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 時代に逆行するバックラッシュの背景          かけはし2005.5.2号

ジェンダーフリーへの攻撃を許すな

国家主義とセクシズムが一体化した改憲・教基法改悪攻撃

 今世紀になってジェンダーに関わる時代錯誤的とも思える動きが顕著になっており、最近身近にその動きを経験した。それまでは、東京都での日の丸・君が代に関わる処分の連発や都立七尾養護学校での処分が、論理的にはそう思っていなくても、頭の片隅では、石原が知事であるということが大いに関係する特別な出来事だとの思いが抜けなかった。そこでこの動きについて少し問題を整理してみようと考えたのが以下の内容である。

先導役はいつも産経新聞

 二〇〇五年三月四日の参議院予算委員会で山谷えり子議員(自民党)が質問し、大阪府吹田市の公立小学校一、二年生で使用している、男女の性器の名称を書いて受精のしくみをイラスト付きで説明している性教育副読本『きらめく青春』、東京都教育委員会が実態調査した際に八十の学校で見つかった「男女それぞれの性器をつけた二体の性教育用人形の写真」、横浜市立小学校で使われていた「性交のイラスト入り三年生用副読本」を閣僚席に配布し、こんなひどい教育が行われていると発言し、小泉首相の認識をただした。
 小泉は「これは今初めて見たが、ちょっとひどい、問題だ、ここまで教える必要があるのか。考えてもらいたい」と発言し、文部科学相に是正を求める考えを示した。中山文科相は「行き過ぎた性教育は子どものためにもならない」と述べ、細田官房長官は「男女共同参画のはき違えは是正してほしい」、「ジェンダーフリーという言葉は使わないでほしい」と述べた。
 また、山谷議員は、高校の家庭科の教科書に離婚やシングルマザーの奨励ととられる記述があると指摘し、中山文科相は「検定合格の範囲内だが、ちょっとこれはどうかな、というものもある」と、不適切な教科書が検定を合格している実態を認めた(ここで実態を認めたとは、中山文科相が自分の認識を示したことを指すと思われる)。以上は産経新聞の記事(3月5日)である。

教育委員会も高い評価

 吹田市教育委員会は、問題だと指摘された『きらめく青春』を改訂すると表明している。吹田市の場合、きっかけは昨年六月頃、一人の右翼的な人物との接点を持つわずか二人の保護者が、コンドーム・出産シーンの映像を使った中学校の体育科教諭の性教育実践を問題にし、コンドームと出産シーンの映像フィルムの不使用を求めた脅迫まがいの不当な要求を教育委員会がこっそり裏で受け入れたことに始まる。
 当該教諭の実践は二十年も前から有名で、教育委員会も高く評価していた。同教諭は教育委員会に請われ、『きらめく青春』(吹田市で四件連続して発生したスクールセクハラ事件後、長い時間をかけて改訂された)の編集委員にもなっている。当該の中学校ではこの問題で十一月末に保護者説明会が開かれた。部外者は参加できなかったはずなのに、右翼の人物はこっそり参加し発言までしている。当日、参加した多くの保護者からは、当該教諭の性教育実践を支持する発言があり、右翼たちの発言は孤立した。
 後日、説明会の様子を報告し学校としての見解を明らかにすべく、印刷物が家庭に配布されることになったが、その内容は説明会の様子とは関係なく、あらかじめ市教委・校長と右翼たちの間で合意したと思われる内容(一方的な謝罪、今後やり方は改める)のものであった。教職員たちはその内容のままの配布に疑問を述べた。そのため、教育委員会からの指示で配布の職務命令が出された。
 当該体育科教諭の私有物である出産シーンの映像フィルムは、こっそり持ち出され、右翼に見せていたこと、さらに、そのフィルムが手元に戻ったときには、自然分娩のシーンの全部がカットされ紛失していることが判明した。今のところ誰がやったのかは明らかにされていない。当該校長は、十二月末突然退職。その後任には、それまでこの件についていろいろと校長に指示をしてきた教育委員会の指導室長が就任した。この新校長は、当該体育科教諭に「校長が辞めたのに、あなたはなぜまだこの学校にいるのか」と転勤か退職を強要する言動をしている。
 この動きが顕在化したとき、その真のねらいは「日の丸・君が代」攻撃であるとの見方もあったが、それは当たっていない。むしろ本命は、ジェンダー攻撃そのものである。

性教育バックラッシュ


 男女平等、男女共同参画の新しい社会の実現を目指す人たちからバックラッシュと呼ばれている運動が広がりを見せている。上記の記事の内容はこの動きの一部である。
 バックラッシュ派は、男女性別役割分業を是とし、強い父性・優しい母性による家庭を国家の基本単位と考える。彼らは女性の自立に反対する。女性の自己決定能力を育成するようなあらゆる性教育に反対する。彼らは学校には純潔教育を求める。男は仕事に励み、女は家庭を守るのがよいと考える。
 彼らは次のような言い方をする。たとえば、「ジェンダーフリーは中性的な人間を創り出そうとする暴挙だ」、「夫婦別姓にすると家庭が壊れる」、「我慢しないで自己主張する女をつくれば、フリーセックスになって離婚が増える」、「ジェンダーフリーの教育では、男の子と女の子を同じ更衣室で着替えさせている」、「ジェンダーフリーの教育をすると性道徳が乱れる」、「性器にまでさわらせる性教育」、「まるでアダルトショップのようだ」「男女平等といっているけど、あんたたちは口紅を塗っているじゃないか」等々。およそ論理とはほど遠い。デマである。デマは大きければ大きいほどいいと考えているのだろうか。
 このような動きは、一九九二年の文部省版「性教育元年」で国や社会が性教育の必要性をみとめ、組織的な取り組みを始めた頃と同時期に登場している。教育委員会や学校にクレームをつけたり、講師を中傷するような形をとって始まった。最近の性教育バッシングは、議員(自民党や民主党)による質問や、地域の右翼的な人物とつながった純潔教育を求めるごく一部の保護者の要求をきっかけにして、産経新聞が事実をゆがめた報道を展開し、教育委員会がそれに応えて是正するという形をとっている。

男女共同参画基本法の骨抜き

 本格的に男女共同参画社会づくりに対する攻撃が始まったのは、二〇〇一年九月以降、性教育に対するそれは二〇〇二年五月からである。ゆがめられた報道に後押しされて、男女共同参画条例の骨抜き策動が繰り返され、性教育の分野では、過激な性教育、行き過ぎた性教育と呼んで 、現場の実践にクレームをつけ、教育委員会の調査と是正指導を行わせてきた。
 二〇〇一年の末、大阪府の条例制定の過程でこれに反対する組織だった動きが現れた。二〇〇一年から配布されていた性教育パンフレット『思春期のためのラブ&ボディBOOK』(厚生労働省所管の母子衛生研究会作成)は、山谷えり子議員の質問をきっかけに、絶版になり、在庫は回収された。二〇〇二年十二月産経新聞が「小五に過激な性教育」、「コンドーム装着を実習、大阪豊中市立中六校」と大阪府豊中市の性教育を攻撃した。
 同様の攻撃が全国で繰り広げられ、山口県宇部市では、男女共同参画基本法や女性差別撤廃条約の精神に反する男女共同参画推進条例が制定され、また千葉県では県議会に提出された男女共同参画推進条例案は廃案になった。また東京都荒川区の男女共同参画社会懇談会には新しい歴史教科書をつくる会の中心メンバーが三人も含まれていて、区長や助役もつくる会の協力者というひどい状態のところもある。全体的にみると、本質的にはどこも同じだとはいえ、やはり東京都の例は突出している。
 二〇〇三年六月の東京都定例議会で不適切な性教育が指摘されたことを受けて「都立盲・ろう・養護学校経営調査委員会」がつくられた。七月には土屋たかゆき東京都議(民主党)の質問に応えて、都立七尾養護学校に調査が入り、さらに全五十六校中二十八校で「不適切な実態」が報告された。七尾養護学校の校長は年度途中の九月に一般教諭に降格および定職一カ月の処分を受け、ほか二十二校の校長・教頭・教員あわせて百二人が減給・戒告厳重注意処分を受けた。まさに異常としか言いようがない。
 二〇〇四年末から今年にかけて大阪府豊中市では、東京から応募し、八十人の中から選ばれて男女共同参画センター「ステップ」の館長に就任した三井マリ子さんに対し、ジェンダーフリーという言葉を使い、その立場で活動しすぎていると右翼や保守系議員が騒ぎ、市当局に大変なけんまくで押しかけ解雇を要求した。市はそれに屈して今年三月末で解雇(嘱託の契約更新を打ち切る)した。この件は、大阪地裁で裁判になり、四月に公判が開始された。
 バックラッシュの動きは全国的に広がっているとはいえ、地域ごとに見るならばそれを進めているのはおそらく圧倒的少数派であろう。にもかかわらず彼らの要求が通るのは、それに同調する行政や教育委員会の姿勢があるからである。公的立場に立たねばならない官僚や一部議員による行政の私物化といえる状況が存在する。いまだ市民がそれを統制するまでには至っていない。
 圧倒的少数であろうが、これを支える社会的な状況が一方にあることにも注目しなければならない。七〇年代、八〇年代欧米の長期不況を尻目に、日本だけが好況を謳歌した。年功序列賃金・終身雇用、主婦の年金や保育福祉政策の未発達など、性別役割分業を支える社会的文化的条件はそのまま維持された。しかし一方で、専業主婦率は一九七〇年代がピークで、その後は減少し、企業社会への女性の進出が少しずつ進んでいった。一九八五年、国連の女性差別撤廃条約に参加することを契機に、日本でも渋々ジェンダー平等に向けた政策が進められてきた、と言うことができる。

性別役割分業の基盤崩壊


 日本は一九九〇年代に入りバブルの崩壊とその後の短い反動不況を経て回復の兆しを見せるが、その芽を摘むように橋本政権による六大構造改革政策がとられていった。そしてそれを受け継いだ小泉政権の構造改革路線に基づく金融財政政策によって長期不況は長く持続することになった。「不良」債権が大量に処理され、リストラ・倒産が相次いだが、米国や中国の好景気に支えられ、大企業は完全に収益を回復した。
 しかし賃金は低く抑えられたまま福祉政策は後退し家計は圧迫され、景気は回復していない。性別役割分業を支えてきた経済的条件は破壊された。今しばらく辛抱すすれば家計の経済が好転するという見通しはない。男性のおかれている社会状況が変化し、労働現場は流動化し、正規雇用は著しく減少し、既得権が奪われていくことに対して、男性側では危機意識を持つようになった人も少なくないだろう。年間自殺者は三万人と世界一になった。家庭生活を楽しむゆとりはない。
 女性の労働現場でもパート化・契約労働など非正規雇用が増加し、実質労働時間も増加している。長時間保育は、当初の期待に反し、労働形態をより複雑にし、女性も男並みに働くことを強いられている。日本の若い女性が結婚退職や出産退職の強制を受け入れたのは、夫の給料が右肩上がりにあがっていくと期待できたからだった。家庭はローンや教育費を抱え、もはや女性が家庭にいるのがいいとか悪いとか、そのようなレベルで論議している状況ではなくなっている。

「勝ち組」と「負け組」の矛盾

 この状況に対処する選択肢は、低下した賃金水準に夫婦共働きで対処し失業の危機を分散する、そしてこれを契機に新たな男女関係を模索していくというものだ。まさに男女共同参画社会を目指すというのが、論理的には唯一の選択肢である。男女が対等な立場であらゆる問題を論議し合理的な解決策を探り合うとまでいかなくても、多くの家庭では共働きでこの困難を乗り越えようとしている。「女は家庭を守る」などは問題外だ。
 しかしながらもう一つの選択肢が存在する。そればバックラッシュが目指すものだ。「男女がそれぞれその特性を活かして補完しあい、子どもの育成・教育を両親の父性と母性に基づいて行う社会。家父長制的な家族の価値が輝く社会。国家の道徳委規範を掲げた社会」。
 彼らは、そのような社会を、貧しさに耐え、犠牲を自ら甘受し他の人々に甘受させても、求めるに値する社会だと考える。そのような社会のよしあしを論じる前に、彼らの理想社会の基盤を掘り崩した元凶である新自由主義と対決すべきなのだが、彼らはそうはしない。
 バックラッシュとは保守的な一種の原理運動だ。キリスト教原理主義を信じて、自分らの生活を苦しくしているブッシュに投票したアメリカの貧困層の動きによく似ている。バックラッシュは、ジェンダーフリーに反対し、男女混合名簿にも反対で、純潔教育を求め、男女性別役割分業を支持するが、それと同じ論理で改憲指向であり、「日の丸・君が代」に賛成であり、教育基本法の改悪に賛成し、新しい歴史教科書つくる会の活動を支持し、多様な生き方(結婚するしない、子どもをもつもたないなど)や多様な家庭像を学ばせる家庭科教科書に反対である。彼らは軍隊慰安婦の人権回復運動にも反対だ。
 彼らは、自分らを苦しめている新自由主義と闘うのではなく、新しい男女関係を目指す動きに不満をぶつける。しかしバックラッシュ派はおそらく一枚岩ではないだろう。その内部に非和解的で相容れない二つの部分を持っている。すなわち都市の「勝ち組」や性別役割分業体制が維持できる裕福な階層と多くの貧しい「負け組」である。保守的な知識人や文化人は多くの「負け組」の不満を巧みに利用し、出口のない泥沼の底に未来があるような幻想に引き込む。心理学的には自己暗示の手法と言うべきか。

財界はどちらでも利益がある


 財界は、規制緩和・経済の自由化によって男女別なく市場競争に巻き込み、それによる「活力ある社会の実現」を選択した。将来にかけて労働力が減少していく中で、企業にとって女性の社会進出は必要条件だ。しかも女性が男性と同じように働いてくれるなら願ってもないこと。規制緩和が進み、労働市場は企業の望むように状況が到来した。しかしそれが不可避的に生み出す不安定・ストレス、多くの「敗者」の不満をいかに処理するかが大問題である。
 いざというときは多くの「敗者」の不満を暴力的に封じ込めようと決意する一方で、彼等「敗者」が国家と家族の未来に自己を同一化して、幻想的な慰め(補償)を感じるようにし向ける。その結果、男たちは、一家の唯一の稼ぎ手で家庭の秩序の統括者、国家の責任ある担い手として自己を意識する。
 他方、やむなく働きに出ている女たちも、子どもには日常やってやれることはあまりないが、せめて観念においてだけは子どもたちの理想の母親として自己をイメージする。そのようにして新自由主義の幻想的補完物になっていく。このようになれば支配層にとってはもっとも理想的だ。暴力は使わないにこしたことはない。担保であるだけで十分なのだ。そうなると男女共同参画社会基本法は有名無実になっていく。
 他方、そうはならずに男女共同参画社会が進めば、企業にとってそれはそれで悪くはない。少なくともバックラッシュが今の企業社会と矛盾すると考えると、真実がとらえられなくなる。

問われている将来の社会像


 今年の検定で合格した教科書からジェンダーフリーという言葉はなくなる。用語だけのことなら、男女平等でもジェンダーバイアスフリーでもいい。だが問題になっているのは用語ではない。ジェンダーフリーとは、日本に定着した言葉で、歴史的文化的に形成された男らしさ・女らしさにとらわれない生き方という意味で使用されている用語である。この用語を使用しないということは、この言葉が意味することを好まないということだ。
 このような逆行を、女性差別撤廃条約や男女共同参画基本法を遵守する義務のある政府機関や行政が行うこと自体が許されないはずだ。といっても国会議員や政府・行政の憲法軽視がまかり通っているのだから、ある意味では当然ともいえるのだが。
 私たちは、直接には関わりがないという理由で遠慮して黙っていたり、あるいは、相手が右翼だという理由で、相手を大きくみてしまったり、必要以上に警戒し行動に慎重になったりすることが多い。そうするとやがてとんでもない状態になっていく。一握りの強引な者が好き勝手するに任せておくと、予期しない社会になっていく。
 バックラッシュは、他者との、他国や他民族との友好共存が必要なこれからの社会の中で、「敵」の顔を醜悪に描き、「敵」への反感をあおる手法を使いながら、「フェミ(フェミニズムの考えを持つ人を揶揄していう言い方)や左翼の破壊主義的欲望から普通の健全な人々の社会や家庭を守る」と声高に標榜し、嘘八百を並べてたて、「敗者」の不安の反動をナショナリズムに傾倒させ、国家や家庭の担い手としての自己幻想に誘導する。この危険を見抜き、あらゆる場所で発言し周りに事実を伝えていかなければいけない。
 そして攻撃を受けている人たちを市民の連帯で守りながら、市民がつくる社会の姿を少しずつ豊かにしていく取り組みが必要だ。彼等バックラッシュ派の天敵は、市民の、強いて強調すればふつうの市民の発言と行動であり、行政権力もまたその市民の発言と行動がもっとも苦手であるのだから。    (津山時生)


「つくる会」教科書を採択させるな
東京の54の採択地域に反対の運動と組織を

 四月二十日、千代田公会堂で「『つくる会』教科書の採択を阻止しよう!東京集会」が開催され、五百人が参加した。集会は、教組を始め教育関係者・市民団体、法曹関係団体など七十以上の団体が賛同した。
 集会は二部構成で行われ、第一部は今回文科省が検定で合格させた「つくる会」の教科書の内容についての分析と批判を中心に進められた。
 「つくる会」の歴史教科書については、石山久男さん、公民教科書については、浅羽晴二さん(ふたりとも「子どもと教科書全国ネット21常任運営委員)が報告した。
 歴史教科書は、侵略戦争をやむを得ない選択であったと規定した上で、天皇と大日本帝国憲法を賛美し、戦後の平和は一時的なものであり、軍隊を持つことが必要であるという基調に貫かれていると指摘した。学習指導要領と「つくる会」教科書の記述は完全に一致している。これは「つくる会」が文科省の立場を代弁したということができるし、「つくる会」に政府が自らの主張・見解を書かせたともいえる。
 公民教科書について浅羽さんは、先日発表された自民党の憲法改正案と一体であり、国家への帰属意識、防衛意識を育む、危険な教科書であると指摘し、文字通り「改憲のための手引き書」だと批判した。
 質疑の中では、現在韓国や中国で広がっている「反日デモ」をどう考えるか、あるいは報告から削除された「男女共同参画社会基本法」「ジェンダー・フリー」をどう考えるのかなど多方面にわたって意見が出された。この中でとくに注目されたのは、五月二十日に日本・韓国・中国の教員が共同で「共通教材」の第一弾を出版する準備が進んでいるということであった。
 その後、埼玉、千葉、神奈川の首都圏での採択阻止にむけた闘いの状況が報告された。とくに埼玉からは「教育と自治埼玉ネットワーク」の片岡洋子さんが、上田県知事は「つくる会副会長の高橋史郎」を県の教育委員に任命しながら、追及されるとその人の経歴は知らなかったと居直り、他方では高橋史郎をこっそり教科書採択委員のリストに入れていた事実を暴露した。彼は公民教科書第一章の監修者であり、利害関係者は採択委員にはなれないのである。この問題は闘う側の追及によって高橋史郎の採択委員の辞任という形で落ち着いたが、「つくる会」側の採択にかけている思いを表現していると報告された。
 俵義文さん(子どもと教科書全国ネット21事務局長)が全国情勢を、三浦久美子さん(教科書東京ネット事務局)が東京の情況と今後の行動方針を提案した。
 俵さんは「『つくる会』は四年前より力が落ちている。それは四年前に会員が一万人を超えていたが、今日七千人台である。しかし会の力は落ちているが、逆に第一に右翼組織が全国に採択に協力して活動し、第二に自民党は副幹事長安倍晋三の名で、「歴史教科書は教育問題ではなく政治問題であり、憲法の改正と裏表の関係である」と通達を出している。第三は文科省は裏で検定の便宜、各教育委員会に対する通達・指示文書など出しさまざまな形で支えている。
 「つくる会」の力量は後退しているが、今日の時代を右の方向に持っていこうとする勢力・組織が「つくる会」教科書の採択に一丸となっているといえる。敵の側が必死になっている時、闘う私たちの側が、四年前のように全国で一カ所も採択させるないということを実現するには、反改憲の闘いなどと連携して運動を広げることが必要」と訴えた。
 三浦さんは「東京には五十四カ所で採択の攻防があり、その他にも東京都の中高一貫校での闘いがある。闘いの主戦場であり、五十四地域にネットと結合した運動をつくろう。五十四地域の中には、いまだ闘う組織や体制ができていないところもあるし、組織はあっても取り組みが遅れているところもあります。杉並をはじめ全部の地域で阻止にむけた闘いを推し進めましょう」とアピールした。
 その後、「新しい歴史教科書をつくる会」の社会科の教科書を東京都の教育委員会によって押しつけられ、困難な闘いを強制されている都立白鴎高校の仲間、豊島、八王子、大田、三多摩の労組、在日本大韓民団青年会の仲間から闘いの報告と決意が述べられた。最後に「東京の五十四の採択地区どこでも『つくる会』教科書が採択される危険がますます強まっています。……情報を交換し『つくる会』教科書の採択を阻止するために行動していく」という東京集会アピールを採択した。 (D)



東京西部連絡会が集会とデモ
憲法・教基法の改悪反対国鉄闘争勝利を掲げて

 四月十九日、東京・渋谷の宮下公園で「憲法・教育基本法反対!国鉄闘争の勝利を! 東京西部連絡会デモ」が開催され、二百五十人の労働者が結集した。
 西部連絡会は、西部全労協、東京春闘共闘西部ブロック、西部マスコミ共闘、渋谷、杉並、世田谷の各区職労、東京土建新宿支部、世田谷地区労、新宿地区労センター、都高教育第2支部、同第3支部が参加している。構成団体を見るように全労連、全労協傘下の地域の各労組がナショナルセンターの違いを超えて結集した連絡組織であり、今年二月にスタートした。
 この日の集会は、憲法・教育基本法と国鉄闘争という職場の要求に還元されない政治的・全労働者的課題をストレートに掲げて結集したという点に大きな特徴がある。代表あいさつでは、西部の地域共闘を都内の全域に広げようと呼びかけた。集会では、東京土建新宿支部、世田谷区労連の発言に続き、鉄建公団訴訟原告団の酒井団長が、九月十五日に予定されている同訴訟地裁判決で勝利をかちとろうと訴えて大きな拍手を受けた。
 集会アピールの後、ペンライト、発光スティック、9条うちわなどを持って渋谷の街をにぎやかに行進した。        (K)



コラム
革命中国と資本主義中国

 中国の失業率20・2%、失業者数1億6300万人という数字に出合ったとき、当惑したおぼえがある。日本の総人口をはるかに上まわる人々が失業している現実をどのように考えればよいのか、戸惑ってしまったのだ。
 また、中国の1人当たりGDPが世界の111位であるにもかかわらず、GDP全体では世界第6位という驚くべき落差は、やがて巨大な政治問題として表出せざるをえないようにも思った。
 このことは、「中国は人口が多いことから、あらゆる統計データが非常に大きくなってしまう。しかしひとたびそれを人口数で割ると、すぐに途上国の苦しい様相が明らかにされる」として、本紙に連載された「資本主義中国の今昔」にも指摘されていた。
 この「資本主義中国の今昔」は、この間の『かけはし』の中で最も熱心に読んだ文書だった。私が特に注目したのは、1949年革命と関連する個所だった。
 そこで「1949年の中国革命の政治的遺産」として指摘されている第1の点は「これまでのどの時代より強力で集中した国家機構」の成立、第2は「ほぼ全部門、特に生産設備部門をカバーする工業的基礎」の存在、第3は「社会、経済、民族国家建設の面において保持されている民族民主革命。土地革命の成果の保持」。さらに第4に「台湾、香港、マカオという3つの資本主義地域が『社会主義の祖国』の家の外に『金持ちの親戚』として取り残された」ことをあげている。
 これらが、資本主義復活にあたって「利点」として作用し、大きな経済発展を可能にしている(私は、このように49年革命の政治的遺産の上に復活したことによって発揮される資本主義の「活力」という、革命中国と資本主義中国との間にあるパラドックスをこれまで解くことができなかった)。
 だが、中国経済がさらに拡大する潜在能力をもつがゆえに、中国社会と国家は新しい性格の危機をはらまざるをえない。その1つは、抵抗運動と左翼労働運動カードルが不在とはいえ、すでに2億人にまで増大した労働者階級の存在である。本紙でも報道されているように、労働者の闘争は散発的ながら続いている。労働組合結成と生活改善を求める運動は、過酷な弾圧があったとしても、止むことはないだろう。
 第2に、中国共産党政権の政治的正当性は、49年革命を基盤にしているが、現実に保持されているのは民族民主革命の成果だけである。国家機構が官僚資本と私的資本を擁護するために労働者農民に対して弾圧を強化すればするほど、すでに歴史的使命を終え、資本主義復活とは背理する「民族主義」に依拠せざるをえなくなり、支配の政治的正当性は掘り崩されていく。
 さらに第3に、経済発展は、中国人民にとってほんのささやかなものでしかないとしても、人口が多いために国家全体としては膨大な規模となり、国際関係に及ぼす影響と軋轢は想像を超えるものになる。
 いずれにしても、今後の中国情勢からは目が離せない。日本の左翼にとって、中国にかかわる政治的準備が重大な課題になっている。困難な条件のもとで闘い続け、貴重な情報を発信し続ける香港の同志たちへの敬意と連帯をこめて。 (岩)


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