| 長期的不安定の局面に入った世界経済 かけはし2005.3.14号 |
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あらゆる「改良的」機能を喪失したグローバル資本主義の実態 |
二〇〇〇年から二〇〇一年にかけては、経済の重要な転換点であった。ハイテク化された「新しい経済」と金融市場の「不合理な潤沢」の利益を一般化するという夢は消え去った。確かに、米国当局は不況の広がりを小さくすることには成功したが、それは新しい不均衡という犠牲を払って実現したのであり、一方、欧州は再び不況局面に沈んでいった。
南の諸国は、金融危機の結果から部分的に回復したが、依然として世界経済の不確実な展望におびやかされている。
米国経済の危機のシナリオ
「新しい経済」は、掲げた希望に反して、一九九七年以降米国の利潤率を押し下げた。図1が、この主要な理由を物語っている。新しい技術は疑いもなく生産性の向上をもたらしたが、蓄積率の驚異的な上昇を埋め合わせるには不十分であった。
「新しい経済」は、投資に関して非常にコストがかかり、投資価格の相対的下落にもかかわらず最終的には資本の有機的構成の重荷を高めた。これが問題の基本点である。なぜなら、このことが、資本主義がその基本法則から自らを解放することができるという幻想を終わらせたからである。新しい技術は、危機への恐怖なしに資本蓄積を可能にする魔法の杖ではなかった。
二〇〇一年以降の景気後退は、二重の機能を持っていた。第一は、雇用のきわめて厳しい管理を通じて資本の収益性の回復を可能にしたことである。それは「雇用なき回復」と呼ぶことができるだろう。これが潜在的生産性の上昇分を蓄積にまわす機会を提供した。しかし、剰余価値率を再確立する古典的な手段が見捨てられたわけではなかった。労働時間の延長や賃金抑制はまさに古典的手段であり、それは労働市場の需要の弱さのために容易になる。労働市場の需要の弱さは労働者が抵抗することを常に困難にするからである。
また、この期間に、蓄積率は利潤率の変化と一致するようになった。二つの曲線は、一時大きく離れた後、驚くべき一致を示している。
この調整は、経済の深刻な長期の停滞なしに行われたが、それは9・11後にブッシュが追求した経済政策のためである。この政策は三つの側面を持っており、そのすべてが経済活動を押し上げるのに役立った。
第一は、一種の「軍事的ケインズ主義」であり、軍事支出の拡大に関係する。第二の側面は、驚くべき減税によって金持ちの消費を刺激したことである。最後に、国内市場を、特に資産分野を支えるために利子率を押し下げたことである。国内消費の活力がこのようにして維持され、景気後退の衝撃が限定された。しかし、これらの政策が一連の矛盾を生み出した。それは政策の利点の裏面である。主要な矛盾は以下のようなものである。
(1)減税と軍事支出が、予算の黒字を大幅赤字に転じさせた。
(2)家計需要を支える低金利が、家計負債を未曾有のレベルに押し上げ、抵当市場の「バブル」を生み出した。
(3)所得の不平等が再び深まり、醜悪なまでに達している。
(4)世界の残りの部分との貿易赤字が引き続き拡大し、いまや米国のGDPの五%を超え、世界のGDPの一%を超えるに至っている。
この文脈の中で、荒々しい調整のシナリオが米国経済をおびやかし、ますます現実味を帯びている。世界の残りの部分からの資本が米国の貿易赤字を埋めることを拒否すれば、それは起こるだろう。あるいは、他の諸国の中央銀行が、増大する準備金をドルで保有することを拒否し、それを売り払うなら、ドルの交換レートが下がり、実質的に同じことが起こるだろう。
その場合は、米国は利子率を引き上げて外国資本を引き戻し、および/または国内市場の成長を抑制して外国資本がもはや提供しなくなった金融を確保することが必要になる。これによって株式市場や抵当市場のバブルがはじけ、賃金労働者だけでなく、富や所得を金融資産の価値に依存している社会階層にとっても、深刻な社会危機をもたらす可能性がある。
このようなシナリオを予想するのは破局主義的ではない。現在の赤字政策を続けることが不可能であることは、事実上みんなの意見が一致している。一例を挙げると、最近のOECD報告書は一章全部を使って米国の貿易赤字削減を取り上げ、世界経済への影響を数量的に計算している。重要なことは、予言することではなく、来るべき年月に米国経済が描く軌跡が依存する本質的な二つの要因を認識することである。すなわち、世界経済の他の地域と米国の関係、そして生産性を高める能力である。
生産性の急速な上昇が意味するもの
この決定的な問題が、米国経済の健全性に関する論争の中心問題であり、連邦準備制度理事会議長アラン・グリーンスパンが言及していないことである。この論争はまったく技術的な問題であるが、現代資本主義と「新しい経済」の分析の中心問題に関わっている。出発点は、一九九〇年代半ば以降に米国で記録された生産性――言い換えると生産と雇用の関係――の非常に急速な上昇である。
この加速が起こる前の米国の経済的パフォーマンスは平凡なものであった。欧州よりも明らかに劣っていた。これが「新しい経済」の夢を正当化し、株式市場の爆発的上昇に意味を付与した。株価の目もくらむような上昇は、この分析路線に沿って、新しい技術の導入によって押し上げられた生産性のおかげで入ってくる利潤だけを予想したものであった。資本が米国に流入したのは当然であった。その一方で貿易赤字の拡大があったとしてもである。
当時、相反する二つのテーゼが存在した。「ハイテク」循環論と、「新しい成長」論である。前者は、生産性の上昇は新しい技術への投資ブームの過渡的産物に過ぎない、投資が低レベルに戻ると以前の傾向に復帰するであろう、というものであった。新しい成長論の支持者は、これとは対照的に、技術の変化は生産性の上昇に永続的な影響を与えると考えた。
最近の事実は、後者のテーゼを実証しているように思われる。投資率が後退しているにもかかわらず生産性は上昇し続けているからである(図2)。さらに、生産性の上昇は、最も技術的進歩が著しい部門だけでなく、すべての部門で見られ、「懐疑論」の主要な主張を弱めている。
しかし、論争は収まったわけではない。米国の景気後退からの出口には、伝統的に生産性の大きなピークが伴うからである。確かに、この上昇局面は、ほとんど雇用拡大を伴っていない点で特に異例である。企業利潤の大きな低下が、厳しいリストラ政策と労働強化をもたらしている。
彼らはこのようにして新しい技術の利潤を刈り取っているが、この発展が同じリズムで続くと考えるのは非常に危険である、と言えるだろう。
事実の観察自体が、労働時間の延長、無申告労働の拡大や多重雇用のような寄生的現象のためにあいまいになっている。統計データの不明確さは言うまでもない。
ここで、やや技術的な問題ではあるが、「新しい経済」の分析に密接な関係がある議論に目を向ける必要がある。「新しい経済」は、投資の急上昇、特にコンピューター機器への投資を反映したものである。しかし、これは資本の蓄積なのか、生産的消費なのか? 米国と大部分の欧州諸国とでは、統計の規則が同じでない。米国ではコンピューターは資本になるが、欧州では中間消費である。
したがって、米国の統計は、欧州の統計に比べてGDP(したがって生産性)を過大評価する傾向をもつ。資本の減価償却費を含んでいるからである。GDPは、減価償却費を差し引いた国内純生産(NDP)より速く成長する。マルクス主義の用語で言うと、創出された新しい価値の定義に、消費された不変資本を(間違って)含めて、総量の計算が行われているわけである。
この偏向を修正し、同時に労働時間の効果を補正すると、米国と欧州の差は小さくなる。クレジッド・スイス・ファースト・ボストン社のエコノミストであるジュリアン・キャローは、一九九六│二〇〇一年について計算を行っている。その結果によれば、時間当たり生産性の上昇は、米国は年率一・八%、欧州は一・四%であった。この程度の差は、米国の急速な成長によって容易に説明される。
米国の貿易赤字と世界経済の不均衡
米国の貿易赤字の問題は、この生産性上昇の分析と密接な関係がある。生産性は、米国の魅力の再生産を可能にする高い利潤率の客観的な基礎だからである。われわれは相反する二つのシナリオを想定することができる。第一は、現在の状況が引き延ばされ、さらに急速な生産性上昇と高い利潤率が貿易赤字を埋め合わせるのに必要な資本を引き付け続ける、というものである。
しかし、この構造を持続させるのは困難である。米国と欧州・日本の間の成長の差の維持、言い換えると世界経済の不均衡の拡大に関わるからである。この結果は何よりも欧州または日本の社会的緊張の高まりをもたらすだろう。さらに、貿易赤字は、単なる世界の他の部分に対する米国の優位性の指標ではない。
貿易赤字は、最終的には、世界市場の激化する競争に直面した米国経済の競争力の脆弱性の指標である。逆説的であるが、欧州と日本は、平凡な成長と引き換えに、生産性ではなく賃金抑制を基盤にして競争力の再建を手に入れようとしている。
米国経済の真の優位性は、ますます幻想の度合いを深めている。ウィル・ヒュートンは次のように主張している。産軍複合体の外部では、「米国企業が欧州企業に対して系統的に優位性を主張できるようなハイテク部門はほとんど存在しない」。米国は「自動車から航空宇宙部門、産業用ガス、携帯電話に至る部門で、技術、創意性や革新性で差をつけられている」。
中国の力の増大は、米国の経済論争を支配しているもう一つの関心事である。中国は今や米国の貿易赤字の半分近くを占めており、このシェアは拡大の一途をたどっている。一九七〇年から二〇〇二年の間に、中国の輸出は百四十倍に増え、その競争力はドルに固定された元によって保証されている。このことは米国政府が狙いをつけている点の一つであり、中国の競争力が米国のハイテク部門に影響を与え始めているので一段とその傾向が強まっている。製造業の雇用の損失は本質的には生産性の上昇とリストラによって説明されるとしても、再配置と脱工業化に関しては多くの議論がある。
言い換えると、米国は経済の固有のパフォーマンスによって支配しているのではなく、世界的規模で資本の蓄積を「調整」する能力のおかげで支配しているのであり、その能力は政治的性格の力関係に関する最終的な分析に依存しているのである。このヘゲモニーの主張は無制限ではなく、したがって第二のシナリオを想定することが必要である。すなわち、他の通貨、とりわけユーロとの関係でのドルの価値の下落によって競争力と貿易収支が安定する、というシナリオである。
ドルの下落と米国の競争力回復
このシナリオは、すでにほとんど始まっており、特に中国に対する元切り上げ圧力によって表現されている。ドルの下方への動きは、ユーロとの関係での大幅な切り下げをすでにもたらしている(約三年前の最高値に比べて四〇%程度)。時間をさかのぼると、ドルとユーロ(またはその前の欧州通貨)の為替レートは大幅な変動を経験した。
これを適切に評価するには、欧州と米国のインフレ率をそれぞれ考慮する必要がある。このようにして実質為替レートを計算することができ、それを実効為替レートと比較することにより、ユーロ(またはユーロ創設前の欧州通貨のバスケット)との関係でのドルの「過小評価」や「過大評価」の局面を突き止めることができる。このような評価は明らかに基準年の選択に依存するが、ここでは基準年を一九八六年とする(図3)。
一九七一年にドルは金へのリンクから開放されたが、それ以降、複数の局面を区別することができる。一九七九年の金融危機まで他の通貨に対して下落し、米国の利子率は大幅に上昇した。それによってドルは再び上昇を開始する。
次の五年間に、ドルの実質為替レートは実質的に一九七一年のレベルに復帰した。しかしドルのこの評価は多少不都合であり、米国は一九八五年に欧州と日本のパートナーにプラザ合意を強制してこの時期を終わらせた。これによってドルは急激に下落し、米国製品の失われていた競争力を回復させた。
この下落は十年間続き、一九九六│九七年から二〇〇〇年の景気後退まで、再びドルは上昇を開始した。二〇〇〇年以降は、現在の局面であり、ドルの継続的な下落とユーロの価値の系統的な上昇を特徴とする。今日のドルの実質為替レートは、最近五十年間で最低の水準にある。
この変動の幅は、厳密に経済的な要因を超えている。これは米国の支配のメカニズムの矛盾の結果として解釈することができる。支配的な金融的通貨的強国としての米国は強いドルを必要とするが、同時に、経済的通商的強国としては弱いドルを必要とする。上昇と下降が連続するドルは、アメリカの優位性を主張する二つの道の相対的優先度によって説明することができる。
高いドルは、世界経済が金融面で優位性を脅かしていると思われるときに世界経済に対する優位性の回復の望みを示し、低いドルは、競争力の再確立と勝ち取った位置の確保を可能にする。しかし、高いドルの時期は、それぞれ特定の経済危機に対応している。一九八〇│八五年の局面は、危機の中の世界経済を金融原理を通じて修正する新自由主義的転換の時期に対応しており、一九九六│二〇〇〇年の局面は、「新しい経済」の登場と、新興国の経済危機でやけどをした資本の取り込みの時期に対応している。
世界経済の一体化の進行は、欧州の成長とユーロ対ドル為替レートの間の敏感な関係をもたらした。ユーロ対ドル為替レートは、米国と欧州の相互の交換に影響するだけでなく、他の市場全体に対する米国と欧州のパフォーマンスに決定的な影響を与える。ユーロに対するドルの下落は、欧州市場においてだけでなく、全体としての世界市場における米国製品の競争力を高める。
最近十年間に、欧州と米国の成長率の差とユーロ対ドル為替レートの密接な相関が示されている理由がここにある(以前には存在しなかったことである)。ドルの為替レートが下落すると、欧州と米国の成長率の差は米国に有利に拡大する(図4)。
かくして米国は、欧州に比べて低かった成長を反転させ、欧州は数年間(一九九七│二〇〇〇年)の上昇の後、再び平凡な成長局面に入った。為替レートのこのような運動は、欧州が追求した破滅的な経済政策に結びついている。「欧州雇用戦略」への熱中は霧散し、安定協定は現実的でないことが実証された。
ますます厳しさを増す賃金抑制政策への固執(競争力を口実とした)によって内部市場は窒息し、一方では金持ちを対象とした減税は消費を永続的に押し上げるには至らなかった。欧州企業の系統的なリストラ政策にもかかわらず、投資の弱さは生産性の向上が不十分であることを意味する。
米国と欧州のこのような対照的な経済情勢は、欧州資本主義の統合の弱さを際立たせている。このような全体構造に対するEU各国の態度は異なっており、各国の軌跡の分散化が始まっている。一部の国(特に英国と小さな国々)は、欧州の「中核」(フランス、ドイツ、イタリア)よりも経済状態は良く、この現象は欧州経済政策の協調の補足的な障害となっている。
また、国民経済と世界のトップ企業との間で、特に資本の蓄積の領域で、ギャップが広がっている。巨大企業は欧州市場の不活発さにある程度冷淡である。なぜなら彼らは他の市場に対しても投資し販売しているからである。したがって、彼らの利益と欧州経済の相対的健全性との関係はますます薄くなる傾向にあり、このことが、欧州経済政策の矛盾から彼らがどのように逃れることができるかを説明する。欧州経済政策が自殺的に見え、賃金を抑制して需要を窒息させていたとしても、世界市場が逃げ道を提供しているのである。
石油価格上昇というマジック
二〇〇四年には、石油価格は大幅に上昇した。二〇〇三年はバレル当たり三〇ドル付近で変動したが、その後五〇ドルまで上昇し、ふたたび四〇ドル付近に戻った。しかし、この変動は少し離れたところから見る必要がある。石油価格は過去に二回鋭く上昇した。一九七三│七四年と一九七九年である。バレル当たり価格は十八倍に上昇した。一九八〇年代には価格は継続的に低下し二〇ドル付近まで下がった。続いて一九九〇年以降、価格は再び上昇し、バレル当たり価格は二倍になり、一九八〇年代初めの水準に戻った(図5)。
しかし、石油価格の変化は、インフレ率で補正する必要がある。他のすべての物価が上昇しているからである。したがって、過去と比較するには、過去のレートを二〇〇四年のドルに変換する必要がある。そうすると、異なる姿が現れる。石油の実質価格は、一九七三年と一九七九年の二つの石油危機の間に到達したレベルに今戻り始めたところである(図6)。
最近の時期のEUに関しては別の補正が必要である。EU諸国は石油に対してドルで支払っており、ユーロに対するドルの下落が、ドルで計算された石油価格の上昇を部分的に補償している。したがって、上昇は相対的に低く、欧州にとってはバレル当たりの価格は、最後の大幅上昇があった二〇〇〇年以降実質的に同じである(図6)。成長見通しの下方修正を説明するために儀式的に呼び出される石油価格は、したがってこの文脈の中に置かれなければならない。
石油価格上昇のグローバルな影響は、短期的および中期的には相対的に小さい。基本的長期的問題は、ますます資源が欠乏する問題であり、ダモクレスの剣のように世界経済の頭上に吊り下げられているが、それはかなり先の問題である。今、ここでは、石油価格の上昇は、むしろ元の切り上げを達成するために使用される武器である。元の切り上げは、巨大石油輸入国中国にとって石油に対する支払額を減らすことになるが、一方では米国製品の競争力を改善する。
グローバリゼーションの逆説
グローバリゼーションの利益に関する懐疑主義が、支配的経済の最高峰にとりついている。ノーベル賞受賞者で国際貿易による諸国民の相互富裕化の理論家であるポール・サミュエルソンが、疑問を表明する論文を発表した。彼の根拠は、世界生産における米国のシェアの下降傾向である。米国のシェアは第二次世界戦争直後には五〇%に近かったが、今日では二〇%と二五%の間である。ついでに言えば、新自由主義理論はいかなる意味でも米国経済の比重の維持を保証しない。
理論への関心は、理論の実現がその現実的な目的であったものをもはやもたらさなくなったときから、薄れてきたと思われる。サミュエルソンの関心は、中国の技術的進歩が、現在米国が明確に競争で優位に立っている部門に今や影響を与えていることにある。この種の技術的キャッチアップを考慮に入れていない理論、しかも支配的権力の利益に密接に結びついた理論の愚かしさについて、これは多くのことを物語っている。実際、サミュエルソンの論文は、自由貿易教条主義者からの精力的な抗議を呼び起こした。たとえばジャグディシュ・バグワティである(グローバリゼーションへの賛歌である『グローバリゼーションの擁護』、オックスフォード・ユニバーシティ・プレス、二〇〇四年の著者)。しかし、これは米国へ逆流するグローバリゼーションに対する認識の高まりを明らかにするものであった。
これらはすべて、世界経済の現在の構造は、資本主義的グローバリゼーションの過程に結びついた矛盾の深刻化を伴っている、ということである。「帝国」は現実には深刻に分裂しており、われわれはここに複合的不均等発展の法則の現代的表現を見ることができる。
この世界経済の領域内部に二つの割れ目が存在する。価値の下落をめぐる米国と他の支配的経済の間の割れ目、そして支配的経済と「新興諸国」の間の割れ目である。新興諸国は、市場シェアを奪うことによって、また原料価格、特に石油価格を引き上げることによって、世界経済の相対的な安定性を脅かしている。
資本主義は、今日、「足かせ」から解放されている。資本の循環は事実上自由であり、社会保障はすでに世界中で大きく破壊されている。この観点からすれば、金融を握ることは、資本主義の正しい機能を妨げる寄生的形態であると理解されるべきではない。反対に、世界市場の漸進的確立を可能にする手段と考えられる。そのような世界市場では、賃金労働者は直接競争の中に置かれ、利潤をもたらさない社会的ニーズの満足に反対する収益性の要求にさらされる。
金融のおかげで、現代資本主義は、それを取り囲む、あるいはそれを規制するいかなるものからも漸進的に自己を解放するという意味で、「純粋な」機能に近づいていく。この運動は自己を改良することはできず、逆行的な富の再分配を意味する。
麦と殻をふるいわける構造、たとえば「良い」生産的資本主義と「悪い」金融資本主義を区別すること、あるいは超競争的でより平等主義的な、改良主義的ユートピアの風味を持った資本主義を想像することが、現代資本主義の現実に一致しない理由がここにある
グローバリゼーションのパラドックスについて、次のように述べることができるであろう。資本主義が自分に都合がいいように世界経済を形作ることに成功するに従って、ますます緊張が高まる。今日の世界資本主義は、永続的な不安定の局面に入った。基本的問題は、この不安定が資本主義間対立の軸に沿って解決されるのか、または社会的対決の軸に沿って解決されるのか、である。
(電子版「インターナショナルビューポイント」05年2月号)
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