| 政府のねらいは治安弾圧の強化だ! かけはし2005.3.28号 |
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「人権擁護法案」を利用したメディア規制を許してはならない |
このまま通してはいけない!『人権擁護法案』
三月八日、参議院議員会館で「このまま通してはいけない!『人権擁護法案』 緊急記者会見とアピール」がアジアプレス・ネットワーク(APN)の呼びかけで行われ、六十人が集まった。
司会の野中章弘さん(APN)が、開会あいさつを行い、「人権擁護法案そのものについては必要であるという認識は広く行き渡っている。残念ながら、その中味において人権委員会を法務省の外局に置くこと、メディア規制の条項が削除ではなく凍結という問題ある法案になっている。このまま通すわけにはいかない。メディア、弁護士、労働組合、市民に呼びかけ反対の取り組みを拡げていきたい」と述べた。
次に桂敬一さん(立正大教員)は、「一九九九年の通常国会でガイドライン法、国旗・国歌法、盗聴法、憲法調査会設置法などが作られた。この転換点からメディアに対する介入、表現の自由に対する圧力の流れが始まった。人権擁護法案は、二〇〇三年に廃案になったが、改憲やイラク戦争という状況の中で再び浮上していることの危険性に注意しなければならない。メディア規制の削除を求めて最後まで闘う」と訴えた。
寺中誠さん(アムネスティ日本事務局長)は、人権委員会が法務省の外局に設置されることに対して厳しく批判し、真の人権救済のために公権力からの独立が絶対に必要だと強調した。
発言は、篠田博之さん(「創」編集長)、岩崎貞明さん(「放送レポート」編集長)、吉岡忍さん(作家)、越川健一郎さん(「サンデー毎日」編集長)、岡本厚さん(「世界」編集長)、海渡雄一弁護士、新聞労連などから、次々と人権擁護法案に対する指摘、批判、反対意見が続いた。
最後に、部落解放同盟中央本部は、「私たちは、『人権侵害救済法』と言って、二十年前から運動をしてきた。法案は、日々差別に泣かされ、人権侵害を受けている人間にとっては大切な法律だ。早期に制定すべきだ。だが政府は、メディア規制等の問題をさし込んできた。ここが非常に問題だ。このままの法案で通すわけにいかない。人権委員会の独立性、中央│地方に人権委員会の設置、メディア規制条項を全面削除、公権力の介入反対を要求していきたい」と発言した。(Y)
解説
表現の自由に対して制限、統制していくという意志の現れだ
いったん廃案になったままの法案
小泉政権は、人権諸団体、ジャーナリスト、メディア、出版団体、市民などから多くの批判を受けて廃案(二〇〇三年秋)となった人権擁護法案を再び今国会に提出しようとしている。今回の法案においても表現の自由を侵害するメディア規制、法務省からの独立性が困難な人権委員会の設置などを含んだままである。旧法案と違うところは、メディア規制に対して付則で「別に法律で定める日までの間は実施しない」と明記し、凍結にしているぐらいだ。〇三年に廃案に追い込まれた法案をメディア規制の解除を前提とした凍結という小細工のレベルで、なんとしてでも法案の成立を目指している。
また、解除にあたっては、「報道機関等による自主的な取り組み状況を踏まえて定める」と述べ、継続して統制的監視を行っていくとどう喝している。そして、「施行から五年後に同法を見直す」としているが、憲法改悪とセットで法案の改悪をねらっているのだ。
派兵国家体制の構築過程において、この間、国家権力は、治安弾圧強化に向けて、反戦ビラやチラシ配布弾圧を連続で強行した。これは憲法改悪を先取りした攻撃であり、とりわけ表現の自由に対して制限、統制していくという意志の現れである。
NHK番組改ざん問題のように自民党議員は、メディアに対する介入と圧力を、天皇主義右翼を動員しながら行い続けてきていることも明らかになっている。つまり小泉政権は、メディア規制を含んだ人権擁護法案を根拠にしてメディアに対する圧力・統制を強化していこうとしているのだ。メディア規制、人権委員会の非独立性のままの人権擁護法案に反対していかなければならない。
法案の問題点の第一がメディア規制についてだ。法案は、「放送機関、新聞社、通信社その他の報道機関又は報道機関の報道若しくはその取材の業務に従事する者がする人権侵害」行為として@「つきまとい、待ち伏せし、進路に立ちふさがり、住居、勤務先、学校その他その通常所在する場所の付近において見張りをし、又はこれらの場所に押し掛けること」A「電話をかけ、又はファクシミリ装置を用いて送信すること」と具体的に掲げている。これでは、ほぼ一切の取材活動ができなくなってしまう。とりわけ政治家、財界など公的人物の犯罪に対する取材活動を「過剰取材」「人権侵害取材」などとして制限するために利用される可能性がある。権力の介入によるマスメディア規制・排除を許してはならない。
第二は、人権委員会が法務省の外局として設置されることだ。委員会の事務局が法務省人権擁護局、地方事務所も法務省職員が配置される。これでは、実質上、法務省の統制下に委員会が置かれることになってしまうのだ。すでに国際人権規約委員会は、公的権力から独立した機関の設置を日本に勧告している。独立した人権救済機関の設置という国際的流れからも逆行するものだ。
自民党内の政府案反対の反動的理由
小泉政権による新自由主義路線は、グローバル資本主義競争を勝ち抜くために市場万能と弱肉強食、社会的分裂と格差の拡大、差別排外主義を蔓延化させている。こういった状況の中で人権に対する著しい軽視、深刻な侵害が続発している。人権侵害を救済するための機関が必要であることは言うまでもない。人権諸団体は、長年、そのための取り組みをねばり強く展開してきた。
例えば、部落解放同盟は、「人権侵害救済法」案を提案し、その実現に向けて運動を強めてきた。今回の政府の人権擁護法案に対しても、@人権委員会を法務省ではなく、内閣府の外局とするA人権委員会を中央だけでなく、地方にも設置するB表現の自由に対する公権力からの不当な干渉につながるメディア規制条項を凍結でなく削除することなどを要求している。
すでに〇三年の時のように各方面から法案反対の声明、アピールが続出している。例えば、日本ジャーナリスト会議、出版労連、新聞労連、日本ペンクラブ言論表現委員会・人権委員会、民法労連、メディア総研の六団体が「人権擁護法案再提出に反対する共同声明」(三月八日)を出している。
他方、法案をめぐって与党内で混乱が発生している。公明党は、三月九日の法務部会でメディア規制条項に対する批判を強引に排除して法案を了承した。
自民党の法務部会でも批判が続出した。だが、その主張は、「メディア規制は凍結する必要はない」という意見から、「各地で救済実務にあたる人権擁護委員は日本人に限定するべきだ」、「部落差別を逆手にとった悪質な事例があるが、新法はきちんと対処できるのか」など差別排外主義に貫かれたものだ。結局、与謝野馨政調会長は「(党内の)懸念が払拭されない限り法案を提出しない」と表明せざるをえなかった。あわてた法務省は、南野法相に「原案修正せず」と表明させ、反対議員の個別まわりを開始しだした。
法案の国会提出は、与党内のドタバタによって流動的事態になっている。一時的に時間的猶予が発生した。この局面において、これまでの運動の遅れを取り戻していかなければならない。法案の反動的内容を暴露し、今のままでの人権擁護法案への反対運動を拡げていこう。 (Y)
「荒川国際平和展2005」が開催
「戦後60年」改めて反戦平和への思いを強く
【東京東部】三月五日から六日まで、東京・荒川区のムーブ町屋ギャラリーで「荒川国際平和展2005」が開催された。東京大空襲から六十周年を迎える今年もまた、各地で犠牲者を追悼する行事が開催された。同展は今年で六回目。「『戦後60年』今
改めて平和を問う」をテーマにした。
開催前日の四日には、講談師神田香織さんによる講談「はだしのゲン」が同ホールで披露された。この様子は翌日の東京新聞でも伝えられた。五日の午後は恒例の朝鮮民族舞踊。地域の朝鮮学校の生徒による軽快な踊りだ。「沖縄からの報告」としてエイサーの踊りに続いて、一坪反戦地主会関東ブロックの外間運営委員からの現地報告があった。
六日午後一時からは「区民平和音楽祭」。グループ「風見鶏」は、かつての「歌声喫茶」を再現。「君の祖国を」「イムジン河」「高原列車は行く」など九曲を明るく伴奏し、来場者全員で歌った。ブルーグラスグループ「ジェリーフィッシュ」は、バンジョー、マンドリン、ウッドベース、ドブロギターなどを駆使する本格的なライブバンド。女性ボーカルの力強い歌声と、織りまぜるジョークで会場を沸かせた。場数を踏んだ余裕のテクニックは聴衆を魅了。最後は会場からのリクエスト曲「テネシーワルツ」で締めくくり、大きな喝采を浴びた。
「原爆の図」と、「原爆と人間」展
常設展示は、日本本土への初空襲となった一九四二年の「尾久初空襲」の写真と資料をはじめ、区民公募の俳句や短歌。「三菱徴用工被爆者の60年」と題したパネル展。沖縄国際大への米軍ヘリ墜落を糾弾する写真展など盛りだくさん。
会場にはテレビも設置され、自由にライブラリーを鑑賞できる。「名護市辺野古沖への新基地建設阻止」を掲げた現地行動の記録ビデオや、「NHK番組改ざん問題」で関心が集まっている「女性国際戦犯法廷」の記録ビデオも上映された。また「読書コーナー」には、一般の書店では入手困難な書籍が豊富に揃い、ゆっくり読むことができる。
今年の常設展示のメインは、現物を精巧に縮小した「原爆の図」と、「原爆と人間」展である。前者は丸木美術館所蔵の複製だが、四メートル近い大きさで観る者を圧倒する迫力がある。後者は「日本被団協」が作成した解説パネル。原爆投下直後の広島市内の写真や、皮膚が焼けただれて幽霊のようにさまよう被災者の絵など、シリーズ約五十点を展示した。今さらながらに原爆の悲惨さと、戦争の愚かさ、被災者の辛苦の運命に言葉を失ってしまう。この原爆展には来場者がもっとも多く集まっていた。
「姉と妹は抱き合って死んでいた」
プログラムの合間に、さまざまな発言や報告も盛り込まれた。実行委員であり朝日新聞にも大きく紹介された森谷新さん(元社会党区議)は、自らの戦争体験―故郷山形県での予科練時代に、敵機の機銃掃射の中を逃げ延びた体験などを語った。
江戸川区で反戦活動を続けている「被爆者の会」の銀林美恵子さんも来場。「私は六十年前、広島で爆心地から一・七キロ離れた教室で被爆した。当時は十七歳だった」と語り出し、「丸木さんに書いてもらった石碑が葛西の公園に展示されている。こうした展示が大勢の人の目に触れることはすばらしい。日本の中では少数かも知れないけれど、人々が手をつなげば、まだまだ反戦運動はやれるものだ」と静かに結んだ。
また偶然にも銀林さんと三百メートルも離れていない地点で被爆したという男性が発言。「姉と妹は抱き合って死んでいた。私の父は二人の娘を助けられなかったことを悔やんで、実に六十年間も被爆体験を隠し続けていた。今日は、そういう悲しみがない時代を作るために、この場で話させてもらいました」。
プログラムの最後は恒例の「すいとん試食会」。実行委代表の押田ツルさんは、「私はかつて愛国少女だった。毎年このすいとんを作って食べているが、こんなまずいものでも、ごちそうだった」と当時を振り返る。
戦争の惨禍を風化させまいと始まった平和展も、はや六年目。その企画内容は、毎年変わらないもの、新しいものが効果的に混在して、観る者に改めて反戦平和の思いを強く呼び起こす。同時に、日本や世界各地で現在闘われている運動の紹介や社会問題を取り上げることで、回顧的な展覧会の水準を越えた視界を維持している。こうした地道で継続的な活動が、地域の人々の心にしっかりと根づき、憲法改悪・戦争国家化を許さない運動へと、大きく実を結ぶことだろう。(S)
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