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続発する日本航空の事故                 かけはし2005.4.11号

「安全無視」を引き起こしたコスト削減・規制緩和路線



日航の不当労働行為

 三月十七日、日本航空が国土交通省から事業改善命令を受けた。しかしその後も日本航空のインシデント(事故になりそうだったが、危うく有害な結果が生じるのを免れた思いがけない出来事)は続発している。二十二日。福島空港で着陸機がしりもちをつき、羽田空港ではエアバスのコクピット内で計器の異常が発生し配線の被覆が焼け、徳島空港では、機体左翼端にあるウイングチップに高所作業車が接触した。
 日本航空の安全軽視は今に始まったことではない。今回の行政処分は一九九九年に引き続き二度目だが、二〇〇〇年三月、〇四年四月には安全管理をめぐり厳重注意を受けていた。今回の行政処分のきっかけとなったのは一月二十二日、新千歳空港での管制指示違反というインシデント。このインシデントに対し機長は「機長報告書」を提出したが、日航はろくな社内調査もせず一カ月以上も国土交通省への報告を怠り、二月二十五日には航空局から三度目の厳重注意を受けていたのである。これら続発するインシデントの背景には、安全性や公共性を無視した日航の経営方針がある。整備部門の徹底した人員削減と子会社化、低賃金の契約・派遣客室乗務員の導入。そして今年二月、ついに日航は第二組合を組織し労働者間の分断を決定的なものにしようとしている。管理職による第二組合への勧誘、差別処遇。これら不当労働行為は職場を荒廃させる。五百二十人の命を奪った御巣鷹山墜落事故から二十年。このままでは多くの人命を奪う航空事故が必ず再発する。「空の安全」の基礎は「現場における平等と民主主義」であり、地上からコクピットまでのチームワークこそが「空の安全」を保障する。

「ハインリッヒの法則」

 「一件の重傷事故の背景には、二十九件の同種の軽症事故、三百件の障害のない事故が存在し、さらに数千、数万の危険な行為が存在した」。これを「ハインリッヒの法則」という。
 つまり「障害のない事故」(インシデント)が、多発している段階で、インシデントの背景を分析して対策を立てないと「重傷事故」が必ず起きる、というものである。労災事故を研究していたハインリッヒが提唱し、労災事故・医療事故などに取り組む人の中では良く知られている。
 この観点から日航の事故記録を検証しよう。七〇年代から八五年にかけて、労働組合を敵視し合理化を強行する日航経営陣の下で五年毎に人命を奪う大事故が繰り返された。七二年ニューデリー事故。乗客七十八人死亡、乗員十二人全員死亡。七七年クアラルンプール事故。乗客二十七人死亡、乗員七人死亡。八二年羽田沖事故。乗客二十四人死亡。
 五年毎の重大事故。その背後には三十件の軽症事故、三百件のインシデント。そして数千、数万の「ヒヤリ・ハット」事例(現場労働者がマニュアルに従っていてもヒヤリとした事例や、はっと気が付いて事故を防いだ事例)が存在していたのである。
 日航は、現場での「ヒヤリ・ハット」を生かすことができず、事故・インシデントから学ぶことができなかった。なぜなら、「ヒヤリ・ハット」を生かし、事故・インシデントから学ぶということは「現場の意見を尊重する」ということだからである。組合を敵視し「現場の意見」を圧殺してきた日航には「現場の意見を尊重する」社風はなかった。
 そして起こるべくして、八五年乗客乗員五百二十人の命を奪った御巣鷹山123便墜落事故が引き起こされる。日航経営陣は、インシデントから学びインシデントの段階で事故防止対策を実施しようとせず合理化を追求し、御巣鷹山で五百二十人の命を奪ったのである。

犠牲にされた整備部門

 御巣鷹山墜落事故後、日航経営陣は「絶対の安全」を掲げいったんは現場の意見を尊重するかのように見えた。整備士が主治医のように特定の機体に責任を持つ整備士制度が導入され、技術研究所が作られた。
 しかし同年に開始された航空業界の規制緩和・競争政策の導入により安全はすぐさま、ないがしろにされた。当時規制緩和による合理化は、アメリカから開始され、影響は日本の航空業界にも及んだ。その結果として航空三社の棲み分けは取り払われ、空の安全と現場労働者の命を削りながら競争は激化した。
 その後アメリカでの航空業界の規制緩和は事故を続発させ、規制緩和が失敗に終わったことが明確になったにもかかわらず。九四年、航空業界規制緩和の暴風が日本の航空労働者を襲った。運輸大臣の諮問機関である航空審議会は「低コスト体質への転換」を国内各社に求めた。
 真っ先に犠牲にされたのは整備部門。整備部門が子会社化され「現場いじめ」のコスト削減が徹底された。コスト削減競争の結果、度重なる整備規定違反が頻発し、九八年には全日空が、九九年には日航が事業改善命令を受けた。しかしこの後も事態は改善されることはなかった。航空会社の現場では、安全を確保しようとする当然の行為が「企業の競争環境を理解しようとしない」として槍玉に挙げられるような事例が続いた。
 グローバリゼーションはすべてのものを商品とし値札をつけて流通させる。労働者も例外ではない。日航は「値段が高い」熟練整備労働者を、いとも簡単に「値段の安い」不安定雇用労働者に「買い換え」た。コスト削減とは、労働者を商品として扱い、使い捨てることであり、労働の尊厳に対する攻撃である。
 尊厳を踏みにじられ、組織されることのなかった怒りは深く潜行した。

国交省の責任も重大だ


 〇〇年七月、日航羽田整備工場で整備中のボーイング機の電気配線が切断されているのが発見された。すぐさま羽田整備事業部文書「守ろう、整備の尊厳を」が出されたが、同年八月再び電気配線が切断され、〇一年二月にも同様の事件が発生した。
 〇二年二月、今度はトイレ内壁に故意に開けられた穴が発見され、その後トイレ内壁に穴を開けられた機体は計十機にも上った。そして〇四年一月、再び電気配線が切断されているのが発見された。日航も整備工場に外部から侵入することは極めて難しいことを認めている。
 「整備の尊厳」が踏みにじられたことこそが今回のワイヤーカット事件の原因である。日航の労務政策は、整備の現場を荒廃させ、整備労働者に自ら担当する機体の電気配線を切断させるところまで追い込んでいる。御巣鷹山墜落事故から二十年。技術研究所は廃止され整備士制度は形骸化した。
 日本航空ジャパン乗員組合は今回の事業改善命令という事態を引き起こした日本航空の経営方針を「現場の声が全く吸い上げられない現在の組織体制の問題、さらに外部委託や低賃金契約制社員の導入、人員不足による不具合など旅客・客室・整備・運航をはじめとしたあらゆる職場で問題が発生しているのです。この組織の問題は、現JAL経営の姿勢そのものを反映して」いる、と厳しく批判している。「空の安全」が危機に瀕していると警鐘を鳴らす労働組合に対して、日航が取った対策は二組を組織することだった。
 職場に分裂をもたらすこのような態度は、安全の基礎を掘り崩す。なぜなら、飛行機を安全に運行するためには、整備、客室、運航部門の連携が円滑に行われ、部門内部のチームプレイが不可欠なのにも関わらず、不平等な処遇はチームプレイを破壊するからである。
 整備の現場に正社員と下請け社員、下請け社員の中には不安定雇用労働者が混在し、二組の労働者との差別処遇がまかり通るような現場では、チームワークが破壊され、結果として「現場力」が低下する。整備のような技術職では先輩から後輩へ技術が伝えられ、チーム内で工夫しあって全体の技術力が保たれ向上していくのである。
 熟練労働者を追い出し、二組をつくり現場の人間関係を分断してしまえば、技術が継承されないどころか一定の技術水準を保つことが不可能になる。短期的には熟練労働者を追い出し不安定雇用を増加させ、二組を組織し会社に批判的な労働者を追いやれば、総人件費は抑制され現場は静かになるかもしれない。しかし長期的には、技術水準が保たれず組織は内部から壊死する。不平等は安全を破壊する。日航は組合を敵視し現場を分断する労務政策を今すぐ止めろ!
 国土交通相北側は記者会見で日航の閉鎖的組織体質を批判した。しかし、航空各社の「高コスト体質」を批判し、安全をないがしろにするような圧力をかけたのは当時の運輸大臣の諮問機関である航空審議会である。その後十年、航空各社が空の安全を放棄するのを、おざなりの指導で認めてきた国土交通省も同罪である。
 三月二十七日。今度は成田空港B滑走路に着陸したボーイング777機から一メートルのゴム製部品が脱落しているのが発見された。日航の安全管理は危機的状況になっている。このままでは何時事故がおきてもおかしくはない。「現場の再生」がまったなしで求められている。
 日航を今すぐ営業停止に! 人命が失われてからでは遅すぎる。
(矢野 薫)



とりあげないで私の学校
枝川朝鮮学校支援トーク&コンサート



 【東京東部】三月二十七日、東京江東区にある東京朝鮮第二初級学校のグラウンドで「とりあげないで私の学校―枝川朝鮮学校支援トーク&コンサート」が実行委の主催で開催された。江東区内だけでなく、区外からも大勢の在日朝鮮・韓国人、日本の支援者・六百五十人が参加した。
 グランドの正面舞台には、朝鮮学校の生徒が作り上げた手書きの「自分たちの理想の学校」の絵が掲げられた。オモニ会は朝鮮料理の屋台を用意して、最後は売り切れるほどの盛況だった。
 二〇〇三年十二月に東京都は、枝川朝鮮学校の校舎の一部を取り壊して、都有地である校地の一部を返還すること、及び一九九〇年四月一日以降の使用相当損害金として約四億円の支払いを求めて不当に提訴した。
 この事態にあたって「半世紀以上の歴史をもつ枝川での民族教育が、危機にさらされている。学校に、そして子どもたちにエールを送るために」支援コンサートが開催された。
 集いの最初に、江東区議の中村まさ子さんが「朝鮮の子どもたちの教育を受ける権利を奪うな。私たち支援も枝川朝鮮学校を守ろう」と実行委を代表して訴えた。
 支援の趣旨に賛同したミュージシャンがボランティアで参加した。
 参加したミュージシャンは次の通りである。朴保(ぱく・ほう)、東京重唱サークル・アエ、鄭美英(ちょん・みよん)、李政美(い・ぢょんみ)、東京朝鮮歌舞団、そして映画「パッチギ!」のプロデューサーの李鳳宇(い・ぽんう)のトーク。枝川朝鮮学校の子どもたちが踊りや歌を披露した。
 歌の幕合いに、弁護団から裁判の報告、田中宏さん(一橋大学名誉教授)から枝川朝鮮学校支援都民基金の訴え、福島有伸さん(講座ミレ事務局)から枝川朝鮮語講座 ミレ[未来](5月より来年3月まで、毎週木曜日、枝川朝鮮学校で開催。受講料月4000円)への参加の呼びかけが行われた。
 感動のフィナーレに参加者全員が舞台に集合した。宋賢進校長(東京朝鮮第二初級学校)は「こんなに大勢の人が来てくれるとは予想できなかった。日本人の支援に感謝したい。この問題が起きてから、毎週日本、韓国の人々が見学にきてくれ、勇気づけられている。五十九年間守ってきた学校を現在・未来にわたって発展させていきたい」と訴えた。   (M)
 裁判の争点、枝川朝鮮学校の歴史、都民基金、朝鮮語講座などの詳細は「枝川裁判支援連絡会」のホームページを参照してください。
http://homepage3.nifty.com/kinohana/edagawatop.htm

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