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初代委員長アノアル・フセインに聞く           かけはし2005.5.30号

労働3権の獲得めざし移住労働者たちが独自労組結成



「労働者はひとつだ」と宣言

 「万国の労働者、団結せよ」。5月1日のメーデーのスローガンだが、最近ある労働組合が、このスローガンを労組の旗に掲げた。
 国家と人種を超えて「労働者はひとつだ」を宣言して踏み出したのは「ソウル・京畿・仁川移住労働者労働組合」。フィリピン、バングラデシュ、ネパール、インドネシアなどから来た移住労働者100人が組合員として加入した。

明洞聖堂テント籠城を闘う


 移住労働者たちが韓国に入って来始めたたのは1987年からだ。当時、初の移住労働者はソウル・江南で働いていたフィリピン出身の家政婦たちだった。その後、18年。移住労働者たちが今や独自的な労働組合を結成するまでに至ったのだ。初代委員長に選出されたアノアル・フセイン(34才、バングラデシュ)は「今日までの移住労働者の闘いの歴史を受け継いでいく」と語った。彼の言葉通り、移住労働者労働組合は突然生じたものではなく、それなりの歴史を持っている。そしてまた、だれかがタダで与えてくれたものでもない。
 1994年1月、労災を被った後、被害補償さえ受けられなかった未登録(不法滞留)移住労働者10余人は経実連の講堂で籠城に突入した。不法滞留者の身分ゆえに、すべての権利をはく奪されたまま涙をのんできた彼らが、集団行動を敢行した初めての事件だった。しかし当時の籠城は韓国の人々の「良心」に訴えるにとどまった。
 移住労働者の前身は「ソウル京仁地域平等労組(委員長イム・ミリョン)移住労働者支部」。平等労組は01年、国内で初めて移住労働者たちを組合員として受け入れた。ソウル聖水、南楊州、議政府などに分会を作った。アノアルは最近まで平等労組移住労働者支部支部長を担った。強制追放の中断と未登録移住労働者の全面合法化を要求して03年11月から1年間、明洞聖堂でテント籠城を展開したのもアノアルの企画だった。彼は籠城団の団長だった。そしてこの4月25日、平等労組移住労働者支部は解散され、独自的な移住労働者労働組合が建設されたのだ。
 発足したばかりの移住労働者の眼前に控えているのは「認定闘争」だ。組合員の相当部分が未登録の身分なので労働組合合法化の可能性は不透明だ。当分の間、「法定外労組」として、不法滞留者の束縛を脱ぎ捨てて労働3権を認定されるための力強い闘いを経なければならないものと見られる。
 アノアルは数多くの移住労働者たちが身を投げうって死んだり、鉄鎖で身を縛って闘ってきたものの、限りなく切ない異国の地での労働は続いている、と語った。「韓国は民主化され、人権国家だと言うけれども、今もなお移住労働者に対する暴行や差別が横行している。現場に直接、行ってごらんなさい。10年前と全く変わりません」。政府の強制追放政策が、むしろ移住労働者労働組合という台風をもたらしたのだろうか。彼は「われわれは労組を作りたくて作ったのではない。韓国が、このように仕向けたのだ」と語った。
 アノアルはバングラデシュで大学を終え、96年5月に韓国にやって来た。3カ月間の入国ビザでやって来た。3カ月間の入国ビザでやって来て工場を転々したのち、「思いがけず」労働運動家の道に踏み込んだ。
 初めは彼も、35万余人の他の移住労働者たちのようにカネをたくさん稼いで故国に帰るという「コリアン・ドリーム」を抱いてきた、貧しい国の平凡な青年の中のひとりだった。だが、カネを稼ぐという考えは、次第にかなわぬ夢となっている。その代わり、彼の名刺には民主労総のロゴが輝いている。4月26日、民主労総ソウル地域本部事務室で彼に会った。

――バングラデシュにいらっしゃる御両親は労組活動を知っているのか。

 03年から工場の仕事をやめて労組で活動し始めたから、今は故郷の家族たちもある程度は知っている。それで父母は、とても心配している。けれども仕方がありません。状況が私をこのように駆り立てているのだから……。

――バングラデシュから韓国へはひとりで来たのか。

 96年に10人余りの仲間とやってきた。これまでに他の仲間はみな帰国し、私ひとりだけが残った。

――大学では何を専攻したのか。

 政治工学を学んだ。学生運動も経験した。バングラデシュでは各政党ごとに学生委員会があるが、私はその地域代表をしたこともある。もちろん移住労働者労組を作ろうとして私が韓国に来たのでは断じてない。ソウルや首都圏地域のさまざまな工場で働いているとき、同僚たちは暴行されても韓国語がうまく話せず、何も言えずに耐えながら泣いているのを何度も何度も見た。苦悩は山ほどだった。差別され疎まれながら、ただ耐えてばかりいてはダメだと思った。

――韓国語をかなり上手に話すが。

 韓国で人権や労働権の適用を受けようとするなら韓国語がキチンとできなければダメだと考えた。韓国の人々と一緒にテレビを見ながら、一生懸命に学んだ。韓国語ができなければ工場で暴行や差別が起きても抗議ひとつさえできないのが現実だ。

――なぜ独自的な移住労働者労組を作ることになったのか。

 移住労働者たちが労災に遭って指を落としても、韓国政府であれ、工場の社長であれ、だれひとりとしてまるで気にとめない。痛いときに痛いと言い、疲れたときには疲れたと言える権利を、闘って手にしなければならない。移住労働者たちのノーマルヘキサン中毒がマスコミを賑わしているけれども、工場では性暴力の問題も深刻だ。問題提起ができないだけだ。余りにもひどいので闘い、労組を結成したのだ。

もう人間狩りはされたくない


――労働組合が掲げている要求は。

 強制追放の取り締まり中断、未登録移住労働者の全面合法化、産業研修生制度の撤廃、労働許可制の実施などだ。
 直ちに民主労総とともに労働許可制の立法化を実現するための闘いを始める(現行の雇用許可制は、事業主に雇用許可を与え、移住労働者は該当事業主に雇用される条件の下で就業するもので、就業事業場が制限される。反面、労働許可制は、移住労働者に国内就業の許可と入国を与えれば、その期間中は自由に事業場を選択できる制度だ)。雇用許可制では、されるがままに働かなければならない。今も1日12〜13時間ずっと働きながら64万ウォン(約6万4千円)の最低賃金をもらっている。不法滞留者だからと言って思いのままに働かせている。

――移住労働者も産災(労災)補償法や勤労基準法が適用されている。以前に比べれば随分と改善されたのではないのか。

 良くなったと言うけれども現実は違う。直接、目で見なければ分からない。弾圧は、さらにひどくなった。不法滞留者として、こっそりと働いているために賃金の未払い、遅払い、労働災害、暴行などに苦しめられてきた。不法滞留者を使った事実が摘発されはしないかと考え、社長たちは労災の処理を忌避するのも相変わらずだ。
 退職金をもらう移住労働者は、極めてまれだ。未登録移住労働者の子どもたちにも学校の転・入学を許容するとすると言ったけれども、実際に合法滞留証明書を取らなければ受け入れない。これが現実だ。常軌を逸した暴力的な移住労働者への取り締まり、追放が続いており、自ら命を断つ同志も生じ続けている。これ以上、人間狩りをされたくはない。

――現在、百余人が組合員として加入したが、他の移住労働者たちも加入の意思を示しているのか。

 94年の明洞聖堂での籠城のときには「われわれは奴隷ではない」というスローガンのもと、移住労働者の人権を要求したが、集まったのは5、6人ばかりだった。だが今は労働権を保障せよ、という集会に数百人が集まるほどに力強く結集している。強制追放によって困難な時期にもかかわらず数百人が結集する。1月から各地域の代表者たちが地域の組織化を一生懸命に行っている。今後、労組を全国規模で育てていくことになるだろう。

制度改善闘争を主力に闘う


――政府が労働組合を認定しないときは。

 労働部に直ちに労組設立申請書を提出するだろう。政府が不法滞留者組合員を理由に、法的労組として認めない場合、強力な闘いを展開することになろう。私が捕らえられたり強制追放されたしても労働組合が壊れたりはしない。労働組合は、さらに力強く闘うだろう。抑圧されて来つつ、その分だけ移住労働者たちの意識も成長した。同志たちを信じている。これまでさまざまな闘いをしつつ、移住労働者たちが自分でやっていくことのできる経験と力量を整えた。

――各国の労働者たちが結集したが、うまく団結できるのか。

 各国の文化や行事は異なるが、労働者の権利や、望んでいるものは一緒だ。言葉の壁はあるけれども、団結することにおいては大した困難はない。かつては外に(街に)出られず、会社で仕事ばかりしていた。他の人々が食事をするとき、社長がラーメンばっかり与えるのにも耐えた。ところで先日、組合員たちを集めて権利を自ら求めようと話したとき、みんな涙ぐんでいた。われわれは自殺をするために韓国に来たのでは断じてない。

――労働組合の結成を否定的に見る考えもあるが。

 建設現場で韓国の労働組合がストを行うとき、移住労働者たちがストの代替要員として入って行き、現場の管理者たちと一緒に仕事をするケースが間々ある。
 この場合、韓国の労働組合からすれば移住労働者たちは困りものだ。ストをやったとしても威力が落ちるからだ。だから移住労働者たちの地位が向上されない限り、韓国労働者たちの労働条件も良くなるのは難しい。共に連帯して闘うべきことは数多くある。労働者はひとつだ。支持と連帯をお願いしたい。

――移住労働者たちを使っている数多くの中小零細事業場を全部、訪れながら労組活動をするというのは大変なはずだが。

 問題が起きている事業場は、どこであろうと駆けつけて集会もするし闘争もするだろう。だが労働組合は労働許可制争取など、法と制度を改める闘いに主力をおいていく考えだ。私を含め大多数の移住労働者たちは、花開く若い時節を韓国で差別と苦しみのうちに送った。今こそ、われわれが人として、生きるためにも移住労働者たちの正当な権利を獲得しなければならない。(「ハンギョレ21」第558号、05年5月10日付、チョ・ゲワン記者)


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