方を均等化させるような条件を課すことや、特定の領域内で単一の固定価格を設けることを控えなければならないことを意味する。
注2 条約のいかなる変更も事実上不可能であることが十分に強調されてきた。



コミュニケ
立ち上がった意識的な民衆の勝利
ルクセンブルク、ポルトガル、デンマークの投票にも勝利しよう
                           ATTACフランス

国家に同調するマスコミ

 国民投票の暫定的結果によれば、ノン(反対)票は五五%を獲得したのに、ウィ(賛成)票は四五%であった。棄権は三〇%にしか達しなかった。この棄権票の数字は、ヨーロッパ規模の国民投票の制度が生まれて以降のすべての国民投票で最低であった。
 フランスの民衆は今、欧州憲法にノンを表明した。このノンは、民主的であり、ヨーロッパをめぐるきわめて大きな多数派の反対である。そうすることによって、フランス市民はまず何よりも新自由主義に対してノンと言ったのである。国民投票に付されたEU憲法条約の条文は新自由主義を雄弁に擁護するものであると同時に、新自由主義の例証ともなっている。このノンは同時に、独立した、国際主義的、社会的、エコロジー的、フェミニスト的ヨーロッパに対するウィである。それは、連帯的ヨーロッパ、すなわち、ヨーロッパ外の世界との、とりわけ南と連帯する、そしてまた将来の世代と連帯するヨーロッパに対するウィである。
 だが、それは民主主義に対するウィでもある。民主主義はマスコミのシステムと一体となって行動している国家のプロパガンダによって恥ずべきやり方で度し難いほど変質させられている。国家やマスコミはほぼその全体が、「ウィ」を主張する諸政党によって有無を言わさない形で突きつけられた主張をあえてそのまま鵜呑みにしない「のけ者」の人々に対してかつてない偏見と無礼で尊大な態度を示してきた。市民は投票用紙によって、自分たちがこうした執拗なプロパガンダには我慢がならないと思っているという意思を明らかにした。だから、今回の出来事は、その模範的価値によって、ヨーロッパの他の国々や世界に非常に大きな反響をもたらす歴史的重要性をもっている。
 ATTACは、国民投票の闘いの中で打算なく運動した何万もの市民に敬意を表するものである。それは、この市民とは、地区委員会のメンバーをはじめとする、統一コレクティブのメンバーや、同じように断固として大衆動員を行った政治団体や労働組合組織や市民団体のメンバーを含むさまざまなレベルのメンバーである。それはまた、とりわけ有効な地区活動を実現した、日頃は孤立していたり未組織であったりしている市民でもあった。
 各人は、独自のやり方で、自分たちの周りで、憲法条約の争点と内容を説明し、ノンの勝利を勝ち取るために、統一的な発展力学の枠組みのもとで、活動した。この勝利はいかなる個人に属するものでもない。それは立ち上がった意識的な民衆の勝利である。ノンの勝利の祝宴は、このキャンペーンの総括を行い、展望を討論する機会となるだろう。

ヨーロッパ共同要求綱領を

 ATTACは世界のATTACのすべての運動に、まず何よりもヨーロッパのATTACの運動に深い感謝の意を表明する。これらのATTACの運動はわれわれフランスのATTACの闘いに対して一貫して多くの形で連帯を示してくれた。十数カ国からやって来て、集会また集会とフランス全土を縦横に駆け巡ったヨーロッパ各国の自主的な参加者たちがとりわけわれわれの感謝を受けるべきである。各国のATTACは、このような連帯を示すことによって、ウィの諸政党による中傷に満ち溢れた主張を否認したのであり、そのことによってATTACが約束している主張の意味を証明したのである。
 すなわち、その主張とは、ヨーロッパに反対ということではなくて、ともに建設すべきもうひとつのヨーロッパを目指すということなのである。これによって、今後拡大していくヨーロッパの公共空間の最初の兆しが強化されたのである。ヨーロッパ規模での自主的参加という枠組みのもとで、ATTACフランスは、ルクセンブルク、ポルトガル、デンマークをはじめとする国民投票が今後組織される予定の諸国のATTACの意向に応じて、これら諸国のATTACの闘いを支援する用意がある。
 ノンの勝利は、そのすべての担い手を新たな責任の前におくことになる。自らが誕生に貢献した民衆のこの大きな期待の高まりに、それぞれの特性にもとづいて、応じるのがこれら担い手の役割である。
 ATTACフランスとしては、自身の内部においてだけでなく、他団体とも連携して、この五月二十九日に表明された期待に応えるヨーロッパ政策の策定の作業をただちに開始するだろう。ATTACフランスはまた、他のヨーロッパ諸国のATTACに対して、秋の初めに、ヨーロッパATTAC大会の開催を提案する。このヨーロッパ大会は、各国政府に提出するヨーロッパ共同要求綱領へとつながっていくことができるだろう。二〇〇六年のアテネでのヨーロッパ社会フォーラムは、したがって、ATTACにとっても社会運動にとってもヨーロッパの民衆にとっても特別な重要性をもっている。

闘いをヨーロッパから世界へ


 憲法条約の考えの原動力となっている新自由主義はEUの国境で停止しているわけではない。それは同時に、G8やIMFや世界銀行やOECDやWTOなどの国際機関によって、より上級のレベルで、とりわけ有害な形で、担われている。フランスでこの二十年来展開されてきた国内政策とヨーロッパ・レベルで決定されている政策との間の関連性についての明確な自覚の形成――これは国民投票で市民が獲得した大きな成果である――は、今や世界的レベルにまで拡大されなければならない。
 二つの世界的レベルの重要な会議、すなわち、七月のスコットランドでのG8と十一月の香港でのWTOの会議に向けて速やかで大規模な大衆動員がなされなければならない。そこでは、農業とサービスのよりいっそうの自由化が議題になるだろう。ATTACは、フランスでノンに賛成したすべての団体に以上の二つの大きな闘いと同時に、とりわけ、国際取引税や、金融資本のタックスヘイブン、GMO(遺伝子組み換え食品)、水をめぐる闘いにもに参加するよう提案するだろう。

次は労働政策との闘い


 より当面は、挑発とも言える挑戦状に反撃することがわれわれの責務である。トニー・ブレアが第二半期のEU議長国イギリスの名においてウルトラ自由主義的な労働政策計画をわれわれの前に提起しているからである。われわれは、六月十六、十七日のブリュッセルでのデモに数多く結集しなければならない。それは、ルクセンブルクが議長国を務める最後の欧州評議会の会合であり、その後、マーガレット・サッチャーの息子に議長のバトンが渡される場となる。それは、有権者のメッセージが十分に受け入れられる明確な兆候を示す場にならなければならない。
 ATTACは、社会的ヨーロッパの歩みを早めなければならないし新自由主義と闘わなければならないと信じながらウィに投票した市民に対して、これらの闘いを始めるためにわれわれのすべてに合流するよう求める。これら市民にはそのためのあらゆる場が用意されている。
 ATTACは行動に向けた民衆教育の運動であり、今後もそうであり続けるだろう。政治的再編はその関与すべき分野ではない。その代わり、とりわけ、新自由主義に対するオルタナティブの立案という点では、ATTACは、フランスのレベルでもヨーロッパレベルでも、諸団体が今後開始し、そのすべての構成団体やすべての会員やその地区委員会を結集したプロジェクトを皮切りに、提案を練り上げる役割を強めるだろう。
 ATTACはEU諸国を順番に回ってそれぞれの組織に訴えかけていく。ATTACフランスは、これら諸国の全土を巡り、フランスのノンを説明し、ヨーロッパ・レベルでの勢力を結集し、オルタナティブをまとめあげるだろう。ATTACフランスは他のすべての団体に同様のことを行うよう訴えるものである。
 05年5月29日22時
ATTACフランス


フランスLCRの宣言
「ウィ」に10%の差をつけ55%で「ノン」の圧倒的勝利
シラクはただちに退陣せよ!

政府のキャンペ
ーンをはね返す

 「ノン」(反対)が今勝利した。新自由主義政策がこの二十年間以上の長きにわたって絶え間なく展開されてきた。今回の勝利は、この政策の災いを長年受け続けてきたすべての人々にとってのすばらしい勝利である。
 それは、二十世紀を通じて蓄積されてきた成果の全体を破棄しようとする憲法案に直面している労働界にとっての勝利である。それはまた、公共サービスと連帯を破壊する商品化=私有化の増大にさらされてきたすべての人々にとっての勝利である。「ウィ」(賛成)の票を投じさせるためにメディアとエリート層の全体を動員した驚くべき大規模なキャンペーンが展開され、大統領、政府、経営者、体制側の諸政党は、いかなる形態の脅しや圧力を持ち出して、恐怖に訴えるキャンペーンを組織した。このような相手側のキャンペーンにもかかわらず、それでもノンが勝利した。
 相手側は、恐怖、侮辱、真の争点を隠すために極右勢力との意識的な混同視などあらゆる手段を用い、取るに足りないが戦闘的なノンの勢力に対して多くの手段を動員した。このような勢力にとって、それはまったく手痛い敗北だった。

新自由主義に
対する不信任

 連中はヨーロッパに関する現実離れしたビジョンを承認させようと望んだが、それに対してノンが新自由主義への不信任を突きつけたのだ。
 それは、この国の労働界や人々の抵抗をかぎりなく破壊つくすことを夢見ていた連中にとっての敗北であった。だが、連中は、このキャンペーンの中で、自らの計画の責任をけっして受け入れようとはしなかった。それは、社会を動かす原動力として、平等と協調と連帯に代わって利潤と競合と競争と不平等にもとづく社会の計画であった。
 したがって、もちろん、この勝利だけで、すべてを押しつぶす資本主義の地ならしローラーに直面させられているいっさいのことを変わることができるわけではない。まだそのような勝利の段階にすぎない。現行のヨーロッパは今後も社会的権利を侵害する指令を提案し続けるだろうし、各国政府は新自由主義の攻撃をこれからも継続するだろう。だが、それはこれまでとは異なった脈絡のもとでなされるだろう。

もうひとつの
ヨーロッパへ

 社会的、民主的ノンに対して、またヨーロッパの民衆や労働者に対して、利潤にもとづくこの社会はもうひとつのヨーロッパを提案することを拒否した。この社会的、民主的ノンは、ヨーロッパ全体に、その社会的権利の全面的な解体攻撃を受けている東西ヨーロッパの民衆に呼びかけている。これは、この新自由主義的で資本主義的なヨーロッパを打ち破りさえすればもうひとつのヨーロッパが可能だ、と考えている多くの勢力にとってすばらしい励ましである。
 もうひとつのヨーロッパを示すヨーロッパ規模のイニシアチブを提案するという課題は、ヨーロッパ憲法を拒否したばかりのわれわれの双肩にかかっている。それは、社会的、民主的権利を上から調和させるヨーロッパである。それは、社会的格差の縮小、ヨーロッパ規模の最低賃金制の実施、資本に対する共通の税制、ヨーロッパ規模の真の公共サービスの創設、真の優先的政策を基準とするヨーロッパである。それは、堕胎の権利をすべての女性に、平等の権利をすべての外国人住民に拡大するヨーロッパである。最後にそれは、憲法条約が約束しているNATOや再度の軍備増強と手を切る、平和と協調と全世界の「南」との連帯を目指すヨーロッパである。

代議制民主主義
の重大な危機

 ヨーロッパ憲法条約の条文に盛り込まれている新自由主義政策を展開しているシラクとラファランに対して、今、新たに懲罰が加えられた。われわれに混乱と危機を約束してきた連中はかつてないほど正当性を失っている。こうした連中は退陣しなければならない。
 もし議会でこの批准投票が行われていたなら、議会はこの憲法を九〇%近くの賛成で批准していただろう。このような議会は国の現実を代表していない。この議会は解散し、新たな選挙が行われなければならない。われわれは、将来計画の交渉の処置をシラクに委ねられるだろうか? それは社会的ノンの陣営の勝利をごまかしていることになるだろう。
 この反社会的政策を今後さらに二年間政府に継続させるままにしておいてよいのだろうか? 今回の国民投票は、代議制の重大な危機を示している。もし投票が議会で行われていたなら、この憲法条約の批准に賛成するのは九〇%近くの両院議員にのぼっていただろう。それは、来るべき議会選挙で選ばれる議員もこのままでいくとそのような割合になるに違いない。経営者たちは本質的に自分たちのものであるこの計画のために徹底的に動員されたが、かれらのキャンペーンは今や失敗に終わった。右翼と経営者のこの弱みを利用し、二〇〇七年を待つことなく社会的に報復するのはわれわれである。富と労働のもうひとつの再分配を実施させ、公共サービスを救い、拡大し、社会保障を防衛し拡大しよう。この観点からすると、最近のIBMやトータルの闘いは進むべき道を示している。それは闘争の全般的拡大の道である。左翼では、社会党と緑の党の指導部は、右翼と同盟することによって、このような憲法の採択を可能にしたいと望んだ。これらの指導部自身もまた、政府への参加と自らの新自由主義政策の収支を引き受けたすべての勢力全体と同様に、大きな懲罰を受けた。
 確かに、この国にはまさに二つの左翼が存在する。一方の左翼は、ますます残酷で野蛮になっている資本主義の決まりを受け入れ、新自由主義的対抗改革の同伴者となっている新自由主義的左翼である。それは、二〇〇二年四月二十一日の悲惨な事態を引き起こした(大統領選の第一回投票で極右のル・ペンが社会党のジョスパンの票を上回り、決選投票に進むことになった日)左翼、右翼の計画と闘わない左翼であり、結局のところ右翼と同じ経済的、社会的計画を持っている左翼である。

「ノン」に結集し
た全国千の委員会

 だが、もう一つの左翼が、もうひとつの陣営がこのキャンペーンの中で出現してきた。
 社会的、民主的ノンはこのキャンペーンから生まれた出来事であった。それは、的確な疑問を提起し、偽りのキャンペーンに反対して闘い、全土で真の論争を巻き起こした。新自由主義に賛成するのか反対するのか、経営者の攻勢の野蛮な路線を受け入れるのか、それを甘受するのか。数千の論争が、何百もの集会が、千のグループが出現して、この憲法が表している新自由主義的で非民主的な詐欺を波風を立てることなく批准させようとする見事な機構をかく乱した。長い間、闘い、抵抗し続けてきたすべての人々を結集することによって、このノンは、もうひとつの世界、もうひとつのヨーロッパ、もうひとつの政治の希望を育んでいる。このノンは未来である。それは青年と労働者の闘いによって支えられている。それはもうひとつの世界を目指す運動の闘いから生まれた。それは、新自由主義路線に反対するノンに向けてのLCR、共産党、エコロジスト、社会党員の活動家の接近を可能にするとともに、政治活動家と労働組合員さらには社会運動活動家との出会いを可能にした。諸勢力のこの接近、下からのフランスのこの決起は、今回のキャンペーンの大きな出来事であった。多くの労働組合活動家や組合グループやATTACの多くの参加は、このキャンペーンの成功にとって決定的な役割を果たした。
 これは、諸勢力の接近の前に立ちはだかる数多くの障害を取り除くことを可能にした。それは継続させられなければならない。だからわれわれは、闘いの継続をともに決定するためにノンの一千の委員会(コレクティブ)の全国会議の開催を提案する。右翼と経営者に反対して行動しよう。ヨーロッパとフランスでの新自由主義的資本主義に対するオルタナティブを提案しよう。それは、この資本主義社会の冷酷な法則を諦めて受け入れなくなっているますます多くの人々に対して再び希望を与えるものである。
 われわれが提案しているように、いわゆる「二〇〇のアピール」の反新自由主義の枠組みのもとで再編がなされてきた政治勢力もまた、このような展望を促進し発展させるために、すみやかに会議を開催しなければならない。
 ヨーロッパ・レベルでは、ヨーロッパ社会フォーラムが、社会的で連帯した民主的なもうひとつのヨーロッパの輪郭を速やかに描くことができるようにしなければならない。民主的な憲法制定会議の過程が討論に付されなければならない。


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