| 新しい大衆的闘争の理論と実践のために かけはし2005.3.14号 |
| 多国籍企業、金融資本を利する民営化法案上程を阻止しよう |
「成立が目的」の政治的背景
郵政民営化は、三月の法案提出にむけて政府と自民党の調整に関心が集まっている。最大の支持基盤である特定郵便局長会をはじめ、これまで巨大な利権に群がってきた族議員をはじめとする郵政一家の既得権をいかに防衛し、多国籍資本を含む金融資本の利益のために郵貯・簡保資金をいかにスムーズに縮小、移転できるかが小泉純一郎首相に求められた政治的使命となっている。
小泉首相は、予想どおり「抵抗勢力」とよばれる利権集団との調整に時間がかかることから「成立が目的だ」として、六月十九日までの通常国会での成立を最優先することを早々に表明した。
もちろん「成立が目的」であることから臨時国会へのずれ込みなども十分考えられる。
二月十日、政府と自民党のあいだで行われた協議では、政府からいくつかの回答が示された。郵便局の設置基準については「『住民のアクセスが確保されるように配置する』との趣旨の努力義務を法律で規定。具体的な設置基準は省令で定める」「過疎地については、現行の郵政公社法施行規則に準ずる省令とする」とされた。全国一律サービスや社会貢献については、窓口会社は「地域の有識者等と業務運営等について意見交換する場を設け、地域密着型の経営を確保する」「郵貯会社、保険会社の株式売却益、配当収入などの一部を充てて『地域・社会貢献基金』を持ち株会社に設立。(全国一律サービス維持や第三、四種郵便の割引継続に必要な)費用を賄う」などが提示された。
小泉首相は二月十六日に「そろそろ収れんさせるころだ」と発言し、翌十七日に自民党の久間総務会長は「この問題については、ひとつの道筋をそろそろつけなければならない時期にきている」と述べた。利権とプライドの妥協が進もうとしている。
利用者の利便性を確保した、というポーズが政府にも自民党にも必要なのだ。もちろんこれで「利用者の利便性が確保」されはしない。サービスの向上どころか、維持さえもできないことは明らかである。これらの「妥協」は当初から想定されたものである。「妥協」の一方で、政府は民営化への完全意向計画も発表した。同計画によると、日本郵政公社が全額出資をした郵政準備会社を二〇〇五年に設立し、二〇〇六年度中に公社全額出資の郵貯準備会社と簡保準備会社を設立、二〇〇七年四月に現在の公社を持株会社のもとで郵便局会社(窓口)、郵便会社、郵貯会社、簡保会社の四社に分割し、二〇一七年までに郵貯会社と簡保会社を持株会社による株式売却を通じて「完全民営化」するというものである。
支配階級の危機と思惑
小泉首相は一月二十一日に召集された第一六二通常国会の施政方針演説で、次のように郵政民営化の必要性を述べた。「郵便局を通じて国民から集めた三百五十兆円もの膨大な資金を公的部門から民間部門に流し、効率的に使われるような仕組みをつくることが必要です。資金の『入口』の郵便貯金と簡易保険、『出口』の特殊法人、この間をつないで資金を配分している財政投融資制度、これらを全体として改革し、資金の流れを『官から民へ』変えなければなりません」。竹中平蔵郵政民営化担当大臣は、インターネット上のプレジデントオンラインで「これでも『郵政民営化』に反対しますか」というコラムを連載しており、そこでは郵政民営化のメリットとして「三百五十兆円が民間のものになる」「二万四千のコンビニチェーン」「公務員が減る」「国の財政に貢献する」という「利点」を上げている。もちろん竹中大臣は巨大なコンビニチェーンをつくるために五億とも言われる広報費用をマスメディアにばら撒いているわけではない。
小泉首相はおなじ施政方針演説のなかで「二〇一〇年代初頭には、政策的な支出を新たな借金に頼らずにその年度の税収等で賄えるよう、歳出・歳入の両面から財政構造改革を進めます」と語っている。
自民党の利益誘導型政治の象徴であるばらまき型公共事業の資金調達や、バブルを煽った金融資本の不良債権救済を目的として投入された莫大な公的資金の資金調達のために発行された国債の発行残高は〇三年度末で約五百四十九兆円にものぼる。一般会計の税収は〇三年度は約四十三兆円にすぎない。年収入の十倍以上の借金があるというのが日本財政の状態である。小泉首相のこの発言は、危機を将来に先送りするこの状況をいよいよ放置できなくなったという支配階級の思惑を代弁したものである。
未来を食いつぶす借金財政
二〇〇四年七月末時点で郵貯・簡保三百四十五兆円のうち、約四四%、百五十一兆円が国債に投資されている。これは二〇〇四年三月末の国債全発行残高五百五十六兆円の二七%に達する。
国債だけではない。財務省が発表した二〇〇四年三月末の国の借金(国債、借入金、政府短期証券など)は約七百三十三兆千五百億円にのぼり、これに地方自治体の抱える借金を加えると九百兆円にものぼる。郵便貯金二百二十五兆円のうち国債に九十八兆円、財政投融資への預託金が九十七兆円、地方債などへ十二兆円、財投機関が発行する財投機関債などに四兆円の合計百十一兆円が公的機関の借金の原資になっている。百二十兆円の簡易保険も国債に五十三兆円、地方債などの地方公共団体へ二十七兆円、財投機関などに二十一兆円の合計百一兆円が流れている。
前述の小泉首相の演説にもあるように、政府は国債の発行を今後段階的に減少させていきたい意向だ。しかしすくなくとも当面は国債発行が爆発的に増大していかざるを得ない状況になっている。
一九九八年、当時の小渕政権は景気回復のためとしてそれまで二十兆円台に抑えてきた国債発行額を一挙に三十兆円台に引き上げた。国債は十年で償還される長期国債が中心であることから、二〇〇八年には小渕政権時代に発行した大量の国債が満期を迎え償還=借金の返済を行わなければならない。政府は借金返済の代わりに借換債と呼ばれる国債を発行して借金を繰り延べしてきた。借換債は九七年には三十兆円を突破し、二〇〇五年には百兆円を突破するとされている。
二〇〇八年にはピークをむかえ借換債の発行額は百二十兆円に迫ると試算されている。三十兆円新規国債発行をはるかに上回る額の借換債=未来を食いつぶす借金繰り延べが今後も続くのだ。
でたらめな民営化の理由
借金の返済はしなければならないが、これ以上の国債新規発行は、雪だるま式に増え続ける借金にさらに拍車をかけることになりかねない。支配階級に残された道は民衆からのいっそうの収奪=公共サービス解体(歳出削減)と消費税を中心とした大増税しかない。借金に頼らず公共サービスの切り捨てと大増税で成り立つ社会においては、第二の財源としての郵貯簡保資金の必要性は相対的に低下する。
郵政民営化が直接財政改善に結びつかないことは推進派でさえ分かり切った事実である。小泉首相や竹中大臣は、郵政民営化によって小さな政府を実現する、といっているが、郵政事業は全体として赤字を出しているわけでもない。基本的に郵便、郵貯、簡保などの事業収益で職員の賃金も含めてまかなっている。民営化によって郵政職員が公務員という身分からはなれたとしても財政再建に寄与することはない。
財政再建に寄与する、という中身は、民営化後の株式売却益を国庫に入れるということに過ぎない。それは郵政事業を民営化しなければならない理由にはならない。だから民営化推進派は「見えない国民負担」などといって、民営化されれば、税収が見込めるという苦しい宣伝をしている。全国銀行協会と生命保険協会は、郵便貯金と簡易保険についての見えないコストが十年間でそれぞれ五兆三千五百四十億円、二兆五千六十一億円あったという試算を発表し、政府はそのデータをもとに郵政事業を維持するには「見えない国民負担」があったと主張している。
そもそも官業の郵政事業から徴税することはおかしな話であり、国営事業の儲けは一般会計に納めている。金融機関が破綻した際に預金や決済を保障するため預金保険機構に納付が義務化されている預金保険料を郵貯が免除されており、これも「見えない国民負担」などと主張しているが、そもそも国の事業である郵貯がなぜ改めて保険料を支払って国に預金保障をお願いしなければならないのか。全国銀行協会と生命保険協会が、競争相手として郵貯・簡保の問題点をこういう形で提起することは、醜い市場強奪戦のアスリートとしてはなんら奇妙なことではないが、それをそのまま鵜呑みにして郵政民営化を強引に進めようとする小泉首相、竹中担当大臣は、醜さを通り越してこっけいでさえある。
二月十三日に大阪で行われた「郵政民営化に異議あり!市民のつどい」で小泉首相と竹中担当大臣が掲げる郵政民営化のメリットのでたらめを鋭く指摘した高橋伸彰・立命館大学教授は、この十年間の「見えない国民負担」が二兆円だ五兆円だと主張する民間金融機関に対して、この十年で四十兆円もの不良債権処理のための公的資金という「見える国民負担」が投入され続け、すでに二十兆円が回収不能になっていることをあげて「見えない国民負担」論を喝破した。
また預金保険機構の資金調達を政府保証するため、二〇〇四年度だけでも五十六兆円もの政府予算が計上されており、銀行の破綻処理などのために十兆五千億円近くを税金から支出することが確定している。民間金融機関にこれだけの「見える国民負担」が投入されている。
小泉首相は当初、財政再建の一環として、資金の出口である特殊法人改革とともに、郵貯・簡保資金という資金の入口を止めることで、財政赤字がこれ以上拡大しないようにする、と主張していた。しかし郵貯・簡保が特殊法人などに流れないようにするには、郵政事業を民営化する必要などまったくない。
かつては、郵貯・簡保資金が大蔵省資金運用部に全額を預託され、特殊法人などにその資金が流れていったが、二〇〇一年に実施された財政投融資改革によって、財務省(旧大蔵省)資金運用部に預託された郵貯・簡保資金は二〇〇七年までに段階的に解消することが決まっている。それを実施さえすれば民営化などする必要などないのである。小泉首相の郵政民営改革とは、節水のためにしっかりと蛇口を閉めるのではなく、ダムそのものを破壊してしまうことにほかならない。
もちろん全額自主運用によって、問題がすべて解決するわけではない。これまでは財投や国債を通じた運用益によって利潤を出してきたが、同じレベルのリスクと運用益のある投資先があるのかどうか、あるいは社会的に有用な投資にその資金を向けるべきではないか、あるいは資金運用(=投機)による利益確保を続けていくことがよいのかどうか、という根本的な問題は依然として残る。これは今後の運動の中で議論を継続し深めていかなければならない問題ではあるが、すくなくとも、小泉首相が郵政民営化の理由に挙げる「資金の入口」という問題は、民営化によらなくても解決は可能であることはすべての論者が確認できることである。
水はさらに浪費されている。二〇〇一年から財務省資金運用部を通じて特殊法人などへ流れる郵貯・簡保資金は減少しているが、その分、特殊法人への資金を確保するために発行されている財投債や、特殊法人が発行する財投機関債の郵貯簡保資金による購入額が急激に増加しているのだ。その額は二〇〇四年度だけで百二十兆円を超えている。
蛇口を閉めるかどうかは、ダムの存在にではなく、その家の住人如何にかかっている。郵政事業が民間会社であろうと公社であろうと国営であろうと、特殊法人に資金が流れないようにするかどうかはひとえに政治の責任である。その責任は歴代の自民党政権にある。公共サービスや必要な事業に対して税金や公的資金を投入することは当然である。必要であるものとないものとを一緒くたにして民営化することで問題が解決する、と政府が主張するのであれば、政府や財務省に判断する能力がない、といっているのと同じことなのである。
だがここでも「特殊法人に流れる資金の入口である郵貯簡保」がじつはきわめて断片的なデータであることを指摘しておかなければならないだろう。民間の金融機関が、「貸し渋り」や「貸し剥がし」などをつうじて民間企業への貸出残高を圧縮する一方で、余った資金を国債購入にあてていることは周知の事実である。
10年で生保の国債
保有残高は5倍に
高橋教授は『世界』二〇〇四年十二月号の「『郵政民営化』への尽きない疑問」のなかで、次のように民間金融機関に流れる貯蓄が有効に活用されていないことを指摘している。「国債の購入に九十六兆円(二〇〇四年三月末における全国銀行の合計、同郵貯は八十七兆円)もの資金をまわす一方で、この九月で六十六ヵ月も連続して貸出残高を減らし」「預金者や投資家の貴重な資産を食い潰して十年余の間に九十兆円以上の不良債権を処理したにもかかわらず、なお三十兆円以上のリスク債権を抱えているのが民間銀行である」。郵貯資金が民間銀行に流れたとしても、それはまた国債という「官」へ流れる可能性が極めて高いのだ。
二〇〇四年六月末現在の国債保有者別内訳をみると、「資金の入口としての郵貯・簡保」という論理が破綻していることは明らかである。国債残高合計約五百七十六兆円のうち、郵貯は約八十七兆円(一五・一%)、簡保は約四十九兆円(八・五%)であるのに対し、民間預金取扱機関は約百二十七兆円(二二・一%)、民間の年金・保険は約七十兆円(一二・一%)にものぼる。
郵貯や簡保が民営化され、規模が縮小して預金などが銀行などへの預け替えが行われたとしても、その資金が民間企業へそのまま流れるとは考えられない。銀行は、流動性が高くBIS規制上「無リスク資産」とされ自己資本として計上される国債を購入することで、国際業務を行う銀行の基準である自己資本比率八%以上を実現する必要から国債を買いあさってきた。また低金利による有効な運用先がなく、そして銀行が自らあおったバブルによってもたらされた不況による資金需要の低下などを考慮すると、民間金融機関の資金はむしろますます国債などへ流れると考えるほうが自然である。
銀行だけではない。資金を長期間にわたって安定的に運用し、運用利率を保証しなければならない生命保険も、それまでの株式への運用は、長期にわたる株価低迷のなかで国債購入にシフトしてきた。この十年で生保の国債保有残高は五倍以上に跳ね上がったのだ。このように「改革の本丸」である郵政民営化の最大の大義名分である「資金を官から民へ」という主張はすべてがでたらめなものである。でたらめで塗り固めた「改革の本丸」による公共サービスの破壊を許してはならない。
弱肉強食の「自己責任」社会
財政赤字の解決にも寄与しない、特殊法人に流れる資金をとめることもできない、すべてがでたらめな郵政民営化だが、ではその本当の目的は一体どこにあるのだろうか。
それはほかでもない郵貯・簡保にプールされている三百五十兆円という市民のたくわえを「官」とよばれる特殊法人から「民」とよばれる金融資本に注ぎ込むことを通じて「自己責任」という名の無責任社会をつくる、これこそが目的である。それは「構造改革」という日本資本主義再生のための行財政改革のなかで、金融資本による公共サービスの強奪に他ならない。
日本の個人資産の総額は約千四百兆円といわれ、そのうちの四分の一の三百五十兆円が郵貯・簡保に預けられている。国内外の金融資本がこの資金をねらっているのだ。「資金を民間にながせば経済は活性化する」という竹中大臣の持論は、三百五十兆円の郵貯簡保資金を、民間の金融機関や生保などに預けかえさせるということにほかならない。たんに貯蓄先をかえる、というだけではない。老後の生活資金などのために郵貯簡保に預けられていた資金を、「自己責任」という新自由主義のジャングルのルールの中で強制的に「運用」させるものにほかならない。
全世界の労働者民衆が何世紀もかけた闘争の中でかちとってきた福祉や公共サービスという政府の責任は放棄され、「自己責任」という弱肉強食の論理が人々の一生を支配しようとしている。福祉切捨てと貧困層への大増税による財政構造改革のなかにこの郵政民営化は位置づけられている。福祉切捨てと公共サービスの民営化は、下降局面にあった資本主義の生き残りのために資本によってかけられた攻撃に他ならない。この論理は世界貿易機関(WTO)の「サービス貿易に関する一般協定」(GATS)を通じて加盟各国に強制されようとしている。民間と競合する公共サービスはサービス貿易の対象であり、一旦開放を約束すれば撤回は極めて困難なものである。
GATSは郵政事業だけでなく、水、教育、医療、鉄道など、公共サービス全般を商品と規定して貿易=民営化の対象にしようとする多国籍資本の利害を代弁した「最低最悪の協定」(スーザン・ジョージ)である。
郵政民営化がおよぼす影響は、郵貯や簡保だけではない。通信の権利はいまや人権のひとつである。郵政民営化で懸念される過疎地から郵便局の撤退に対して政府は「一市町村ひとつ以上の郵便局を設置する」ことでユニバーサルサービスは守られる、と強弁している。
また郵便公社は当初の民営化に対する慎重姿勢から、巨大な多国籍物流資本として生き残ることを決めた。物流中心の事業への転換が現場にどのような悪影響を及ぼしているのかは、「かけはし」二月十四日号の中村論文で詳しく展開されているので繰り返さない。郵便から巨大物流事業への転換。それは、人々の通信の権利を保障するという公共サービスの理念を投げ捨てることである。
労働組合と住民運動の結合を
民営化とは、公共サービス解体を通じた資本主義体制の生き残りであり、それは「自己責任」という名のもとに、民衆がかちとってきたさまざまな社会保障を放棄させるものである。
いま「官」に対する人々の不信は根強いものがある。「民営化も良いのではないか」という世論の裏側には政治や役人への不信がある。郵政事業でいえばその最たるものは前近代的な世襲制まがいの特定郵便局長制度であるが、長引く不況のなかで人々の不信はストレートに闘いへ組織されてはいない。
人々はいまだ民営化がなにか現状を打破することとができる打ち出の小槌であるかのような幻想を抱いている。しかしその小槌は金融資本にとってはまさに文字どおりの打ち出の小槌であるが、民衆にとっては公共サービスと生活を破壊する鉄の大槌であることを明らかにし、民営化のもたらす社会的影響をあらゆる手段で宣伝していかなければならない。
しかし公共サービスの民営化は、そもそも利用者の利便性を考慮して行われたものではないから、世界各地で破綻している。そしてその破綻は単に制度的な問題ということで、自動的にもたらされたものではない。それは公共サービスの売り渡しに反対する労働組合や住民運動の長年にわたる民営化反対の闘いの成果である。
大衆的闘争の復権
をかけて闘おう!
日本においても国鉄闘争をはじめ労働運動を中心とした闘いが粘り強く続けられている。郵政事業は二十八万人の正規職員のほか、十二万人の非正規雇用労働者がいる。そして女性が多数である。非正規労働者の賃金待遇は限界まで引き下げられている。非正規労働者はその多くが地域の住民でもある。郵政民営化に反対する運動では、まず第一に十二万非正規労働者の待遇改善を要求しよう。利益最優先の郵政現場でサービス残業という違法行為を告発する闘いがはじまっている。郵政事業の不正と利権を暴くたたかいを職場内から展開している労働者たちは、職場内では少数派として不当に差別されているが、政治や官僚の腐敗に対する社会的関心からいえば、決して少数派ではなく、社会的多数派として市民の最先頭に立っているのだ。
最大野党の民主党は、一月二十四日の衆院本会議の岡田克也代表による代表質問で、あっさりと民営化推進派であることを認めている。「郵貯、簡保について、将来的には民営化が本筋と考える」「将来展望なき民営化は国民資産をリスクにさらし、日本経済に大きな混乱をもたらしかねない。もう少し丁寧に民営化を模索することが必要だ」。
メディアは日経新聞と朝日新聞を中心として小泉首相に対して、「抵抗勢力」と妥協することなく完全郵政民営化を行うべきだとハッパをかけている。郵政内の二大御用労組は、公共サービス破壊と労働者の肉体的破壊に協力することで組織的な生き残りを図ろうとしている。組合ポストにしがみつき組合員を切り捨て、資本や権力と馴れ合う労働組合に未来はない。すべての郵政労働者は不正と利権に反対し、労働条件の引き上げと民営化反対の要求を掲げよう。
巨大に膨れ上がった利権を告発し、低賃金と不安定雇用に苦しむ非正規労働者とつながり、不当なサービス残業や組合差別と闘う社会的労働運動は、公共サービスと生活の破壊に反対し、エコロジーとフェミニズムを発展させ、不当に虐げられた人々のエンパワーメントを掲げるオルターグローバリゼーション運動と結びつくであろう。
「世界の民衆とともに社会福祉の切捨てに反対し、貧者への大増税に反対し、公共サービスを切り捨て売り物にしようという企てに強く反対しています」。世界のオルターグローバリゼーション運動が結集した第五回世界社会フォーラムにむけて発せられた郵政労働者ユニオンのアピールは日本における新たな反民営化闘争のはじまりを告げている。日本のすべての進歩的労働運動と社会運動は、郵政民営化反対闘争を通じて、いまのシステムの正当性を根幹から揺るがす世界的な民衆の抵抗運動の押し上げにつながり、もうひとつの日本をつくるための抵抗と連帯の理論と具体的な実践を築きあげよう。この闘いを水平線のかなたに登場しつつある、もう一つの世界に向けた闘いにつなげよう。「民営化反対!公共サービスをまもれ!」の闘いを利用者と労働者、地域と世界とをつないで広げていこう。
(05年2月17日 早野 一)
b郵政民営化を監視する市民ネットワーク結成の集い
4月3日(日) 午後2時 場所:日本教育会館
講師 佐高 信さん
コラム「架橋」
コクド堤一族のツケ
三月三日朝、コクドの前会長で「西武王国」のドン堤義明が、証券取引法違反で逮捕された。二月以降、「西武株問題、近く本格捜査」「堤氏、関与の疑い」と騒がれ、逮捕は時間の問題となっていた。
しかし偶然なのか、裏で誰かが仕掛けているのか、昨年秋にプロ野球の「一リーグ制への移行騒動」の渦中にいた人物達が新しいドラマの主人公として次々と立ち現われ消えていっている。それは池波正太郎の小説の「梅安シリーズ」や「中村主水の仕掛人シリーズ」を地でいっているようである。
ダイエーホークスはソフトバンクに身売りし、巨人や阪神のオーナーは、新球団・楽天に入団した明治大学の一場靖弘の裏金問題で辞任に追い込まれた。そして今、「もう一つの合併が進行中」と大見栄を切った西武の堤も舞台を去った。
痛快と思う人もいるだろう。しかしこの問題の本質は彼が依拠し、一翼を担った日本社会が最早「彼は必要がなくなった」として放逐されようとしているに過ぎないということである。
「西武王国」を築き上げた康次郎・義明の堤親子をして、「日本人のライフスタイルを商品化した」と指摘したのは「ミカドの肖像」を執筆した猪瀬直樹であった。
堤一族は高度成長期以降、軽井沢や箱根を始めとしたリゾート地開発、ゴルフ、スキー、スケートなどのレジャー、さらに皇族の土地を買上げてのプリンスホテルを建設し、また渋谷のパルコまで手を延ばしていった。
彼らは「大量消費時代」というライフスタイルを実現させ、自らつくり出した「土地神話」によって、利益をむさぼり続けた。しかし「西武王国」の頂点は世界一の「カネ持ち」と騒がれた八〇年代までで、球団や球場をつくり、リゾート法(総合保養地域整備法)を推進し、バブルの崩壊まで一気に駆け抜けた。JOC会長として「脚光」を浴びた長野オリンピックは日本の政財界が彼に与えた最後の「あだ花」であった。
猪瀬は言う。「堤は時代の最先端である六本木ヒルズを設計・建設できなかった」。彼の時代は終っていたのだと。
堤一族がコクドを使って上場会社である西武鉄道を牛耳っていることも、株を一族で「違法」に独占していたことも財界はかなり以前から理解していた。堤一族が「日本資本主義」の牽引役である限り財界は目をつぶり、政治家も政治献金と利権のために司法を抑え続けた。鎌倉市にある土地が「総会屋への便宜供用事件」として暴露された時でさえこの構造は変らなかった。この事件以降も堤一族は全く税金を払わないあり方を変えず、西武の施設へのアクセスは行政に要求し続け、株問題でもインサイダー取引きをし二人の自殺者まで生み出した。今や堤とコクドは、日本資本主義のかく乱要因に転化し始めたがゆえに、今回の逮捕と財界による西武の経営改革委員会が形成されたのである。
しかしわれわれは政財界と司法の西武・堤たたきに喝采を送っているひまはない。西武・伊豆箱根、近江の鉄道などを除いても国内外に八十一カ所のホテル、五十二カ所のゴルフ場、三十六カ所のスキー場がある。ここで働く約三万人のうち二五%をリストラしようとしている。さらに西武の事業に乗せられスキー場などをつくった後始末は各自治体に赤字として押しつけられる。不採算部門からの撤退という結論は、約五十年にわたる「西武王国」のつけを政府と資本は堤を「生けにえ」にして労働者の犠牲へと転化することである。 (武)
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