もどる

豊田直巳さん(写真家)に聞く              かけはし2005.2.21号

子どもたちが「生きる力」を再発見していくために

インド洋津波被災地アチェを取材して

軍隊に災害救援はできない非軍事の緊急支援組織を!

 スマトラ沖大地震とインド洋大津波の最も大きな被害を受けたのはスマトラ島最北端のアチェ州だった。人口約四百五十万人のアチェ州だけですでに二十数万人の死者・行方不明者が出ている。本紙は、津波から約一カ月後の一月下旬にアチェの被災地を取材したフォトジャーナリスト豊田直巳さんにインタビューを行った。豊田さんは被災者の子どもたちが受けた打撃の深刻さを語るとともに、軍隊が主導する「救援作戦」がいかに有害なものであるかを批判している。なお、この記事に掲載した二枚の写真はいずれも豊田さんの撮影。(編集部)

救援作戦でも米の単独行動主義

――日本ビジュアル・ジャーナリスト協会(JVJA)が豊田さんのアチェ取材緊急報告会を二月八日に行うことを知って、初めて豊田さんがアチェに行ったことを知りました。いつからいつまで現地にいて、どこを取材されたのですか。

 一月十九日に北スマトラ州のメダンからアチェ州に入り、二十七日までいました。実は二〇〇〇年の三月に軍事占領下のアチェに行ったことがあり、そこが津波の惨害によってどうなってしまったのかを取材しようと思ったのです。メダンからバンダアチェまでの飛行機は家族を探しにいく人びとや、NGOやジャーナリストらしい人びともたくさん乗っていて、二百人ほどの座席は満杯でしたね。
 今回は同行者もなく、事前に何の受け入れもないままの取材でした。おもに州都のバンダアチェと、そこからヘリコプターで一時間ほどのムラボーの被災跡、避難民キャンプを取材しました。私を案内してくれた人も、自分を除く家族全員が親戚の家に泊まりに行ったところで津波で行方不明になってしまったという被災者でした。彼は、キャンプの案内所などで子どもたちの写真が貼りだされているのを見ると、自分の子ではないかと一生懸命探していました。
 津波被災地の風景は、ともかく圧倒的に破壊されつくしており、それを見ただけではそこがもともとどういう所だったのかは全く分からない、何もない状態なのです。ちょうどインダス文明のモヘンジョダロやハラッパーといった古代遺跡の中にいるような印象です。そこでこれは空から撮影しないとわからないと思い、ヘリコプターでムラボーに向かったのです。国連とシンガポール、マレーシアが共同チームを作っており、支援の人びとや援助物資を輸送してくれるのですが、私はマレーシア軍のヘリに乗せてもらいました。幾つかの国がこのように共同チームを編成しているのですが、米軍はまったく単独で行動しており、この点でもアメリカの「単独行動主義」が貫かれているわけですね。

津波で洗い出された侵略の爪あと

 ムラボーに向かう途中の風景を、津波以前の衛星写真と比較してみると、一面の緑豊かな土地が完全に泥土になってしまったことが分かりました。それが延々二百キロメートルも続くのです。僕は静岡県人だから言うのですが、東京から横浜、小田原、熱海を経て静岡あたりまでの沿岸が完全に破壊されたことを考えてみてください。こんなことを考えると、すぐあの浜岡原発のことが思い出されました。地震が来ると原発はどうなるのか、本当に恐ろしい、とんでもない話ですよね。
 もちろん一面の泥土で何もないと言っても、ちょっと奥まった所に行けば、瓦礫や死体が転がっています。死臭で死体の存在がわかる。しかしこの死臭が消えてしまえば、もう死体があったということすら分からなくなってしまうのではないでしょうか。
 かつて自分の家があったと思われる所に何かを探しに行くという人の姿もあまり見かけませんでした。すべて流されてしまったわけですから、そこには何もないのです。下手に探していると、泥棒だと思われて国軍に撃たれてしまうという恐れもあるようです。
 そんな一面の泥土の中に、ポツンとモスクと旧日本軍のトーチカだけが残っていたりする。こんな所にもかつての日本の侵略の爪痕を感じました。避難民の子どもたちも、「サヨナラ」や「ハイッ」という日本語を知っていました。その「ハイッ」という言葉のニュアンスは、兵隊の話す言葉遣いのように思えました。これは想像に過ぎませんが、この「ハイッ」は侵略の遺産なのではないでしょうか。

絵を描くことで自分を取り戻す


 ムラボーは、どの国よりも早く日本赤十字社とNGOのピースウインズが入ったので、日本の評価はなかなか高いものでした。ムラボーの避難民キャンプでは、二時間ヤシの木の上につかまって生き残ったという人の話を聞きましたが、津波は三回来て、三回目が一番大きく二十メートルもの高さがあったというのです。
 ところで写真を見るとわかるのですが、マグニチュード9の大地震なのに、民家の損壊が意外なほど少ないのに気づきました。津波に襲われたところは完全な破壊なのですが、幸いにも津波が届かなかった集落では、粗末なつくりの家でもこわれてはいないのです。これは不思議な感じがしています。
 避難民キャンプにいる人たちは、家族すべてがいなくなったという子どもたちが大勢います。そういう子どもたちの中には、笑いも、泣きもしないまったく表情のない子どももいます。南アフリカから来たというNGOの女性は、親や兄弟姉妹を失った子どもたちのためにメンタルヘルスケアをしていました。たとえば絵を書かせるのです。子どもたちは絵を書くということを通じて、自分の悲しみを表現することができる。悲しみを表現するということは自分を取り戻す一歩なのです。そしてもう自分は生きていてもなにもすることがない、と思う子どもたちに、あなたたちにはこれから生きる価値があるんだよ、ということを感じさせていこうとしているのです。
 メンタルケアは、こうした避難民キャンプではとても大事なことです。たとえばあるキャンプでは、避難民たちがNGOから貰ったテントに礼拝所を作りました。礼拝所を作るという行動は、精神生活を取り戻す重要な出発点ですね。また子どもたちは、NGOのボランティアの手伝いを始めるようになっています。避難民もそれも子どもたちがたんに助けられるだけではなく、自分たちで積極的に他の人びとの手伝いを始めるというところに、社会を再建するという希望が作りだされていくのです。

なかなか進まぬ親捜し、子捜し

 バンダアチェでは、NGOが青空学級や職業訓練を始めています。深刻なことは、破壊されたアチェの中では、仕事そのものがなくなっていることですね。新聞記者だったという人や、運転手だったという人にも会いましたが、その人たちの職場がなくなってしまったわけですから、やることが全くない。
 ロカという村にも行きました。そこでは千七百人の村民のうち、生き残ったのは三百人だそうです。そこでは韓国系アメリカ人の医者が来ていましたが、破傷風で亡くなった人が四十人に達したと言っていました。マラリアなどの感染症はあまりないのですが、破傷風などで早期のうちに死んでしまった人がいるということです。
 報道されているような子どもの人身売買の話は、私が見聞した範囲では、あまり広がっていないようです。もちろん人身売買への警戒措置が取られています。たとえば、キャンプなどに収容されている子どもたちの写真が貼りだされている所では、大人がやってきて写真の子は自分の子だと言っても、子の名前、親の名前、生年月日、職業などをきっちり聞き出して、確認しないと引き渡さないことになっています。
 そうした親さがし、子さがしはアチェの地元新聞社でも毎日一ページを使ってやられています。しかし、なかなか進んでいないのが現実のようです。
 一月二十六日は、津波から一カ月たって学校でも授業が再開されました。ミン・バンダアチェ小学校というところをその日に訪問したのですが、先生の話では千六百人の生徒のうち安全が確認できたのは三百人だそうです。しかし千百人は生き残っているはずだと言っていました。他方、教師の方は六十一人中五人が亡くなり、五人が負傷し、約半数が被災したとのことでした。

完全武装の国軍が至るところに

――インドネシア民主化支援ネットワークなどの報告では、国軍による救援活動への妨害やGAM(自由アチェ運動)への軍事作戦の継続、GAMと見なされた村民の殺害が頻発しているということですが、そうした話を聞きましたか。

 とにかく完全武装した国軍がいたるところに目立つ異常さは感じました。しかしGAMべの掃討作戦をやっている地域には、外国人は入れません。ただ外国のNGOなどがいるということが国軍の行動をある程度縛っていることは確かだと思いますね。
 最後に、自衛隊の救援活動というものをどう考えるか、ということですが、やはり軍隊が被災者の救援活動をするというのは無理なんです。僕は、昨年十月の中越地震の時にパレスチナにいて、日本に戻った時、「スーパーレスキュー隊」による自動車に閉じ込められた子どもの救援が大きく報じられていました。必要なことはあのように救援に特化した専門的組織なんですよね。自衛隊はそのような訓練を受けていません。軍隊としての性格からいって救援・復興活動はできないんです。二〇〇〇年の九月に、石原都知事が「ビッグレスキュー」という訓練を行った時に、出動した自衛隊員に「ふだんからこうした災害救援訓練をしているんですか」と聞いたことがあります。自衛隊員は「そんなこと全然やってません」と答えました。
 国際貢献への自衛隊活用論がありますが、阪神淡路大震災の教訓から見ても、消防庁の下に数万人規模の大規模救援組織を作ることこそが、国際的災害救援のためにも必要なんだということを訴えたいですね。
 NGOの人たちは、子どもたちの一人一人のケアや地元の被災者自らが仕事を作っていくための支援をしています。被災した子どもたちも一カ月たてば、自分たちでボランティアの手伝いができるようになる。そうした活動は、逆に「自己完結」型の軍隊では絶対にできません。そうしたことをあらためて実感しています。(2月9日)        


もどる

Back