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寄稿                          かけはし2005.2.14号

多様で民主主義的な討論が交錯する実験の場(上)

第5回世界社会フォーラムに参加して

                         寺本 勉(ATTAC関西会員)

 第五回世界社会フォーラム(WSF)がブラジルのポルトアレグレで開かれ、私も一月二十六日から三十日まで参加することができた。今回は、昨年のインド・ムンバイに続き、二回目の参加となる。昨年は仕事の関係で、実質二日半くらいの参加しかできず、とりあえず参加しただけという感じで、やや消化不良のまま帰国してしまった。今回のポルトアレグレでは、ATTAC関係のセミナーや会議に絞って参加したので、少なくともその部分では、何が議論され何が確認されたのかが明確になり、参加したという充実感があった。以下は、私が参加した範囲でのWSFのスケッチである(この記事は、編集部からの要請で寄稿していただいたものです)。

会場は参加者であふれる

 地球の裏側にあるブラジルへの旅は予想していたこととは言え、かなりハードなものだった。費用が安いという理由だけで選択したカナダ経由の旅だったが、南半球に向かうのにまず北に飛ぶという奇妙な経路はともかく、結構どのフライトも満席に近く、窮屈なエコノミー席でひたすら堪え忍ぶ三十六時間だった。連続六食の機内食もいい加減食傷気味であった。
 特に、トロント・サンパウロ間とポルトアレグレまでの国内便は、WSF参加者とおぼしき人々がいっぱい乗り込んでいて、WSFの会場に一歩ずつ近づいているという実感が出てくる。バンクーバーの入管職員が「どうして日本人はサンパウロ行きが多いんだ」とこぼしていたらしいが、まもなく始まるカーニバルシーズンとも相まって、日本人の姿が目立った。
 ポルトアレグレ市内に入ると本当にWSFのバッグ(登録参加者に手渡される)を肩からさげた人やWSFの登録カードを首に掛けている人の姿が至るところに見られた。ただ、私自身の行動範囲が川沿いの倉庫や公園に点在する会場周辺とセントロと呼ばれる市内中心部とだけだったので、その範囲での経験でしかないのだが。
 WSFの会場は、ポルトアレグレがその沿岸に広がっているリオグランデドスル川とグァイバ湖に沿った地域に、AからKまでのブロックがテーマ別に並ぶ形となっている。ムンバイでみられたような組織委員会主催の催しはなく、すべてが自己組織型のセミナーやイベントの巨大な集合体がポルトアレグレWSFなのである。
 各ブロックには、大きなものから小さなものまで二百以上のテントが立ち並び、社会運動団体のブースが軒を連ねる大テントもある。また、廃倉庫を会場にしたところもあり、それぞれのブロックには演奏会場も設けられている。セミナーが終わってからなど、強烈なラテンのリズムが鳴り響いていた。もちろん主催者とは関係のなさそうな露店も「ここが商売時」とばかりに並んでいる。

オープニング行進に数万人

 私が空港からタクシーでホテルに着いたのは、二十六日の夕方六時過ぎだった。ホテルのロケーションはきわめて良く、歩いて五分ほどでWSF会場に行ける距離にあった。シャワーを浴びていると、遠くからスピーカーの音が聞こえてくる。オープニング行進かもしれないと思い、近くの公園を通り抜けていくと、無数の小さなテントが林立している。ユースキャンプだ。登録料約千二百円を払うと、テント持ち込みで参加できる。テントがない場合も、余裕もあるテントを紹介してくれるシステムらしい。宿泊先のホテルの近くにある安いレストランや食料品店にはいつも若者が群れをなしていて、夜遅くまでビールを飲んで騒いでいる。
 さらに公園を抜けていくと、続々とデモ行進が到着しているところに遭遇した。世界各国からの参加者もそれぞれの旗や横断幕を掲げて行進している。韓国民主労総の代表団の姿も見える。デモ行進をさかのぼっていくと、ATTACインターナショナルの隊列がおなじみの「%」ののぼりとともに行進してくる。私もその中に参加した。WSF全体の参加者は当日参加者も含めて十五万人とのこと。そのうち何万人かがデモ行進に参加している。海外からの参加者は別として、ブラジルの人々のデモ行進はとにかく陽気だ。ドラムのリズムに乗せて体を動かし、足を運ぶ。宣伝カーから流れるシュプレヒコールもリズム感にあふれている。最近は日本のデモでも、リズム感を出そうとしているが、やはり本場は違う。
 デモ行進の終了後、野外音楽堂のような広大なグラウンドで開会式が行われた。私自身は参加しなかったのだが、参加した人の話で「本当に立錐の余地もない」人の数だったとのこと。開会式に引き続いては、コンサートが延々と続けられていたようだった。

多彩な社会運動団体の結集体

 WSFの特徴は、何と言ってもその網羅する分野の多彩さにある。AからKまでは、別掲のような分野に分かれているが、いくつかのブロックは活動分野がクロスしていて、同様のセミナーがブロックをまたがって開かれたりもしていた。
 WSFのプログラムは三日間ごとに区切ってある二分冊で、それぞれが百ページ以上ある分厚いものである。参加者は配布を受けると、首からぶら下げている登録カードにサインしてもらうのだ。プログラムには、セミナーやイベントの名称、テーマ、主催団体、発言者などがそれぞれ英語、ポルトガル語(スペイン語?)、フランス語で書かれている。その中から自分の参加したいセミナーやイベントを探すのだが、とても全部を検索しきれない。しかも、ムンバイでもそうだったのだが、プログラムの印刷が間に合わなかったらしく、開会の前日にはインフォメーションセンターに長蛇の列ができ、その途中で品切れになったと聞いた。開会後もその状態はしばらく続き、ようやく二十七日になって誰もが受け取ることができるようになった。
 ATTACの主催するセミナーはブロックE、H、Iあたりで開かれたので、私はその周辺しか経験できていないが、全会場を回ったという人から聞くと、宗教的な分野も包含したブロックKでは、かなりスピリチュアルなイベントも行われていたらしい。また、文化やメディアを扱うブロックC、D周辺では、ビデオ上映会も連続して行われていた。

(注)WSF各ブロックのテーマ
A:知識と技術についての自律した思考・再専有・社会化
B:多様性・複数主義・アイデンティティーの防衛
C:芸術と創造(民衆抵抗文化の組み立て・建設)
D:コミニュケーション(反覇権主義的実践、権利、オルタナティブ)
E:地球および民衆の共有財産の保障・防衛(商品化と超国家的支配へのオルタナティブとして)
F:社会的闘争と民主的オルタナティブ(新自由主義的支配に抗して)
G:平和、非軍事化、戦争・自由貿易・債務との闘い
H:国際的民主的秩序と民衆的統合の構築に向けて
I:民衆のための、民衆の自主的経済(新自由主義的資本主義に抗して)
J:公正・平等の世界に向けた人間的権利・尊厳

ルラに歓声とブーイング


K:倫理、世界的視野、精神性(新しい世界に向けた抵抗と挑戦)
 一月二十七日午前中にブラジルのルラ大統領がWSF参加者に演説するというので、日本のATTACメンバーは会場の屋内スポーツセンターに向かった。会場近くでタクシーを降りると、すでに入場を待つ人が長蛇の列を作っている。赤いPT(労働者党)のTシャツを来ている人やPTの旗を持っている人が多い。Tシャツの背中には「一〇〇%LURA」の文字が見える。
 一方で、会場近くではPSTU(統一社会主義労働者党、モレノ派トロツキスト)の一団が「オー、オー、オー、ルラ」などとシュプレヒコールをあげながら「ルラ政権の裏切り」を糾弾している。そのうち、車道をP―SOL(社会主義と自由党:労働者党を除名されたDSメンバーらが新しく作った政党)とMST(土地なき農民)の横断幕を持ったデモ隊が登場してくる。こちらもルラ政権を批判するスローガンを叫んでいる。この二つのルラ批判派は、WSFにも参加しているのだが、この日は演説会場のそばでルラ政権批判の独自の集会を開くようだった。
 現地の案内をしてくれている日系ブラジル人のN氏は、「P―SOLを作った女性上院議員の主張は正しいと思う。若者に人気があるようだ」と語っていた。行列していた若いブラジル人は、ルラの大学政策を批判していた。
 だんだん強くなる日差しを受けながら、一時間以上待ってようやく会場入り口まで到達してみると、列ができる理由がすぐにわかった。入り口で係員がボディチェックや手荷物検査をしているのだ。ペットボトルは演説会場への持ち込み禁止である。投げつけられるのを恐れてのことだろう。会場内は、およそ五千人くらいの収容人数だろうか、中央のアリーナを囲んで円形に観覧席が広がっている。ただし、観覧席はコンクリートのままで、椅子などの設備はない。
 ルラ大統領が登場するまで、ラテン音楽のオーケストラが大音響で演奏している。ウエーブが会場内を一周する。時おり、「ルラ!ルラ!」という歓声とブーイングが入り交じって会場内は騒然となる。そうした中、ルラ大統領が登場した。何名かのスピーカーが「貧困や飢餓との闘いを今すぐ始めなければならない」「行動するのは明日ではなく今なのだということを為政者たちに思い出させなければならない」と話した後、ルラ大統領がいよいよ演壇に登場した。確かに演説はうまい。アジテーターとして一流の才能を持っている。
 会場の一部からのブーイングに対しても、「ブーイングが聞こえるが、私が労働者党を作って民主的な場を作ってきたからできることだ」「若者も年をとればわかってくる」などと茶化してくる。大きな身振り、手振りを交えて、ラテンアメリカ各国の変化を列挙し、労働者党結成以降の苦労話をとりまぜ、他国との友好推進の実績、国内改革の達成(貧しい子どもたちへの大学奨学金制度、工業団地建設による雇用創出など)を自画自賛していく。
 その一方で、会場内の一部からは切れ目のないブーイングが続き、会場外のPSTUやP―SOLの人々によるシュプレヒコールが会場内にまで響いていた。帰国してから朝日新聞を見ると、彼はこの後ダボスの世界経済フォーラムに飛んでいったそうである。

ATTAC主催のセミナー

 このWSFでは、主に各国のATTACが主催するセミナーに参加した。二十七日午後の「世界銀行とIMF:悪の支配とそれに代わるもの」、二十八日午前と三十日午前に開かれた「トービン税」関連のセミナー、そして二十八日午後の「五年を経たATTACインターナショナルの立脚点」の四つである。これ以外にも、ケベック(カナダのフランス語圏)ATTACやノルウエー・ATTACのセミナーもあったが、私は参加できなかった。
 最初の「世界銀行とIMF」セミナーでは、世界銀行やIMFが押し付けてくる構造調整計画だけでなく、国連のミレニアム開発目標(MDG)についての批判的な意見が数多く聞かれた。多額の金が発展途上国に流れても、それがシステムとしての腐敗した体制を作り出し、支えているという批判がフィリピンや韓国の代表から語られた。
 また、二十八日午後のセミナーでは、ATTACの到達点と今後の課題について各国の経験に基づく討論が展開された。このセミナーの目的として、「ATTACとしてこの五年間に何を達成できたのか?」「ATTACをとりまく政治環境がどのように変化したのか」「国際的ネットワークと共同行動をどうするか」の三点が挙げられていて、二十九日のATTAC国際会議のプレ討論ともいうべき性格を持っていた。
 各国からの発言で共通していたのは、ATTACがさまざまな社会運動団体や労働組合、NGO、政党などをつなぐコーディネーターやファシリテーターとしての役割を担ってきたし、今後も重要な任務となるだろうという点だった。例えば、ATTAC・チリは昨年三万人を結集して大きな成功を収めたチリ社会フォーラムの重要な組織者であったし、カナダ(ケベック)、オーストリアからも同様の経験が示された。日本での京都社会フォーラムの成功も、同様のケースとして数えられよう。(つづく)


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