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資本主義の新中国の今昔―中国の「平和的興隆」から考える(1) |
世界第一位の投資受入国
この一年間、中国がいかに猛スピードで発展し、どれだけ強大であるのかということに関する報道が氾濫している。御用ジャーナリストたちも中国の「平和的台頭」の讃歌を高らかに謳っている。
中国は確かに大国である。中国は世界第六位の経済規模で、世界第四位の輸出大国であり、輸入大国でもある。二〇〇三年、中国では全世界の半数にのぼるカメラや三割ものエアコンとテレビが生産され、同時に銅、アンモニア、亜鉛、プラチナ、スチール、鉄鋼などの最大の消費国となり、石油消費では世界第二位となった。
資本の移動については、二〇〇三年に中国は世界第一位の投資受入国となり、資本の輸出においては、その基本的水準自体は低いものの、近年になり猛スピードで増加している。
ハイアール、TCL、華恵などの中国の大企業はいままさにグローバルに展開しつつある。有人人工衛星の打ち上げも忘れてはならないだろう。中国共産党中央党学校が刊行する「学習時報」に掲載された文章は次のように断言している。「今世紀の中葉には、中国は現代化という偉大な目標を基本的に実現しなければならないし、また実現できるだろう」。
貧富の格差が急激に増大
問題は、中国が貧富の格差が極めて深刻な大国でもあるということだ。それは過去二十年で新たに創出された富の絶対的多数が官僚集団と新興資産階級によって強奪されたということを意味している。
中国が台頭すればするほど、労働者階級は虐げられ、環境破壊も深刻になる。このような状況に至ったいま、労働者人民の立場に立とうとするすべての誠実な人々は次のことを真剣に考えなければならないだろう。「この国家はまだどの程度、労働者人民の国家なのだろうか」と。この国家は労働者人民に属するものではなく、完全に官僚集団と資産階級に属するものである。労働者人民や中国の将来に関するすべての討論は、これを出発点にしなければならない。
十数年前、われわれは、中国の階級規定がすでに質的変化に至ったと主張した。その際、周辺の人々だけでなく、国際的にわれわれと比較的近しい関係にあったラジカル左翼でさえもわれわれの見解に反対した。しかしいまでは一切が変化した。
国外では、一貫して中国共産党を支持してきたフィリピン共産党も、近年になって主張を改め、中国における資本主義復活が完了したことを認めるようになった。また昨年(二〇〇四年)には、アメリカ左翼の刊行物である「マンスリーレヴュー」の七・八月合併号が、一冊すべてこの問題に関する論文を掲載し注目を集めた。国内では、毛沢東反対派は弾圧を受け続けており、毛沢東追悼の活動でさえも犯罪にされてしまっている。これらの事実も多数の人々に(中国における資本主義復活という)この結論を認識させるに至っている。
今日の左翼の次の政治的任務は、この共通認識の上にたって、世界市場における資本主義の新中国の位置を検討し、その拡張が引き起こす世界およびアジアの政治情勢の変化、そして左翼の進むべき道と任務を明らかにすることである。この論文をその契機としたい。
このテーマに関する討論は始まったばかりである。韓国の一部の左翼は中国を帝国主義国家であると規定している。理由は中国がますます強大になりアジア各国の脅威になりつつあり、また国内においてはウィグルやチベットで民族的抑圧を行っているからだという。一方で中国の左翼圏では、中国はいまアメリカ帝国主義の経済的半植民地あるいは従属的国家に陥りつつある、と考える人々もいる。しかしこれらの主張はどれも雑で不完全なものであり、ここでの討論の前提とするには値しない。
ここでこれらの主張を紹介したのは、それを討論の契機にしようと考えたからである。われわれはこの二つの対立した主張はどちらも不正確であると考える。中国はいまだ帝国主義国家にはほど遠いが、純粋に従属的な性質を持った弱小資本主義国家でもない。これらの単純な規定は資本主義の新中国独特の欠陥を無視するという誤りを犯している。
「世界の工場」ではない
中国は人口が多いことから、あらゆる総計データが非常に大きくなってしまう。しかしひとたびそれを人口数で割ると、すぐに途上国の苦しい様相が明らかにされる。中国の国内総生産(GDP)は二〇〇二年には世界第六位であったが、一人当たりの収入は百十一位でしかない。中国は輸出大国であるが、輸出総額の半分は外資系企業によるものであり、その利益の多くは将来的には海外の親会社へ流れる。中国は「世界の工場」ではあるが、前上海市長の徐はそのことの実体を比較的率直に現状を語っている。彼によると中国は加工センターであるが、製造センターではないという。海外ブランドを生産している中国企業はわずかばかりの加工賃を利益としているだけだという。
中国国内のある研究によると、アメリカのブランドとマーケットのために生産している中国企業や中国の貿易会社は合わせてわずか一〇・五%の付加価値を得ているだけだという。香港の貿易会社のそれは二六・三%、アメリカのブランド会社と小売業者はそれぞれ四二%と二一%もの付加価値を得ている。「メイドインチャイナ」のラベルをつけた多くの機械製品も、その中心的技術はやはり外国からのものである。
近年、メディアでは中国の大企業による大規模な対外進出が報道されている。もちろんこれらは事実である。しかしこのような事実も中国が依然として資本輸出においては(ここでは直接投資を指す)小国であることの基本的状況を変更するものではない。資本輸出は、ある資本主義国家が他の資本主義国家の剰余価値に対してどの程度の支配力を有するのかを反映する。通常の帝国主義国家は一般的に大量の資本輸出を行っている。しかし中国はこれに関してはそう多くはなく、二〇〇二年においては世界第二十二位、総額は二十八億五千万ドルでしかなく、香港の百七十六億九千万ドルの五分の一にも満たない。累計の資本輸出も非常に少ない。
その一方で中国は資本の受入大国でもあり、二〇〇三年にはアメリカを追い抜き世界第一位になった。受け入れた投資のプロジェクトは、主要には中国の安価な労働力を利用する産業資本や国有企業の吸収合併であり、ハイテク関連のプロジェクトは比較的少なかった。外資受け入れによって過去二十年で産業構造のレベルアップ化がはかられてはきたが、先に述べたような状況を根本的に突破するには至っていない。
このような資本受け入れは中国の資本主義の発展を帝国主義に従属せざるをえなくさせる。それゆえ経済的に見れば、中国の資本主義はとおく帝国主義には及ばず、しかも従属的な発展という特徴を脱しきれていない。また中国の資本蓄積の相当部分は帝国主義の蓄積の必要に従属しなければならないということでもあり、それは中国における健全な経済発展を一定程度阻害することにもなる。
資本主義復活と国家機構
しかし中国の特徴を従属的と指摘するだけでは十分ではない。いったいその従属性はどの程度なのか、中国全体がアメリカや日本やヨーロッパの半植民地となってしまったのか、ということを明確に説明する必要がある。
中国の経済規模総体は大きいが、一人当たりのGDPは少ないことはすでに述べた。世界市場の競争は民族国家を単位として進められていることから、経済規模総体の大きさを無視することはできない。経済規模総体の巨大さが他の第三世界各国と違うところである。世界的に似たような国は恐らくインドのみであろう。しかしインドは一人当たりのGDPにしろ経済規模総体にしろ中国にはまだまだ及ばない。
さらに注目に値するのは、中国とインドは一九八〇年においては一人当たりのGDPの差はわずかであったが、現在では中国がインドの倍上回っているということである。これはこの二十年来の状況である。なぜ中国はこのような経済成長が可能であったのだろうか。そして中国にはどのくらいの潜在的な発展力があるのだろうか。
純粋に現在の経済的データから考えると、中国は依然として低開発国家であるが、問題は中国を語る際には、経済的なデータに限定することはできず、政治的軍事的条件を考慮しなければならないということである。特に一九四九年の中国革命の政治的遺産という問題を考慮に入れなければならない。このように多面的にとらえると、資本主義が復活した中国は世界でも特有の地位を持つ資本主義大国であり、資本主義を大いに発展させることのできる優越した条件を持っていることを発見できる。
まず、中国には多くの第三世界諸国にはない強力で集中した国家機構を持っているということである。いまいかに新自由主義が流行していようが、実際にはほとんどすべての後進的資本主義国は、純粋に自由主義市場に依拠するのではなく、強力な国家の関与によって工業を発展させなければならない。かつての日本、ドイツ、そして韓国や台湾などもすべてそうであった。
一九四九年に中国共産党が国民党支配を打倒したのちに再建したのは、これまでのどの時代よりも強力で集中した国家機構であった。一九四九年から一九七八年までの間、この機構を掌握していた官僚は、独断横行という面においては一般的な資本主義国家を凌駕していたが、国民党の国家機構と違っていたのは、ブルジョアジーに対する弾圧が労働者に対するそれよりも上回っていたということである。ブルジョアジーは存在する資格さえ剥奪されていた。
この意味においてのみ、この国家機構がいくばくかでも労働者階級に奉仕したということができたのである。この国家機構が奉仕する対象であると表明していた労働者農民階級のいかなる民主的監視をも受けることがなかったことから、かつては「プロレタリアートを興し、ブルジョアジーを滅する」とし、今日においては「ブルジョアジーを興し、プロレタリアートを滅する」ことが可能であったのだ。しかしこれはその後の話である。
社会主義への闘いを放棄
先ほどわれわれが議論していた五〇年代から七〇年代という時代では、官僚はこの機構を通じて広大な農民のわずかながらの剰余価値を集中させ「社会主義的本源的蓄積」を支援することで、ほぼすべての産業領域がそろった工業的基礎の第一段階を建設した。これがいわゆる「社会主義計画経済期」である。七〇年代末、中国の一人当たりのGDPはインドとそう大差はなかったが、工業、とくに軍事産業の基礎においては中国はすでにインドを大きく超越していた。
一九七九年に小平が権力を握った後、「計画経済」は段階的に「社会主義市場経済」(「資本主義」と読み替えるべきだが)に地位を譲っていった。社会主義の前途は徹底的に放棄されたが、この巨大で集権的な国家機構は放棄されることなく維持され、資本主義の道への主要な推進役となり、それまでの工業的基礎の上に新たな産業を発展させていった。
官僚たちにとってこのようなモデルの反面教師は旧ソ連邦であった。旧ソ連邦は様々な理由から官僚がもうひとつの資本主義復活路線をとったケースである。それは意識的にそれまでの国家機構を解体させ、各共和国の官僚がばらばらに国家機構を再建しはじめたが、新しい国家機構はかつてのそれには遠く及ばないものになっていた。しかし中国は違った。
中国共産党はソ連邦の崩壊以降、「八九年民主化運動に対する弾圧は正しかった、そうすることによってのみ中国は安定を維持することができた」と何度も強調している。資本主義の復活のための安定という立場からすればこれは正しい。資本主義復活の新時代において中央集権の度合いは大いに低下したことは疑いないが、それは国家の役割の低下と同じことではない。それは中央集権から権力を地方政府に傾斜させたというものである。これは国家機構内部の権力の再編成であり、資本主義を発展させる上での国家の役割を放棄したものではない。私営経済も大いに発展したことは紛れもない事実であるが、中央と地方政府が新しい高度な産業を発展させた主要な投資者であり受益者なのである。
国家(中央および地方政府を含む)がある産業部門を発展させると決心さえすれば、それは実現不可能ではない。軍需産業に関連のあるすべての産業、たとえば航空産業は、一貫してそのようにして発展してきた。携帯電話、コンピューター、ソフトウェアなどの新しい部門も同様に国家と国有企業が中心であることから、きわめて短い年月でゼロからスタートし、市場を外資と奪い合うまでに発展したのである。中国はいまだ外資と先端科学技術において利益を競い合うほどのレベルには達していないが、ハイテク製品の発展の速さは、注目を集めるほどになっている。この方面についての潜在的力を低く見積もることはできない。
中国革命の貴重な遺産とは、すべての部門、特に生産設備部門がそろっている工業であろう。この遺産は資本主義復活後も発展し続けており、それは他の第三世界諸国に比べて有利な条件となっていると言えるだろう。資本主義復活の初期においては、中国は大量の外国設備を輸入しなければならなかったが、中国の工業基礎や技術や優秀な人材などが、外国の技術を比較的速く消化し、国産化することを可能にさせた。こうして他国では依然として海外からの高価な設備に依存していたときに、中国は段階的に自らに依拠することが可能になっていった。
それは中国製品のコストを低く押さえ、競争力を持った価格を実現することを可能にさせた。 (つづく)
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