| 鉄建公団訴訟に勝利しよう かけはし2005.4.18号 |
72時間ハンストも貫徹し国鉄闘争の広がりを確信
四月一日、北見闘争団所属の中野勇人さんは新橋にある鉄建公団前に到着し、一〇四七キロマラソンを完走した。中野さんは三月一日に四国を出発し、兵庫・大阪、東海道を経て、各地で交流を重ね、一〇四七人の解雇の不当性を訴えてきた。このロードを四国新聞、高知新聞、徳島新聞、神戸新聞、京都新聞、中日新聞、神戸新聞、朝日新聞、毎日新聞などが伝え大きな反響を作り出した。
この中野さんのロードに連帯し、国会前で十四人の闘争団員が七十二時間ハンストを行いアピールを続けた。中野さんは国会前に合流し、午後四時でハンストの終了を見届けて、いよいよゴールの鉄建公団前に向かった。
鉄建公団前では午後二時三十分から、全動労争議団、東京争議団など十八団体五十人が鉄建公団への要請行動の座り込みを行い、中野さんのゴールを待った。午後四時三十三分、国会前でのハンスト団や各地の国労闘争団、清掃労組、郵政ユニオンなども合流して中野さんのゴールを拍手で迎えた。鉄建公団に抗議のシュプレヒコールをあげ、行動を終えた。
体を張った闘い
でアピールした
午後六時三十分から、東京しごとセンター地下講堂で「ロード人らしく一〇四七q完走 72時間ハンスト貫徹4・1集会」が鉄建公団訴訟原告団・国鉄闘争共闘会議主催で開かれた。
最初に、趙博さんが友情出演し歌を披露した。その後、趙博さんと中野さんと家族のトーク。
――エピソードは?
スタートして二日目は六〇キロ走った。一〇四七キロの途中で車に乗っても大丈夫だと言われたが、マスコミに報道されたり、支援者が声援してくれるので、とてもそんなことはできなかった。
最初の一週間はとてもきつかった。今治では、右翼の宣伝カーが追いかけてきて、やばいなとよけて通った。右翼の車はその後、他の車と衝突してしまった。兵庫で、六甲おろしが吹き、雪も降った。鈴鹿では聞いていなかった鈴鹿おろしといってすごい風・雨で体がずぶぬれになった。それでも、楽しい旅ができた。一日平均三六キロ走った。全体では一〇四七キロを超えた。
一〇四七人の首切りを知らない人も多くなっているのではないか。国鉄闘争は終わっていないことを喚起するためのロードだった。今まで通りのことではダメだと思い、丈夫な体ひとつをかけてやるしかないと決意した。体を張ってやったので、国鉄闘争を知らない人にもアピールできたのではないか。
50万署名をやりぬ
き勝利判決獲得だ
続いて、共闘会議議長の二瓶さんが「弁護団は、鉄建公団訴訟は負ける理由は何もないといっている。判決が延びたのは天の声だ。六カ月で勝利するために、全力をあげよう。五〇万署名をやりぬこう」と訴えた。
参加した佐々木隆博さんら四人の北海道選出議員(民主党)は「鉄建公団、国交省に争議団の要求にそった国鉄問題の解決を要請してきた。民主党の国会議員にも全面解決に向けた取り組みを行うように要請する」と報告した。
七二時間ハンストを行った十四人の仲間が壇上に並び一言ずつ感想を述べた。
稚内「中野さんに触発された、黙って見てられなかったから参加した。運動の積み上げて勝利判決を」。
名寄「中野さんが本気なんだと分かって参加した。東京の寒さにびっくりした」。
旭川「ウソだろうというのが、正直な気持ちだった。ひとつひとつの闘いを続けなければいけないと思った」。
深川「国労闘争を知らない人が会社の中軸になりつつある。国鉄闘争を風化させたくない」。
北見「ひとりひとりが決意する運動をやってゆきたい」。
函館「ポルトアレグレに行って署名を集めた。行くための支援に感謝したい。道南でハンストをやったことがあるが、夜は交流会で飲んだり、食べたりしていた。今回は本気で七二時間の完全ハンストだった。これには少々驚いた」。
山形(支援者)「五〇万署名を提起したのだが、本気になって成功させよう」。
熊本「やれば、やっただけの成果はあるとつくづく思った。いろんな闘いを通じて積み上げをやってゆきたい」。
三田高輪「ワクワクする運動だった」。
伴走した高知の谷さん、新宿地区労議長、女性応援団から報告。最後に中野さんが決意を語り(別掲)、趙博さんとともにみんなで「光のエチュード」を合唱して団結を固めた。 (M)
中野勇人さんの発言から
人間は強いんだ 気持があれば成長できる
人というのは強いんだなあと思った。気持ちがあれば成長できる。不安があったがやろうと決意した時、五〇%達成したのではないか。徳島の池田町職の青年部に伴走してもらい交流をした。四国が身近になった。横のつながりができていった。それを広げながら、職場・地域で広がっていく。
毎日長いとも思うがアッという旅だった。国鉄闘争にとって大きな財産になった。南から北へレールはひとつだが、脱線しているところがある。レールを補修しながら走ってきた。闘いはこれで終わりではない。ぼくたちの納得のいく解決ができると思う。
国鉄闘争は、リストラ・首切りとの闘いや郵政民営化、改憲阻止につながっている。人らしく生きてゆける社会、平和で安心して生きてゆける社会を次の世代に残してゆく闘いでもある。9・15判決にむけて闘っていく。勝利判決にむけてがんばっていきたい。
(発言は鉄建公団前での発言もまとめた要旨、文責編集部)
映画
海南友子監督作品
「にがい涙の大地から」
S・M
戦争犯罪に時効は
認めるべきでない
3月に、日中友好会館大ホール(飯田橋)でドキュメンタリー映画の「にがい涙の大地から」(海南友子[かな・ともこ]監督作品)を見た。
この映画は、日本軍が第2次世界大戦で敗戦時に中国に遺棄した毒ガスや砲弾のために今も被害者が作りだされていることと、被害者や遺族が起こした裁判は東京地裁では勝利したが日本政府はそれに対して控訴したこと、などを描いている。林冬子さん(映画評論家)は、裁判について次のように述べている。「03年、被害者と遺族18人が96年に起こした訴訟が東京地裁で全面勝利した。だが日本政府はすぐ控訴、この決着はまだ出ていません」(『ふぇみん』第2741号、ふぇみん婦人民主クラブ)。
侵略戦争でアジア・太平洋の人びとに被害を与えた日本は、戦後も被害を与え続けている。そのことに対して日本は謝罪も賠償も拒否している。この映画では、そういう問題が描かれている。「日本は戦争犯罪に対して謝罪も賠償もしているのだから、ガタガタ言うな」という右翼やマスコミの主張がいかに間違っているか。この映画を見れば良く理解出来る。
日本が戦争犯罪の責任をとるということは、血塗られた天皇制を廃止することでなければならない。天皇制はオウム真理教と同じだ。いやそれよりもっと悪い。この映画を見て、ぼくはそう思った。ドイツの資本主義派はナチズムを否定している。天皇制が絶対的な悪であるということは資本主義派も、良心があるなら、認めるべきだ。このような考えは、親資本主義的だろうか。戦争犯罪に時効は認めるべきではない。ぼくは、そう思う。
日本軍遺棄兵器が
もたらした惨劇
この映画は良かった。ただ、ぼくの誤解でなければ、この映画は「ヒロシマ・ナガサキに原爆が投下されたのは日本が侵略戦争を起こしたからだ」的なことを言っていた。ぼくは「ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下はアメリカ合衆国による無差別テロだ」と思っているので、その点については違和感を覚えた。
この映画のチラシによれば、日本の遺棄兵器で苦しむ中国の人々を取材した海南友子監督は、のべ60人の被害者に出会った、という。海南監督は、次のように述べている。「陳春富は、バンッ! と大きな音がしたので振り返った。音がしたのは息子達が遊んでいた方角だ。誰かが自分に向かって叫んだ。『お宅の息子が! 息子が―!』その声に驚いて、あわてて音の方向に駆け寄ると、地面に息子と友達の楊くんがたおれていた。楊くんの片足は吹き飛んでいて、跡形もなかった。そして、息子の体は下半身が吹き飛んでいた。見慣れた我が子とは似ても似つかぬその体を、陳春富はあわてて抱きしめた。『死ぬな! 死ぬな!』誰の目にも、もうだめだと言うことは明らかだったが、それでもとにかく医者へ連れていこうと、気が動転したまま我が子を抱き上げて立ち上がった。すると、ずぶずぶ、ぼたっ、ぼたっ、と鈍い音がして、我が子の内臓がすべて自分の足下に落ちた。生ぬるい感触と匂い。内臓で血まみれになった畑に陳春富は立ちつくしていた。半身になった我が子を抱えたまま……」。
「60年前の戦争で日本軍が棄てた兵器が、イラクやアフガンとまったく同じような経緯で、いまも、中国の子どもたちを殺しているのだ。訪ねた別の家では、いとこ同士の3人の子どもが被害にあっている。裏山で砲弾とは知らずに拾って、自宅の前で遊んでいて事故は起きた。3人の子どもは砲弾の爆発とともに跡形もなく吹き飛んだ。粉々になった子ども達の肉片が自宅の外壁にべったりとこびりついていたという。今もその家に住む母親は、どんな思いで壁を掃除したのだろうか。肉片の跡形もなくなった外壁のきれいさが痛々しかった」(季刊『中帰連』第29号)。
この映画のチラシには、遺棄毒ガス・砲弾問題について、次のようなことが書かれている。
「日本はかつてアジア各地を侵略し、1932年には中国東北部に『満州』という傀儡国家を建国した。軍人や民間人が多数移住して1945年まで占領、およそ1000万人の中国人が殺されたと言われている。戦争中、国際条約で禁止されていた細菌や毒ガスなどの大量破壊兵器を秘密裏に製造し、実戦で使用した日本軍は、敗戦時にそれらの兵器を隠すために組織的に投棄して逃げた。今も、中国には70万発以上(内閣府発表)の毒ガス弾が眠っている。戦後に遺棄された毒ガスで死傷した中国人およそ2000人。砲弾の被害者は数え切れない。毎年、その数は増え続けている」(詳細は CHINA-JAPAN ネットワーク 未来巡業 http://www.peace-justice・jp/)。
海南監督は、この映画の別のチラシの中で、次のように述べている。「出会った一人一人の被害者が教えてくれたことは、戦闘が終わっても戦争は終わらないと言うこと。そして、それは決して他人事ではなく、日本国内にも多くの遺棄毒ガスが埋められて、同じ被害がいつ自分の身に降りかかるかわからないということでした」。
この映画についての問い合わせ先 海南友子 http://www.kanatomoko.jp FAX 03-3357-5140
最後に一つ。『中帰連』第29号の海南友子監督の文章は良いと思ったが、ただ56ページの「発狂したかのように」という部分には疑問を感じた。
(05年3月21日)
【訂正】本紙3月28日号「荒川国際平和展」の写真説明「グループ『風見鶏』を「ジェリーフィッシュ」に、4月4日号6面「資本主義の新中国の今昔」(3)4段右から10行目「超紫陽」を「趙紫陽」に、4月11日号8面「韓国はいま」6段中見出し「日本平和憲法の9条も揺らぐ」の後の「いる」を同中見出しの前の『北方領土の日』と定めて」の後に続けます。
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